頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

メメントモリ

 

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あけましておめでとうございます。

 

2021年の年明け時にはギターを弾いていました。

その時にしみじみと思ったのですが、昨日と同じ事を今日も行う事ができる、毎日同じ事が変わらず行えるということが一番の幸せなんですね。

雨風をしのげる家があって、温かいお風呂やお布団がある。それが当たり前として生活をしていると見落としがちですが、それはとてもとても恵まれていることなのだと改めて思いました。

 

「人は記憶ってものがあるから寂しさや悲しさ、絶望を感じるのではないのか。人が意識を"今"だけに向けれたらネガティヴは存在しないのではないか」と去年の暮れ前くらいから思っていました。

それに対して一個の理解方法、視点を示したのが、この前に評した『映画 えんとつ町のプペル』なんですけどね。

floodinhead.hatenablog.com

 

その『記憶に対しての考え』が2021年の年明け直後に、「日々を"過去"と"今"と"未来"の帯状として考え、その考えの上で日々を驕らず、今日を点として捉え、慎ましく暮らしていくしかない」と思いました。

わたしは(人間はみんな?)これまで「"現在"は過去からの結果」と思っていたので、今辛いことがあれば、それが続くと捉えていました。

ですが、現状なんて変容するものです。良いから悪いへ、悪いから良いへ。(マクベス?)

良いから悪いへ変容したのだから、悪いから良いへ変容することもあるでしょ。という氣概ですね。諦観か?

なので、現在は過去の結果ではなく、現在は過去から未来への中継地点という捉え方。そういう意味で「"過去"と"現在"と"未来"を帯状に捉える」という考え方になったのです。

「目の前を一生懸命に行う」というのは『モモ』で掃除夫のベッポが言っていた掃除の姿勢と一緒ですね。

 

 

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と、そんなことを正月からくどくど言ってんのって一休宗純さんみたいだなと思いました。

元来わたしはひねくれ者なので、一休和尚の話は好きです。ひねくれ方が。

 

『門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし』と和尚は句を詠んでいます。

「みんな年が明けたって喜んでるけど、それってまた一歩死に近づいたってことだろ?人なんていつ死ぬかわかんねえんだから、それを忘れんな」って意味合いなんですね。

つまりメメントモリ「死を忘れるな」という意味です。

一休 -memento mori- 宗純です。

むっかしにタモリさんが「(上記した句、正月に町を行脚した奇行は)一休和尚なりのメメントモリ」だったと話されていました。

 

『金襴の袈裟』のお話も大好きです。

 

 

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一休宗純さんの話を調べている時に「ありがたい」の話を見つけました。

「ありがたい」は漢字で書くと「有り難い」と書きます。

読んで字のごとく、『"有る"のが"難しい"』と書きます。

本記事冒頭の話に戻りますが、昨日していたことが今日もできる、これまでそれが普通に出来ていたから思い至りにくい部分ではありますが、それって奇跡的なことなんですよ。

昨日まで出来ていたけど、今日事故に遭って出来なくなった。ともすればそれにより死んでしまうかもしれない。それもなく、日々を更新していける。それこそが有り難いことではないでしょうか。

 

話し合って楽しく笑い合うことができる。

ギターを毎日弾けて、楽しいと感じる事が出来、スキルを精錬していける。

それも全て『有る』から成立します。でもその『有る』も案外易々と崩れたりする。

『有る』状態ってのも奇跡的な相互作用の上に成り立ってる。その奇跡が続くのは『難しい』

悲しさや寂しさなどのネガティヴ感情を感じることすら、有り難いことだとも言えるでしょうね。

喜怒哀楽の内の一つでも制限したら精神は簡単に均衡を失いますよ。

 

締め方がわからなくなりました。とにかくギターを弾くのはとても楽しいということです。

 

 

当ブログを読んで頂いている方がいらっしゃることを有り難く思います。

今年もよろしくお願いいたします\(´-`)/

 

 

ありがとうございました

 

 

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