頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

注意喚起

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

どうやら皆々様このことに氣付いていないみたいです。

 

不思議です。

 

とはいえ、わたしもつい数ヶ月前に思い至ったばかりなので偉そうな口ぶりはできません。

 

今回申し伝えしたいのは、何かを學ぶことについてです。

 

言いたいことの結論は『勉強をしただけ賢くもなるが、それと同じくらいアホにもなる』です。

 

勉強のジャンルはなんでもいいです。

 

文部科学省が設定した学校的な勉強でもいいですし、趣味や仕事においても勉強でも大丈夫です。

 

人は何かを學ぶことで知識を得ますが、それと同時に視野の狭さも得ます。

 

何か特定のことを長く続けていればある程度のノウハウは自然と身につきます。その為、一定の人間は全くのビギナーから出たアイデアを軽視する傾向があります。

 

軽視したビギナーの発言の中には、自身の中で固まっていた意識を刷新するアイデアが含まれている可能性や、自分が現在行き詰まっている箇所の打開策が隠れている場合も存在し得るのです。

 

それに氣付かず、「ビギナーだからわかっていないのだろう」と思い込んでかかる。

 

それこそが、上記した『勉強をしただけ賢くもなるが、それと同じくらいアホにもなる』ということになります。

 

それと同時に、『勉強をしたという自負』『正しい知識を保持している』という意識も危険性を持ちます。

 

そういった自負こそが自身の足を掬いかねないからです。

 

十年前に得た知識が現在に通用するとは限らない。それは皆さま承知のこととは思っていますが、案外自分のことになったら失念しているもののようですよ。

 

特に、「自分は正しい知識を持っている」と自負をしてると、その知識が仮に全くの嘘っぱちだったとしても、自身の保身のために、自分の立場を脅かす言論やレポートを隠蔽しようとする。

 

なにより、『勉強をしただけ賢くもなるが、それと同じくらいアホにもなる』ということや、『自負は自身の足を掬う事になりえる』ということに氣付かなく(氣付けなく?)なる。

 

結構多いですよ。そういった方々は軒並み『自身の知識』を自負しています。

 

こういったことを書いているわたしも他者から見ればそういったように見えているでしょう。

 

 

「高学歴の者が何故カルト宗教に溺れたのか!?」という煽り文句がありますが、当然です。

 

自身の自負と傲りに溺れたのです。

 

 

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という故事・ことわざがありますが、それこそが人の世を上手く渡っていく術なのではないかなと感じます。

 

いくらの知識があるだの、学歴がどうだっていうのも、まこと資本主義的だなぁ。

 

まぁ、わたしは学歴とか学力とかそういった意味合いの世界では、まったく役には立ちませんので、当てにならないと思われたなら当てにしないでくださいね( ¨̮ )

 

ありがとうございました( ¨̮ )