頭の中の洪水

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鬼滅の刃 遊郭編 第二話『遊郭潜入』感想・考察

 

本日もご訪問ありがとうございます。

今回は「鬼滅の刃 遊郭編」の第二話『遊郭潜入』の感想です( ¨̮ )

 

👇 第一話の感想はこちら👇

floodinhead.hatenablog.com

 

 

宇髄天元さんは体癖五種っぽいと思う。

今回はギャグ要素の多い回でしたね。

まぁシリアス長編回でも、最初はギャグ多めでキャッチーにするというのはセオリーですね。

本編の上司となる宇髄天元さんのボケから始まります。

 

 

この上司の言っていること(俺は神だ!)って、ともすれば鬼側の主張とも通ずるために『どうなのかしら』とも思うのですが、その上司の主張であっても「何言ってんのこいつ…、やべえやつじゃん」と部下が冷静でいるために安心しました。

主張が同じであっても『自分の上司であるという理由だけで是とする』というような場合がありますからね。よくないです。

 

わたしとしてはこの宇髄天元という人は、体癖でみたら五種っぽいなととても思います。

しかし、『より派手に!目立ちたい!』という性格的に三種や、ねじれっぽいなとも思います。

あとネイルがうぐいす色と小豆色とで互い違いに塗られているのがセンスいいです。

 

 

遊郭。その舞台背景と、搾取に対しての怒り

さて、今回は遊郭に潜入するお話が描かれます。

 

遊郭

 

そう。遊郭なのです。

 

遊郭というのは、とってもとってもマイルドに表現すれば『キャバクラ』、そのままを表現すれば『性風俗』です。

遊郭を子どもにどう説明するのか』というタイトルのネット記事をこの間(タイトルだけ)見ました。

 

そりゃあ実態は性風俗ですからね。

確かに親としてはあまり教えたい世界ではないと思います。

 

しかしです。

その『隠されていたこと』や『隠したい』という同調に対しての、怒り。

作者の吾峠呼世晴さんは『隠そうとしている同調圧力』についての怒りを、その感じていた怒りを表現したかったのではないかと思います。

 

少年ジャンプが助長させた『女性の身体的性的搾取』

少年ジャンプに掲載されている作品は『女性的な身体特徴を強調したキャラクター』がとても多く登場します。

そういったキャラクターを登場させないと連載できないみたいなノルマでもあんのか、と思ってしまうほどに多いです。

 

といっても、この『鬼滅の刃』にも恋柱の甘露寺蜜璃さんや、那田蜘蛛山編で母親の役をしていた女性の鬼も、『女性的な身体特徴を強調したキャラクター』です。

今回の『遊郭編』に登場するくノ一のコスチュームもそうですからね。

これは少年ジャンプで掲載する(主張や想いを知ってもらうことやリターン)においての『妥協』なのだろうとわたしは思っています。

 

それはそれとして。

 

そういった『女性的な身体特徴』をうわべだけ搾取して成長した少年ジャンプですが、性風俗のような実体は描いていなかったように思います。

"わざと"描かなかったようにも思えます。

その『うわべだけの女性搾取』をして、またそういった価値観を是と肯定し、助長した少年ジャンプに対しての怒りがあったのではないか?と思うのです。妄想ですけどね。少年ジャンプの作品ってほとんど知らないし。

 

個人的に胸が大きかったり、過度にお肌を露出しているキャラクターが登場するとバカの一つ覺えみたいで萎えます。

もういいから、そういうの。と思ってしまいます。

あくまで個人的な氣持ちです( ¨̮ )

 

 

善逸と兄弟子

遊郭に潜入した善逸が三味線を弾きこなすシーンがあります。

そこで先輩の遊女に「自分を棄てた男を見返してやろうという氣概を感じる。そんな子は強い」と言われ、善逸自身も「宇髄め!!」と怒りに燃えますが、これって善逸の兄弟子との関係も示唆しているんじゃないかなと思いました。

桃を食べながら善逸に桃を投げぶつけていた人ですね。

 

あと、善逸は音に敏感な人物として描かれていますが、この音に敏感というのと『音柱』である宇髄天元さんは、なんだかんだで相性が良いんじゃないか、バディ的になって共闘するんじゃないか、と思ったりしました。

 

 

生への身体性

遊郭に潜入した伊之助が、屋敷を歩きながら『こんなもの(着物)着てたら感覺が鈍って仕方ねえ』とぼやくシーンがあります。

 

この時に思ったのですが、炭次郎は"匂いに敏感なこと"・善逸は"音に敏感なこと"・伊之助は"肌感覺のセンサーが敏感なこと"をパーソナルな特徴・強みにしています。

この『匂い・音・肌感覺』というのは、生き、生を送るにおいて非常に重要になってくる要素です。

野性味とも表現できる部分ですが、その三つの要素が上手く機能していないと、野生の世界ではすぐさま命を落とすことになりかねません。

 

つまり、『野生=生』ということです。

"生"は隊士を含めた『生命たる人間側の価値観』です。

そういった『生の特徴』がパーソナルに置かれているキャラクターが人間側に描かれていて、鬼には描かれていないというのは何か意図があるのかな、と思いました。

妄想です。

 

 

着物の帯

エンディングの映像で、『数多くの着物の帯が風に舞っている』という情景が描かれています。

やたらと帯が描かれているので、なにか意味があるのかしら?でも遊郭編の鬼が帯を使って攻撃するキャラクターのようだから、単純にそれでかも?と思いました。

 

ですが、帯というのは着物を留めるために用いるものです。

その帯は『遊女を遊郭に縛っておくための枷』とも捉えることができます。

 

風に舞っている帯は『華やかで綺麗、可愛くて絢爛な模様』のものがほとんどのように見受けられます。

絢爛な帯は「晴れのもの」で、遊女が着用していたものだと思われます。

良いとこの貴族やお姫様でない限り、晴れの帯を普段使いできないでしょう。

 

そんな帯が風に舞っているということは、遊郭に囚われ枷を付けられた遊女の解放を表現しているのではないか、と感じました。

 

物語本編で少し触れられていますが、借金苦で売られた女性や、貧しさのために親に売られた女性が集まっています。

実際に『お金を欲しいがためだけに実の娘や親戚を遊郭に売った』ということもあったらしいですからね。

 

売られたまま、遊女として売れることができず十何年、何十年と遊郭にいるような女性もいたのでしょう。

そう行った状況を考えると、『遊女は遊郭に囚われている』と解釈することができますし、その遊郭に縛っておく着物の帯が風に舞うことで、遊郭に囚われた女性を解放する、解放したいという願いが込められているのでは?と思うこともできます。

 

これは妄想ではありますが、不本意性風俗で働くしかなかった女性たちは解放されてほしいですし、そういった方々の辛苦が少しでも早く解消されてほしいと思います。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

 

👇👇第三話👇👇

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