頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

映画の日

 

 

本日は映画の日でした。

 

なので『ばるぼらと『鬼滅』をリピートしてきました。

 

 

 

ばるぼら

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https://barbara-themovie.com/

 

なんとも言い難い作品だなあと感じたのですが、わたしは「『作家や芸術家なんてのは、ある種アタマが狂ってるんだから、多くを望まず、もがかず、さっさと退廃と結婚してな』って言いたいのかなぁ」と受け取りました。

 

また稲垣吾郎さん演じる美谷のサングラスが、演出効果として上手に機能していたと感じました。

基本的に外では美谷はサングラスをかけているけど、家の中、ばるぼらと共にいる時、セックス時、ばるぼらを探して徘徊する時はかけていません。仮面としてのサングラスということなんだろうと思いました。

 

あと、美谷がばるぼら(二階堂ふみさん)と出会い、愛欲と退廃を受け入れ堕落していく様に、安部公房著の『砂の女』を想起しました。

 

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https://www.shinchosha.co.jp/book/112115/

 

最後に。ばるぼらは音楽がとても良かった!!

サントラほしい。

 

 

 

 

 

リピート鬼滅の刃

floodinhead.hatenablog.com

 

 

今回は演出やギミックに注目して鑑賞いたしました。

 

初鑑賞時の記事でも書きましたが、"発言したことは自分に返ってくる"は炭治郎の「俺が死ねばあの人が人殺しになってしまう」だけじゃなかったですね。

伊之助が眠りから覺めて大暴れする時に「ここの乗客誰一人として死なせねえ!」と言っていますが、同じ事を煉獄さんに言われています。

 

炭治郎の「俺の家族がそんなこと言うわけないだろ!人の家族を侮辱するな!!」の台詞はやっぱりいいですね。あそこは泣きます。

 

それとやっぱりうまいなあと思ったのは、善逸の技が発動するトリガーですね。あれは知らなかった鬼側が墓穴掘ったねー。

あと、善逸は禰豆子とデートをする夢を見ていて、その場所が「桃がたくさん生っている道」というのは『桃源郷』を表しているのだろうとは前回推察しましたが、その桃源郷の道を善逸が禰豆子の手を引きながら「向こうにシロツメクサがたくさん咲いている場所があるから、そこにいこう!」という文句で誘います。

シロツメクサ花言葉は、「わたしを思って」らしいです。藝が細かいね😉

 

 

後光の煉獄さん

煉獄さんの夢では「柱になったことを父親に報告するも喜んでもらえない」という場面のあと、「自分と弟の修行にも積極的に教えてくれていた頃の父親」の記憶へ映ります。

煉獄さん目線から見たお父さんの笑顔が、日光が後頭部に当たって、後光のようになっているので、「きっついなぁ…」と思いました。2回目以降の鑑賞じゃないとわかりませんよね。

 

そのあと伊之助に「君は炭治郎と共に鬼の首を斬れ」と命令するシーンでも、煉獄さんは車内の電灯の光を背に受け、後光を受けているような影になっています。

そういえば「おれが首を斬るから君たちは後方車両を頼む」という流れがこれまでだと多かったように思うけど、そうではなくて「若い世代の背中を押す」というのもかくあるべき年長者の姿だよなあと今思いました。

 

映画のクライマックスで上弦の鬼に破れ、もう命長く無いと悟った煉獄さんは炭治郎に説法を説きます。

その場所にいるのは炭治郎と伊之助だけなのですが、それって小さい頃に父親を失った炭治郎と、孤児であった伊之助、ふたりの父親となる役割としての後光の演出だったんじゃないかなぁと思いました。

 

 

死んでしまった煉獄さんを前に涙をこぼす炭治郎に、伊之助が泣きながら

 

死んだ生き物は土に還るだけで、悲しんだって生き返らない。悔しくても、悲しくても、恥ずかしくても、生きていかなければいけない

 

と言いますが、やっぱりこれも良い台詞ですよね。山で育った伊之助だからこそ言える言葉って感じがします。

 

 

煉獄杏寿郎の日輪刀

最後の藝が細かいと思ったポイントですが、煉獄さんの刀は鍔が炎の形をしています。

 

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最初見た時は「上下左右対象じゃないって変な感じやなぁ。刃がついとる方に炎の頂点あったら、降り下ろしたら逆なるやん」とか思っていたんですが、炎の呼吸奥義を出す前に「目の前の鬼を絶対に討つ」と強く念じ、刀を肩に担いで構えを取るシーンがありますが、その時に炎の形が燃えている向きになります。

また、鬼の体を袈裟斬りで下向きに腹の位置まで斬った後、刀を回して刃を上向きにして斬りあげますが、その時にも炎が燃えている向きになります。

 

つまり、煉獄さんが「心を燃やしている」という心理描写の示唆も含めた、あの形ということなんですよね。

藝が細かやかで素晴らしい。吾峠さんはそれを見越してキャラクターを作ったってことでしょう?そりゃあ売れる。すばらしい。

 

 

 

最後に、炭治郎の「魂の核」を壊そうとした結核の少年に対して、炭治郎が怒るのではなく、人の弱さに付け込んで利用した鬼へ怒りを向けるところがありますが、ああいった心の優しい人がもっと増えたら良いなぁ。自分もそうでありたいなぁ。と思う次第です。

 

 

ありがとうございました。