はい( ¨̮ )
タイトルの通りです( ˊᵕˋ )
皆さま本日もご訪問ありがとうございます。
『直感と先入観は違う』とのタイトルで、言いたいことそれで終わりなのですが、そう思った理由を認めますね。
存在は知っていたけど、入ったことのないお店
この間「存在は認めていたけど入ったことの無かったスーパー」に入りました。
読者の皆々様方も、そんなお店の一つや二つ身に覺えがあるのではないでしょうか。
さて、わたしがそのスーパーを知っていながらも、なぜ入ったことがなかったか、なのですが、その理由はまぁ有体に言えば『侮っていたから』に他なりません。
なんというか、その店構えを初めて見た時の第一印象が、どこか萎れているように思ったために、存在を認めてから少なくとも5年以上は入店をしていなかったわけです。
そんな年月をかけて入っていなかったお店へ、なぜ入ったかと言えば、それは純粋な好奇心でしかありません。
お店に入ってみて初めて知ったのですが、そのスーパーは二つの店舗が向かい合うように建っているために、入り口が道から見えず店内も確認できないのですね。
そういった理由から上記ののような第一印象ができたのかな、とも思います。
品揃えもなかなか良く、店内もなかなか広かったため「いやぁ先入観で物事を決めつけてかかるのは、全く良くないよなぁ」なんて調子の良いことを思っていました。
考えてもみれば、少なくとも5年以上営業し続けているお店なのですから、しっかりしてるに決まっているのです。
一消費者が何を『しっかりしている』だと偉そうなことを言っているのだ。
〈思考〉が介入しているかどうか
さて、この記事のタイトルにもしております『直感と先入観は違う』なのですが、明確にどういったところが違うのでしょうか。
『直感と、先入観の違い』は、そこに〈思考〉が発生しているかどうか、なのではないかと思います。
『直感』とはインスピレーションです。
インスピレーションは「降りる」と形容されるように人間の思考が介在しない領域を指すものなのだと思います。
それに対して『先入観』は思考が介在した状態で出力されるものなのではないでしょうか。
たとえ直感から由来した考えを基にしていても、その考えに少しでも思考が混ざれば不純な『先入観』へ変化するのだと感じます。
白色の絵の具に、爪楊枝の先程度の赤色や青色の絵の具を入れたとしても、その色は「純粋な白色ではなくなる」のと似た感じでしょう。
直感が透明清廉な岩清水だとすれば、先入観は不浄な工業排水です。
それくらい思考というものは少量でも汚れるものである、とすら思っている節がわたしにはあります。
直感をあてにしていない人の、その理由
それでは「直感は当てにならない」と信じていらっしゃる方々はどういうことになるでしょうか。
『直感を一切信じていらっしゃらない方』は一定数います。
それはカレーライスや唐揚げでも好まない人がいることや、『世の中には何をやっても自分のことを好いてくれる人もいれば、何をやっても自分を嫌う人間も一定数いる。その他は時と場合によって好と嫌が変わる』という法則からも伺い知ることができるようにです。
そういえば『何をやっても好いてくれる人もいれば嫌う人もいて、その他は日和見主義である』というのは、腸内細菌の理想的状態と同じみたいですね。
腸内細菌は自分でコントロールが可能ですが、人間関係に対しては完全にコントロールできないので、やっぱり考え方次第ということなのでしょうか。
あれ、でもこれは思考を頼っていることになるよな。
閑話休題。
『直感を一切信じていない一定数の方』がどうして『直感を一切信じていない』のか、ですが、個人的に思考を信用しきって思考に依存しているから、なのだと思っています。
思考を信用して思考にばかり頼って生活していると、それだけ直感の精度は落ちます。
以前にも書いたように「直感を蔑ろにしていれば、直感からは見向きもされなくなる」のです。
あれ?思考だった。
そんな直感の精度が落ちている状態で、付け焼き刃みたいに直感を頼っても、そりゃあその直感が的を得ているわけがないですよね。
直感も洗練が必要なのです。
精度が落ちている直感を氣まぐれで頼って、それが当たっていないから、自棄になって『直感は当てにならない』と嘯いているだけなのだろう、と、わたしは感じています。
そりゃあわたしの推理ですし、推理も思考なので信用なんてできないのですけどね( ¨̮ )
初めて入ったスーパーの店内を周りながら、「やっぱり思考は至高なんかじゃねえよな」なんて思っておりました。
直感に対しての推理
とはいえ、わたしがいつも書いている内容もなかなかの思考を動員しているわけなので、今回の内容はなかなかどっちらけな感じは否めないわけなのですけれど( ˘ω˘ )
「あくまでもわたしは、直感で降りてきたものを、思考というアンプで増幅しているに過ぎない」と、醜い弁明を残しておきます。
そういえばミステリの女王であるアガサ・クリスティーさんが、著書の『アクロイド殺し』において「直感というものは、それまでの知識や生活などの集積で生み出されたものである」みたいなことを書かれていたのですが、完全な直感派であるわたしとしても、全くその通りであると感じます。
つまり、直感というものは思考の先にあるのである、と言うことも可能ですね( ¨̮ )
上記のことが正しいかどうかは別として、思考にばかり頼って考えてばかりだと、全く脳みそがしんどく疲れるので、思考もほどほど、直感ちょっと優位で生活していくのが吉ですね。
少なくともわたしは\(´-`)/
ありがとうございました\(´-`)/