頭の中の洪水

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鬼滅の刃 遊郭編 第八話『集結』感想・考察

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回は「鬼滅の刃 遊郭編」の第八話『集結』の感想・考察です。

 

👇 第七話の感想👇

floodinhead.hatenablog.com

 

 

前回の考察で『竈門家兄妹と、堕姫・妓夫太郎兄妹は陰陽関係で同じ』と書きましたが、"ギャン泣き"する様も〈同じ要素を持っている〉ことの説明になっていたんですね。

 

 

鬼はひきこもり

妓夫太郎さんが宇髄さんを見て「お前は生まれた時から才能に恵まれて、選ばれた存在だったのだな」と妬みます。

この時に思ったのですが、鬼側は引きこもりなんでしょうね。

 

日光を浴びると死んでしまうことから考えても、夜中にしか活動できません。

 

宇髄さんが「いくら生きても一つの場所に籠ってるままじゃ世間知らずなのも仕方ねえ」と鬼を煽ります。

これはインターネットからでしか世界を見ない引きこもりにも対応する批判です。

 

いやまぁ知りませんけれどね。

 

 

宇髄さんの弟さんの容姿が描かれます。

その目が『壊れたもの』だったのは、弟さんが父の意見を複写するだけで、自分の意見がない(本人は『自分の意見』と思っているでしょうが、その実は人から植え付けられた意見であるという)存在だったからなのでしょうか。

目の描き方としては宇髄さんも同じですが、宇髄さんの方が瞳の中心を暗く描いています。

 

思い返せば、鬼滅のキャラクターたちは目に"星"が書き込まれていないキャラクターの方が多いです。

漫画的表現において目に星を描き入れることで『生きた目』にすることができますが、この『鬼滅の刃』においては一部の女性キャラクターのみにしか星は描かれていません。

 

そういったことから鬼滅の登場人物はPTSDの人が多いのではないか、と以前書いたのですが、 PTSDの度合いや機械度みたいなのが、瞳の視覺的な暗さなのか?と感じた次第です。

 

毒親問題

善逸が堕姫ちゃんへ刃を向けます。

これはとても意外でした。

善逸は女の子大好きですからね。

 

「あら」と、そんな思っていたら、善逸は口を開きます。

「耳を引っ張って怪我をさせた子に謝れ。たとえ君が稼いだ金で、衣食住を与えていたのだとしても、あの子たちは君の所有物じゃない何をしても許されるわけじゃない

 

あっ、そういえば怒っていたよね。

それとともに、これはこの世の毒親問題や『誰が養ってやってると思ってるんだ』という『詭弁』のことを言っているのでしょう。

至極もっともです。

 

親だからという理由で、子どもの自由と意思を剥奪してはいけない。

 

 

この『子は親の所有物』という感覺・価値観は、宇髄さんの親もしていたことですよね。

その結果、宇髄さんの弟さんはお父さんの複写になってしまったわけですから。

しかし宇髄さんは忍びの出身だから、一言に『親からの価値観』と言って捨てるのはちと違うのかも?

 

しかし、この価値観に未だ囚われている民は多い。

おそらくは〈子は親の所有物という価値観で育てられた〉からだというのと、〈その価値観が間違っていたと認めると、過去の自分を否定することにもなりえる〉から、よくないとわかっていても自分の氣持ちを無視する、といった仕組みでしょう。

悲しいです。

 

 

真っ当な説教をする善逸に対し、堕姫ちゃんは「花街では女は商品なんだ。ものと一緒で売ったり買ったり、壊してもいい。持ち主がなんでもしていい」と反論します。

まぁ、花街で生きてきた側からするとそれが〈常識〉なのでしょうが、コミュニティ自体が病的であることは変わりない。

 

特定のコミュニティで生きるにおいて一番良いのは、どれだけ病的であっても、それを飲み込んで従うことです。

この価値観に異議を唱えればコミュニティから村八分にされ、生きることすら危うい、という状況に陥る危険すらありますからね。

とはいえ、病的な価値観を受け入れて何もしないのは、〈間違っていたと認めると、過去従っていた自分がばかに思える。否定することになる〉という心理プロセスからだろうと思います。

 

『それが常識』として育ったからとはいえ、その価値観にずっと縛られたままというのはどうなのでしょうか。

単純に本人がしんどくないのか?と感じます。

 

 

現代病

「自分がされて嫌だったことは人にしてはいけない」と言う善逸に対して、鬼の兄妹は「それは違う」と反論します。

 

「人にされて嫌だったこと、苦しかったことを、人にやって返して取り立てる。自分が不幸だった分は、幸せな奴から取り立てないと取り返せない」

 

いや、実際にいますよ。こういった方は。

わたしは間違っていると思いますけどね。

 

自分がされて嫌だった同じことを、他人にもするというのは連鎖するのです。

その鎖は絶対に誰かが断たないとなりません。

ま、確かに押し付けて責任転嫁した方が樂できるのはそうなのですけどね。

 

「これは『ハンムラビ法典』だな」とちょっと思ったけど、あれは『してきたその人に同じことをやり返す』だから違いますね。

鬼が言っていることは『されて嫌だったから、他のやつにも同じ氣持ちを味あわせてやる』ということです。単純な卑劣漢ですね。

 

やっていることは『取り立て』ではなく、『搾取』だと、わたしは感じます。

卑怯者ですね。

 

 

あと余談ですが、『自分がされて嫌なことは、人にしてはいけない』のは大事ですが、それ以上に『自分がされて嬉しいことだとしても、人が同じく嬉しいと感じると限らない』というのも大事だと感じます。

 

 

とってもヒール役

堕姫ちゃんがお兄さんの妓夫太郎さんの目をサードアイにしてもらって「これがわたしの本当の力なのよ」と言います。

が、「お兄さんの力借りといて何が『わたしの本当の力』やねんアホか」と思いました。

 

遊郭編の堕姫ちゃんは蕨姫花魁の時からそうですが、徹底的にヒール役に徹していて逆に氣持ちがいいですね。

個人的にルッキズムに支配されている方が『ブサイク』に見えてしまいます。

 

 

それと炭治郎が『力を受け流せ』と言います。

合氣道?

正面からの武の衝突が西洋(大陸思想)で、受け流して相手の力を利用するのが日本ということ?いや、知りませんけどね。

 

ちょっと調べたところ、合氣道は大正末期から昭和初期に日本で創設した武術みたいですね。調べてよかった( ¨̮ )

 

 

エンディング後の大正コソコソ噂話で宇髄さんが「煉獄ならどう戰う。俺はお前の様にはできないかもしれない」と考えます。

その弱音?に対してイマジナリー煉獄さんが「俺だってお前のようにはできやしない。でも、お前の剣技は美しい」と答えます。

これは『自分を信じろ。模倣はある一定まではいいけど、模倣をしすぎるのは枷になる』ということなのかな、と感じました。

 

 

 

次回も樂しみです( ¨̮ )

 

ありがとうございました( ¨̮ )