本日もご訪問ありがとうございます。
この間はバイオハザードの新作実写映画のレビューを書きました。
書く前に他の方の感想を聞くと、わたしの感想がブレると思っていたので、ブログを書いた後に他の方の感想を見ました。
すると、なかなかの酷評でした。
まぁそれについてはどうだっていいのですが、発見したことがあります。
映画に対して『見ている部分が全く違う』ということ。
酷評している方の主な意見としては『原作とキャラクター造形が違う』というものでした。
「ゲームタイトルの映画化」となると、ゲームのファンが観に行くのは当然なのですが、そのファンとしての思い入れが強ければ強いほど映画で演出・造形されたキャラクターに違和感を感じる、それが多かったのでしょう。
正直、わたしは映画に『キャラクター性』なんて求めていませんし、どうだって良いくらいの認識でいます。
『映画としての構造やギミック、その映像に込められた暗喩や示唆』を重要視して映画(や、他の作品)を観ていますので、『キャラクター性』は割と二の次、三の次なんですよね。
これまで、わたしの感想は他者の感想と一切相容れなく、「なんでこの程度のことがわからないのか。完全にこのことを表現しているだろうに」と思うばかり(恐らくはお互いに思っていたのでしょう)だったのですが、それはこの『視点と着眼点が違う』から、引き起こされていたのでしょう。
『パラサイト 半地下の家族』は完全に〈価値観のこと〉を描いていた映画ですが、他の方は一切見えていないようでした。
とはいえ多くのゲームファンのほとんどは、登場キャラクターの魅力が好きでファンをしているのだろうと思っているので、やはりわたしがマイノリティ側なのでしょう。
この『バイオハザード:ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』に登場するウェスカーやジルに対しても、「全然原作と違うなぁ」とは思いましたが、「まぁこの作品の解釈はこうなのでしょう」と落ち着けることはできますので、個人的に全然問題にはなりませんでした。
ウェスカーに関しては『立ち姿』は〈ウェスカー然〉としていたと感じますしね。
ちなみにMBTIという性格診断テストにおいて、わたしはINFJという『提唱者』という特性らしく、この『提唱者』というキャラクターは物事などの構造を重要視するそうです。
またこの『提唱者』の特性を持つ人は、全体の1%程度しかいないそうです。
そりゃあわたしの感じたことと世間・大衆とが感じたことに齟齬が生まれますよね 笑
ありがとうございました( ¨̮ )