本日も閲覧ありがとうございます。
平成で一番売れた新書らしいのですが、読んでみればさすがという感想でした。
その作中にて養老さんが「勉強をする意味・"知る"ということの意味」を『癌宣告』と形容していたので、それをタイトルに使用させていただきました。
☝︎本題☝︎
最近『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』へ行ってきました。
(未来になってリンクが切れていたらすみません)
その時に展示作品を見た感想や考察を今回記そうと思います。
そんな考察もブルーピリオドからの受け売りの面がとても強いです。ブルーピリオド読んでなかったら油絵や絵画の楽しみ方も知らなかったでしょうね。損をしていたと思います。
☝︎1話が読めるので読んでみてくださいね☝︎
そんなブルーピリオドを読んでいたので絵画の構図に目が行って、それを描いた画家の意図を鑑みることができました。ブルーピリオドさまさま。
知るということは癌宣告です。
まず西洋絵画の構図には、大きく見て○□△XSという5つの幾何学形態で分類できるそうです(受け売り)。
とりあえずそれだけ頭に置いておいてください。
※ あくまでわたしの主観で、独特な考察です※
サンドロ・ボッティチェリ「聖ゼノビウス伝より初期の四場面」
この作品は「『キリスト教に入るから結婚できなくなることを許嫁に告げ(左側)、宗教の世界に入っていく様(右側)』という場面を描いている」と展示場の解説には書いていました。
構図のお話です。構図の解説は完全に手描きなので見にくかったらすみません。
構図で見れば□の構図ですね。
左から右へ時間が流れているわけですが、開けている屋外(自由な身)から左側の屋内に入ることで宗教というもの狭苦しさ、そして右半分の建物も3本の柱によって分割されています。その均一な分割が宗教に所属するにおいての戒律や規則の厳しさを表現しているのだと思いました。
ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルト「マグダラのマリア」
すごかった。
思わず唖然呆然として立ち止まってしまいました。とても引き込まれる絵でした。
目を惹く絵なんだけど、なににそんなに惹かれるのかがわからない。不思議な絵。
絵に吸い込まれるが、吸い込みきらない。とても静かな優しさが滲んでいた作品でした。以前、弥勒菩薩に会いに京都の広隆寺へ行ったことがあるのですが、そこにいらした弥勒さんと似た雰囲氣を感じました。
なんでだろう?中央のマリアと背景とのトーンの明暗か?
正直画像なんかではこの「マグダラのマリア」の良さは3割も伝わりません。
本物はもっと暗いですしね。暗いからこそ作品が持っている深い静かな優しさや、滋味のようなもの、369的な空氣を感じるんですね。あとマリアが着ている銀マントの質感が凄かった、本物の布なんじゃねえかって思うくらいリアルでした。
なんでポストカードで売られてないんだよ!
絵に恋するってこういう感覚なのでしょうか。
なんでポストカードになってないんだよ!
カナレット「ヴェネツィア:大運河のレガッタ」
Xの構図で描くかれていて、線遠近法(受け売り)が用いられているので奥の方にも目が行く。視線誘導が知らないうちに発動しています。多数の船が浮かぶ運河にも△の構図が用いられていますね。
この場合は△構図の中にXの線遠近法が用いられていると評する方があっているのか?
また、上の画像のように斜めに明暗を分けることで、表現をメリハリのついたインパクトのあるものにしている。
フランチェスコ・グアルディ「ヴェネツィア:サン・マルコ広場」
これもXの構図なのですが、Xの線が交差する中央の部分を抜くことで、中央に目を向けるようにしている。形容するならば、漫画表現の集中線みたいな感じじゃないでしょうか。
あと、「ヴェネツィア:サン・マルコ広場(1760年頃)」は「ヴェネツィア:大運河のレガッタ(1735年頃)」よりも後の時代に描かれています。
カナレットが描いた作品へに対して、似た構図で描くというグアルディのリスペクトみたいなものが垣間見えてなんか良いですね。
エル・グレコ「神殿から商人を追い払うキリスト」
一目で「良い絵だなぁ」と思いました。
中央にいるイエスが着ているビロードっぽい服の艶と、紫色という色の持つや神秘性や神聖さがキリストという人物の特別性や神々しさを表現していると感じました。
構図は□ですね。
左に商人、右に修道士?がいますが、左右で人の服の光り方が違っていたんですよね。どうしてああいう芸当ができるんだろうか。すごいなぁ。西洋絵画についても勉強したい限りですね。
中央にイエスがいるわけですが、イエス自身がイスカリオテのユダに売られたから商人を追い払っているのでしょうか?
アンリ・ファンタン=ラトゥール「ばらの籠」
最高!瑞々しい!生き生きとしている!
香りはほのかに、主張は控えているが、しかししっかりと上品に香り鼻をくすぐってくるかのような美しさがありました。
なんでポストカードで売られてないんだよ!
ポール・ゴーギャン「花瓶の花」
サマセット・モーム著の『月と六ペンス』に登場する画家・ストリックランドのモデルと言われているゴーギャンですね。
展示の解説には「夢と現の境目が曖昧で全て夢なんじゃないかと思わされる」と描かれていましたが(うろ覚えのためニュアンス)、わたしには、この作品はゴーギャン自身の生への執着に見えました。
ゴーギャンは1903年没で、この作品が1896年の作品です。
暖色の花は生を、寒色の花は死を、花瓶は自身の肉体を。そう表現しているように見えました。
フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり(4作目)」
ゴッホは芸術家の共同体を作りたかったみたいですね。それに賛同したのがゴーギャン。ゴッホは好きですが、わたしはその歴史は存じませんでした。星月夜が好きです。
今回日本に来ていたのが、ゴッホが7枚描いた内の4作目だそうで、日本初公開だったようです。
ゴッホのひまわりは実は7作品あるって知ってる? | MUTERIUM
その共同体としてのひまわりなんでしょうね。
展示されていた解説には「ゴッホ自身が氣に入った3作目・4作目をゴーギャンへ送った」と書かれていました。
しかしその後に例の「耳切り事件」があったため、ゴーギャンとの親交も断たれた。その事件は5作目を描く直前に起こったそうです。
ゴッホが描いた「ひまわり」の作品群を見ると、同じ絵を新しく描き直しているのが分かります。
ここから、ゴッホ自身が共同体に対して相当な憧れがあったんだろうなと思いました。
共同体を夢見た1作目と2作目。
ゴーギャンから前向きな反応があったことにより、氣分が上向いていた3作目と4作目。
画家たちの共同体という夢が文字通り"幻想"となってしまった後の5,6,7作目。
4,5,6作目が同じ作品の描き直しだというのが、ゴッホ自身の後悔の表れを物語っています。7作目も3作目の描き直しですしね。
「芸術家たちの共同体をつくるという憧れ」を抱いていた頃を思い出すための逃避行為としても、「共同体を作れなかった。その結果を招いたのは自分である」という後悔から来る自傷行為としても、わたしには見えます。
「ひまわり」は絵が泣いているように見えました。
「ひまわり」を何度も描く、という行為は『重力ピエロ』で春がノートに何度も同じことを描いていたのと同じ意味合いに思います。一種の祈り(安らかな方ではなく苦しい方の祈り)みたいな意味ですね。
ゴッホについて
2020年にゴッホ展へ行った時に感じたのですが、ゴッホという人はおそらく「絵を描いている時だけは生の苦しみから解放されていた人」なのだろうと思います。
絵を描いていない98%の日常は地獄の責め苦に苛まれているが、2%の芸術活動中だけは生きているように思える。
おそらく意識のどこかが人ならざる域まで触れている人なのでしょう。
ある種、神の域まで到達していた人。だから他の人とは上手く付き合うことができないし、結果孤立する。
ゴッホが生きていた頃は、今みたいにイヤホンで人の話し声を遮ったりできませんから、その声を聴きたくないために耳を切ったんじゃないかなと思います。
彼の絵は見ていると悲しくなります。
「絵という世界の中にだけ救いを見出していた人」
彼が自死を選んでから120年が経っていますが、どうか成仏して安らかに過ごしていてほしい。
意訳っぽい解釈かもしれませんが、太宰治氏と似た人なんじゃないかなと思います。
彼やゴッホ展についてもまた記事を書きますね。
以上!ロンドン・ナショナル・ギャラリー展の感想でした!
ここまで読まれた方にはお分かりでしょうが、わたしは美術史や作品の経緯なんてものは全然知りません。芸術の上澄みだけ掬ったような人間です。なので、全く的外れなことを考察していても許してね😘
実際、芸術は確かに好きですが、元来わたしは音楽畑の人間なので画家の名前なども一般的に有名な方しか存じませんでした。ゴッホやフェルメール、ピカソやミュシャ、モネなどなど。でも、それって勉強して楽しむ伸びしろがあるってことじゃんね。
積極的に癌宣告していくぞー。
最後に
絵画は実物を見ないといけないと思います。
実物には念というか、作家のパワーが宿っているように思います。
画像や印刷と実物では色の見え方が全く違いますし、いざ目の前に対峙した時に圧倒されたりしますよ。
芸術は是非実物と相対して、目の前の作品と、そしてその作品を見た時の自分と、会話をしてみてください♪
著作権を侵害している場合はお伝えください。
ありがとうございました( ¨̮ )