頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

賢さと記憶と機智 ※いつも以上に取り止めがありません

 

 

「賢い」と一口に言っても色々なことを指します。

賢いの基準をどこにしているのかも人によって違います。

 

  • 行き詰まった時に打開策を生み出せることを賢いとする人
  • いかに物事を知り覺えているかを賢いとする人
  • 知っていることを適切な場面で提供できることを賢いとする人
  • 頭の回転が早いことを賢いとする人

 

その基準と判断は千差万別です。

 

まあ人の感情なんて百通りあって当然だとは思います。

 

それで思うんですが、お笑いやジョークの多くは相手の知識次第だと感じました。

 

突然雨が降り出したことに対して天を仰ぎ、両手を広げた人を見て「ショーシャンクかよ」とツッコんでも、映画の『ショーシャンクの空に』を見たことがある方しかその面白さはわからないでしょう。

 

いかに知識の深い、ウィットに富んだ会話をできる方でも、対話した方が知識に偏りがあれば、両者間で話は共有できない。

 

「ちょっとTwitterで仲間集めて国会に意見申し立てにいこうぜ」と冗談を言った方に対して「ジャスミン革命かよ」とツッコんでも、言われた方がジャスミン革命を知らない場合「なに意味のわからんこと言ってるんや」と言われてしまうこともあり得るのです。

ジャスミン革命 - Wikipedia

 

人の感情ってめんどくせえって話ですかね。

 

高學歴だから賢いと判断される方がいますが、「覺えてそれを入力するだけなら誰だってできる」と2ちゃんねる創設者のひろゆき氏は話していて、「確かにそれはあるかもなあ」とわたしは思う次第です。

 

まあ學のないわたしが言ったところで、ただのやっかみや負け犬の遠吠えですけどね。わんこかわいいからその慣用句はどうなのって思うけども。

 

きっと単一的に物事を見たり判断するだけでは正しさを欠くと思うのよね。

 

一方からしか見ないから「これはこう、絶対に」っていう右か左かみたいな考えになるんだと思う。

 

わたしはなるべく両極端から知りたいことを調べてその複数の考え方の中で重なる部分を見ようと思っています。できてるかな、できてたらいいな。

 

なのでわたしが思う『賢さ』の解釈は、「多くの見地から対象を見て考えることができるか」ですかね。

 

 

とはいえ本当に賢いのなら、相手(大勢・大衆)にもわかるような例えをできるものだと思いますけれど。