頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

娯楽は苦悩の上に存在している

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

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ストレスと苦味

以前に『ストレスを感じると苦味を求める』といったようなことを書きました。

floodinhead.hatenablog.com

 

わたし自身も以前はコーヒーを毎日飲んでいたわけですが(といっても日に一杯程度)、最近では全く飲まなくなりました。

 

いちばん熱が入っていた時は、豆から挽いて淹れていたのですが、最近は飲んでもコンビニに置いてあるチルドカップのものをた〜まに、程度です。

しかし、豆から淹れるよりもコンビニ製品の方が健康には悪い場合が多いから、プラスマイナスゼロか?

なんのプラスマイナス?

 

成城石井のカフェイタリアーノという商品が、わたしの口に合い美味しかったので、そればかり購入していました。

www.seijoishii.com

 

 

同じように、お酒も特段欲しく思わなくなり、プレゼントで戴いたもの以外飲むこともなく、自分で買うこともなくなりました。

 

 

ここでふと思ったことがあるのですが、お酒やコーヒーは嗜好品です。

この嗜好品ってのは、両方とも苦い。

 

ストレスは苦味を欲します。

 

世の嗜好品っていうものは、このストレスがあった上で成り立っているのではないでしょうか。

 

 

嗜好品が嗜好品たり得る理由

嗜好品というのは、なにもコーヒーやお酒だけでなく、お砂糖を用いたお菓子も含まれます。タバコもそうですし、ギャンブルも含まれるでしょう。

 

お砂糖は脳のストレス値を下げると言われていますし、日々のイライラを忘れるためにギャンブルに興じるという方も多いと聞きます。

 

タバコに関しては「吸った時にストレスが無くなったと"勘違い"しているだけ」みたいですね、どうやら。

つまり『たばこに含まれるニコチンが、脳内のニコチン切れによって起きるストレスだけを解消している』ということで、『他のストレス原因や別な外的要因から引き起こされたストレスを解消しているわけではない』ということらしいです。

 

 

外食産業、主に居酒屋さんのようなところは、利用者にお酒を多く飲んでもらうことで多くの利益が生じます。

居酒屋に来た客がお酒をたくさん飲むためには、客自身がストレスフルな状況であることが一番いいでしょう。実際は知りませんけれど。

 

上司の愚痴を同僚と吐き出し合うために利用される場所も居酒屋です。

上司の愚痴を話すために同僚とスポーツジムに行った』なんてお話は聞いたことがありません。

 

たばこを吸うことも、ギャンブルに興じることも、20歳を超えないと許されません。

20歳というボーダーは、職に就けるかどうかのラインでもあると言えるのではないでしょうか。もちろん正確には違いますよ。

 

このストレスを感じる『社会』というものに押し込め、その世界で生かすためにコーヒーやお酒や甘いものという嗜好品がこれだけ隆盛しているのではないか、そう感じ考える次第です。

端的に言えば『嗜好品がストレスのはけ口になっている』ということですね。

途端に陳腐。

 

 

嗜好品だけではない

しかし、ストレスが潤滑剤になるものはなにも嗜好品だけではありません。

 

わたしは音樂や本などが好きです。

 

それらやほかの『娯樂』というものも、ストレスが購買を促すと感じています。

 

わたしが音樂を聴くのは、世間の醜さから身を護り防ぐためや世間で疲弊した心を癒すためでもあります。

 

これをストレスを吐き出すためと言わず、なんと言うのでしょうか。

 

 

他にもストレスが購買を促すものはあります。

映画もそうですし、釣りやキャンプ、スポーツなどのあらゆる娯楽もそうでしょう。

 

 

資本主義を動かすのは民のストレス?

今の日本は資本主義が支配しています。

その資本主義社会という歯車を回しているのは民で、その民が貯めたガスを放出するのが『娯楽(嗜好品)』で、その『娯楽』が歯車を滑らかに動かすための潤滑剤になっている。

 

ブラック企業なんて言葉が日の目を浴びるようになって久しいですが、そう行った就労システムが跋扈するのもそりゃあ納得ですね。

民のストレスや苦悩自体が社会の繁栄へと反映されるのですから。

 

民のストレスが外食産業を潤したり、多岐にわたる娯楽の世界を潤す。

その潤した世界にも個々のストレスが存在していて、その個々のストレスも、他の世界の潤滑剤になって潤している。

 

うーん、なんだかフラクタル模様を見ているような感じ。

 

 

いや?そう考えると資本主義だけと断定はできないかも?

社会というものを回すもの自体が民で、そのストレス。

その、ストレスというものがあるために、社会が健康(ひどい皮肉)に稼働する。

 

ん?それならば『社会とはストレス』ということになるのか?

そんなはずはないと思うけど、そう考えると恐ろしすぎるな。

 

 

 

考えていると途方もないですね。

そりゃあ他の民のみなさんが考える事を放棄したくなるのもわかる。

わたしは放棄しませんけれど( ¨̮ )

 

 

 

最近めっきり寒くなりましたね( ¨̮ )

 

 

 

 

最初に貼ったロマネスコの写真、集合恐怖症の方にはきついものがあるかもなぁ。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )