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今回は12/05に放送された第一話の感想を書きます。
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さて、物語は煉獄さんの死から始まります。
炭次郎は煉獄さんから預かった言葉を渡すために、煉獄家に出向きます。
この時に煉獄さんのお父さんが死んだ杏寿郎のことを悪く言いますが、あれは悲しさの裏返しであるのでしょうと思います。
自身も元柱であるため、同僚の隊士や、他の柱の継子が鬼に討たれる状況も多く見たはずです。
だから、なるべく我が子には隊士になってほしくはなかったけど、柱である以上は継子を迎えて、鬼殺隊を次に繋げなければいけない。
苦肉の選択であったのだろうと思います。
なので煉獄さんが柱になったことをお父さんに報告した時も「くだらない」と言い放ったのでしょう。
子が柱になったら、新しい継子を向かえなければいけない。
それはきっと弟の千寿郎くんになるだろう。
もし杏寿郎も千寿郎も隊士になったら、我が子が二人とも死にかねない。煉獄さんのお父さんはそれを恐れたのではないかと感じます。
ですので、千寿郎くんが隊士になることを諦めたことは、ある意味合いでは、お父さんの願いが叶ったと言えるのかもしれません。
全てにおいての幸せな帰結とは言えないと思いますけどね。
炭次郎の『柱に頭突きをする』ことはトレードマークなの?
『ひの呼吸』が『日』のことなのは誰にでもわかることですが、煉獄さんのお父さんが言っていた「日の呼吸は"始まりの呼吸"。火も水も風も全てが始まりの呼吸の劣化版だ」というのは、お父さんの曲解?で、『日(太陽)があるからこそ、火も水も風も存在することができる。礎(始まり)の呼吸』ということなのではないかと感じます。
ですが、「日が無けりゃお前ら存在できてないんだぞ」みたいに言う人がいたりもするんだろうし、そう考えることもできるよね、とも思います。
またこの作品は『家系』が重要になってくるんじゃないかと感じます。
主人公の炭次郎は代々が炭焼き職人の家系ですし、煉獄さんは代々炎の呼吸の家系のようです。
遊郭編でメインになると思しき〈音柱〉宇髄天元氏は代々が忍びの家系と自身が明かしています。
それに対して鬼側はボスである鬼舞辻無惨が『血を分け与えは』しますが、肉体的な血の繋がりではありません。
言うなれば『特定の目的のためだけに集っている』みたいな感じです。
まぁどっちにしろ戰後の企業的ということですね。
あと鬼殺隊も『目的のために集っている』ので同じようなものとも言えますが、それぞれの違いは鬼の側は何がどうなろうと『パワハラ的で超絶ブラック』ということですね。
また遊郭編第一話の物語冒頭に描かれていたように、鬼側は『養子の文化』が基本の形と成っています。
それに対して人間側は『家系の文化』です。
ですので、これからの物語運びは、この『家系』が重要になってくるのじゃないかな、と感じた次第です。
さて、この推察はどこまで合っているのか。
「人には人の事情があるんだから、無神経に色々突き回さないでいただきたい!」と炭次郎が宇髄天元氏に対して言いますが、これは作者である吾峠呼世晴さんの願いでしょうね。
快氣一発目の任務で鬼と対峙した炭次郎が「覺悟してくれ。申し訳ないけど」と言っていて「これこれ〜!慈悲と慈愛の作品〜!」と思いました。
鬼に対しても愛があって良いですね。
人にも、鬼になった人にも事情があるんだから、ということです。だからこそこの作品は素敵。
ありがとうございました( ¨̮ )
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