頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

人を無理矢理二種類に分けるしょうもないアレ。

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

 

今回はちょくちょく感じていることを言語化しようと考えています。

 

大したことではないです。

発露する対象がいないのでここに書いているだけで、皆さんお氣付きのことと存じますのでね。

 

 

前置きかったりいと思いますので本題に入りますが、先日母と話していて脳科學者の茂木健一郎さんの話題が出ました。

なんでも母曰く、「茂木さんは品が良い」そう。

 

その時に感じたのですが、茂木健一郎さんって『空(くう)っぽい人』だと思うんですよ。

仏教用語の空。

 

そこでタイトルにある「しょうもないアレ」の公式を当てはめてみると、『資本主義っぽい人』と『空(くう)っぽい人』がいる。

また資本主義かよ、と思われた方もいるでしょう。わたしもです。自身の視野の狭さにうんざりしますね。

しかし、必ずしもそれに二分されるとは思いません。二分されはすることもあるだろうけど。

 

そして、ここではメディア等に出演されているある程度の影響力を持った方を限定して論じていきます。

 

 

『資本主義っぽい人』 

 

では、『資本主義っぽい人』の特徴とは何か。

  • ズバッとハッキリと明言する傾向がある。
  • 側から見ると信者と教祖的な構図に見られがちである。
  • 話し手と受け取り手の距離が近く感じる。
  • 何かと話題になる。

 

「ズバッとハッキリ言う傾向がある」

人はハッキリと言ってくれる人を求めます。

何故ならば「その人に従っていれば自分で考えなくて済みますし、もし何か上手く行かなくても人のせいにすることができる」から。

よく言う話ですが、大衆というものは『アホが大半』みたいです。つまり、「自分の頭で考えていると思っているだけで、その実は扇動されている人ばかり」ということ。わたしもでしょう。

ちなみにこの構図は世の宗教と同じだと感じます。あくまでわたし個人の感想。

 

ちなみに「どうせ自分の頭で考えている者は少数派なのだから相手するだけ無駄。大多数のアホを相手にして何度も刷り込む方が効率的」というのは、ナチスドイツの宣伝法だそうです。

 

 

「側から見ると信者と教祖的な構図に見られがちである」

そういった「ハッキリと物を言ってくれる人」を求めている方は、「ハッキリと物を言ってくれる人」を求めているので、「ハッキリと物を言ってくれる人」を支持することになります。

そんでもって「ハッキリと物を言ってくれる人」が言った「ハッキリと言ったこと」は『自分が言語化できなかったこと』であるので(推察と偏見)、自分の役割(言語化)を怠った者(偏見)は、次第に「ハッキリと物を言ってくれる人」を頼ることになる。

それが「側から見ると信者と教祖的な構図に見られる」原因になる。

 

 

「話し手と受け取り手の距離が近く感じる」

自分の役割を怠っている者は、「この人は自分の氣持ちを代弁をしてくれる」と勘違いし、話し手をより頼り、それに氣を良くした話し手は受け取り手(ユーザー)をより樂しませる(離れないようにするためでもある)ようになっていく。

その結果、距離が近くて閉じた空間が形成されていく。

 

 

「何かと話題になる」

クローズドなコミュニティで培われた主義主張が、あるきっかけで露出された際、その主張が閉じた空間で作られたものであるため、世間様では許容されない考え方であったりする場合が多い。

しかも、「"少し"過激な考え方でも、受け入れてくれるコミュニティがある」と安心しているため、発信をし、それが話題になる。

そしてその世間様では受け入れられない異様な思考も『正当な個人の意見』と主張することにより、より話題に上がる。

 

 

くそどうでもいい。

 

 

この価値観も「わたしの脳内」という"クローズドな"空間で生まれた考え方なので、大きな大きなブーメランですね。

本当にすみません。

 

 

 

『空っぽい人』

 

逆に『空っぽい人』の特徴は何か。

  • 何かに対して発言をしても明言しきらない。あるいは発言をしない。
  • 話し手と受け取り手の間に一定の距離があり、受け取り手に考える余地を設ける。
  • あまり話題にならないが、根強いファンが居て息が長い。

 

 

何かに対して発言をしても明言しきらない。あるいは発言をしない」

明言をすると、それにアレルギー反応的な反発をされる方がいるのを知っている。

明言したことで小火が起きたりして、その事後処理にエネルギーが必要となることを知っている。省エネ。

または、自分が発言しなくて済むような雰囲氣作りや「資本主義的な人」が発言できるような流れを演出する。

 

 

「話し手と受け取り手の間に一定の距離があり、受け取り手に考える余地を設ける」

「自分としてはこう思っている」としても、「相手が自分と同じように感じる・考えるわけではない」ということを知っている為、話し手と受け取り手の間に一定の距離を設けて、相手に判断を任せる。

「わたしはこう思う。でもそれが君にも適用されたり第三者に通用するとは思わない。だからどう感じたかは委ねるよ。しかしそれは君が決めた答えだから君の責任だよ」

 

 

あまり話題にならないが、根強いファンが居て息が長い」

付かず離れずで絶妙な距離感をお互いが取っているから双方とも居心地がいいし、話し手自身が受け取り手にも「"その人の"思考を求めている」から議論ができてブラッシュアップできるのではないか。知らねえよ。

そして、双方の意見を交換しているから風通しの良いコミュニティになり、風通しが良い分『世間様に許容されない考え方」にもならない。そのため話題にならない。

 

 

 

こんなことを言っていること自体が無粋だし無教養

 

『誰が資本主義っぽい人か』となどと明言すると要らぬ軋轢を生むと思いますので、読者様各々に委ねますが、『空っぽい人』ならば茂木健一郎さんやタモリさん、ビートたけしさん等、またバンドならSpitzさんとかもそんな感じがします。

 

 

 

大体が『どっちかに分ける』なんて無理だしな。世の中はグラデーションだよ。

二元論で熱くなるなんて、人間界で躍起になって生きるくらい無駄で阿呆らしいこと。

 

あと「どちらが良くてどちらがダメ」とかという話ではないので、お間違えの無いようにお願いいたします。

その生を生きるのが必要だから、そういったスタンスの時間や生を過ごしているのだろうし。

 

 

結局のところ、目立っちまったらそれだけ野次馬的な蝿がたかるから、無理に目立たず活動していくのがいいんじゃねえかな。

有名無力、無名有力ってわけだ。違うけどね。

 

 

 

 

 

なーんて偉そうに書いてきましたが、ぜ〜〜〜〜〜〜んぶジョークです。ぺこちゃん。

すげーバカらしいし。

 

好きに生きて。

 

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )