本日はクリスマスイブです。
閲覧ありがとうございます。
こちらの名越さんの動画を見ていて思いました。
「どうして世の親は、子にサンタクロースの存在を信じ込ませるんだろう?」
サンタクロースの役割?
実際に、神話的・ファンタジー的な「サンタさん」は存在しているけど、成長をして世の中をある程度知ったことで、「サンタさんへの疑い(ユニコーンや龍がいるのかといったような)」を、我々が持ってしまったことでサンタさんに出会わないだけで、実在しているとも言えるとも思います。
信じ込ませる親の心理として(わたしの偏見&憶測)、
- 他の家庭もサンタさんの存在を知らせているから話が食い違わないように。
- 大人世代の現実は夢の見れることなんて少ないから、無垢な子ども時代だけでも夢を見せたい。
- 子どもにはサンタさんがいると信じ込ませるもの(慣習)と思っている。疑っていない
- テレビが煽る。
- 健気にサンタさんを信じている我が子が、親目線で尊く愛おしい。
とかでしょうか。個人的には他の家庭と食い違わないように・うまく立ち回れるようにってのが強いのかなと思います。
ですが、わたしは「子どもを『いい子(御し易い子)』にしておきたいから」なのではないか?と思います。
サンタクロースの役というのは(今では形式化しているのかもしれませんが)、ざっくり言って「子どもにプレゼントを配る」ですよね。
クリスマス前によく耳にするのが「いい子にしてないとサンタさんこないよ!」です。おそらくわたしも言われていました。
子どもの視点からすれば欲しいプレゼントをもらえないのは死活問題とも言えるでしょう。
それならば親の言う「いい子」でいたほうがメリットが大きい。その結果、子はいい子に準ずるでしょう。
これはつまり「子を物で釣っている」ということではないでしょうか。
ちょっとそれはどうなのさ。と、わたし個人としては思う次第です。
込められた念
もう一つ、プレゼントにアクセサリー等の物を贈るというのも、わたしとしては何とも言えない苦い思いを覺えます。
これは全くわたしの感覺なので、理解できない部分も多いとは思います。
食品なら食えば消えますが、アクセサリー等の物質は失くす、または故意に棄てないかぎり手元に残り続けます。
その状態に送り主の念みたいなものが感じられて、とても息苦しくなるのです。
物には念が宿ると言われますが、それもあながち間違いではないと思います。
特別な想いをもってプレゼントしたものからは、贈り主の念がドライアイスの煙よろしく漏れ出ているようなイメージが浮かびます。
わたしとしてはその念がとても恐ろしく思えて仕方がないのです。
あと単純に、わたしが人から縛られるのが大嫌いだというのも関係しているでしょうね。
アクセサリーという枷と、他者からの念という枷。
それが好きな人や、相手と繋がりを視覚的に感じたい方はつけたらいいと思います( ¨̮ )
送り手のエゴ説
あとあれですね。
プレゼントってのは受け取り手がいて初めて成立するんですよね。サプライズなら尚更です。
なので、プレゼントっていうのは贈り手側の最高の自己満足と言える。
これはみなさん認識されているのでしょうけど、わたしはついこの間理解しました。
いつも担当してもらってる美容師の方が誕生日だったので、おいしいクリームパン(ペサ (pesa) - 四ツ橋/パン [食べログ])を渡したのですが、その時に思いました。
「あっ、プレゼントって受け取り手がちゃんと品物を受け取って初めて成立するんだ!」って( ¨̮ )
事前にクリームパンは好みかどうかを聞いておいたとはいえ、あの時の感覺や感情は嫌ですね。もうなるべく遭遇したくない感覺です。
やっぱりあげるなら、食えばなくなる食べ物が良いとわたしは思います。
と思ったけど、掃除道具とかアイロンとか実用的なものは貰ったら嬉しいのかもなあとも思う。
要は用途がはっきりしていて便利なものなら良いのか🤔??
ものをあげるならちゃんと聞いてリサーチして、がやっぱり鉄則なのでしょうね。
ありがとうございました\(´-`)/