小説家の安部公房氏は著書『他人の顔』にて、「光というやつは、自身透明であっても、照らし出す対象物を、ことごとく不透明に変えてしまう」と言っていたが、それは〈言葉〉というラベリングとも同義だと思う。
無意識の意識化は必要であるが、それしすぎるのはよくない。
無意識を意識化させるにおいて、細分化しすぎている現代だと思うが、現代人が心を病んでいるのは、この細分化が起因しているのではないかと考えずにはいられない。
何事も「ほどほど」と「わびさび」が必要であるということですね。
凡庸な帰結になってしまいますね。
そんなものでしょう。