頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

次元大介

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

この世には次元というものがあると言われています。

 

  • 一次元、これは点(ドット)だと規定されていますね。
  • 二次元、これは線。絵などがそうです。漫画表現もそう。
  • 三次元、これは空間。今我々がいると"されている"場所も三次元らしいです。
  • お次は四次元、ドラえもんのポケットの印象が強い人が多いでしょう。三次元に時間が足されたことだと認識しています。

 

実際にはこれ以上の次元があり、11次元まではあるとかそれ以上にあるとも言われています。

 

また『2.5次元』という価値観もあります。

これはアイドルなどの『実際にいるけど画面の向こうにいる存在』を指した表現だと認識しています。

 

音は空氣を揺らすので三次元の産物でしょう。

 

 

この〈次元の考え〉なのですが、本当に?と感じる部分があります。

 

 

わたしは小説が好きでよく読みます。

小説自体は紙に印刷された文字なので二次元です。

 

ですが、小説を読むと脳内で空間が生まれて人が動き回り喋ります。

これは何次元なのでしょうか?

 

漫画を読んでも、自分の脳内で登場人物が喋った声が聞こえることもあります。

はたしてこれは何次元なのか?

 

テレビや映画などの映像が何次元なのかは存じませんが、実在の人間が動き放送されている実写作品は、何次元なのか。

仮に『映像という時点で二次元』なのだと仮定した場合、『収録するときの空間(三次元空間)』の説明はどうなるのか。

 

実写ではなくアニメーション作品だった場合はどうなのか。

作品としての出力は二次元ですが、制作は三次元の人間が手を動かして行なっているわけです。

果たして、この場合は何次元と認識するのか?

 

 

 

 

今取り沙汰されているメタ空間やVR空間・電脳空間は入ったが最後『閉じ込められる』と、『二次元に閉じ込められる』と言ったりしますが、それは絵に描かれた人が、自分で自分を消すことができないということと同じなのでしょう。

つまり、その登場人物を生かすも殺すも創作者次第ということです。

 

三次元に生きる我らが二次元に入ったら、三次元からの干渉がない限りどうすることもできない。

虐殺されるも生かされ続けるも、自分の意思が介入できないということなのでしょう。

だから次元を下げるのはいけない。

 

電脳空間が何次元なのかとかは存じないのですけれど( ¨̮ )

 

 

『運命論』という考え方があって、それは「自分が"自由意志で"決定したと思っていることでも、実は運命として決まっていたことだった。つまり"自由意志"など初めから存在していなくて、運命からは逃れられない」という考え方です。

この運命論が誠なことだとするならば、これは次元が関係しているのではないか。

今いるとされている次元よりも高い次元からの干渉が起きているのではないのか。

 

そんなように思いました( ¨̮ )

 

 

ありがとうございました\(´-`)/