本日もご訪問ありがとうございます。
『推し』
そう表現されるようになってしばらくが経ちました。
『推し』
ただいま、『はてなブロガー各々が好きな推しへの愛を語る』という特別お題キャンペーンを開催しているそうですね。
そんな「『推し』の魅力を伝えませんか?」という呼び込み文句を見て、その時に初めて思ったことがあります。
それまで考えもしなかったこと。
それは『ファン呼び』と『推し呼び』の違いです。
『推し呼び』は十数年前に某アイドルグループがキャバクラのパネル指名よろしく考案した投票型の価値観です。
それまでは『ファン呼び』が一般的でした。
今でも『ファン呼び』は存在しますが、『推し』という概念が大衆に浸透した今、『推し呼び』の方がポピュラーになっています。
わたしが面白いと思ったのは、主軸がどちらにあるかです。
「○○のファンです」と言う場合は『主軸は〇〇であるその人』にあります。
ですが「推しは〇〇です」という場合は、『主軸が自分』なのです。
『〇〇のファンです』と言う場合は、自分はファンであるその対象の人を追随する形(決定権が相手にある感じ?)で、つまりは主軸が相手なのですが、『推しは〇〇です』と言う場合は主軸が自分で、「自分が主導権を持っている印象」を受けます。
『キャバクラか性風俗のパネル指名よろしく』と揶揄をいたしました通りですが、『指名する(=評価する)』という行為自体が、『それをする人間に主導権がある』ので、『推し呼びは主導権が自分にある』と感じるのも納得とも言えそうです。
これは行き過ぎたら『自分が応援してやっている』というような『お客様意識』に進化しかねないと思われますので、油断は禁物だと感じます。
まぁ、実際のところは知らないけど( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )