本日も閲覧ありがとうございます。
今週のお題「575」
言葉など
用いたところで
意味はなし
地球っていう物質世界に生きている以上、言語を使わなきゃ伝わんねえんだけど、言語なんて物質的表現に頼ってるうちはなんにも解るわけないし知り得るわけねえんだよな。
でも言語を使わなきゃ自分の意見も相手の(見える範囲の)真意も共有できないんだよ。
言語を発明したのは人間の進化の一歩として多大なものがあるとは思うけど、言語によって自己(それぞれの存在)に枷をかけ檻に押し込めているんだろう。
言語以前に『歌』があったそうなので、音楽的な交流や音楽的な意識交換は、言語というある種の"枷"の先にある表現方法なのではないかと思う。
もちろん肉体言語やジェスチャー、表情といった言語以外の表現でも、その枷の先にある可能性だとは言えるだろう。
つっても物質を揺らしている時点で人間が人間以上の概念になることはできないんだろうけどね。
人は神になれない。
つーか神なんて人が勝手に作ったものですから。
人間が「神」と呼称している存在がいても、その存在からすれば「え?わしらそんなだっせえ名前じゃねえんだけど」と思うだけだろう。
むしろ人間なんてものには無関心だろうな。
「雑草」と呼んでいる植物にも名前があるけど、それを知らない無知が自己正当化のために『雑草』と呼んでいるだけなのと同じだし、まずただ存在している"事象"に対して名前をつけて「管理した」と息巻いているのもエゴイスティックであるとしか言えない。
書いていたら「無知のまま粋がることが人間が人間たる姿」なのではないかと思えてきた。
まず『人間たる姿』ってなんだよ。それも個人が勝手に規定したものだろうに。
煩悶して生きていくしかないんだろうな。
日々を煩悶していく生活の休憩に、良い音楽は必要なんですよ。
ありがとうございました。