頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

相互胡蝶の夢

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今日は変なことを言います。

 

いつも言っていますが、より変なことだと思います。

 

 

わたしは中學生くらいの頃から『夢で観たことが現実で体験する』という経験を何度もしてきました。

 

「あれ?なんかこの景色、というか、感情とか、前にも体験したことがあるぞ?」と思って記憶を辿ると、寝ている時に見た夢からの既視感だ!と氣付くわけですが、その感覺も十数年来のものなので、もはや今では「またかよ」と思います。

 

そのデジャヴ?予知夢?が起きだしたころは意味も不明に落ち込んでいたのに不思議なものですねˊᵕˋ )

 

これも『人は慣れる生き物』ということなのでしょうね。

 

ね?変なことを言っているでしょう?

 

こんなこと現実ではなかなか言えません。

言ったところで、とち狂ってると思われるだけですからね。

とはいえ、現実の延長上にあるインターネットで言ったとて同じです。

「はぁ〜意味わからんー」と思われるのが落ちでしょう。良いˊᵕˋ )

 

 

もっと意味不明なことを言いますが、その予知夢を現実(と既定している時間軸)で経験した時に、感情までも夢と同じで、また「なんだ、既視感がある。あぁ、夢で観た場面か」ととも思います。

「夢の中でも、『あぁ、夢で観た場面か』と思う」のです。

 

これはつまり、夢の中でも夢で観た場面を観ている、ということになります。

頭がこんがらがって来ますね。

 

 

『この世は胡蝶の夢である』という言説があります。

これは、『自分が生きていると思っている"この世"は、実は蝶やらの見ている夢なのかも知れないよ?』という意味合いです。

 

わたしが現実と認識している世界で起こった出来事や感情に既視感があり、それは夢で観た場面である。

その夢の中でも『あぁ、これは夢で観た場面だ』と認識している。

 

 

これは『相互的胡蝶の夢』なのではないでしょうか?

 

どっちが、どれが現実なのか、とかの話ではなく、どれも現実であり虚構・夢である。ということです。

 

 

変でしょう‪( ¨̮ )‬

 

変で良いのですˊᵕˋ )

 

全く同じものなんてありません( ˘ω˘ )

 

 

 

ありがとうございました‪( ¨̮ )‬