頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

相対的であり、絶対ではない

 

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

 

今回は初めてブログテーマというものを取り扱います。

 

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

 

強いて挙げるならば「相手のバックボーンを鑑みることができるようになり、断罪をすることがなくなった時」でしょうか。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

 

 

大人を自負している奴はクソ

大前提として、わたしは「大人」というものが嫌いです。

正確にいうと『自分が大人だと自負している人』が嫌いです。

そういう方々には不信感しかありません。

 

まず、「大人」というのは何を定義して言われるのでしょうか?

 

一般的には「実年齢が(おおまかに見て)20歳以上であり、自分本位な行動ばかりでなく、思慮分別があって場の状況を正しく整理・理解することができ、常識的で自立しており、他者への思いやりができる人」というように(半ば暗黙の了解のように)言われています。

 

上記の定義は意図的に厳しくしましたが、果たして、この世界で「大人」という役割を担っている方々が、みなさま上記のハードルをクリアできているでしょうか?

 

わたしが19歳かそこらの時に働いていたところの先輩(40歳くらい?)は、挨拶をしても一切返答することはありませんでした。

これは常識的な大人と言えるのでしょうか?

 

自分の機嫌次第で後輩に当たり散らして威張っている上司もいました。

それは本当に自立していると言えるのでしょうか?

 

わたしが過去働いていた職場は軒並み接客業だったのですが、とても傲慢な客が多く、店員に対して礼儀もへったくれもない人が多かったので(ちゃんと礼儀正しい方ももちろんいます)、わたしは店員さんには礼儀正しくしようと常々心がけているのですが、接客業経験者であっても自分が客の立場になった途端に横柄な態度になる人も見ました(自分の機嫌で当たり散らす上司)。

それは他者への思いやりがあると言えるのでしょうか?

 

先述のものと被りますが、自分の好き嫌いで相手への態度を変える(それこそ無視をするであるとか)人も多くいました。

それは自分本位でないと言えるのでしょうか?

 

 

他者とのコミュニケーションにおいて、個人的な感情を持ち込むな。

上に並べた過去の私怨は、確かに

 

  • 人は、関係を良好にするため、好き嫌いは関係なく挨拶はするべきである(特に仕事においては、人間関係の不和による支障が原因で不必要な問題が発生しかねないため)
  • 場の一人が機嫌次第で行動すると、その一人のために複数人がご機嫌取りをする羽目になり、その結果チームのパフォーマンスが著しく低下する危険があるため、個人の機嫌とコロニー内の機嫌とは切り離さなければならない。自分の機嫌くらい自分で取れるようになっとけ
  • お店というのは商品の代価として金銭を受領している。特定の商品に設定された金額というのはその商品のみの値段であるため店員さんの接客費とは別になって独立している(これは超個人的な考え)。単純にお店において客という立場は、店員さんが存在しないと購入すらできないのだから、店員さんに礼儀正しく接するのは当然じゃね。
  • 自分の好き嫌いで相手への接する態度を変えていると、それを第三者から見られた時に「あの人は好き嫌いで態度を変えるのだな、あまり近づかないでおこう」と思われる可能性がある。それにより、有益な情報を教えてくれるはずだった人を一人失うことになる。その失った一人から伝播して多数の交友を失った結果、甚大な損害を被る可能性も発生する。多くの人が去ったあとに残るのは、同じような人間性を持った人ばかりになり(類は友を呼ぶ)、傷の舐め合いになったり相互監視の疑心暗鬼コミュニティが形成される。

 

というわたしの信条から外れていることから「理解ができない」とわたし自身が感じるのだろうなと思うのですが、ちょっと考えたらこの程度わかるだろ。

 

 

『現実を見れる』のが大人なのか?そもそも『現実を見る』とは?

2年ほど前に「グレタ・トゥンベリさんについてどう思われますか?」という街頭インタビュー映像がニュース番組で流れていました。

その質問に「彼女はまだ幼いですからね。現実が見えていないんでしょう 笑」と40代のサラリーマンの方が、嘲笑ぎみで小馬鹿にしたような返答をしていました。(これはグレタさんの活動を肯定する話ではありません)

 

『現実を見る』とはなんなのでしょうか?

わたし個人としては「環境問題をしっかりと見つめ、その是非を精査すること」が今できる『現実を見る』なのではないかと思います。

地球温暖化が起こっている・起こっていない」ではなく、「もし本当に起こっていた時に今なにをすべきか、なにができるか、子の世代・孫の世代が生きていける世界を残すために、今なにをしないといけないのか」を調べる、それができそうならば実践をする。

それこそが『現実を見る』ということなのではないかと、わたしは思います。(これはグレタさんの活動を肯定する話ではありません)

 

確かに物事や諸問題ってのは層状になっているので、『すっぱい葡萄』みたいに決めつけて楽をしたい氣持ちもわかりますが、その結果、あんたの子や孫が苦しんでもいいのか?

 

"洪水よ、我亡き後に来れ!"じゃねえんだよ。

 

 

大人なんていない。みんな子どもで偉ぶっているだけ

社会人になってそこまで長くは経っていませんが、日々を生きていて日に日に強く思うのは、「大人に見える人も子どもの延長を生きているんだな」ということです。これはわたしに対しても思います。

会社に入っても「誰それが誰それを嫌っている」だの、派閥から生まれる社内政治だの、専業主婦になってもパートナーの収入差やお受験だのママ友コミュニティの人間関係、マウント。

常に自分の立ち位置にびくびくして自分より下の者には踏ん反り返り、自分より上の立場の者には靴を舐めて綺麗にする。

人間ってのはきたねえなと常々思います。

 

そんな中、人の中にある綺麗さをたとえ小さくても信じて接していってグッサリ傷つき、自分だけは綺麗でありたいと思い、他者にはできるだけ傷ついてほしくないと思うわたしは、一番お子様で大人になれていないのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

わたしは自分のことを大人だとは思いません。

他者から見て「大人」のカテゴリーに属する年齢なのだろうなとは思いますが、「おとなだぞえっへん」などというような偉そうな振る舞いは自覚的にはしていませんし、しないように心がけています。

 

 

とはいえ、わたしの確固たる信条も上記した「大人を自負した者の愚行」から精錬されたものなので、ある種の感謝は感じています。

 

 

結局のところは、"傲るな"

危惧しないといけないのは、自分もその「大人を自負した者」になりかねないというところです。

実際、今まで書いてきたことも見る人が違えば「なんだか偉そうだな。大人ぶっちゃって」と思われかねませんからね。

わたし個人の予想ですが「大人を自負した者」は、"長い間一人で生きてきた"という自負がある方が多いような印象を感じます。そして、わたしもその勘違いを少なからずしているように思います。

このままだと「老害」になってしまう。

細かく小ずるく、少しばかりの考える脳みそを持ってると、いつまでも「自分はちゃんと考えることができる」だなんて自負持っちゃって、周りからは見限られて、氣付いた時には一人きり。なんて容易に想像がつきますものね。

まぁそれも地球っぽい生涯とも思いますけれども。

 

わりかし簡単にいろんな考え方を受け入れる(色々な価値観・多様な感受性を受け入れる素地を作る)ことができるのは、30歳がタイムリミットかなあと思っているので、積極的にいろんな人の本やお話を聞きたいですね。

 

 

『大人』を信じるな。全てを疑え、自分だけを信じろ、自分も疑え

ちなみに「大人の言うことを聞け」と年長者や保護者が子や年少者へ言うのは、コントロール下において御しやすくするためだと思います。

 

とは思いましたが、『とんがり帽子のアトリエ(8)』にて「大人はけして子どもを侮っているわけじゃない。ただ世界を信用していないだけなんだ」と言っているシーンがあって、「それも確かにそうだなぁ」と思いました。

f:id:maro19930624:20201206164534p:plain

https://morning.kodansha.co.jp/c/tongariboushi



 

あ!大人になったと思うのは、子どもの時よりも歳をとって味覺が衰えたことで、昔食べれなかったものを克服した時です。

「大人になっちまったんだなぁ」と思います。

 

あと歳を取ったなあと思うのは、小学生などのみなさんが素脚を出して歩いているのを見た時にこちらまで寒くなってしまった時ですね。

あれまじで信じられない。虐待ちゃうのとすら思っちゃう。

 

 

心を平穏に生きたい\(´-`)/

 

 

ありがとうございました\(´-`)/

【二回目】パラサイト【観たよ】半地下の家族【やっぱり価値観のお話】

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

今週の金曜日夜9時から、日本テレビ系にて『パラサイト 半地下の家族』が放送されるそうです。

 

ですので、この度二回目を鑑賞致しました。

 

 

 

↓↓前回の考察・感想↓↓

floodinhead.hatenablog.com

 

トリックの開始地点

一度目の鑑賞時には、「友人に家庭教師を頼まれたギウが『大学に出ていない』というところから本作のトリックは始まる」と話していましたが、もっと早い「ピザ屋の箱を作る内職」の時点で始まっていましたね。

 

手抜きにより不良品の箱を作ってしまい、それによりペナルティが10%つくシーンです。

ペナルティに対して「人件費をケチるなんてひどい!」と雇用主(ピザ屋)に家族は訴えますが、雇用主側は「不良品一つでブランドイメージが傷つくんだから、そんな簡単な話でもねえんだよ」と返答します。

これも価値観の話ですよね。他者の価値基準に左右される個人

 

 

ギウが友人から家庭教師の仕事を持ちかけられる時に、友人が半地下一家に『水石』という石を持ってきます(お土産?)。

それを見ながらギウは「これは本当に象徴的だな」と口にしますが、この『象徴的』というのも「ただの石に、人間が勝手に価値を見出した(価値を寄生させた)」という意味合いで"象徴的"と発したのだと思います。

 

ダソンが幽霊(全地下住みの旦那)を見たトラウマの話では、その話をブルジョワ旦那にしても「家に幽霊が出ると事業は成功 お金を稼げる」と言って深刻には受け取らなかったと描写されています。

これも「家に幽霊が出る」といった単純な事象に対して、「その家に住む人は成功し、お金を稼ぐことができる」という"価値"を、ある個人が付加したにすぎません。

 

超自然的で理論的に説明できないことを"神の所業"や"運命"と片付けることで納得することができるという側面をヒトは持っているそうです。

もともとはそういった『説明のしようがないこと』を受け入れるため、受け入れさせるために使われてきた慣用句(意味あってる?)なだけかもしれませんけどね。

ですが、その慣用句も長年使用されてきたとなれば「別の意味」や「本来なら無かった価値」が付いている可能性はあります。

 

 

縋る相手

自分の家に帰った半地下の家族。

ギウは先述の水石を手にし、お父ちゃんのギテクは妻がハンマー投げの選手時代に獲った記念メダルを手にします。

この期に及んで価値に縋る。いや、当人がそれを大事に思って並々ならぬ価値を感じているのなら良いと思います。わたしも危機的状況になった時にギターを手にすると思いますし。

あと、これは西野亮廣さんが話していた「人は思い出に生きる」ということなのかなぁとふと思いました。

 

f:id:maro19930624:20210105182305p:plain

 

つーかメインヴィジュアルに水石写ってんじゃん。

鑑賞前からネタバレかまされてんじゃん〜。

 

 

「酔っ払いへかける水」や、「大雨で下の町へ流れる雨水」、「ジャージャーラーメンを作るときの蛇口から流れる水道水」など、水が示唆している意味合いなんてのはみなさん考察済みでしょうから、ここでは省きます。

 

 

以上、鑑賞二度目の感想でした。

 

本編ノーカット放送らしいんですけど、これ大丈夫なの?笑

「時計回り」のシーンとか、石でギウをアレするとことか、ダソンのパーティーまわりのシーン結構エグいよ?

そういえば「モーテル代をケチってカーセックスか?」のシーンは、某芸人のアンジャッシュ渡部さんが多目的トイレでことを致していたのと重なりますね。

 

あ、個人的には劇中の家(の描写の仕方)にすごく「積水ハウスのCM感(シャーメゾン感)」を感じていたので、本編の後にそのCMがきたら面白いぞ!どっちが本編かわからないぞ!なんて思っていたのですが、今の番組スポンサーには積水ハウスは入っていないみたいですね。大成建設みたいです。

とっても残念でぴえんぷおんぽろんって感じです。

 

 

まぁなんとはいえ楽しみにしましょう\(´-`)/

ありがとうございました\(´-`)/

 

 

 

追記

こちらの解説が面白いです( ¨̮ )

pandafujin.com

メメントモリ

 

🎍🎍🎍

あけましておめでとうございます。

 

2021年の年明け時にはギターを弾いていました。

その時にしみじみと思ったのですが、昨日と同じ事を今日も行う事ができる、毎日同じ事が変わらず行えるということが一番の幸せなんですね。

雨風をしのげる家があって、温かいお風呂やお布団がある。それが当たり前として生活をしていると見落としがちですが、それはとてもとても恵まれていることなのだと改めて思いました。

 

「人は記憶ってものがあるから寂しさや悲しさ、絶望を感じるのではないのか。人が意識を"今"だけに向けれたらネガティヴは存在しないのではないか」と去年の暮れ前くらいから思っていました。

それに対して一個の理解方法、視点を示したのが、この前に評した『映画 えんとつ町のプペル』なんですけどね。

floodinhead.hatenablog.com

 

その『記憶に対しての考え』が2021年の年明け直後に、「日々を"過去"と"今"と"未来"の帯状として考え、その考えの上で日々を驕らず、今日を点として捉え、慎ましく暮らしていくしかない」と思いました。

わたしは(人間はみんな?)これまで「"現在"は過去からの結果」と思っていたので、今辛いことがあれば、それが続くと捉えていました。

ですが、現状なんて変容するものです。良いから悪いへ、悪いから良いへ。(マクベス?)

良いから悪いへ変容したのだから、悪いから良いへ変容することもあるでしょ。という氣概ですね。諦観か?

なので、現在は過去の結果ではなく、現在は過去から未来への中継地点という捉え方。そういう意味で「"過去"と"現在"と"未来"を帯状に捉える」という考え方になったのです。

「目の前を一生懸命に行う」というのは『モモ』で掃除夫のベッポが言っていた掃除の姿勢と一緒ですね。

 

 

🎍🎍🎍🎍🎍🎍

と、そんなことを正月からくどくど言ってんのって一休宗純さんみたいだなと思いました。

元来わたしはひねくれ者なので、一休和尚の話は好きです。ひねくれ方が。

 

『門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』と和尚は句を詠んでいます。

「みんな年が明けたって喜んでるけど、それってまた一歩死に近づいたってことだろ?人なんていつ死ぬかわかんねえんだから、それを忘れんな」って意味合いなんですね。

つまりメメントモリ「死を忘れるな」という意味です。

一休 -memento mori- 宗純です。

むっかしにタモリさんが「(上記した句、正月に町を行脚した奇行は)一休和尚なりのメメントモリ」だったと話されていました。

 

『金襴の袈裟』のお話も大好きです。

 

 

🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍🎍

一休宗純さんの話を調べている時に「ありがたい」の話を見つけました。

「ありがたい」は漢字で書くと「有り難い」と書きます。

読んで字のごとく、『"有る"のが"難しい"』と書きます。

本記事冒頭の話に戻りますが、昨日していたことが今日もできる、これまでそれが普通に出来ていたから思い至りにくい部分ではありますが、それって奇跡的なことなんですよ。

昨日まで出来ていたけど、今日事故に遭って出来なくなった。ともすればそれにより死んでしまうかもしれない。それもなく、日々を更新していける。それこそが有り難いことではないでしょうか。

 

話し合って楽しく笑い合うことができる。

ギターを毎日弾けて、楽しいと感じる事が出来、スキルを精錬していける。

それも全て『有る』から成立します。でもその『有る』も案外易々と崩れたりする。

『有る』状態ってのも奇跡的な相互作用の上に成り立ってる。その奇跡が続くのは『難しい』

悲しさや寂しさなどのネガティヴ感情を感じることすら、有り難いことだとも言えるでしょうね。

喜怒哀楽の内の一つでも制限したら精神は簡単に均衡を失いますよ。

 

締め方がわからなくなりました。とにかくギターを弾くのはとても楽しいということです。

 

 

当ブログを読んで頂いている方がいらっしゃることを有り難く思います。

今年もよろしくお願いいたします\(´-`)/

 

 

ありがとうございました

 

 

369

今年ベスト2020

 

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

本日は12月31日。大晦日です。

ですので、今年触れた音楽や書籍、映画などをご紹介していきます。

 

 

 

作品名/作者名 と表記いたします。

 

 

【音楽編】

 

[邦楽]

ソルファ (2016) / ASIAN KUNG-FU GENERATION

Kiyoshi 3 / KIYOSHI

Kiyoshi 5 / KIYOSHI

CEREMONY / King Gnu

Dream Songs: The Essential Joe Hisaishi / 久石譲

これがブッダブランド! / BUDDHA BRAND

命の灯 / ヒカリノハコ

惡 /MUCC

娼婦2020 / ムック

 

[洋楽]

Effloresce / Covet

Future Nostalgia / Dua Lipa

To Pimp A Butterfly / Kendrick Lamar

The Slow Rush / Tame Impala

Joker: Original Motion Picture Soundtrack / Hildur Guðnadóttir

I Cry When I Laugh / Jess Glynne

Are You Experienced / The Jimi Hendrix Experience

Blue World / John Coltrane

Giant Steps / John Coltrane

Saxophone Colossus / Sonny Rollins

 

 

 

ソルファ (2016) / ASIAN KUNG-FU GENERATION

2004年に発表された作品の再録作。この情報が発表された時に大きな話題になったのを覚えています。

リライトが収録されているアルバムということでも有名かと思います。

わたしは世代ドンピシャなのですが、アルバムと触れるのはこちらが初めてでした。

メンバー皆様の多彩な表現や老練なスキルが滋味に光るいいアルバムでした。

ドラムの伊地知さんがうまいのは承知していましたが、ベースの山田さんも相当にうまい。

『君の街まで』の冒頭にスライドで入ってくるベースの音がおいしすぎて思わずよだれが出たくらいです。あの音は絶品。

『Re:Re:』はあれなんですね、携帯電話のメールをリレーした時、件名につくあれですね。なんも思わず聴いてました。あれの意味合いって今の10代の子はわかんのかな?

よくある日本の楽曲はAメロ→Bメロ→サビ→間奏→ラストのサビと構成されてるのですが、この『Re:Re:』はAメロ→サビ→Aメロ→サビ→Aメロと構成されています。

歌詞を見ればよりわかりやすいのですが、繰り返すことで二人の関係や、やりとりを未来へつなげたいということなんだろうと思いました。「よくできた曲ー」って思いました。

或る街の群青とかブルートレイン、ブラックアウトとかいいよね。

 

 

Kiyoshi 3 / KIYOSHI
Kiyoshi 5 / KIYOSHI
音楽情報誌のPlayer誌に特集されていた「この女性プレイヤーがすごい」みたいな企画で知りました。

『Kiyoshi 5』のライブに行ったのですが、なかなかパワフルでかっこよかったです。久しぶりに全身で爆音を浴びて細胞が踊りました。

KIYOSHIさん(ベース)と満園英二さん(ドラム)のみの編成でしたが、十分成立していました。バンドはギターとベースとドラムがいないとなんていう固定観念はもう違うのかもね。かっこよかった!


Kiyoshi - Hero [Official Video]

 

 

 

CEREMONY / King Gnu

良いアルバム!大ヒットした『白日』を含む数々のタイアップ曲を収録しながらも一つのアルバムとしてまとめあげているのはギター・ボーカルの常田さんの手腕だと思います。

音楽をサブスクリプションで聴くのが主流となっている昨今、爆発的に売れてティーンの星みたいな存在になっている方々が、これだけクオリティの高い、しかし収録時間37分というとても聴きやすいアルバムを作りあげたことで、今の10代が『アルバム体験』をしてより音楽にのめり込む機会が増えたのではないかなと思います。

昔からの楽しみ方に固執する音楽好きなので、アルバムをバラして個別に聴くのはなんとも物足りなく思うのです。

 

 

惡 /MUCC

2020年の波乱の世界情勢でドロップされた今作。

アルバムの制作ってのはリリースのだいたい1年くらい前から始めることが多いのですが、その「コロナ禍」と言われている"今"を予見していたかのような内容でした。

1曲目の『惡 -JUSTICE-』なんて今年になってより顕在化した自粛警察、マスク警察のことを歌っています(作詞の時点ではネットにおける誹謗中傷のことを書いたらしく、リリース段階になって「こんなにも世相とぴったりの内容にびっくりだ」と話されていました)。

そういった時代とのリンクや、バンドのキャリアを重ねた上で、過去作を鑑みた時に過去一の出来なんじゃないかと個人的に思うアルバムでした。

アルバム全曲の印象は、前半(物心がついた頃)では強い怒り、深い怒りや自己の煩悶を抱えて荒んでいた一個人が、成長(自己嫌惡や虚無感、庇護してくれた人への感謝、神の否定)をするに従って、他者を労わり幸せを願って祈ることができるような神の視点を持つことができるまでの成長譚だと思いました。

こういう体験ができるからアルバムは1枚を通して聴きたいのです。

全16曲構成と曲数だけ見たら氣後れしてしまいますが、歌詞をしっかり読みながら聴くとわりとあっという間でした。

今年がマッチしすぎていたので、再来年とかには合わなくなっているかもなんて思ったりしますが、タイムレスな作品だと思います。名盤!


MUCC / 惡 -JUSTICE- MUSIC VIDEO

 

 

Effloresce / Covet

Yvette Young氏のタッピングが、自分を取り囲むダイヤモンドダストキラキラと輝くようでとても美しい作品でした。幻想的で良いアルバムです。 


Covet - "shibuya" (ft.San Holo) (official video)

 

 

To Pimp A Butterfly / Kendrick Lamar

映画『ムーンライト』経由で知った作品です。一曲一曲がお洒落なのでBGMとしても楽しめますし、楽曲をしっかり聴いても素晴らしいです。なにより、映画『ムーンライト』の内容と同様に「黒人」という文化とアイデンティティに対してのKendrick Lamar氏の確固とした誇りを感じます。

間違いなく大傑作です。

 

 

 

【書籍編】

 

[日本]

家庭教師は知っている / 青柳碧人

他人の顔 / 安部公房

動物たちのまーまー / 一条次郎

AX / 伊坂幸太郎

ホワイトラビット / 伊坂幸太郎

モダンタイムス / 伊坂幸太郎 (再読 4,5回目)

口笛の上手な白雪姫 / 小川洋子

走れメロス / 太宰治

おうち性教育はじめます / フクチマミ,村瀬幸浩

劇場 / 又吉直樹

妻に捧げた1778話 / 眉村卓

非属の才能 / 山田玲司

女王蜂 / 横溝正史

 

[海外] 

ロンドン・ブールヴァード / ケン・ブルーエン

モモ / ミヒャエル・エンデ

動物農場 / ジョージ・オーウェル

ボッティチェリ / バリー・ユアグロー

 

 

他人の顔 / 安部公房

「光というやつは、自身透明であっても、照らし出す対象物を、ことごとく不透明に変えてしまうものらしいのだ」という文言を見た時、作者の安部公房氏は天才だと思いました。

主人公の妻からの手紙を読んでいると、「自身が所属するコミュニティを、わざと閉鎖的な空間にして、その上対外の人を敵視して、敵対関係をわざわざ作る。ネガティヴで結束を固める行為」に対しての作者の『性別間や人類への深い怒り』を感じました。

 

 

動物たちのまーまー / 一条次郎

わけがわからない。

『レプリカたちの夜』からそうですが、一条次郎さんの作品はわけがわかりません。ですが、そのわけのわからなさも作者の計算で、読者は作者に踊らされているのではないかと思わされます。しかしわけがわからない。

ラーメン屋さんの「天下一品」や「ラーメン二郎」に行く時に『天一(二郎)行こうぜ』と、合言葉の様に会話が交わされ、ラーメンを食べるという行為が"イベント化"していますが、この一条次郎さんの作品もそういった『一条次郎を読むというイベント』と似ていると思います。村上春樹氏の様にカルト的人気を博すかも?

あと普通にエンタメ性が高い。でもなかなか深いメッセージを感じる作品でした。

 

 

モダンタイムス / 伊坂幸太郎 (再読 4,5回目)

5月くらいに「再読したい」と突然思い再読したのですが、「なるほど、そういう意味合いで突然思ったのね」と納得しました。

『苺畑さようなら』は初読だとつまらないと思いますが、再読すると「なるほど」と思う作品ですよ。

 

 

ホワイトラビット / 伊坂幸太郎

2020年は伊坂幸太郎氏の作家デビュー20周年なのですが、この『ホワイトラビット』は筆者自身のいろんな過去作をセルフオマージュしているように感じ、個人的に集大成みたいな作品だなと思いました。

作品内で二度ほど挟まれるトリックはとても小説的で、かつ小説でないと成立しえないトリックだったので初めて読んだときは「どっひゃ〜〜!!」となりました。

『映像化不可能といわれた作品!』みたいな謳い文句を見ても「映像化不可能作品多すぎでしょ」と思っていたのですが、"映像化不可能作品とはどういうものか"を初めて垣間見た体験でした。実際映像化は無理なんじゃないかな?

 

 

おうち性教育はじめます / フクチマミ,村瀬幸浩

以前記事にしましたが、この書籍は本当に読んで良かったと思います。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

非属の才能 / 山田玲司

鬼滅評でも引用させていただいた『山田玲司ヤングサンデー』経由で知った作品。

正直色々な偏見やバイアスは感じますが、その中でもハッとする筆者の意見や考えが伺えました。この本を読んでいる時、去年に読んだ岡本太郎氏の『自分の中に毒を持て』を思い出しました。徹底的に相手と同じ目線に立って、叱咤激励をしてくれる。これは相手(読者)を信頼していないとできないことだと思います。

「世の中に違和感を感じているなら、そのままでいい。でも"非属"でいるのなら、それなりに覚悟をしないといけないよ。誰のせいにもしてはいけないよ」と語りかけてくれているような暖かさを感じました。

 

 

動物農場 / ジョージ・オーウェル

レーニンとともにロシア革命を成したスターリンがいかにして独裁者に変貌したのかを寓話化した作品。読んでいて、そのあまりの『ヤバさ』に顔がひきつりっぱなしでした。

物語最後の「おしまい」がこれほど恐いものだと感じたのは初めてでした。

映画『ザ・ハント』でも引用されていましたね。

 

 

モモ / ミヒャエル・エンデ

1800年代に書かれた作品と思っていたからまさかの1973年発行でびっくり。

資本主義が善とされて久しい昨今、いかに時間を削るかの競争に奔走している現代人を余地したような作品でした。大人よカテゴライズされている人ほど読んでほしい児童文学です。

 

 

【映画】

 

[邦画]

朝が来る(2回)

えんとつ町のプペル

風の谷のナウシカ

鬼滅の刃 無限列車編(2回)

ゲド戦記

千と千尋の神隠し

罪の声

ばるぼら

もののけ姫

 

 [洋画]

パラサイト 半地下の家族

ザ・ハント

ムーンライト

ミッドサマー

リチャード・ジュエル

 

 

 

 

朝が来る(2回)

これまででは端役であったり、語られることのなかった人たちの物語。

よくある娯楽感動映画では、主人公を輝かせるために使い捨てされてきたような人に焦点を当てた作品でした。

これまでの無意識に傷つけられてきた人たちを無闇に傷つけないように、茶化したり嗤ったりしないように注意を払って丁寧に描いていたのが印象的です。

登場人物がとても細やかに表現されていたのですが、それも原作者の辻村深月さんと監督の河瀬直美さんがお二方とも女性(これまでの日本社会において男尊女卑で虐げられてきた側)だということが大きいと思います。

個人的な考えですが、男性はどこか夢見がちというか、どっかでフィクションにしたがるきらいがあるように思います。

それをすることなく、血が流れる深い傷すらも無駄口を叩かず下手な脚色を行わず、じっと見つめて描く。

その真摯さが登場人物(とそれのモデルになった多数の方)に寄り添い、セラピー的な役割も務めているのもすごいと感じた点です。

 

『一九八四年』のお話をしている記事でも書きましたが、「フィクションには、フィクションが成立するまでに題材になった人がいる。だから、"フィクションだから"って太平楽に構えていては題材になった人を冒涜していることにもなりかねない」ということを思い知るきっかけになった作品でもあります。

とても印象深い映画でした。國民に観てほしい義務になって納税とすり替わってほしい。

できるならば世の人には悲しみを感じないでほしいと本当に願います。

 

 

鬼滅の刃 無限列車編(2回)

興行収入歴代1位おめでとうございます!!!!!

 

1回目

floodinhead.hatenablog.com

 

2回目

floodinhead.hatenablog.com

 

 

 

映画 えんとつ町のプペル

売れて!昭和的な価値観がまだ残る今の時代を、こころの時代に変えて!

 

floodinhead.hatenablog.com

 

 

パラサイト 半地下の家族

やっぱり価値観のお話だと思うのですが、わたしと同じ感想を持った人はいまだに見かけません。

 

floodinhead.hatenablog.com

 

 

ザ・ハント

トランプ大統領は道化説を推します。ただ自己顕示欲は実際に強いと思う。

 

floodinhead.hatenablog.com

 

 

 

 

 

映画編は劇場で鑑賞した物のみを列挙したので、ストリーミングサービスで観たものは含まれていません。

ストリーミングサービスで観たものでよかったものを簡単に連ねておきます。

 

 

この世界の片隅に

映画 クレヨンしんちゃん 爆睡!ユメミーワールド大突撃

劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語

2001年宇宙の旅

エクスマキナ

スパイダーマン:スパイダーバース

 

 

まどマギは上記のヤングサンデー経由でアニメシリーズから[新編]まで観ました。いやあよかった。

 

スパイダーバースもヤンサン経由なのですが、山田玲司さんの解説を聞かなかったら一生観なかっただろうな。損しなくてよかった\(´-`)/

アメコミ的表現や印刷技術の劣悪さによるアメコミあるある、それを逆手にとって上手に演出したスタッフさんの妙など、アニメーションでしか成立しえない演出をしていたのもよかったです

 

以上でした。

 

 

ということで、各ジャンルの今年ベストは、

 

【音楽】惡 / MUCC

惡

  • MUCC
  • ロック
  • ¥2444

 

【書籍】動物たちのまーまー / 一条次郎

f:id:maro19930624:20210101200637p:plain

https://www.shinchosha.co.jp/book/121652/

 

【書籍】おうち性教育はじめます/ フクチマミ, 村瀬幸浩

f:id:maro19930624:20201211175727p:plain

https://www.kadokawa.co.jp/product/321911000487/

 

【映画】朝が来る


映画『朝が来る』予告90秒_10月23日公開

 

 

でした。

 

こうリスト化すると、自分の中ではなんとなくテーマは通底しているなと思いました。

 

 

よいお年を\(´-`)/

 

【ネタバレ】映画 えんとつ町のプペル 解釈と考察と感想【全開】

 

 

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

 

2020年12月25日公開の『映画 えんとつ町のプペル』を公開当日に観てきました。

 

f:id:maro19930624:20201225181247p:plain

https://poupelle.com/

 

西野さんについては、お笑いコンビ「キングコング」として活動されていたので昔から存じており(感想しゃかりき頑張ります!)、2015年?くらいに絵本を描いていらっしゃると知った時も、15年ほど前に青木さやかさんと番組MCを務めていらした日本テレビ系の音楽番組『音楽戦士 Music Fighter』のセットの絵を西野さんが描いているというのを知っていたので、特に意外性は感じませんでした。

とはいえ、あの描き込みはびっくりしました。

 

乙一さんの著書『銃とチョコレート』の挿絵のような世界観や、スチームパンクのような雰囲氣は好きなので、西野さんの絵や世界観は好みです。

 

世の中から向かい風を受けている方を見ると、個人的に他人事と思えないので、西野さんは応援しています。

 

絵本『えんとつ町のプペル』も購入し、ビジネス書『革命のファンファーレ』も、小説『グッド・コマーシャル』も読みました。

 

それらを加味した上で、『映画 えんとつ町のプペル』の考察、感想です。

 

 

↓↓以下、ネタバレ↓↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オマージュと敬意

今回携わったアニメーション制作スタジオはSTUDIO4℃

わたしはアニメ制作会社さんに聡くないので、スタジオ名だけではよくわからなかったのですが、『鉄コン筋クリート』を制作されたスタジオさんらしいですね。

 

このSTUDIO4℃がとても良い仕事をしていたと思います。

鉄コン筋クリート』は宝町という九龍城的なごちゃっとした町が物語の舞台になるのですが、このスチームパンク的な「ごちゃっと感」が舞台となるえんとつ町には強くあるので(より九龍城っぽい)、そういったところが本作と合っていたと感じました。

 

ここからストーリーへの感想なのですが、過去の名作へのオマージュが散りばめられていて、見ていて楽しかったです。

 

youtu.be

 

この冒頭180秒動画でもわかるように、新海作品や、ワンピース、エヴァンゲリオン、アラジン、ターザン、ジブリ作品、葛飾北斎などの多くの名作が敬意を持ってオマージュされています。

 

 

主人公ルビッチによる、冒頭の語り(設定の説明・作品の世界へ導入)や、空から心臓が落ちてくる時の表現は、新海誠さんの『君の名は』ですよね。

 

ワンピースに至っては全編に渡ってです。

カメラワークや構図、ルビッチの表情が帽子で見えないショットなんてのは、もう「まんま」です。清々しい。西野さんとかの世代は本当にワンピースとドンピシャだと思いますので、納得ですね。

 

 

「ゴミ人間」の誕生

「ゴミ人間」が誕生し、場面が変わるとOPです。

HYDEさんの「HALLOWEEN PARTY」がOP主題歌に起用されています。

HYDEさんの性格的に、西野さんのやってることは好意的に思うんじゃないかな?と思っていたので、タイアップの情報が流れてきた時も特に大きな衝撃はありませんでした。上記した『音楽戦士』でも、何度もゲスト出演されていましたしね(お蕎麦のお話していましたね。わさびがお好きだとか)。

 

ハロウィン当日のお祭り騒ぎがOP映像なんですけど、あそこでスタッフクレジットがなかったのは意外でしたね。これまでの刷り込み思い込みかな。

 

お祭り騒ぎが終わり、「ゴミ人間」が人間ではないことが町の人たちに知られ、その騒ぎを聞きつけた異端審問官(警察)に追われた「ゴミ人間」は、逃げた結果ゴミ収集車に乗せられることになります。

 

えんとつ掃除の仕事が終わりルビッチが帰途に付いている途中、ごみ収集車に埋もれて助けを求めている「ゴミ人間」を発見し、救出に向かいます。

 

この時に思ったのですが、西野さんの異化効果はお笑い要素が強いですよね。

鬼滅の刃』は演劇的な異化効果の方が強いですが、西野さんはお笑い的な色が強い。『グッド・コマーシャル』の時にもそれを思いました。

異化効果というより、緊張と緩和と表現した方が近いですね。

 

踏切のノロノロと、助けたいルビッチの焦りの対比がコント的というか非常にお笑いの色が強い。

それで、ちょっとくどい。OPでも思ったのですが、ちょっと長いんですよね。これは西野さんの趣味かなぁと思います。

ですが長いというのはわたしの主観で、OPは「HALLOWEEN PARTY」の尺的にもタイアップの関係上そうぜざるをえないのかなとも思います。

 

 

「家族」という共通体験と思い出

救出したはいいものの、ゴミ処理場でともに焼却処分されかねない状況になった「ゴミ人間」とルビッチ。

 

焼却処分されないために二人は逃げます。

 

ターザンの後に助かるための冒険を二人がするのですが、それが非常に「ゴールデンタイムのフジテレビ」っぽい。最近のフジテレビ事情は知らないので10数年前の印象です。

 

二人が走ったりいろいろしますが、そのアドベンチャー感みたいなのが家族向けのアスレチックっぽいんですよね。あれも元ネタがあるんでしょう 。

 

アドベンチャーアスレチックをクリアし、二人がホッとしたのもつかの間、トロッコセクションへ二人は巻き込まれます。

 

ここのトロッコアドベンチャーが、まぁディズニーランド。アトラクション感がすごいです。

ビッグサンダー・マウンテンスプラッシュ・マウンテンが元ネタと思いますが、トロッコが水をかき分けている時のスローモーション2ショットの演出は、USJのCM最後の「ワーォ」でしょうか。

 

この冒険パートは二人が友人として仲を深める為の洗礼的な意味合いがあったのかなと思いました。

 

そんで、冒険パートの出自が分かる感じはあれはわざとでしょう。

ビジネス書『革命のファンファーレ』でも書かれていましたが、「人は思い出に生きる」そうです。

今作は思い出が重要になるのですが、フジテレビっぽいアドベンチャーやディズニーランド的なアトラクション、一目で「あぁ!あれね!」と解る。しかも、それが親子で馴染みのあるものであれば、家族間でコミュニケーションが生まれる。思い出の共有と交流が生まれます。

思い出を話したことで「また行きたいよね」と話が運び、また新しい思い出が誕生することにも繋がります。

 

西野さんが元U-turnの土田さんやカジサックさんなどのお父さんに観てほしい、「家族のお話」と話していたのも納得ですね。

 

伏線とフック

鉱山内にて、鉱山泥棒でレジスタンスのスコップと出会います。

スコップ自身の秘密を知られてしまった(自ら喋った)ので、異端審問官にバラされないように知られた秘密と同じ数の頼みを聞き入れると交渉し、ルビッチたちは鉱山から出る道案内をお願いします。

この出会いがのちの展開に大きく関わりますが、このスコップがまーーぁ喋る。それもなかなかくどい。よく喋る人間が服を着て歩いているようなキャラクターです。

このよく喋るスコップを見て、伊坂幸太郎ファンのわたしは『陽気なギャング シリーズ』の響野というキャラクターを思い出しました。

 

f:id:maro19930624:20201226162518p:plain

http://www.s-book.net/plsql/slib_detail?isbn=4396332688

 

このスコップはオリエンタルラジオの藤森さんが声優をされているのですが、この声優起用は藤森さんが「チャラ男」としてブレイクするきっかけになった、タモリさんとの楽屋エピソードからなのかな?と推察します。

 

 

二人の洗礼が終わったあと、ルビッチが「ゴミ人間」の体を洗うために自宅に迎えます。

この体を洗っている時にルビッチが「ゴミ人間」に『プペル』という名前を授けます。

ルビッチの家ではお母ちゃんのローラがごはんを作って子の帰りを待っています。

この時に食器がお箸なのですが、「あ、お箸なんだ」と思いました。

 

 

別の日、ルビッチが自身の職場にプペルを連れて行き、えんとつ掃除屋のボス ダンにプペルの雇用をお願いします。

ここは『千と千尋の神隠し』オマージュですね。千尋が湯婆婆に「ここで働かせてください!」と雇用を求めるシーンです。

 

結果、地上一階の店主不在のテーラーをプペルにあてがい、異端審問官からプペルを匿います。

この時に給料の前払いをします。この時に「ダメにならないうちに早めに使うんだよ(うろ覚え)」みたいなことを言います。これは伏線なのですが、ちゃんと観客に「ん?これはどういう意味だ?」と、ちゃんとフックをかけられるのも大事だなと思いました。

 

ここでも緊張と緩和が演出されます。

強面で何考えてるかわからない恐ろしいボスが、実はお化けが怖くて膝ががくがく大笑いしているという緊張と緩和。

声優は國村隼さんが務めていらっしゃいますが、この國村さんの声も相まって緊張と緩和に大きく貢献していると感じます。

なにより國村隼さんの声がとても芳醇でかっこいい。

 

 

正義の位置と悪役の顔

ここでかは忘れたのですが、異端審問官を率いる「中央銀行」のシーンになります。

なにか思うことがありげなレター15世と、表舞台には出ないが実権を握っている影の独裁者であるトシアキ。このトシアキが本作の悪役なのですが、正統なディズニーヴィラン顔をしています。とてもしています。

トシアキの顔つきを見てアラジンのヴィラン、ジャファーを思い出したのですが、アラジンポイントはまた後にも出てきます。

 

ここの構図が白い部屋の奥(右側)にレター15世が座っており、部屋の入り口(左側)にトシアキが立っています。

昔『にけつッ!!』という番組で、千原ジュニアさんが「テレビにおける正義の位置は決まっている」というお話をされていました。

画面を正面に見て右側(上手)は正義左側(下手)は悪がくるという法則があるそうです。

『笑っていいとも』のテレフォンショッキングも『徹子の部屋』も『しゃべくり007』も、司会側は右側、ゲストは左側です。

この構図で、レター15世とトシアキの関係性やどちらが悪役なのかを示唆しているんですね。まぁトシアキは顔見ればわかるもんだけどね。

そういえば『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』でも、炭治郎vs鬼の構図も、煉獄さんvs鬼の構図も、作中で悪役である鬼が左側の立ち位置にいましたね。

 

この構図がなんでか鉄コン筋クリートっぽいなと思いました。宝町を手に入れんとする蛇の初登場シーン。別に明確に「ここが似てる!」とはならないんですが、なーんでか思い出しました。これが制作スタジオの"味"みたいなものなのでしょうか。

 

 

自らがばかを見ないために、ばかにする側へ

ルビッチから自身の夢を聞き、口外しないでと釘を刺されながらも、つい人に話してしまうプペル。

その話にルビッチの元友達のアントニオが激昂し、プペルを激しく殴ります。

 

このアントニオの怒り方が過剰に思えます。それもそのはず、アントニオもルビッチのお父ちゃんであるブルーノの紙芝居を聴いて星の存在を夢見ていたからです。

 

物語の最後の方で明かされますが、最初はいろんな人が楽しんで見聴きしていたブルーノの紙芝居は時が経つにつれ客足が遠のきます。その紙芝居を最後まで楽しんでいたのが息子のルビッチと、アントニオなのです。

 

まだ小さい頃、頭上にある煙の切れ間に煌めく星をアントニオは見ましたが、前方にいる異端審問官と、それに職質される市民を見て怖気付いたアントニオは「星を見た」ということを言わず、夢を見ることを押し込めて(諦めて)しまいます。

 

youtu.be

 

こちらでもお話しされていますが、アントニオは『未だ希望を、夢を見ている人と対峙すると、夢を諦めた自分の居場所がなくなる』という、自己正当化のロジックでプペルやルビッチを嫌っているのですね。

 

このアントニオの思考の変遷も、『鬼滅の刃』と親和する部分がありますよね。鬼になった人にも、鬼になってしまう過去があるという部分です。

 

 

「目を覺ませ」とよく言われますが、『現実を見る』という楽をすることで、しんどい切磋琢磨やプライドがズタスタにされる自己のブラッシュアップをしなくて済む。という部分もあるとわたしは思います。

夢を見る人は見る人で、自分のスキルの無さや至らなさ、圧倒的な差みたいなものと真正面から対峙せざるをえなくなったりしますので、必ずしも「夢を見る=現実を見ずに楽ばかりをする」だとは言い切れないのです。

 

 

ルビッチが「口外しないでね」と釘を刺したものの、プペルがアントニオたちに話してしまった。それを知ったルビッチはプペルに怒りを感じ、距離を取ってしまいます。

 

 

仲違いをしている間にえんとつ町を囲う海から「バケモノ」が現れます。

 

 

プペルの同僚・スーさんが異端審問官のスパイで、スーさんにダンさんが命狙われるシーンがありますが、ダンさんが負傷してから救急車(実は異端審問官)が来るまでの時間が短すぎる、というシーンがありますが、これも現代を象徴しているなあと思います。

BLMや香港デモもそんな感じかも?? 

 

昔々のお話

なんやかんやで仲直りした二人は、頭上を覆う煙を散らして空を晴らす計画を実行するために、鉱山で出会ったレジスタンスであるスコップを頼ります。

 

そこでルビッチがブルーノの息子だということ、頭上の煙を晴らして空の星を町のみんな見せる計画を聞いたスコップは、ある昔話をとうとうと話しだしました。

 

 

その昔、ある国ではお金が一番価値を持っていました。

肉や魚、野菜などは時間が経つと腐ってしまうのに、お金は何年経とうが腐ることはありません。

なのでそこに住む人々はお金を使わず溜め込むようになり、それにより街では強盗やスリ、詐欺や殺人などがはびこっていました。

 

その土地の王様はお金の形態に問題があると思い、現行のお金を廃止し、時間が経つと腐って使えなくなってしまう新しいお金「エル」を作り上げました。

すると、町の人々はお金を溜め込むことなく積極的に使うようになり、町は活気に溢れ非情な犯罪が起こることもなくなりました。

 

ですが、それをよしとしないエル以前のお金を発行していた中央銀行は、土地の王様に申し入れをし、圧力をかけます。

その圧力に嫌気が刺した王様は外界との連絡を断ち、町のあちこちにえんとつと建てました。

そのえんとつから出る煙で空を覆うことで外への興味を無くし、町の人に外界の存在を隠し、町はここだけという意識を植え付け、独立国家を作り上げました。

 

その時の王様がレター1世で、政府の名前も中央銀行となりました。

 

 

外界との連絡を断つためにそれまで使っていた連絡船を廃止し、海に沈めた。

民が海に近づかないように、その海に沈めた連絡船を「海のバケモノ」と民に伝えることで、海への恐怖を植え付けた。

 

その話をスコップの家族は代々聴かされてきた。しかしスコップ自身も話をしてくれたおじいちゃんに「絶対に人に話すなよ」と言われていた。

それをずっと守っていたスコップだったが、ある時酒に酔った勢いである人にその話をしてしまった。

そのある人が、ブルーノだった。

 

スコップから話を聞いたブルーノは、そのお話を紙芝居にします。

それが異端審問官(トシアキ)の耳に入って消された、ということです。

 

 

この話でまず思ったのが、浦沢直樹さんの『20世紀少年』です。

 

「『世界征服を企む男を倒すために、正義の味方が現れる。見事、正義の味方は世界征服を企む男をやっつけて、人類は救われた。しかし、本当はその正義の味方こそが、世界を滅ぼそうとしていた張本人だった』という内容の漫画を描いた漫画家が、刑務所に入れられる」という話が『20世紀少年』には描かれています。

 

この位置関係はブルーノと一緒ですよね。

 

 

「外界の存在を断つことで、町を守っていた」というのは、映画『ヴィレッジ』を思い出しました。

まあ往往にしてそういったご家庭も多々あると思います。

 

 

『腐るお金を作った』というところで、えんとつ掃除屋のボス ダンがプペルに「(お金は)早めに使うんだよ」と言っていた意味が判明します。伏線回収ですね。

 

 

『革命を起こした存在や圧倒的なカリスマが時間が経つにつれ、次第と毒に変容していく』というのも、往往にして起こることですよね。

企業の世界でも起業家の世界でもお笑いの世界でも政治の世界でもね。

レーニンと共にロシア革命を起こしたスターリンとかでしょうか?あれは特殊すぎるか?

溜まった水は腐るという意味合いですね。

 

 

架空の町と箸

そして「架空の町」とされている場所が日本だったことです。

「お金が一番価値を持っていました」は現代の日本ですし(近代化した國はみんなそう)、強盗やスリや詐欺や殺人は茶飯的に起こってしまっています。

 

思い返せば、町のごみ収集車には漢字やひらがなが書かれていましたし、食事をする際の食器はお箸を用いています。

えんとつ町の町並みも渋谷っぽいですしね。

 

 

スコップの話で一番びっくりしたのが、直接的ではありませんがFRBのことを言及していたことです。

作中に出てくる中央銀行は日本でいうところの日本銀行。言わずもがなですが、日本で流通しているお金を発行している、政府から独立した民間企業です。

ですが、本記事の本来の目的から離れるので言及はいたしません。ご自身で調べてみてね⭐️

 

わたしがなにを言いたいかというと、FRBの話をファミリー層向けの映画にぶつけていることです。今までそんな映画は観たことがありませんでしたからね。

義務教育では絶対に教えてくれないことでも、物語なら引っかかることなくするっと入ってくる。

それは映画という、客層の間口が広いエンターテイメントだからこそできることだと思います。

 

youtu.be

 

 

「その空を覆う煙を晴らすためにスコップの持っている無煙火薬を使いたい」というのがルビッチのスコップへのお願い二つ目でした。

この時に初めて「願い事三つ聞き入れる」というのはアラジンのオマージュだなと理解しました。

 

正直、ルビッチ&プペルとスコップが初めて出会うシーンはスコップも話し続けているし、そのスコップに対してルビッチが話していたりプペルの呆れ声みたいなものが重なっていたので、どっちを聞きゃいいのかわからなかったんですよね(スコップが喋りすぎてて正直ちょっとうんざりもしていたし)笑

 

ルビッチの思いに感化を受け、レジスタンス魂に火がついたスコップは、ルビッチのお願いを聞き入れます。

スコップの持っている無煙火薬は先祖代々続くものだというのが、ここで明かされますが、これは『ひとつのことを成し遂げるために、各人それぞれが歴史を生かし合って達成する』ということを指しているのでしょうか?

 

 

異端を許さぬ者

場面変わって海に現れた連絡船(海のバケモノ)に無煙火薬などを積んで、空へ飛び立つ準備をするルビッチとプペルのシーン。

 

早々にトシアキらに見つかります。

トシアキらの異端審問官としては「民には変なこと(政府に都合の悪いこと)をせずに、一方向だけ見ていてほしい」と思っているので、ルビッチとプペルの行動はタブーそのものなんですよね。

 

一つの異端を認めると他の異端も認めねばならず、その結果多様性を産むことになり、最終的に人という矢印がいろんな方向を向いていて、民を束ねる國家として収拾がつかなくなる可能性が生まれます。

その状況がより膨れた状態で圧倒的なカリスマ(JFKジョン・レノン)が登場し、多様化した個々の矢印がそのカリスマと共鳴し、大きくなった圧倒的な力の矛先が為政者に向けば、為政者は危機的な立場になります(つまり、それまでその職やシステムで儲けていた人が儲けられなくなるということ)。

なので、目立ったことをしているルビッチとプペルは目の敵的な存在なのです。

 

もちろん異端審問官はルビッチとプペルを取り抑えようとします。

そんな時、スコップが現れます。「もし異端審問官に見つかった時に、彼らの足止めをするために演説をしてくれ」というのが、ルビッチのスコップへの三つ目のお願いでした。

そのスコップが『働きアリの法則』のお話をします。

・働きアリのうち、よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。

・働きアリのうち、本当に働いているのは全体の8割で、残りの2割のアリはサボっている。

・よく働いているアリと、時々サボっている普通のアリ、ずっとサボっているアリの割合は2:6:2になる。

・よく働いているアリの2割を間引くと、残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、全体としてはまた2:6:2の割合になる。

 

「君達は働きすぎだからもうちょっと休んだほうがいいんじゃない?」とスコップは言います。

 

『働きアリの法則』は、魚の世界でも似たようなシステム(関係?)のお話がありますよね。

f:id:maro19930624:20201227222336p:plain

こちらです。

 

ですが働きアリってシフト制で、巣というコロニーを守り続けるために常に一定数の個体は休んでいるんじゃなかったでしたっけ?

よく働くアリ(A)と、普通に働くアリ(B)、サボっているアリ(C)の役割が、A→B→C→A→B→Cみたいに順繰りになっているのではなかったっけ??

 

まあ西野さんの伝えたいこととは関係ないんですけどね。

 

 

ルビッチとプペルが空の煙を晴らそうとしていること、ルビッチがブルーノの息子であることを、スコップがうっかり喋ってしまいます。

それを知ったトシアキも、ブルーノを自身が葬ったようなことをうっかり喋ってしまいます。

それを聞いたルビッチがトシアキを問い詰めます。こことルビッチが夢を町の人々に語るカットの演出は西野さんがキングコングとして舞台に立っている時の光景なんでしょうね。よかったと思います。

 

ローラがルビッチに送った檄も、とても良かったです。泣きそうになりました。

全くの独りより、一人でも応援してくれる人がいれば強固な心の支えになる。いいですね。

 

 

ルビッチ&プペルと対立していたアントニオが最後で会心(この表現あってる?)したのもよかったですね。それまでのアントニオは、いわば自身の感情に蓋をしていた感じなので、自分に正直になったということでしょうか。

 

 

ルビッチの元友達の助けもあって、ルビッチとプペルは空を晴らすための冒険に出発します。

 

ここの雲の中を進むという演出は、ラピュタナウシカのオマージュでしょう。

 

 

プペルの記憶

無煙火薬で煙を晴らしたりなんやかんやあって、プペルがかつてブルーノとして生きていた頃の記憶が戻ります。

これにより、プペルがブルーノの(大柄な)歩き方に変わっているのが個人的に良かったです。

 

どこかは忘れましたが、ブルーノの語りで絵本が紡がれていくシーンの、波の描き方は葛飾北斎氏の『富嶽三十六景』だろうなと思いました。

 

 

ブルーノの心残りだった想いが昇華し、成仏します。

物語冒頭でプペルを作る心臓が流れ星としてえんとつ町に飛来しますが、成仏するに際して飛来してきた心臓が宇宙に飛んで行き、星として瞬くという演出もよかったです。ありきたりかもしれませんけどね。

 

 

煙が晴れて、初めての夜明け(ダブルミーニング)。

ここのシーンがとても渋谷の町ですし、すごく新海作品の『天気の子』でした。

 

 

ルビッチが自分より下の世代を助けて、自分が言われていた(心の支えだった)言葉を与えたところで物語は幕を閉じます。

これはルビッチがメンターである人から言われていたことを乗り越え克服した、それにより、ルビッチ自身が下の世代を助ける人物として、自身がメンターになったというハッピーエンドですね。

 

 

エンドロール後の「おしまい」もジブリですね。

 

 

 

鑑賞後の感想

というのが『映画 えんとつ町のプペル』でした。

過去のヒット作をオマージュしながらも、守破離をしている。

家族へ向けた家族のお話ですが、一つの家族という閉じた関係性だけの作品ではなく、もっと広い普遍的な想いや「広がり伝播していくことの重要性」みたいなことを受け取りました。

様々な解釈ができると思いますが、わたしは「上昇志向の象徴としてのえんとつ・煙と、その煙がはびこった結果周りが見えなくなった町(日本)。それをどうにか打開して行きたい」という想いが込められているのかな、と思いました。

 

本記事の頭の方で「九龍城っぽい」と表現しましたが、上へ上へと繁栄させた結果、地上一階部分は心なしか暗く描かれています。

これが非常に人工林で起きる『緑の砂漠』っぽく、人工林も日本が資本主義に傾倒しすぎた結果、そして高度経済成長が産んだ負の遺産の示唆かなと思います。

また人工林で植えられる樹木も主にスギ・ヒノキが中心で、その二つはまっすぐ上に伸びます。これも町に生えているえんとつと掛け合わしたのかなぁと推察いたします。

 

 

今現在 『鬼滅の刃』が大ヒット中ですが(歴代興行収入1位おめでとうございます!)、双方の作品で通底している伝えたい思いは同じなのではないかと感じました。

floodinhead.hatenablog.com

 

非情の西洋思想(鬼・えんとつ・煙)を、人情や心の東洋思想(炭治郎・ルビッチ)が打開する。

 

双方の作品でちょっと違うなと感じるのは、西野さんは悪役を「正面から立ち向かえばどうしようもない圧倒的な存在」と描いているのに対し、『鬼滅の刃』の吾峠さんは「圧倒的ではあるが、真正面からでも勝ち目はある存在」と描いていることです。

 

これは世代が関係していると思っていて、西野さん(1980年生まれ)は'00年代という時代の、象徴の一つである堀江貴文さんが大暴れされていた時期を直近で体感していらしたでしょうから、そのパワーやスピード感が凄まじいものだとイヤでも感じたのではないでしょうか(だからこそ『はれのひ事件』が発生し、その被害者を西野さんが救済した。宣伝とか目立つため、道化の可能性も大いにあり)。

 

それに対し吾峠さんは1989年生まれだそうです。

わたしもいわゆる"アラサー"ですが、'00年代の空気感の脆さや脆弱性、虚構感というのは、2020年現在に「若者」と大きく区分される世代の人にとって、共通言語的に認識しているのではないでしょうか。

 

だいたいそういった'00年代の軋轢に対しての作品が『鬼滅の刃』だと思いますしね。

 

 

こころの時代へ

最近ようやっと理解しましたが、「時代」ってのはそう簡単に言い表せられないものみたいです。

2000年代の象徴が堀江貴文さんだと上記しましたが、それはあくまで一つのピースでしかなく、ワンピースワタミ(及びブラック企業)マイルドヤンキーなどの一種の君主制といえるかもしれません。

簡単に言えば弱肉強食的ですかね。そして"従"の時代だと感じます。

 

 

そしてこれからはこころの時代だと思います。

それは『鬼滅の刃』が大きく風穴を開けたと感じるのですが、それも一個のピースです。

そして『映画 えんとつ町のプペル』も同じ流れを汲んだ作品だと感じました。

 

これからは弱肉強食ではなく、縄文時代バーニングマンの思想が象徴的な共生の時代。"従"ではなく"集"の時代。

「個の時代」なんて言われていましたがそれももうとっくに終わっており、独立した意思を持つ個が集う時代。YouTuber活動や、いろんな方がされているオンラインサロンが象徴的ですね〜。

 

「個人の意思なんて本当はなくて、みんな自由意志だと思わされている」というお話はまた別で。

 

 

これからこころの時代になるのかと思うと(やっとかよ。)、とても楽しみでしょうがないです。

 

2021年はどんな一年になるのでしょうか( ¨̮ )

 

 

宣伝法として、大口は大きければ大きいだけ良い。

西野さんは「ディズニーを倒す!」と話されていて、まぁ鼻で笑われまくっていますが(わたしも実際「また大きく出たなぁ」と思いました)、西野さんの宣伝方法?を見ていて思いました。

 

「大口を叩くのなら、より突飛でバカでかいほうが良い」

 

その方が野次馬が集まって、各々が大きな声で宣伝してくれるし、それによってその大口をサポートしてくれる人と出会えるかもしれないからです。

それは下記の記事で取り上げた方と西野さんを見て感じたことです。

 

 

floodinhead.hatenablog.com

 

 

 

余談ですが、2015年に西野さんが「ハロウィン翌日の渋谷に溢れるゴミを拾って、アート作品を作ろう」という企画を催した際、西野さんのアンチの方が、アナウンスされている集合時間よりも、早く渋谷へ集って先にゴミ拾いをしたため、西野さんの企画は失敗に終わった。と東野さんは揶揄(愛)していたけど、アンチを動かしてゴミ拾いさせることができたってのはすごいことなんじゃないの??と、わたしは思います。

 

 

 

 

 

(一万字も書いちまったよ…)

 

 

 

ありがとうございました\(´-`)/

 

 

プペプップー😚

 

本日はです。

閲覧ありがとうございます。

 

 

 

youtu.be

 

こちらの名越さんの動画を見ていて思いました。

 

「どうして世の親は、子にサンタクロースの存在を信じ込ませるんだろう?」

 

 

サンタクロースの役割?

実際に、神話的・ファンタジー的な「サンタさん」は存在しているけど、成長をして世の中をある程度知ったことで、「サンタさんへの疑い(ユニコーンや龍がいるのかといったような)」を、我々が持ってしまったことでサンタさんに出会わないだけで、実在しているとも言えるとも思います。

 

信じ込ませる親の心理として(わたしの偏見&憶測)、

  • 他の家庭もサンタさんの存在を知らせているから話が食い違わないように。
  • 大人世代の現実は夢の見れることなんて少ないから、無垢な子ども時代だけでも夢を見せたい。
  • 子どもにはサンタさんがいると信じ込ませるもの(慣習)と思っている。疑っていない
  • テレビが煽る。
  • 健気にサンタさんを信じている我が子が、親目線で尊く愛おしい。

 

とかでしょうか。個人的には他の家庭と食い違わないように・うまく立ち回れるようにってのが強いのかなと思います。

 

 

ですが、わたしは「子どもを『いい子(御し易い子)』にしておきたいから」なのではないか?と思います。

サンタクロースの役というのは(今では形式化しているのかもしれませんが)、ざっくり言って「子どもにプレゼントを配る」ですよね。

クリスマス前によく耳にするのが「いい子にしてないとサンタさんこないよ!」です。おそらくわたしも言われていました。

 

子どもの視点からすれば欲しいプレゼントをもらえないのは死活問題とも言えるでしょう。

それならば親の言う「いい子」でいたほうがメリットが大きい。その結果、子はいい子に準ずるでしょう。

 

これはつまり「子を物で釣っている」ということではないでしょうか。

 

ちょっとそれはどうなのさ。と、わたし個人としては思う次第です。

 

 

込められた念

もう一つ、プレゼントにアクセサリー等の物を贈るというのも、わたしとしては何とも言えない苦い思いを覺えます。

これは全くわたしの感覺なので、理解できない部分も多いとは思います。

 

食品なら食えば消えますが、アクセサリー等の物質は失くす、または故意に棄てないかぎり手元に残り続けます。

その状態に送り主の念みたいなものが感じられて、とても息苦しくなるのです。

 

物には念が宿ると言われますが、それもあながち間違いではないと思います。

特別な想いをもってプレゼントしたものからは、贈り主の念がドライアイスの煙よろしく漏れ出ているようなイメージが浮かびます。

わたしとしてはその念がとても恐ろしく思えて仕方がないのです。

 

あと単純に、わたしが人から縛られるのが大嫌いだというのも関係しているでしょうね。

アクセサリーという枷と、他者からの念という枷。

 

それが好きな人や、相手と繋がりを視覚的に感じたい方はつけたらいいと思います( ¨̮ )

 

送り手のエゴ説

あとあれですね。

プレゼントってのは受け取り手がいて初めて成立するんですよね。サプライズなら尚更です。

なので、プレゼントっていうのは贈り手側の最高の自己満足と言える。

これはみなさん認識されているのでしょうけど、わたしはついこの間理解しました。

 

いつも担当してもらってる美容師の方が誕生日だったので、おいしいクリームパン(ペサ (pesa) - 四ツ橋/パン [食べログ])を渡したのですが、その時に思いました。

「あっ、プレゼントって受け取り手がちゃんと品物を受け取って初めて成立するんだ!」って( ¨̮ )

事前にクリームパンは好みかどうかを聞いておいたとはいえ、あの時の感覺や感情は嫌ですね。もうなるべく遭遇したくない感覺です。

やっぱりあげるなら、食えばなくなる食べ物が良いとわたしは思います。

 

と思ったけど、掃除道具とかアイロンとか実用的なものは貰ったら嬉しいのかもなあとも思う。

要は用途がはっきりしていて便利なものなら良いのか🤔??

 

ものをあげるならちゃんと聞いてリサーチして、がやっぱり鉄則なのでしょうね。

 

 

ありがとうございました\(´-`)/

オールインワン

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

 

なんでもできるぜ高性能端末

皆さんは携帯電話をお持ちでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お持ちでしょう。

 

日本におけるスマートフォン等の情報通信端末の保有率は、全体のおよそ8割に及ぶそうです。

 

今現在のスマートフォンには、元々の目的である通話機能に色々な機能がつけられ、まさになんでもできるぜ高性能端末になっていますね。

 

端末にインターネット機能が導入されてからめざましくその機能が発展し、アプリケーションというソフトウェア形式が採用されたことによって、より進歩したのだとわたしは思っています。

 

インターネットで検索できるブラウザ(Googleやヤフー)、メッセージの送受信、地図、ニュースサイト、新聞社、株などのマーケット情報、SNS、各種動画サイト、音楽系のサブスクリプションサービス、ゲームや漫画などの娯楽、ショッピングサイト(Amazon等)、乗り換え案内、天氣情報、色々な評価サイト(食べログやFilmarks)、レシピサイト、食事のデリバリー、ライフラインの管理、企業や商業施設、楽曲制作や画像加工、今では電子マネーで決済もできますよね。

 

いま挙げただけでもアプリの内容はかなり多岐に渡っています。特定のアプリ内に出る広告をブロックするものもあるみたいです(列挙してわかったのですが、もともとインターネット上にサイトがあり、それをアプリ化したものが多数のようですね)。

 

 

上記したものたちをまとめたものもあるみたいです(『報道系とエンタメのニュース、マーケット情報、クーポン』のように)。

 

その他でも色々なものがオンライン化しており、それは皆「便利」の名目になされています。

 

 

わたしはその社会的な流れに危惧を感じています。

 

 

本当に"便利"なの?

一度冷静に考えてみてください。それは本当に便利なのでしょうか

 

今ではほとんどの人がAmazonなどで買い物をしたことがあるでしょう。通販サイトでは、まず住所の入力は必須です。決済方法はクレジットカード。

これだけでも個人の電話番号住所メールアドレスクレジットカード番号はインターネットというビッグデータ上に明け渡したわけです。それも自分から

 

また、SNSでは「セキュリティ(プライバシー)の強化」として『電話番号を入力してください』と表示されることもあります。その時に入力をすれば、それまで独立して動いていたSNSのアカウントと通販サイトのアカウント情報が紐付けられる可能性が出てきます。

SNSで『正確な位置情報』をオンにしていれば、GPSの機能でその人の現在地の特定が可能にもなります。SNSサイドとしては「より適切な地元のおすすめ情報を表示できます」と書いています。

もしGPS機能をオンにしていれば、「長時間滞在している場所」から自宅の特定も可能になることでしょう(実際に我がiPhoneでは「現在の位置情報」から『職場』などと表示されたことがあります)。

 

SNSの情報が流出し、もし携帯電話番号とGPS機能をオンにしていれば、またそのアカウント主が自身の顔を写真などで明かしていれば個人の特定はより容易になりますよね。

 

 

また有名な話ですが、Amazonのおすすめ商品やYouTubeのおすすめ動画はAIが利用者の閲覧情報から割り出しています。

少し聞いただけでは危機感を覺えにくいかもしれませんが、簡単に言えば『ビッグデータ』と『資本主義』です。

 

 

検索の手軽さと危険性

インターネットでは非常に多くの情報が氾濫しており、「知らないことは検索」する方が多くいらっしゃると思います。実際わたしもその一人ではあります。

 

 

鳥類の刷り込みの話をします。

『鳥類は卵から孵化した時に初めて見た「動くもの」を親と認識する』いう、あれです。

これに対して我々"ヒト"は『刷り込み』と聞くと「あぁ、鳥が孵化した時のあれね」と思う方が大半かと思うのですが、それは"鳥類"というキャプションが付いているからではないでしょうか?

なにが言いたいかというと「ヒトにも刷り込みは適用される

 

これはわたしの見解と憶測ですが、「ヒトも初めて仕入れた情報はそれが全く誤った情報であっても真実と信じてしまうと思います。

 

 

インターネットでの検索の話に戻ります。

「知らないことにはまず検索をする」ことが癖づいていると、『インターネットの情報は正しい』というフレーミングがされている場合、新しく知ったその情報が正しいと刷り込まれてしまう危険性があります。

実際にインターネット上には有用な情報も多数あるので「インターネットの情報は正しい」と思ってしまうのは納得とも言えます。

 

しかし、その刷り込みがされたまま(氣付かないまま)でインターネットの検索を利用するのは非常に(非常に)非常に危険なことなのではないかとわたしは感じます。

 

まず、インターネットの情報が正しいと思っていると大衆(個人)が思考をしなくなる

そして、根本からでまかせの情報ですら「正しい情報」として認識してしまう。

つまり疑うことを放棄するという状況に陥る。確かに疑って自身で考えるのはエネルギーを使うし疲れる。だから考えたくないという氣持ちもよくわかります。

しかし、その情報を一度疑って、自身で考える癖をつけていないと、為政者にいいように搾取されるだけになりますよ。そうわたしは思います。

 

 

無知を自覺

・無知は力なり

・自由とは隷従なり

と『一九八四年』には書いておりましたが、『無知の自覚』は必要だし大事だと思います。

 

floodinhead.hatenablog.com

 

以前、職場の後輩が、「知識はネット上にいくらでもあって、わたしたちはそれを見つければいいんです。必要な時に必要な情報を利用できる。知識のある場所さえ覚えておけばオッケーなんです」と言っていたことを思い出す。

なるほどそうかもな、と俺は感心したが、課長はすぐに大声で、「おまえ、パソコンがぶっ壊れたらどうすんだよ。外で、誰かが出血した時、『出血の止め方』とか携帯電話で調べるのか? その場ですぐ対処できる奴が本物なんだよ。ネットの情報でも何でもいいけどな、頭にちゃんと入ってなけりゃ知識でも知恵でもないぞ」と怒鳴った。

 

 魔王 - 55ページ

  

わたしの大好きな伊坂幸太郎氏の『魔王』という作品でも、こう書かれています。

 

 

以上のことでわたしが伝えたいのは、「どうか、思考を他者に明け渡さないでください」ということです。

その手元のものは本当に便利な物でしょうか。本当に支配されていないと言えますでしょうか。

 

疑って。考えて。精査して。

ご自身で結論を出してください。その時だけの結論でも。

 

 

「自分で、自由に」の罠

5年くらい前でしょうか、電車に乗っていると乗客が皆一様に手元の端末を見ていました。

「あぁ、これはもはや支配だな。そして依存だ」とその時に思いました。

信号待ちの数分すら携帯電話を操作してしまう。

みんな"便利"だから「使っている」と思っているけど、その実は「使われている」

 

ポケモンGO漫画村が象徴的だと思います。

漫画村は"客"がサイトを利用することで、仮想通貨のマイニングが行われていたらしいですね。

漫画村、今度は利用者のパソコンやスマホを仮想通貨\"強制マイニング\"に使用し荒稼ぎか 【ABEMA TIMES】

 

 

以前にも書きましたが、「本当の支配者は、『自分が支配している』と相手に思わせる

それの象徴としての一つがスマートフォン等の情報端末。

 

スマホを落としただけなのに』という映画がありますが、「そりゃそうにもなるでしょうに」と思う次第です。一級の個人情報を持って歩いているという認識はあったほうがいいのではないかなと思います。

あの映画見てないですけれど。

 

 

ちなみにスマートフォンのホーム画面に「その人がどういう人なのか」が表されていると思います。

アプリをフォルダにまとめる人やまとめない人、まとめなくても同系統のアプリを同じページ(用語あってる?)に固める人や全く無頓着で雑多な人、そもそもアプリを必要最低限にして1ページで納める人。

十人十色。

 

 

ありがとうございました😎