頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

必ずしもそれだとは限らない。

 

本日も閲覧ありがとうございます。

 

 

 

読者皆さまは勉強についてどうお考えでしょうか。

 

勉強と聞くと苦手意識が顔を覗く方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 

先にわたしの意見を申しておきますが、勉強は必要だと感じます。

「勉強をすることで騙される危険性を少しでも減らすことができる」というのと、「勉強をすることで、何かを學ぶことの樂しさを知ることができる」というのが理由です。

 

 

ですが、その勉強というのは学校的な意味合いばかりではありません。

 

わたし個人の意識、意見になりますが、義務教育機関というのはどうにも勉強に対して「苦手意識を植え付ける為に存在している」ように思えてならない。

 

 

『學ぶ』という行為そのものは、何も學校に行かずともできます。それでいて、樂しい。

 

また、教科書からしか教わることができないと思っている人が、もしかしたら、いらっしゃるのかもしれないけど、日々を生活していたら自然と興味や疑問が湧きますし、なんとなくで見ているばかりの自然を観察すれば色々なことを知ることができます。

「自然」というのは誰よりも神秘を教えてくれる対象なのだという事に氣付けるのです。

 

ホースから勢いよく流れる水が螺旋になっていることや、木枯らしが吹いて落ち葉が捲き上る挙動が螺旋を描いていること、竜巻や海の渦巻きが螺旋であることから、『地球の真理の一端には『螺旋(渦)』が関係しているのかも』という推論は、自然を観察した結果に思い至ったものです。

黄金比フィボナッチ数列も渦ですもんね。

 

ちなみに、「ものがまっすぐ飛ぶのに必要なのが、螺旋の回転」だそうです。

だからホースの水も螺旋を描いているのだそう。

 

 

こんなことを言っていると「それで、それは何か生活や仕事に役立つの?」と聞こえてきそうですが、どうにも現代というものは実利が伴わないと存在してはいけないような意識が働いているように感じる。

This is 資本主義の世…。

 

 

とにかくは『強制されるから』勉強に嫌悪感を感じ、それが解消されないまま育ったから、勉強に苦手意識を持ったまま過ごして、勉強から遠ざかってしまう。

わたし自身も文科省的學習には、とても苦手意識があります。

 

 

よく「勉強をすると世界の解像度があがる」と言いますし、その通りで勉強をしただけ日々を面白く感じるものなんですけどね。

その分だけ世界の汚さも垣間見る事にもなりますけれど。

 

 

 

わたしはことごとく世間の人間様と話が合わないのですが、それは「文科省から教えてもらう側」と「文科省で教科書を作る側(あるいは文科省とは干渉しない世界で生きている)」とで、違う見方をして世界を生きているからなのかなと感じました。

 

ウィリアム・テル万有引力を見つけた」と言われていますが、『実際にその法則を見つけた』のと『この世には"万有引力"ってものがあるんですよ、と教えられた』のとでは全く違います。

「教えられただけ」では心からの実感を伴っていないのでピンと来ない場合がありますが、「見つけた」場合は閃きがその人の中で起こっているのですぐに理解することができるのではないでしょうか。

 

 

 

 

ちなみに自宅學習の是非については、教育者がごく少数の人間しかいない場合(親のみであったり)は、駄目だと思います。

理由は、教育者であるその人の価値観が、そのまま子に継承されて偏った価値観になりかねないからです。

 

なので、各教科に一人の講師がいて入れ替わりで授業をする、というスタイルならば自宅學習は有りだと思います。

「そのやりかたなら學校でいいじゃん」という意見もありそうですが、如何せん文科省的な学校は毒が多いからね…。

 

 

 

義務教育へのコンプレックスが強い。

 

『勉強は格差のある家庭で生まれた人へ対しての、リセットの手段(場所)』という意見を知ったときに、その意識がわたしの中にはなかったので新鮮でした。

その捉え方ももちろんだと思います。

 

 

勉強って本当は樂しいんだよ!

 

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )