頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

guchidesu

 

わからない。

 

 

どうも、本日もご訪問いただきましてありがとうございます。

 

この記事は愚痴由来のものになっていますので、愚痴が苦手な方はお控えください。

 

それでは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやぁ、わからない。

 

何がわからないかわかりますか?

 

いや、わかるはずがありませんよね。ヒントすらないのですからね。

 

スーパーマーケットというお店があります。

 

このお店は、日々摂取する生鮮食品を豊富に取り扱っています。

 

このお店で購入活動をすると、購入したものは自身のものにすることができます。

 

この物々交換は『貨幣という概念』が大衆らが思い込み、染み込んでいるため、ですが、今回のお話には一切関係しないので割愛しますね。

 

スーパーマーケットで購入活動をすると、会計場所の近くにある台で袋詰めをする必要があります。自身の家に持ち帰らなければいけませんからね。

 

この袋詰めは購入者が自分で行わねばいけません。

 

この時に『わからない』がいつも発生します。

 

会計を済ました時に、購入した商品は買い物かごに入れられます。

 

この買い物かごは、ほとんどが長方形の形をしています。

 

長辺を自分の体側に向けたら、横向き。短辺を自分の体側に向けたら、縦向きです。

 

この向きを「横向きで置いて袋詰めをしている人がほとんど」なのですが、これが、わかりません。

 

縦向きにかごを置いて、袋詰めをした方が明らかにスペースはコンパクトにできます。

 

最大で10人が袋詰めできる台があった場合に、全員が横向きで袋詰めをしたとしたら、6、7人で台は定員になるでしょう。

 

つまり、本来ならば待つことのなかった人が確実に3人以上発生するわけです。

 

わからない。全くわからない。

 

どうして『かごを縦に置いたら、ほかの人も袋詰めできる』と思わないのだろう?

 

わたしとしては、「かごを縦に置けばより多くの人が袋詰めをできるな」というようなことは、本当に『"ちょっと考えればこれくらいすぐわかる"程度』なのですが、もしかしたら、やっぱり、世の多くの大衆というのは、そういったことすら思い至らないのでしょうか?

 

やっぱり大衆というものたちは、わたしが思っている以上に"アホ"で、"バカ"なのだろうか。

 

全体を見る能力さえあれば、袋詰めの時にどう身をこなすのが適切なのか、は分かるはずです。

 

この〈袋詰めの例〉が、大局的に物事を見ることに寄与するのかどうかとかは、知らねーんですが、少なくとも〈袋詰めの例〉のような視点(自分すらを俯瞰的に見ること)を養うことは大事であると思います。

 

癖づけることで、どんな事象に対してもマクロの視点で考えることができ、常に一枚冷静に判断することが可能ですからね。

 

いや、もちろん『自分を俯瞰的に見たいから俯瞰的に見れていると思っているだけ』という願望の可能性も、大ぉぉぉぉぉいにあるわけなんですけどね。

 

本ブログをいつもお読みいただいている皆様におきましては、ご承知のことであったかと思いますが、今一度スーパーマーケットに赴いた際には袋詰めの様をご確認していただければと思います。

 

MAJIでほとんどの人が『横向きで置いて』いますので。

 

いやぁ、わからない。

 

 

 

ありがとうございました。