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みかんを頂きました
先日八百屋さんでお買い物をしたのですが、その時におまけとしてみかんを頂きました。
ありがたいです。
「甘いみかんおまけしときますね」と店員さんは話していて、その時にはわたしは「やったぁありがとうございます」としか思わなかったのですが、帰宅した後にじわじわと考えが浮かんできました。
「甘いみかんは美味しいけれど、甘いだけでいいのか?」
balanceとWabisabi
ええ、面倒臭いです。
自分でも面倒なやつだなと思います。
しかしです、みかんの美味しさは「甘み」と「酸味」と「柑橘系特有な芳香」が混じり合って構成されるものです。
That is "Wabisabi"
それらが三位一体となって相乗効果-Synergy-を引き起こしたことにより、我々はみかんから預かった恩恵-onkei-と美味しさに細胞を慄す-groove-のではないでしょうか。
しかし、いつからか果物は「甘いが良い」となってしまいました。
甘いは良い 良いは甘い。
きっとその甘いを求め(すぎ)た結果が、今の果糖至上主義なのでしょう。
中毒状態、みんながなれば、目立たない
思うのですが、現代は甘味に鈍感になっていると感じます。
昔から自生している自然の果物を食べても、大して甘くないと感じるのではないでしょうか。
甘味に鈍感になった理由としては、甘味が過多になり甘味に対しての味覺が飽和したからじゃないかと考えています。
人々が甘味を強く求めた理由は甘味というもの自体が贅沢な恵みであったことと、『甘味』が脳の報酬系を刺激する作用を持っているからでしょう。
白砂糖はコカインと同じ脳領域を刺激し、コカインよりも高い中毒性を持つと言われています。
白砂糖とかだけでなくても、現代人は糖分の中毒になっているとは感じる。
それが目立って見えないのは、みんな中毒状態だから。
赤信号みんなで渡れば怖くないの状態です。
わたしも中毒状態だと思うし。
中毒は不足が生みだす
糖分を強く欲するのは愛情不足が関係しているという見解もあります。
それは、他者から自分への愛のあるし、自分から自分への愛もある。
個人的には自分で自分を満たすことが、なによりも一番に大事だと思います。
糖分だけでなく、知らぬうちでも不足感を強く感じていると、他のものでその不足感を埋めようとします。恋愛やポルノやギャンブル、お酒の中毒もその類でしょう。
その不足感からインスタントに逃れることができるから、セックス依存症という症状が発生するのだとわたしは考えています。
しかし、インスタントなセックスは肉体を求めてやってくるので、精神的にはほとんど満たされない。
その結果、確かな愛を求めていろんな人の体を散歩してしまう。
確かな愛なんて自分が見出して生み出すしかないと思うんだよな。
毎度の事ながら脱線しました
油と同じように、砂糖も何からできたかが明記されているものを採った方がいいと聞きます。
サラダ油よりもなたね油や米油、白砂糖よりもてんさい糖やきび糖や羅漢果など。
売れてるから安全、たくさん陳列されているから安全、なんてことはないのですよ。
念頭に置いておいて損はないのは、精製物に栄養を求めてはいけないということでしょうかね。
あれ?いつのまにか意図しない方向へ話が歩いていた。
なにが言いたかったかというと、何事もバランスが大事ということですね。
要約したら途端にチープで陳腐な意見になっちゃった\(´-`)/
一方へ偏りすぎるのは如何なものか\(´-`)/ という一般人の一意見です\(´-`)/
ちなみにおみかんは果肉のお色も濃く大変美味しゅうございました( ¨̮ )
みかんは皮が張っていてつやつやしているものが美味しいですよ( ¨̮ )
ありがとうございました\(´-`)/