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この物質である地球という世界では『幽靈』という価値観があります。
そういった存在を見たことはありませんが、わたし個人としては「いた方が愉しい」からいると思っています。
だってその方が愉しいからね。
ですが、そんな「目に見えない存在」が『目に見えないから』という理由だけで「この世に存在するわけがない」と主張する派閥もあります。
個人的には別にどうも思いません。
何を見るか、何を信仰するかは一切がその人の自由ですからね。
『基本的人権』ってやつです( ¨̮ )
『自分が相手を否定する』ということは、『他者から自分が否定される』ということも肯定し受け入れているということになります。
『自分が否定されたくない』というエゴちゃんのために、わたしは他者をいたずらに否定しないのです。
所詮わたしも人ということですね( ¨̮ )
あと、どうして『いない』と断言できるのでしょうか?
『「いない」と断言できる』のはその存在を確かに『認めているから』に他なりません。
つまり「幽靈なんて絶対いない」と言えるのは『幽靈の存在を認めているから』です。
とんちみたいな禅問答みたいなお話ですので、ちょっとむずかしい部分はあるんでしょうけどね( ¨̮ )
幽靈否定派のみなさまが「幽靈はいない!」と主張するたびに、否定派が自らその存在を肯定しているというのは、なんとも皮肉的というか"いとおかしい"ものですね( ¨̮ )
そんな上記みたいなくだらない揚げ足とりをしたいがために今回記事を書いているわけではないのです。
本来の目的は、その否定派の皆様がよく発言している言葉です。
そう、タイトルに用いた『この世にいない』という部分。
よく否定派の皆様は「幽靈なんてこの世にいるわけないでしょ」という言い方をします。
この世。
『この世は物質である』と冒頭に書きましたが、そんな〈物質〉である地球なのだから〈靈体〉である幽靈、ある種の思念体である幽靈が存在するわけがないのです。
やはり相容れない相手からも學ばせていただく姿勢・視点というのは大事でございますね。
この地球は一切が物質的ですが、その物質社会で生まれ生きる物質である我々が、常日頃無意識に持っている『意識』というものは物質なのでしょうか?
物質の肉体が生み出しているから物質?
それとも意識は非物質で、非物質の器としての肉体的という器?
はたして本当に器?
物質は非物質を閉じ込めておく牢屋と考えることはできないのかしら?
それならば『この世』と我々が認識している「この世」というものって一体?
( ¨̮ )
桜は散っちゃいましたね( ¨̮ )
また来年( ¨̮ )
ありがとうございました( ¨̮ )