本日もご訪問ありがとうございます。
前回は『言語が我々を支配している』ということを書きました。
その際に「はじめに言葉があった」という新約聖書の一節を用いたのですが、この「初めに言葉があった」という部分。
これって、『シミュレーション仮説』なのではないでしょうか?
この『シミュレーション仮説』というのは、「今いるこの世界は、実はコンピューターが設計したシミュレーションの中にあるのではないか」というものです。
映画『マトリックス』の一作目で、主人公のネオが会社員として生きていた世界がシミュレーション内の世界です。
あの映画では人間はAIに栽培されており、人間の意識や感情をエネルギーとして使っていました。
今わたしたちが生きていると"思っている"世界は、実はシミュレーションされた仮想空間で、現実世界では人間はAIに栽培されているのではないか。とは、今生きていると"疑わない"わたしたちにはわかるはずがないのですが、今回はそこが論点なのではありません。
『はじめに言葉があった』というこの一節。
この『言葉』というのは〈プログラミング〉のことなのではないのでしょうか?
今一度、新約聖書の冒頭を引用しましょう。
はじめに言葉があった。
言葉は神と共にあった。
言葉は神であった。
この言葉は、初めに神と共にあった。
万物は言葉によって成った。
成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった。
いかがでしょうか?
『万物は言葉によって成った』というのは、「プログラムされたから生まれた」と解釈することができるのではないでしょうか?
確かに、『言いようでなんとでもなる』部分でもあります。
『言葉は神であった』というのは、「プログラミングをすれば生み出すことができるので、言葉はイコール神と等しい」と解釈することもできます。
実際のところはどうなのだろうか。
『実際』というもの自体もないのかしら。
これ以上は『確証バイアス』で、自分の仮説に準ずるもの・肯定的な意見ばかりを見つけようとするだろうから、これくらいでセーブしておいた方が利口でしょう( ´・◡・`)
もし、この『はじめに言葉があった、の"言葉"はプログラム』という仮説が本当だったとして、だとしたら、メタバースも同じものだと仮定することができます。
またそれは別の記事で書いた〈次元の干渉〉と同じものだと感じます。
そして『今わたし達がいるこの世界内で、メタバース等の電脳空間を作ることができるということは、"今いるこの世界自体"が電脳空間である』と考えることもできます。
もちろんわかりませんよ。
ですが、可能性はありえるので「なにをばかなことを」と一蹴するのは利口ではないと感じます。
まぁ最終はその人の自由であるのですけれど( ¨̮ )
本当はどうなのか、なんてきっと誰にもわからないんでしょうし( ¨̮ )
あれ?でも『意識が現実化する』という事実があるこの世はやっぱり、シミュレーションの中に存在しているのかも??
ありがとうございました( ¨̮ )