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以前『〈人種差別〉は白人種の嫉妬なのではないか』といったことを書きました。
それもこれも、なのですけれど、結局はこういうことなのだろうな、と書いた後に思い至りました。
『人種差別は白人種の嫉妬説』を母親に話したのですが、どうやらジョーダン・ピール監督が撮った、映画『ゲットアウト』は、その〈白人種の嫉妬〉を描いた作品なのだそうです。
観たいと思いながらも、観ていなかったので「やっぱり同じことを想う人がいるのだなぁ」という感慨と、望まぬネタバレを喰らわさせた氣持ちで複雑です( ¨̮ )
少なくとも、自分の考えていることはわたしだけの思い上がりではないのだな、と感じ、少なからずの安心のようなものを覺えました。
と、上記のようなことを顕在意識化して思ったのですが、昔は「他人の考えることと被っていてはいけない」と思っていたけれど、年を取ったことで真逆のことを思うようになるのだなぁ。と、なんとも興味深いような氣持ちです。
それもこれも『自分を根本的に肯定できていないから』なのだろうな、と感じます。
存在の根本的な肯定ができていないからこそ、『自分にしか考えられないこと』をいたずらに求めてしまうのでしょう。
根本的に肯定できていれば、『他の人も同じことを考えるものなのだな。しかし、少なくとも自分の脳で考え自分の言葉で結論を出せたのだから、それで良い』と思えるものです。
生きていれば考えなんて変わるものですからね。
少なくとも、『自分しか理解できないこと』を発言したところで、奇人変人認定されるだけですよ。
ある程度は〈理解させようと、理解できるようなこと〉を主張しないとだめですね( ¨̮ )
これは最近になってやっと理解してきたのですけどね( ˘ω˘ )
しかし、マジョリティに向けて当たり障りのないことを言うのは違うと思いますし、全くつまらない所業だとは思います。
あくまで「極少数のマジョリティ」に対して。
内容にまとまりがない。
‾\_(ツ)_/‾
ありがとうございました‾\_(ツ)_/‾