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事件に対しての個人的な見解
2021年の10月31日に、東京の京王線でテロ行為に等しい事件があったそうですね。
その日は選挙の投票日でした。たまたまテレビをつけた時に、その事件の速報が流れていました。
その時の報道内容は「京王線内でナイフを持った男が車内に火をつけた。その男はジョーカーの格好をしていた。男は確保済みである」みたいなものだったと思います。
この報道に対して、わたしが思ったことは、
『そりゃあそういったことをするアホもいるだろうな。しかし、ジョーカーというキャラクターのネームバリューを隠れ蓑にしないと犯行することができないのか、下手人は卑怯者極まりないな。その人の生い立ちがどうかは知らないからなんとも言うことはできないが、誰かが作ったアイデアを使わないと行動一つ取れないのは卑怯者でしかない』ということ。
そして『「ジョーカーの格好をしていた」という情報は必要なくないか?下手人が逃走中であるならば必要だけど、確保された時点での報道だろ?確保済みであるならば、わざわざ下手人の格好を報道する必要はない。ジョーカーやバットマンというコンテンツに対してネガティヴキャンペーンをしようとしているようにしか思えない』ということです。
しかし、そんなことよりもわたしが不満を感じるのは、その犯罪に対しての大衆の反応です。
『猟奇犯の発生、再発を防ぐことが現実的と思います』
だから?
それを考えることが必要なんじゃねえの?
下手人の生い立ちや、「一般の人」が「下手人」へ変わった経緯、下手人になるきっかけの出来事・原因、を究明して改善しないといけないんじゃないの?
『事件を生む、その原因』
「じゃあその原因ってなんなのさ」
そんな声が聞こえてきそうですので、リスト化しました。
あくまで、わたし個人が思う『犯罪が発生する原因』です。
- 自己責任型の価値観
- 過度な弱肉強食思想
- 『モテること』に対しての強迫観念
- 評価主義
- 優生思想
『自己責任型の価値観』
これは、例えばリストラをされた人がいたとして「でもリストラされたってことはあなたの働きが悪かったってことじゃないの?もっと頑張っていたらリストラなんてされなかったんじゃない?結局リストラされたのはあなたの頑張りが足らなかったことが理由。自業自得です。そんなに嫌だったのなら、どうしてその企業に就職したの?それは自己責任の話じゃない?」と言うようなものです。少し過激ですがね。
その『自己責任論』がまかり通るのなら、「通り魔にあったって嘆いているけど、その道を歩かなければよかっただけの話じゃん。自業自得」という理論も成立することになります。生産性がない。負のループ。
『自己責任論』は、当事者が一人で"なんとか"溜飲を下げるためには有用とは思いますが、この考え方を「部外者の他者」が言ってはいけません。絶対に。絶対にです。
一切、心理的サポートにはなりません。
『過度な弱肉強食思想』
「弱肉強食という価値観」それ自体は、一つの真理です。
しかし、それが適応されるのはあくまで「特定の空間」においてのみであり、全ての事象に適応されるものではない。
考えるのが面倒だからってなんでも一色に当てはめようとするんじゃねえ。
『「モテること」に対しての強迫観念』
正直なところ、これが一番の原因だと感じています。
ですが、 これが生物という存在の超原始的な生理欲求に直接リンクしているからタチが悪い。
この強迫観念が肥大しすぎるから、「モテない自分には価値がない」とかそういったしょうもないことに悩み、とらわれる。バカじゃねえかと思います。
お前は今を存在している以上、価値があるから存在してるんだよ。脳だけで考えた他人の嘘っぱちの価値観に囚われるな。
お前自体を、お前自身を誇れ。お前自身で考えろ。
ばかやろうが。
『評価主義』
義務教育は評価主義の温床です。
というより、義務教育の期間は「評価主義」という染脳を施し、その寄生虫を植え付けるための機関ですね。
學校ではテストに点数がつけられ、それを元に順位表が作られる。それを子ども達が見て、自分の位置はどこかと戰々恐々とし、不安になったり安堵したりする。
行き着く末は相互監視の疑心暗鬼です。
そして、評価を下す人間に対しての媚びとご機嫌とりをするマシンへなってしまう。
権威のある人間には媚びへつらい、"自分より下"と認識した人間はぞんざいに対応する。
猟奇犯が自分より弱い立場の人(に見える人)を決まって襲うのは、この評価主義が助長していると思います。
しかも、この悪魔的な評価主義を親さえも行なっている場合があるから始末がおけない。
きょうだい間で「お兄ちゃんてんでダメなのに、◯◯は本当に良い子だね」みたいな。そりゃあそんな接し方をされた子どもたちは歪みますよ。当然です。
まぁ親も「評価主義が良い」という教育(染脳)をされて育ってきたから、仕方ないという側面はあるのですけれどね。
しかしその評価教育がいいのか、それを自分の頭で考えていたら違うだろうとも思う。
『優生思想』
これは『評価主義』の進化形みたいな感じに思っております。
優生思想というのは、端的に言えば「"優れた種・個体のみが後世に残るべき"という価値基準」で、この『優れた種・優れた個体』という考え方は評価主義に他なりません。
『やまゆり園の事件』ではこの優生思想が元になったと言われています。
この優勢思想が行き過ぎると、種の存続自体が危ぶまれます。
最初は100あったものを、優生思想を基に『優れた個体』だけにしました。100→50
すると、残った個体の中でより優れた個体だけにしましょうという流れになります。50→30
以下同じ流れになり、種の個体自体が目減りする一途を辿るのです。
また、優生種のみで交配した結果、将来的に血が濃くなるという危険性も孕みます。
デザイナーズベイビーばかりの未来も考えられますしね。
『優生種』という考え方は、『劣生種という見方がされるもの』がいるから存在できているという事実に目が向いていないのではないかと思います。
劣生種も優生種も肯定されたから存在してんだよ。脳だけで考えてんじゃねえよ、バカ供よ。
『原因』を改善、是正した場合はどうなるか。
さて、ではその原因らを是正した場合はどうなるか。それを考えていきましょう。
〈『モテること』に対しての強迫観念・評価主義・優生思想〉これらを助長していると(わたし個人が)感じている「バレンタイン産業」を廃止しましょうという案が立ち上がったとして、その案が可決された場合にはバレンタイン時期を稼ぎ時期にしているお菓子業界や製菓産業には大きな打撃になります。
「ちょっとまってくれよ、こっちには多くの従業員も抱えているんだ」と各企業は思うでしょうし、実際にバレンタイン産業を廃止したら、リストラも増えるでしょう。
それを原因に生活がうまく行かなくなる家庭も多く発生します。その結果、國家として縮小してしまう可能性も多く発生してしまうでしょう。
もちろん、そのリストラを理由に「新しい下手人」が誕生することもあるでしょう。
他にも『モテ〇〇』で利益を上げている雑誌などの出版業や、その出版業に資本しているアパレル産業も業績が傾くでしょう。
こういった理由や『他の原因』で儲けている業種が他にも多くいるのでしょう。
そういった多くの産業が縮小してしまうので、絶対に根本の原因を是正改善はしないのです。
つまりは、猟奇犯罪を起こす人がいなくなることはありえない。ということですね。
少なくとも、原因を改善しない限りはね。
定期的に現れる猟奇犯罪というのは、現代社会で"表出した膿"を拭っているだけに過ぎないのです。
言うなれば、今の社会は『せっせと悪感情を栽培し、引き起こされた犯罪を収穫している』というような状況になります。
つまり、"今のままの社会体系を続けている限り"猟奇犯罪がなくなることはありえません。
てめえの頭で考えろ
絶望的な結論でしたでしょうか?
でもこれが実際のところでしょう。
でもさ、この程度のことちょっと考えりゃ思い至るだろ?
本当にお前自身の頭で考えてる?
『鬼滅の刃』では今書いたようなことが描かれていたはずでしょう?なにを読んでたの?
テレビばっかり他人の脳にばっかりに影響されて、他人の言葉を自分の言葉みたいに言ってんじゃねえ。
引用をするなら、「これは誰それが言ってたことの引用なんだけど」と枕詞をつけろ。
お前の中に入れて考えていないことなんて、発言したところで薄っぺらくてすぐにバレるぞ。その結果は軽蔑されるだけ。
はたしてわたしは…?
「バカばっかだ全く」
本当に大衆にはバカしかいないのか?
義務教育の優等生みたいなガキ臭い意見なんて聞いてないんだよ。
『どうして発生したか』、『発生するに至った経緯は』、『再発を防ぐためには、その具体案』を言えよ。てめえの口で。
誰でも言えるようなあまちゃんな考えを発言した程度でいい氣になってんじゃねえぞ?
ガキ臭い優等生みたいな意見だけを言って具体例を言わないのなら、それは政治家と政治に対して文句は言うが投票にいかない人間と同じです。不能。
あんまりこういったことは考えてこなかったし、考えないようにしていたけど、世に多くいる大衆ってのは、わたしが思っているよりも遥かに知能が低いの?
しかし、この『大衆はバカしかいない』という意識は、持つだけでも非常に危険ですし肥大化すると本当に危ないので、上手に消化していかないといけない。
まず、わたしが『バカ』と評している人から見れば、わたしこそ『バカ』に見えていたりするのでしょうからね。
あと、どうしてもヒトというものは「自分が理解できないこと(もの・考え)=バカ・頭が悪い(頭がおかしい)」と考えがちにあると思いました。
犯罪を起こした方の思考回路が理解できない(しようとすらしていない場合もあり)から、一緒くたに『バカ』や『頭のおかしい』と評価・認識する。
これは、どこか「自分と違う人間である」と思いたい"無意識"が関係しているのではないかと思います。
『自分とは違う』と思ったら、犯行動機なんて知っても理解する必要がありませんからね。
実際わたしにもこの思考システムは強くある。自分が考えられていることは他者にも思考可能と考えており、それを思い至れない方のことを『頭が悪い』と認識している。
これは非常に危険ですよ。
そして、わたしもわたし自身に対して好ましくない事象を拡大して見ようとしている。
『義務教育の優等生』みたいな意見はそれはそれで少数派ですからね。もうちょっと考えている人の方がはるかに多い。
なんで面も知らない人間に対してイライラしてんだよ、わたしは。
バカじゃねえの。全く。
最後に、今回の事件を実行された方は自分一人でも愉しめる趣味があれば違ったんだろうなと思います。
樂器とか、裁縫とか、陶芸とか、彫刻とか。
そういった『自分一人でも行えるフラストレーションを発散する手段』を一つでも持つことができていたなら、現実は違ったのではないかと思います。
それが残念でならない。
その『仲間や友人がいること=いいこと』とした社会も問題だな。
やはり少年ジャンプは悪。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました( ¨̮ )