頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

正しい日本語を使えよ。

 

正しい日本語ってなんだよ。

 

 

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

最近の方は「かと思います」という文章の締めを「かと」や「かな、と」に省略しています。

正直そうしている方はめちゃくちゃ多いのですが、わたしとしては非常に氣になります。

 

「"かと"。かとなに? 『〜かと』でどうしたの?思ったの?じゃあ『かと思いました』って言えよ」と思います。

おそらく他者の多くが使っているから用法として間違いではないのだろう、と思って多数の方がそういった文章の締めを書いているのでしょうが、単純に用法として間違っていると感じます。

『どうだったか』を表現していないのだから。

 

 

あとこれに限っては超個人的な見解になりますが、「この問題に対しての最善の対策法はA案かと思います」ではなく「この問題に対しての最善の対策法はA案かと」と書いているのは、非常に冷淡で不親切、行儀が悪いように感じられます。

 

以前にも書いたかもしれませんが、文章の締めを「かと」にしていると、『言い切り感』を強く感じるんですよね。

「わたしはこう思いました。他人の意見は求めていません」みたいな感覺です。

相手と対話しようとする氣あんの?と思ってしまいます。

 

このブログも似たようなもんじゃん。

 

 

 

あと他に氣にくわないのは「◯◯をしているテイ」というのを『テイ』と書くことです。

おそらくは「体裁」を省略しているのでしょうが、それならば「◯◯をしている体」と書かなければいけないと思います。確か昔はそう書かれていました。

体裁という言葉を存じない方に対しての配慮なのかもしれないですが、それならば、体裁という言葉とその意味を知ってもらえばいいだけの話ではないでしょうか。

わたしはそう思います。

 

低きになんでも合わせていたら、コロニーは縮小・崩壊してしまう。

「身体的な理由で特定の行動を行えない」というのならばどうしようもないので、そういったハンデを抱えた方への対応、そういった方々も無理を覺えることのない対応を考えないといけませんが、言語能力はいくらでも鍛えれられます。

 

これは『身体的なハンデを抱えた方=低き』としているわけでは決してありません。

 

 

正しい意味と使い方すら知らないのに、アレンジしちゃダメでしょう。

歌舞伎の型破りと型無しの話みたいになってんな。

 

あと非常に理想論者の意見だな。

現時点では理想論だとしても、理想を発言することは必要。重要。

 

 

 

なぜわたしがこんなに不快を感じるかと言うと、その間違った用法を使い続けていると子の世代孫の世代を生きる子達が、正しい言葉を知ることなく間違った状態で知り使ってしまうからです。

言葉というのは発言したその人自身の心ですので、間違った言葉を使っていると、発言している人自身の心もおかしな方へと引っ張られていくと考えられます。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

しかし、『正しい言葉』ってなに?

 

言葉なんて随時流転している猫みたいな液体か氣体じみた考えだし、以前にも書いたように一時的に流行った言葉は結構残酷に淘汰されて十年後二十年後とかには聞くことがなくなります。

一種の真理を含んだ言葉は何十年何百年と経とうが残ります。

わたしが色々と口うるさく言う必要はないのかも。

 

むしろそれまでの表現に固執しているわたしのほうが、新しい価値観に馴染めず淘汰される方かも?

自然の摂理\(´-`)/

Providence of the nature\(´-`)/

 

 

まず正しい言葉を用いる人は、自然と自らの意思で勉強して身につけるからあまり心配しなくてもいいのかもしれませんしね( ¨̮ )

 

 

 

すげーめんどくさい頑固ジジイの説教みたい。

実際頑固ジジイになりそうだし、もうなってる氣も\(´-`)/

 

ありがとうございました\(´-`)/