頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

【精神的プログレ】八十八ヶ所巡礼『○△□』レビュー【なんだよそれ】

 

本日もご訪問ありがとうございます。

今回は八十八ヶ所巡礼さんのアルバム『○△□』のレビューでございます。

画像が荒い!荒い画像しかない!

○△□

○△□

Amazon

 

 

コンプリート!

ついにCDショップで購入できる八十八ヶ所巡礼さんの盤をコンプリートしました!

この作品も難解がすぎます!

 

まず、この作品のテーマはLSD、もとい藥物的なものじゃないか?と思った次第でございますが、そこに至った理由は後述いたします。

 

あとこのアルバムは他の作品と比べても、割と荒削りで荒々しいプログレ作品に仕上がっていると感じるのですが、音樂や技術の面から見てのプログレというよりも精神的なプログレだと感じました。

 

精神的なプログレってなんだよ。それも後述いたします。

 

 

からくりはどこだ?

覺醒者を見つけ出すんだ

 

 

霊界ヌ~ボ~♨︎


www.youtube.com

 

「このアルバムのテーマはLSDじゃないか」などと先述をいたしましたが、それはこの曲についていたコメントがきっかけです。

 

わたしは藥物に明るくないので、LSDを検索してみたのですが、確かに紙でした。

 

正確には幻覺作用のある水溶液を紙に染み込ませたもの、らしく、錠剤タイプもあるそうですね。

 

LSDを摂取した際に起きるとされている効果は以下だそうです🦑

 

物が巨大化して見えたり、色とりどりの光が見えたりというのはこの曲のPVでも示唆されていますよね。びっくりしました。

余談ですが、このアルバムに収録されている別の曲を聴きながら『霊界ヌ〜ボ〜♨︎』のPVをミュートして見たのですが、あまりに凄まじすぎて MAJIでぶっ飛びそうでした。

「風邪の時に見る夢」というコメントもこのPVには書かれていましたが、"さもありなん"といった心情にございます。

 

 

ほんでもって。

 

 

まるで錯覚 視覚はトロトロ まるで△のように 視覚は飛ぶ

○は△ □は豆腐 ○が△のように 死界へ飛ぶ

と歌っておりますが、これは『物体の表面こそ、その本質』と我々は思いがちですが、それはそれこそが錯覚であり、『○は△であり、□でもあり、△も○であり□である』ということなのではないかと感じました。

 

またその〈錯覚〉と引き起こす元凶になっているものが、視覺にほかならず、その視覺をLSD等の恍惚でトロトロに飛ばすことで、『表面という詐欺』に引っかかることなくその本質を摑むことができる、ということなのではないのか?と思い至った次第です。

 

八十八ヶ所巡礼というバンド、もとい歌詞を書かれているマーガレット廣井さんは、その後に『紫光』という曲で、

その眼を消しとばしたら悦びは単純さ
と歌っています。 
 
あ、クリアランス クリアランスに浄化してあ、クリアランス クリアランスに浄化したい
この「クリアランス」という言葉は『片付けること、一掃すること』や『空間、ゆとり』という意味があるそうです。
この場合の意味合いは前者が近いと思うのですが、前者だとすれば"視覺"という、言うなれば〈煩悩〉ちっくなことを一掃することで、ピュアな、、、なんでしょう、悦びというか愉しみというか、本来ならもっともっと単純なものに触れられると言いたいのではないかと感じます。
あくまで妄想ですけどね☆
この妄想も難攻不落の感情ですし\(´-`)/
 
 
☞異界逝コウ☜
ねぇ例のものでいいとこ逝かない?
 
苦い水を求める

 

ここの「例のもの」が所謂、藥物的なもので、「苦い水」がアルコールだと思われます。
安直が過ぎる。
 
 
⌘惑う惑星⌘

我は宇宙なり それが真実じゃないの?

ねぇ?

 

この曲でも藥物を示唆する『紫煙』という語句が用いられています。

この『紫煙』が指すものは大麻であったりたばこであったりしますが、まぁ正直大麻でもたばこでも相違ないでしょう。

 

たばこも中毒になりますし、禁断症状が出るそうですしね。

一説によると大麻よりもアルコールやたばこの方が中毒性は高いという結果もあるそうですし。

 

政府が認可しているからって信じられるわけじゃねえ世の中ですってわけです。

 

所詮資本主義の世、マネー中毒者の金儲けのためなら大衆がどうなろうと知ったこっちゃねえって御スタンスでいらっしゃいましょう。

 

 

うんうん。

 

 

『我は宇宙なり それが真実じゃないの?』

そうだよ、それが真実だよ。なんともそれを忘れていらっしゃる方は多いみたいだけどね。

floodinhead.hatenablog.com

 

 

極樂いづこ
なんというか、マーガレット廣井さんの本音を垣間見た、みたいな感慨を受けました。

 

以前にTHE BACK HORNのヴォーカルである山田将司さんの歌を、『熱くて強い励ましを歌っているけど、その芯にはとてもやわらかい優しさを持っている』と書いたのですが、それでは足りなくて、将司さんの歌には『その芯、根底には柔らかくて脆くて、濡れていて、ともすればぞっとするものさえ持っている』と感じています。

floodinhead.hatenablog.com

 

そのある意味合いでは恥部とでも表現できるような『とてもやわらかくて濡れていて、ぞっとしてしまうほどのもの』を、この曲では垣間見た感じがします。

 

俗っぽい表現をするならば「肚の中、グロテスクな臓物すらも見せてくれている」ような感じ。

 

なので、この曲を初めて聴いた時はちょっと暗い氣持ちにもなりました。

『永・凹・阿阿瑠』や『慧光』もこの曲と同じ種属の曲だと思うのですが、先述の二曲はもっと他所行き用に小綺麗に纏めている様に感じます。

 

それに対して『極樂いづこ』は小綺麗に纏めることなく、自分のそのままの感情を表現している様に思われます。

 

その『自分の感情を、包み隠さずそのままピュアに表現している』から、先に書いたような『ぞっとしてしまうもの』を感じたのだと思われます。

 

 
そして、このチルアウト的とでも表現できそうなどこか心地の良いような、生暖かいんだけど、じんわりと虚無感が支配して漂白してくるような、曲の空氣。
〈ホワイトノイズ的な絶望〉とでも表現できましょうか。
 
この曲が纏っている雰囲氣はまったく懐かしいですね。
身に覺えがあります。20~25歳までは毎日この〈ホワイトノイズな絶望〉に支配されて虚夢ちゃんになっておりました。
 
今になったから分かるような氣がするのですが、未来みたいなものに希望を見出せず、生きる意味はわからないけど、死ぬ勇氣もなく、どこにも逝けず、それが怖いけどどうにもしようが分からず、でも多分今の日本って場所ではなんとかは生きていけるし、そんな無責任な自信もあり、でもそんな『なんとか』で生きていいもんなのか命とは、とか思っている自己嫌惡とかがないまぜになって、うっすらと生活に漂っていたからこそ、〈ホワイトノイズ的な絶望〉を感じていたのだろうと思います。
まぁ今考えていることだから、過去の自分が実際どう感じていたかは知らないし、過去なんていう『今にはないヴァーチャルなもの』に想いを馳せるのもばからしいですけどね。
 
当時の自分を分析して書いてると、なんとも自分があまちゃんだったなと思って恥ずかしくなりますね。
まぁ実際あまちゃんだったし、今もあまちゃんでしょう( ¨̮ )
 
 
そんな虚夢ちゃんもいつのまにかなくなっておりましたね。
この曲を聴いて思い出しました。
 
あの頃はまぁ辛かったんだろうけども、今思うとあれがあったからこその今だと思います。
 
生きてんのも悪いもんじゃない。良いもんでもないけど。
 
そうやって絶妙Σな意味をつけて安堵し、難攻不落な氣分を乗りこなしましょう。
ね。
 
 
⇔粛正の夜明け⇔
「すげえ曲をまたぶちこんだなぁ」
これが最初の印象でした。
 
樂曲としてもそうですし、なにより歌詞ですよね。
 
精神としては「八+八」に収録されている『日本』を強く受け継いだ曲だと感じます。
 
惡政と、洗脳と、教育と言う名の染脳と、詐欺的情報戰に対しての痛烈な批判です。
 
よく言ったもんやで…と思います。
こういった主張も、インディーズという外部資本や制約が介入しない場所で制作されているから言えるものであります。
 
 
我々の理想を幻想に閉じ込め悶えてはいないか?
 
紙切れによる支配と!
 
無知の歯車が増産されているそのうちの一つがお前だ!
 
愛くるしい甘い囁きに裏切られている気分はどうだ?
 
金を出し不幸を買っている己に嫌気はさしていないか?
 
罪を憎め!腹を暴け!
 
無知の歯車の我らを支配しているつもりのあれらを!!
 
紙切れで死ぬのは嫌です!
 
我々の理想を幻想に閉じ込め悶えてはいないか?
『夢』や『理想』というものを、自分で「叶わないものとして」考えてはいないか?
 
紙切れによる支配と!
まあ言わずもがな『お金』のことなんだと思うのですが、雇用契約だの戸籍、出生届だのもみんな紙で行われている世の中です。
それって〈紙に書かれてさえいれば、それが全くの嘘っぱちでも現実として有効になる〉ということですし、それはすなわち『紙切れによる支配』と言えるのではないでしょうか。
まさに、紙が神として扱われているということです。
 
何度も言及していることですが、「ヒトが『利用している』と思っているものほど、それこそが人を支配している」ものなのですよ。

小麦等の穀物しかり、言語しかり、携帯電話しかり。

floodinhead.hatenablog.com

 

無知の歯車が増産されているそのうちの一つがお前だ!
いちいち言わなくてもよいのですが、学校教育でしょう。學校ではなく、学校のほうです。
自分で考えず、他者や顔の見えないものが是としたものを追従する、無知な社会の歯車を生産する機関ですからね。
 
一クラスの人数が40人なのも、軍隊の一小隊が40人だったところから来ているそうです。
『御國のために死ぬ』
『会社のために死ぬ』
『政府のために死ぬ』
日本人の本質は戦後から一切変わっていないのかもしれませんね。
 
愛くるしい甘い囁きに裏切られている気分はどうだ?
政治家の皆々様が選挙演説で仰っているマニフェストかなーと思いますが如何だと思われますか?
まああとは宗教の教義だの、会社の福利厚生とか?わからん。
 
金を出し不幸を買っている己に嫌気はさしていないか?
個人的には新聞とかニュースとかかな、と感じました。
わざわざお金(働いて稼いだ=生活を削って得たもの=命)を払ってまで、凄惨な事件や不況のニュースを見て、ネガティヴを受け取っている。
それってすなわち『金を出し不幸を買っている』ってことにならないでしょうか?
 
あとは添加物かな、とも思いました。
安かろうを求めて、結果病氣なんかになって医療費が高くかさんだ。不要な出費がまったく加算だ。
 
まぁニュースの線が妥当かなと思います。
 
今ふと思ったのですが、『不況のニュース』を多くの人間が目にしてそれを認識することで、実際に不況が引き起こされるのではないでしょうか?
 
罪を憎め!腹を暴け!
下手人を憎むのではなく、その罪を憎み、どうして下手人になったのか、その腹を暴け、という『鬼滅の刃』で描かれていたことですね。
まったく当然の正常な思考なのですけどね( ¨̮ )

floodinhead.hatenablog.com

 

無知の歯車の我らを支配しているつもりのあれらを!!
本当に支配できているのかな?

本当に『無知の歯車』だけなのかしら?

「無知の歯車だらけ」なのは事実ではありますが、実は全員ではないかもよ。

まぁあぐらでもかいて油断してなさいな、かな?

 

紙切れで死ぬのは嫌です!

ここの『紙切れ』は先述のように「お金」という意味であると思います。
『金が全てで金さえあれば良いのだ』と思い込み、お金儲けに汲々となって、結果過労で死んじまったら元も子もないですし、お金に支配されることで『精神的な死』を迎えるのも嫌だし、という意味でしょう。
 
あと解雇通知だのっていう紙切れで死ぬのも嫌です。って意味合いも。
 
そして
 
ここの『紙切れ』が最初に書いたLSDに繋がってきます。
LSDは「紙片に水溶液を浸した藥物」とのことらしいですが、お金という価値観に精神を支配され、汲々となって氣を病んでしまい藥物に逃げる。
藥物にはまったら、刺激に慣れてしまって欲していく量が増えると聞きます。
増えた結果、肉体の死もあるでしょうし精神が死ぬ場合もある。
 
そんな紙切れで死ぬのは嫌です!もっと心豊かに生きたい!ということだと、わたしは感じました。
 
 
この曲は岡本太郎さんの著書『自分の中に毒を持て』に込められていたエネルギーと近いものを感じますね。

だから共鳴して好きなのでしょう。

 
 
これで『アルバムの裏テーマはLSD(藥物)』と言ったことに対しての説明はできたのではないかと思います。
 
 
精神的プログレ
さて、自分で言っていてわけがわからないのですが、このアルバムは『精神的なプログレ』だと感じます。その説明です。
 
プログレッシヴ」の意味は「進歩的」「革新的」ということだそうです。
 
『音楽的なプログレの具合が、他のアルバムに比べて荒削りで荒々しい』と、この記事の冒頭で書きました。
 
では、このアルバムはなにがプログレッシヴなのか。
それは歌詞を見ても分かるように、一人の人間としての精神です。
 
つまり必死に成長をしようともがいている、その様はまったく進歩的と表現できるのではないでしょうか?
一人の人間が成長しようとしている、その様を垣間見ているのですから一回聴いたくらいでは何を歌っているかなど、分かるはずがないのです。
まず自分以外の人間の感情なんぞわかるわけがないですし。
 
そういった『精神的なプログレ』が起きている時点での作品だから、『((((未練))))』や『A & N & D』のような煩悩を歌った曲が生まれるのも当然ですし、『極樂いづこ』のようなぞっとする雰囲氣を纏った曲が生まれるのも当然です。
 
自分の心をえぐって対峙しないと本当の革新などは得られませんからね。
覺醒者となるために必要な精神的プログレなのです。
 
MAJI最高。
 
 

 
 
最後に
この作品も例によって「初めて聴いた時は困惑がとても強かった」のですが、『人間は慣れる動物』とはよく言ったもので、何度も聴いていると心地良くなりますね。
 
初めて通して聴いた時は本当に「ちょっと今回は本当に受け付けられないかもしれない…」とか思ったのですけどね( ¨̮ )
全く氣分というものは摩訶不思議で難攻不落です( ¨̮ )
 
 
この八十八ヶ所巡礼というバンドに出会う前から、わたしは音樂にまったく人生を狂わせられているわけですが、このバンドを知ってから、より人生が狂わされた氣がします。
でもね、それは全く善い人生だと思います。
 
狂ったままで踊れるなら本望ですよ。
『ロックは悩みを解決なんてしてくれない。悩んだまま踊らせてくれるのがロックだ』という大名言もありますからね。
 
このバンドを好きでいることで、世間様とは狂感しあわない関係になるのならば、なおさら本望。
 
 
実は『⇔粛正の夜明け⇔』から8→7→6…1と遡って聴くことで、作品として本当に完成するのかも?とかも思ったのですが、さすがに深読みのしすぎでしょう。
それはわたしの『精神的プログレ』という仮説を、強固にしたいためのエゴでもあるでしょうしね。
 
 
ありがとうございました( ¨̮ )
 
 
 
 
最近わたし思うんですけど、人間というものは概念でしかなく、人間=生物ではないのではないか、って。
どう思われますか?