本日もご訪問ありがとうございます。
この間友人二人と会いました。
双方ともわたしと同い年のアラウンド30menです。
三人で会うのも一年半ぶりという感じだったのですが、その経た時間とは関係なく話すことはいつも同じです。
その場にいる全員は高校時代の友人なのですが、その友人一人がこんなことを話します。
「俺たちもう高校卒業して十年経つんだぜ」
もうそんなか〜、まぁ確かに妥当かなぁ。
と思った次第ですが、Around三十になると目立つことがあります。
それは、思い出話。
あの時どうだった、や、あの時はどうだった、や、あの時にどうだった、などです。
「もう高校卒業して十年経つんだぜ」と言った友人は過去の写真を見返します。
その写真群には当然、若かりし頃のわたしも写っているのですが、なんとも若い。青い。
過去ひっくるめて今の自分なので受け入れてはいますが、恥ずかしい限りです。
しかし思い出話や昔話が多くなる。これこそ老化というものなのだろうな、と思いました。
あと感じたのは、『共通言語での話が多くなる』です。
コミュニティ内での会話なのだから当然だろう、と思われるでしょう。
しかし、ここにおいての共通言語というのは『その当時にはやっていた漫画や音樂などの娯楽』です。"時代性"とかとも言えそうですね。
「オモコロチャンネル」というYouTubeプログラムがなんともアホで好きなので、最近よく見ているのですが、そこのメンバーさんたちが大体OVER30なのですね。
その方々が話す例えとかが、まぁわからん。
少年ジャンプというのは、ある程度は広い範囲の共通言語ですが、その中にも世代というものが出てきます。
わたしの世代は中學時分に『ワンピース』や『銀魂』、『BLEACH』や『ナルト』が連載されていました。
なので、わたしはほとんど読んでいなかったものの、なんとなくはわかります。
わたしサンデー派だったしね。
ですが、このオモコロチャンネルで出てくる話は『幽遊白書』や『るろうに剣心』とか『GS美神』とかの話です。
もう全くわかりません。
そういった『その時代・世代にだけ伝わる共通言語で話をする』というのが、"老化"なのだなと感じました。
ですので『鬼滅の刃』も二十年後には「共通言語化」をしていくのでしょうね。
しかし娯楽というのはほとんどがそういったものか…。
あと話したのは『最近(自分の下の世代)の流行りがわからない』だったのですが、これに関しては、「自分が好きで造詣深いジャンルならばあんまりそうはならないのではないか」と感じます。
その友人らはゲームが好きなのですが、わたしはゲームに明るくありません。
わたしの場合はゲームに対しての素地がまず無いので例として意味なしではありますが、流行りのゲームなんてわかりません。たぶん見たら面白みはわかるんだとおもいます。
ですが、わたしは音樂には明るい方なので、音樂の新しいものの良さはありがたいことにまだ実感します。
ですので、『最近のものはわからない』というのは、自分がそこまで興味のないジャンルであるから、なのではないかなと思う次第です。
でも『新旧関係なく良いものは良い』という価値観も『旧譜の良質な名盤と積極的に触れてきたから』養われたものでもあるのかしら?
だとしたら『新旧関係なく良いものは良い』という価値観を得ることができたのも、特殊的で、ある種特別なことではあるのか?
自負はいけないので頭を垂れていましょう。
若い世代も良いものを作ってるぜ!
偉そう!
ごめんなさい!
でも大人もかっこいい!
かっこいい大人を知る機会があったのは、純度100%で本当に有り難いばかり。
何度も話しているのでもう飽きたかもしれませんが、脳は自と他の区別がつかないらしいので、「あんな風にだけはなりたくない」とは思っちゃだめですよ。
『嫌だったその人』を考えるたびに、脳が勘違いして『自分もその嫌だったその人になっていく』そうですからね。
ですので『嫌だったあの人の記憶』を反芻するのではなく『かっこよくて尊敬できるあの人の記憶』をリバイバルしましょう。
あ、『同じことを繰り返し話す」ってのも老化だ。
『かっこいいと思うことができる年長者』と出会うことができたのは感謝しかありません。
ありがとうございました( ¨̮ )