本日もご訪問ありがとうございます。
先日本屋さんをうろうろしていたらこんな本を見つけました。
有名なYouTuberの方が帯を書かれていました。
でもこれってみんなしてることじゃないの?
というよりも「この程度のこと」普通できてるもんじゃないの?
できることを誇るほどでもないゲーム
具象から抽象を抜き出す、ってすごくおもしろいゲームじゃんね。
もういっちょ言えば、『抽象性を高くすれば普遍性が高くなって、具体性を高めれば即物的になる』です。
Apple製品のLightningケーブルは、その具体性を高めた結果Apple製品ユーザーにしか利用されません。
しかし、これはブランディングとも言えます。
それに対してAndroid製品は「micro USB Type-B」という世界規格を用いています。
これはある種の「抽象性の高い具象」を利用したものです。
具体性を高めたら他の用途には使われなくなるが、特定の用途では使われる。
抽象性を高めたら色々な用途へ応用が効き、『様々な特定の用途』が生まれる。
「抽象性が高いものは普遍性が高く、具体性の高いものは即物的になる」というのは、『抽象性の高いものほど未来で応用ができる可能性が高くなるが、具体的なものは未来的な利用価値が低くなる可能性が高くなる』ということです。
具象から抽象を抜き出して、別の具象へ当てはめ
わたしは音樂を作りますが、その際に歌詞も書きます。
その歌詞の元になったできごとが恋愛に一切関係なくても、『当てはまること』を意図的に恋愛的な事象へ当てはめた書き方をします。
クリエイターってものはそれくらいします。
King Gnuさんの『白日』はその書き方をされている曲でしょうからね。
様々な藝術作品が、受け取り手によって色々な解釈をされることがありますが、それって「具象から抽象を抜き出した」から、受け取り手が『好きな具象』へと当てはめられるのかな。
それに対してデザインというものは、特定の具象から抽象を抜き出さずに『特定の具象のまま』表現されているからデザイン然とされているんだろうな。
つまり『特定の具象から抽象を抜き出して、別の具象へ当てはめ表現したのが藝術』で、『特定の具象をそのまま表現したのがデザイン』ということか。
『抽象藝術』というのは「具象から抽象を抜き出したままを表現した藝術表現」ということですね。
しかし『具象・抽象・別の具象』という三つの軸ではなくて、それらの間にもグラデーションがあるんでしょうけどね。
具象化が生む共感
どうして「恋愛っぽく書くか」についてですが、それは『万人に共感されやすい具体的体験が恋愛だから』です。
共感が生まれたら売れやすいのは前に言及した通りです。
ということは、TVCMはデザイン寄りなのか?
『白日』はどう聴いたって恋愛の曲に聞こえないのですが、それはわたしが恋愛に対して共感できないからってのもあります。
恋愛ってしゃらくせえじゃん。
この事例も、歌詞を書いた常田さんが自身の経験から『恋愛とリンクする抽象』を抜き出して『恋愛という一つの具象』へ当てはめたものです。
あるいは、"受け取り手が恋愛に当てはめるように"書かれた歌詞ですね。
ちなみに『白日』の歌詞が「恋愛の曲じゃない」のは、この曲が収録された『CEREMONY』というアルバムを通して聴けばよくわかります。
いつか解説でもしようかしら。
「恋愛の曲」と一口に言っても、その具象にも『どれだけ具体性を上げるか』が肝心になってきます。
『LINEの通知』や『SNSの発言』といったような〈時代に即した言葉〉を多く使われている樂曲は、それだけ時代の波に乗ることができますが、同じだけ時代の影響を受けます。
言い方を変えれば「すぐに消える」ということですね。
反対に「月」や「お花」の描写が印象強い樂曲は世代に関わらず支持されるのではないでしょうか。
まぁ『恋愛の曲』の特性上、即物的になりやすいというのはあるのでしょうけれど。
そう考えれば、具象を別の具象へ当てはめている小説が後世へ残りやすいのに対して、新書やビジネス書がその時代に流行って以降取り沙汰されないのは具象をそのままパッケージしているからなのでしょうかね。
文學が藝術で、ビジネス書がデザインということです。
そう考えると面白いですね。
いつか読みたいねー
冒頭の書籍を見た時に「あぁ、そうだね。大事。大事だけどそれって普通じゃん?」と思っただけで、中身は読まなかったので、わたし自身の読みを覆す為にもいつか読みたいですね。
その書籍よりも、『観察の練習』という書籍の方が面白そうなので、そっちの方が先かな。
これもわたしはできてはいる方ですが、より質が良く精確な観察がしたいのです。
受け取り手によって千差万別いろんな見方ができる作品は、質が良い証拠ですよ( ¨̮ )
ありがとうございました\(´-`)/