頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

不可視は無価値か?

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

ここ最近ハマりにハマっている八十八ヶ所巡礼のPVを色々見たりバンドの情報を漁っていると、どうやらゆらゆら帝国というバンドに影響を受けているらしいことがわかりました。

 

名前は存じておりましたが、直系の日本語ロック系譜だったので食わず嫌いで敬遠をしていました。

 

わたしの音楽の目醒めはthe Beatlesだと記憶していますが、どっぷりと音楽の魅力にハマったのはL'Arc-en-Cielと出会ったためなので、高校時代はその系譜の音楽ばかり聴いていました。

ムックやD'ERLANGER、DEAD END、cali≠gariなど。

 

 

そして、なぜかロキノン系(rockin' onという音楽雑誌に取り上げられるバンド)のバンドと、ラルクらのジャンルとは親和性が悪いんですね、なぜか。

 

そういった経緯から日本語ロック系譜の音楽は食わず嫌いをしていたのですが、八十八ヶ所巡礼のルーツかもしれないという理由と『日本語ロックの最高峰』と言われている曲から、ゆらゆら帝国の『空洞です』という曲をいっちょ聴いてみることにしました。

 

 

 

 

あぁ、こりゃ最高峰だわ。というのが聴いた感想です。

 

例えるなら武道を極めたおじいさんって感じですね。一見ただ立ってるだけに見えるけど、実際近づくと攻め入る隙が一切ないというあの感じ。

よくある漫画の表現なのでデフォルメされているかもしれないですけどね。

 

 

そうです。

今回は音楽への愛を垂れ流す記事です。

 

 

『空洞です』ははっぴいえんど系の曲ですね。MAJI最高。音楽の話をしていますもんね。MAJI最高。

 

 


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ぼくの心をあなたは奪い去った

俺は空洞 でかい空洞

全て残らずあなたは奪い去った

俺は空洞 面白い

バカな子どもが ふざけて駆け抜ける

俺は空洞 でかい空洞

いいよ くぐり抜けて皆 穴の中

どうぞ 空洞

 

なぜか町には大事なものがない

それはムード 甘いムード

意味を求めて無意味なものがない

それはムード とろけそうな

入り込んだ路地であなたに出会いたい

それはムード 甘いムード

誰か 味見をしてみな 踊りたい

さあどうぞ ムード

 

ぼくの心をあなたは奪い去った

俺は空洞 でかい空洞

全て残らずあなたは奪い去った

俺は空洞 面白い

バカな子どもが ふざけて駆け抜ける

俺は空洞 でかい空洞

いいよ くぐり抜けて皆 穴の中

どうぞ 空洞

空洞

空洞

空洞

空洞

 

 

まず『空洞』

その意味は、

ほらあな。また、内部がうつろになっていること。また、その部分

 

-weblio辞書より引用-

らしいです。

 

外側は存在しているけど、中は空っぽである。

この「空洞」は「音楽」のことを表しているのだと思います。

 

空氣を振動させているが目に見えない。存在しているようでいて存在していないように思えるが実は存在している。

 

その空洞たる音楽が「ぼくの心を奪い去った」

 

その音楽に骨抜きにされたという結果を「自分が空洞」と表現しているのも対比が面白いですね。機智がある。

 

 

「意味を求めて無意味なものがない」という部分からインスピレーションを受けて、八十八ヶ所巡礼のマーガレット廣井さんは『金土日』を書いたのでしょうか?

 


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『金土日』でも「やってる意味の無いことが大切」と歌っていました。

 

floodinhead.hatenablog.com

 

「意味を求めて無意味なものがない」については八十八ヶ所巡礼さんについて書いた記事の重複になりますので省きますが、意味を求めすぎるというのはもう資本主義が原因の病氣みたいなものですよね。

 

 

『空洞です』を作詞されたゆらゆら帝国のボーカル&ギター 坂本慎太郎さんは1967年の御生れだそうですね。

その年代の生まれだから腑に落ちたのですが、1990年代初頭にバブルが弾けた。その時現状に真摯に向き合うこともせず、お祭り騒ぎばかりしていた。

日本の未来は誰も羨みませんでしたしね。結果論ですけどね。

 

そのお祭り騒ぎと比例するように功利主義は深刻化して行った、その様の空虚さを坂本さんは感じていたのではないかなと考えます。

あくまでわたし個人の主観を通した考えですけどね。

 

その空虚さとかけているのか?空洞?

 

 

とはいえ、この曲で話されているのは音楽だと思います。

恋愛のことだとも取れます。

 

しかしながら、優秀な芸術作品は受け取り手次第で如何様にも解釈できるものだと思っています。

 

なので見る人によって違う見方や感想が出てくるのはなんらおかしいものではないのです。

 

よくいう言葉ですが、「芸術は問題提起、見方を固定されたものはデザイン」です

 

「これの解釈はこれしか認めない!これこそが正しいのだ!」と言いたい方は密閉された箱の内側でも愛でていらしてください。

 

 

 

タイトルは「目に見えるものしか目で見ようとせずに目で見ていない科學教の狂信者さま」ら現代人に対しての愚痴です。

 

なんか「"目に見えるもの"こそ現実」と思っている方が多い印象ですが、じゃあ音も目に見えねえじゃん。それもオカルトの世界だって言うのかい?

 

匂いも電波も目に見えねえぜあれもオカルトかい?

 

「実験や分析やした結果存在していることがわかったから信じる」のなら、紙に「神はいます。その根拠とデータはこれです」と書いていたら信じるということになる。

 

その感覚ってとても宗教的で狂信的じゃないか?

 

 

一度大切なものがなにかを考える時期じゃないかい?

その人ごとの大切なものをね。

 

それとか「誰の意思によって今の自分(思考)が作られたか」とか。

 

 

「科學教の狂信者」と非常に棘のある形容をしたけど、単純に生まれて物心ついた時から科學が身の回りに存在していたからそれ以外の価値観を知らないだけかもしれない。

 

 

 

 

『空洞です』についてはアルバム全体の流れを経験せずに聴いているから薄っぺらな汲み取り方しかできていないので、収録アルバムの一曲目から体験したいな。

 

『空洞です』は素晴らしい出来だけど、しかし『夜行性の生き物三匹』はまた違ったアプローチで面白いんだよなぁ。

知りたい音楽が次々に耳に入ってきて死ぬに死にきれねえぜ。

 


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死にきれねえぜ。

 

ありがとうございました。