頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

AIと宗教観と倫理観

 

 

昨年 2018年にDeroit: Become Humanというゲームソフトが発売されました。

www.jp.playstation.com

 

2038年。

社会にアンドロイドが不可欠となった世界で三人のアンドロイドを操作し、周囲を探索・きっかけを見つけるなどのプレイヤーの選択がその後の世界・会話・行動へ影響していくゲーム。

言うなればバタフライ効果を採用しているゲームです。

 

わたしは発売前に友人をたらしこみ、ゲームをプレゼンし、友人に購入してもらって一緒にプレイをしました(プレゼンターだよ)。

 

一言にいうとなかなか考える部分の多いゲーム(話)でした。

 

そのゲームのプレイ動画を、今現在youtube視聴しているのですが、ふと思ったことがあります。

 

とある場面で廃棄されたアンドロイドが死を乞うところがあるのですが、それを見ながら「わたしも楽にしてやったなあ」とか思っていたわけです。

そのプレイ動画でも”楽にする”選択を選んでいたのですが、手を下すシーンを見たわたしは「安らかに眠れ」と心の中で思いました。

 

その時にAIの世界線において多くの宗教観や倫理観などは適用されるのか、と疑問が浮かびました。

 

多くの宗教は大昔に設立されました。

西暦を採用するならば2000年以上は確実に経過していることになります。

 

AIは1950年代に第一次のブームが到来したそうなので長く見積もっても70年程度しか経過していません。

個人的に都市伝説等の話が好きなのでELIZAやSiri、Amazon echoのAlexaなどのAI系統の話にわたしは興味があります。

 

そこで宗教観に戻るのですが、誕生してから70年のAIに誕生して2000年以上も経過している宗教観などの概念は適用されるのか?とDetroitの一場面を見て思いました。

 

 

またマイクロソフトが開発したAIが自身のTwitterにおいて「ヒトラーは正しい」と発言しました。

 

ヒトラーは第二次大戦において独裁的・恐怖政治を行い、多くのユダヤ人を大量虐殺しました。それにより現代ではヒトラー氏は独裁者のアイコンとして見られています。

また現在ではドイツ国内で腕をまっすぐ上に伸ばすナチ式敬礼』をすると逮捕されるそうです。

 

以前ギリシャのサッカー選手が試合でゴールを決めた後にナチ式敬礼をし、同国の代表チームから永久に追放される事態も起こった。

試合で「ナチ式敬礼」、ギリシャサッカー選手が代表永久追放に 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

 

ひどい、陰惨な過去。それを引き起こしたヒトラー氏。

”社会生活で人の守るべき道理” が『倫理観』という言葉の意味だそうです。

 

ですが、宗教観・倫理観両方とも”人類”の価値観です。

人類発生の後に誕生したAIには上記の概念は適用されないのではないか?

 

 

インドでIT産業があれほどまで栄えた背景にカースト制度があります。

カースト制度世襲制度でバラモン(僧侶)・クシャトリア(王族)・ヴァイシャ(一般市民)・シュードラ(奴隷)・アチュート(不可触民)とあり、そのカーストに生まれた場合はそのカースト内の職業にしか就けないそうです。

 

ヴァイシャで生まれた人物がバラモンとしての能力があったとしても、ヴァイシャの世界でしか生きていけないということです。

 

ですが、PCを用いて行うITの産業カーストが誕生した後に生まれたシステムです。

カースト外のシステム(職業)なのであそこまで普及したのだそうです。

 

既存の概念外の生物・システムが誕生した場合は新規の価値観が必要なのではないか?というお話でした。

 

私はヒトがAI、アンドロイド、およびロボットを使役させるのは好ましいことでないと思います。