頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

【八十八ヶ所巡礼】ほら穴で燈る、星となった浮かばれなかった魂たち【大・仏滅ナイト!!】

本日もご訪問ありがとうございます。

 

行ってきました!『大・仏滅ナイト!!!』

 

👇過去の八十八ヶ所巡礼関係記事👇

floodinhead.hatenablog.com

 

 

 

 

鶯谷は存じておりましたが、まぁ行く機会はないので「いつか行ってみたいな〜」とは思いながらも渋谷や新宿とかの《パッとわかりやすい場所》にばかり意識を囚われて後手後手の土地になっていました。

あと、鶯谷ってよっぽどの用がないと行かない感じするし。

 

cali≠gariというバンドの関係でキネマ倶楽部というライヴハウスがあるのは存じておりましたが、それくらーいの知識でした。

実際今回の会場であるダンスホール新世紀がキネマ倶楽部と同じビルにあることすらも存じ上げなかった。

あと、cali≠gariのギタリスト青さん情報から風俗街?であるとか。

 

 

凍狂に着いて(読まなくて良い内容です)

そんなこんな、朝の通勤ラッシュ時に東京へ到着し「新宿ゴールデン街に行って朝酒キメるぞ!ハマチ!ハマチのお刺身が食べたい!そして日本酒!!!辛口冷酒!!!!🍶」などと思いながら新宿へ。

現場に着いたのが10時前とかだったので、そりゃあほとんどのお店がやっていない。

 

そらそうよ、と思いながらもコンビニでカップ酒を買い、呑み足りなかったので上善如水の手頃なサイズがコンビニで売っていたので買ってラッパ飲み。ぷっぷー

八十八発食らっていました

 

当日は本当にイベント日和な雲一つない青空だったので、アルコールが回っている中でお見舞いされる日光がなんとも刺激的でした。

ドラキュラの皆様ってこんな氣持ちなんだろうか、そういえばKatzuya Shimizuさんって、ちょっとドラキュラ感あるよね。なんて思っていました。酔っ払いですね‾\_(ツ)_/‾

 

その後は下北沢に行って『ぼっち・ざ・ろっく』という作品の聖地を巡礼(下北沢shelterの入口を写真に収めただけ)し(そういえば渋谷のタワレコで結束バンドの盤を購入しました✌️イェイ)。

お香を購入し、渋谷まで向かって歩くも迷い、たまたまあった公園で『極樂いづこ』を聴きながらブランコを漕いでいたら「極樂はここにあったんだ。結局難攻不落の気分次第だな。アルコールが残ってるから変なことを思っておる」などと思い(直朝っぱらからアルコール煽って公園でブランコ漕いでる人をみたら敬遠するか、一回話を聴いてみるかの二択になると思うし)。

いざ渋谷へ到着するも、愉しみにしていたキャラメル屋さんが売り切れで買えない、などがありました。

よい人生

 

その後はお蕎麦を食べたり、浅草寺に行くも秒で退散したり、鶯谷でしっかり迷ったりしました。

でも迷ったのに整理番号ぴったりで入ったのすごくね✌️

 

 

開場へ入り、まず思ったのは「すげー!レトロ歓喜じゃん!」です。

さすが役所広司さんがご主演されている、映画『shall we ダンス?』のモデルになっただけはあります(どういうこと)。

 

下手、マーガレット廣井さんがよく見える場所に構え、開演を待つわし。

天井を見上げると、いわゆる『ライヴハウスのフロア電灯』ではなく、光度の高い豆電球みたいな灯りが無数に取り付けられていました。

 

それぞれの明かりは鮮明で強いけど、所詮は豆電球か、フロアは明るいというわけではなくどこか薄ぼんやりしておりました。

でも、その電球たちが集まって光っている様相を見ていると、天の川みたいたな、と思ったりしました。

 

また、天井の表面がつるんとしたフラットな感じではなく、豆電球が打ち込まれたことで、波紋が起きたようにざらざらと隆起をしていたことにより、洞窟やほら穴か何かみたいだな、とも思っていました。

 

そんなことを思っていたのですが、あることに氣付きます。

 

「あ!今日魔族の八十八ヶ所巡礼じゃないじゃん!!!」

 

 

👉開演へ👉👉

 

prologue

5分か10分押しくらいで開演。

アルバム『日本』の一曲目であるSEですね。

この曲が来た、いうことは、次の曲は『亡月亡日』であることが確定したと思い(いま思うとどうして確信したんだろう、という感慨)、「次は『亡月亡日』か。確かにライヴではあんまり披露されてない曲だよね!」と思っていました。

 

そう。

この時は《浮かばれない曲》が【あまり演奏されない曲】だと思っていたのです。

 

《浮かばれない曲》が何を指しているのか、は後述いたしますね。

 

 

亡月亡日

prologueでステージ下手からKenzooooooooさん(本日は赤色のワークパンツ)だけ登場し、ドラムのキレとダイナミクスありありのフレーズがスタート。

いつもKenzooooooooさん→Katzuya Shimizuさん→マーガレット廣井さん、の順番で登場されますが、Katzuya Shimizuさんはステージ下手袖からの登場ではなく、上手の高台になっているところからの登場でした。

なんかわからんけど高揚しました。

 

Katzuya Shimizuさんは『金土日』の衣装でした。

 

Katzuya Shimizuさんがステージまで降り、上手定位置で当曲のフレーズを弾き始めると、同じ上手の高台にマーガレット廣井さんが登場。

一升瓶を手に、屈むようにして高台から下々を見下ろす様に、胸をうち抜かれた貴様らの皆様もいらっしゃったのではないでしょうか。

 

衣装は『狂感できない』のものだったそうです。

 

 

マーガレット廣井さんもステージまで降り、下手の定位置に着くとオールイン。

マーガレット廣井さんの竿新しいやつだったよね??

 

ヘッドの形状からワーウィックっぽい?と思ったのですが、違うと思います。

 

ベースの特徴は、

ジャズベースタイプのアクティヴピックアップ(ピックアップは弦の振動を拾うマイクの役割をしています)が二発

・ノブがクロームではなく黒色

弦裏通しなのかわかりませんがサドルとブリッジが一体化したタイプ。ゴールドパーツ?

・高音弦側のカッタウェイが切り落とされている

・ボディの形状は、その昔B'zの松本さんがご使用されていたMG-Mを彷彿とさせるような曲線っぽいつるんとした感じ(一般的なソリッドエレキ樂器にあるフラットな板ではないという意味です)。色は黒っぽい灰色(シースルーブラック?)か、濃くて深みのある緑。

いつもご使用されている日の丸スタインバーガーとは違ってヘッドがあるからかもしれませんが、スタインバーガーよりネックのスケール(ネック自体の長さ)が長いと感じました。ロングスケールかスーパーロングスケール?ベースのことはよくわからん。

 

そして個人的に一番特徴的だなと思った部分なのですが、弦を巻くペグが押し込み式のものじゃなかったことです。

ベース用のペグって、一般的には弦を適切な長さに切ってからペグの縦穴に入れて、ぐいっと曲げ、それから巻いていくので、余った弦はびよんびよんしないんですね。

ですが、この日利用されていたベースは余った弦がびよんびよんしていた。

そういったところから非常に記憶に残っています。

なぜか三弦だけ切っていたのも含めて。

 

しかし、やっぱりワーウィックっぽいな、と思います。

形状やスペック的にStreamerシリーズが近いと思うし、ブリッジ等は改造変更もできますし、ボディ塗装のリフィニッシュも可能ですしね。

 

あ、塗装はポリだと思います‪( ¨̮ )

 

 

肝心の音ですが、スラップした時の音が『びよんびゎん』みたいな感じでした。

ベースワウか何かをかましていたのかもしれません。

ピックアップバランスなのか、個人的に各弦の音量に多少のばらつきは感じましたが、セッティングや樂器と奏者とが互いに慣れていくとクリアされる部分ではあるでしょう。

何を偉そうに。

 

それと、音の粒子がきめ細かいように感じましたね‪( ¨̮ )‬

日の丸スタインバーガーは歪みの目が荒いというか、粒が立ってギラギラしている印象なのですが、この日に使用していたベースは音の粒が細かく、どこかクリーミーな印象を受けました。

 

言うなれば、スタインバーガーはモザイク的で、おニューの竿はモザイクアート(粒子が細かいので違うものに見える、みたいな)という感じです。

 

スタインバーガーはピックアップがハムバッカー(太めの長方形)で、新しいベースはシングル(細い長方形)ピックアップだったための違いということもあるでしょうね(ハムバッカーピックアップはシングルピックアップに比べて高出力であるため、歪みが綺麗にかかる傾向があります)🍅

 

 

あとは、まぁ知っていた部分ではありますがベースプレイ、フレーズが意味わからんくて爆笑していました。最高。

 

 

そして、‬マーガレット廣井さんは左手だけ赤色のネイルをしておりました💅

 

 

仏狂

マーガレット廣井さんの歌い出し、「仏説〜」から仏狂がスタート。

『仏に狂うと書いて仏狂』の後に竿のお二人がお立ち台に登ったのですが、BIG CATの時と違って、お二人とも衣装が黒色だったので、【二人、ではなく何か大きな存在】を感じました。これ伝わらないと思う。

 

以前のBIG CATレポの際に、『マーガレット廣井さんとKatzuya Shimizuさんが向かい合ってゆっくり近づいていくの、確かに猫の挨拶みたいだった』と書いたのですが、今回は猫の挨拶は感じませんでした。

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感じたのは、『虎と龍が向かい合って睨み合う、掛け軸とかでよく見る場面』です!

 

マーガレット廣井さんが、ぐっ、と大勢を低くしてKatzuya Shimizuさんと向き合う様が、虎の《獲物を逃さんとする氣迫》と似ていたためです。

 

 

幻魔大祭(Single)

「浮かばれない曲って何かな〜(ワクワク)。幻魔大祭のシングル版やんないかな〜(ワクワク)。でも音源として、ちゃんと完成してるからやらないよなぁ」と思っていたので、イントロのギターが聴こえて来た時、「き、きたぁ〜!!!!(湧く湧く浮き浮き脳汁JOVE JOVE)」となりました。

 

 

この曲はアルバムに収録されているものよりも、テンポがゆっくり演奏されます。

 

YouTubeのコメントだったか、Twitterだったかで「Single版はどっかの土地で開催されている、どこか危険な香りのするお祭りで、アルバム版はもうちょっと開けたお祭りって感じがする」と形容されていたのですが、確かに、言わんとしていることが分かりました。

 

もはや、そのお祭りの様が『ほら穴の中にできた水たまりの中心で燃える焚き火を囲んで踊り狂う様』すらも想起しました。

 

確かにお祭り🎈

 

 

そして、相も変わらず意味不明なベースプレイ🍶

アルバム版は割とゆったりとコードをスタッカートで鳴らしていますが、シングル版は完全に16分音符で演奏しています。

 

それに対して歌メロは八分音符。

しかもテンポがゆっくりめなのでリズムキープは難しいし、よれたらすぐにわかる。

それをよれず(少なくともわたしにはよれていないと感じました)、演奏しているのです。

うまく説明できている氣がしませんが、なにより、凄いってことです!💪

 

 

この曲の時に思ったのですが、この曲を演奏している時のお三方に『仏滅トリシュナー』のPVの頃のお三方を感じました。

なんというか、『仲間内できゃっきゃとセッションして遊んでいる無邪氣さ』というような感じというのでしょうか。

わたしが初めて八十八ヶ所巡礼さんのライヴに行ったのが2021年8月28日なので、もちろんその当時の雰囲氣なんて知らないのですが、そんな身でも"その当時"を感じる演奏でした。

 

『仏滅トリシュナー』を想起した理由の一つとして、〈同じフレーズをずっとリフレインする〉があるのですが、幻魔大祭のわけわからん16分の細かいフレーズ(しかも四弦と一弦とを行き来するようなもの)を狂わず弾いていることや、やっぱりこの日の演奏にPVの空氣感を感じた、というのが大きいです。

 

そんでもって、魔族じゃないこと。

 

この二年くらい?魔族の八十八ヶ所巡礼が人間界にきて演奏をしておりました。

この『大・仏滅ナイト!!』は人間の八十八ヶ所巡礼が演奏をしております。

 

次の『IMNY』ではっきりと感じたのですが、演奏する種族によって、曲の雰囲氣や空氣感は変わります。

 

今思えば、魔族の演奏する曲たちには『あ〜しんどいよね、生きるって面倒なことも多いよね。でも我ら魔族だから貴様ら人間の苦しみとかわからないの。ごめんね』という、ある種のドライさがあったように感じますが、この日、人類である八十八ヶ所巡礼が演奏した曲には『あぁ!しんどい!生きるの面倒!でも貴様にはわたしのこの辛さはわからない!わかるわけがない!』という、なんというか、やけっぱち的な仄かに幼さや思春期を思わせる香りがあったように感じます。

つまり、この日の演奏には『切迫した肉体と、血液の通った苦しみ。その人自身の息遣い』を感じた、ということです。

 

そのやりきれなさ?を振り落とさんがために「音樂で洗い流そうとしている」というか、「苦しみから逃れようとしている」というか、「音樂で(ある意味での)現実逃避しようともがいている」みたいな切迫感を覺えました。

 

 

IMNY

『幻魔大祭(Single)』の流れのまま、『IMNY』がスタートします。

この曲で、先に感じた『切迫した苦しみを音樂で洗おうとしている』感覺をはっきりと覺えました。

 

そして、これも以前何かで知ったことなのですが『八十八ヶ所巡礼というバンドも昔は音で殺すような音樂』をしていたそうです。

それがいつの間にか貴様らの親の健康を願う仏教バンドになって…。という変遷だそうですが、この日の演奏には《演奏で殺そうとする氣魄》を強く感じました。

完全に観客とバンド(自己)とを切り離して、「こっちの苦悩も知らねえんだから分かったようなこと言ってきてんじゃねえよ」と言われているかのようなものを感じましたが、それはあくまでもわたしの感想です( ´・◡・`)

 

そういったような、『"もがき"と、自己完結しようとしている感情』から《『仏滅トリシュナー』なあのころ》を感じたのかな〜、と考えます。

 

この日の八十八ヶ所巡礼の音樂は、確実に人間的な、血の通った"存在"としてのものであったと感じます。

いや、魔族にも血液に準じたものがあるんだろうけども。

 

 

幽兵衛no幽鬱

BIG CAT以来の『幽兵衛no幽鬱』です。

BIG CATの時は、「ジャズマンが各々のスキルをぶつけ合ってセッションを至高の域まで持って行こうとしている、まさにセッションの本懐を体現しているアンサンブルだった」と思ったのですが、この日の演奏は『妙齢なセッションマンが、互いの音をつぶさに聴いて演奏する、各々が他奏者の演奏を持ち上げようと演奏するような氣遣い』を感じました。

表現を変えるなら『長年寄り添った仲の良い老夫婦が、互いの体調を氣遣っている』とかでしょうか。

 

あと、この曲はまぁなっげえギターソロがありますが、Katzuya Shimizuさんはサングラスを咥えての演奏、のちに上手の高台へ登っての演奏、だったわけですが、この時にKenzooooooooさんを見るととっても冷静に演奏をされていました。

Katzuya Shimizuさんを見たり、マーガレット廣井さんを見たり。

 

単純にわたしが確認不足で、BIG CATの時もアイコンタクトなどされていたのでしょうが、12/4の時は『各々が各々の演奏に没入して自己のベストを行おうとしている』感がありましたが、12/27のこの日は『バンドが、バンドとしてグルーヴするため』の演奏をされていたように思います。

 

この時に「あっ、一番冷静なのはKenzooooooooさんなんだ」と思いました。

他の曲でも決めのタイミングでマーガレット廣井さんの方を見ておられましたしね。

 

 

百鬼園

めっちゃ今更なのですが、この曲って『神だの何だのの名前を使って金儲けをしている者たちへの曲』なんですね。

『地獄の沙汰も金次第』は、「救われたいならより多くのお布施を」と主張する諸宗教に対してだし、『神様儲かってる?』は新興宗教についてもそうだし、まるで神の生まれ変わりかのように振る舞う宗教をビジネスにしている聖職者に対してでしょう。

まぁ、妄言としてお読み捨てしていただけたら幸いです。

 

 

わたくしごとで非常に恐縮なのですが、わたしは『ライヴイベントで演者が照明に照らされてできる影』を見るのが好きなんですね。

樂曲の『ジャージャージャージャッ ダカダカダカダカ』の部分で、上手にある高台の壁に演奏に合わせてKatzuya ShimizuさんとKenzooooooooさんとが交互に投影される様に《われわれが神と形容するものの、実態のなさ》が表現されているように(勝手に←とても重要)感じたし、Katzuya Shimizuさんの影がぼわんと映っているのが《宗教というものの曖昧さや朧げな感じ》、また《樂曲の中で怒っている大衆や信者の念の集合》を(勝手に)感じたりして、愉しんでおりました。

 

 

浮き浮き

曲始まりの不穏さから、「『浮き浮き』だ!『浮き浮き』がきたぞ!!!!」と思って浮き浮きしました。

しかし、マーガレット廣井さんの歌い出しに、なんだか恨み節めいたものを感じて聞こえて、どうしてだろうか。と思ったのですが、よく曲と歌詞を聴いてみたらこの『浮き浮き』という曲は『この世は地獄で苦しみばかりだけども、だからこそ浮き浮きして生きないとね』という、"強がりの曲"なので、恨み節に聴こえても然るべきだよな、と、今になって思います。

 

でも、最後のサビでストレートな八分音符リズムを弦樂器たちが奏でる中、ドラムだけが「ドッ、ド タン ド、ド、ド、タン」というシャッフル風味のあるビートを奏でているので、不思議と不思議な浮遊感が生まれていました。

『浮き浮きするしかない』という自己洗脳への麻痺?

 

 

泥春

怪談でも始まりそうな照明のMCで「浮かばれない曲を救済するための仏滅ナイトだけど、まだ未発表なのに仏滅ナイト入りした、もっとも氣の毒な曲」という紹介で『泥春』が始まります。

 

歌詞の内容は、BIG CATで初めて聴いた時と同じように『死んじゃったりしたいけど、そんな勇氣はないのよ〜』な感じでした。

 

この日は歌のメロディーワークとかに意識を向けて聴いていたのですが、おそらくコードトーンからわざと外した音程でメロディを作っているのだろうと思います。

あるいは、音楽理論でいうサブドミナントの音程だけで作っているような。

 

トニック、ドミナントサブドミナントという考え方が音樂理論にはあるのですが、わたしはそこら辺が不勉強なので、「まーた変なこと言ってら。」くらいに思っていてください。

 

そんなコードトーンから外れた音?トライトーン的な音?サブドミナントの音?を主旋律にしているため、独特な不穏さというか不安定さが醸し出されているのでしょうね。

歌詞の雰囲氣とも合っておりますし。

 

 

虚夢虚夢

『泥春』が終わり、Katzuya Shimizuさんがクリーントーンでコードを鳴らす。

 

「おや?『慧光』か?そうか、浮かばれない曲なのか、、。最近演奏しているけどなぁ」なんて思っていて、「うーん、でも音が『慧光』よりも半音くらいフラットでマイナーな響きだもんなぁ。。。…………、、、、、、いや、、、これは、、、、!!!!」と思っていると『虚夢虚夢』がスタート。空!

 

この曲で思ったんです。

『泥春』が「いなくなりたいけどそんな勇氣はない」という歌う曲。

その次に演奏されたのが『虚な生活をして、氣分も虚夢虚夢してたら仏(先祖とか、自分自身とか)が悲しんじゃうよ』という曲。

 

『泥春』の主人公に対して、客観的な視点を持っている人(それはあくる日や、のちの自分かもしれないし)の歌詞なのですよ。

 

この曲の次に演奏されたのが『奈落サブウーファー

 

三回に一度、勝っていれば良い。間違った、俺も、また良い。

この曲で『泥春』の主人公は報われるんじゃないのかしら。

 

『泥春』の時期が奈落でも、その奈落を鳴らしたんなら良いんじゃないかしら。

 

そんな〈意味のないこと〉を受け取りました。

 

 

MC

この時だったと思いますが『一年でなんて区切らなくても良いんだけど、人間は区切りたがる。この一年でやり遂げたいと思っていたことなんて、大抵全部は叶えられない。いや、スーパーマン的な人ならできるかもしれない。努力を怠らず重ねている人とか。井上尚弥選手とかがそうかもしれないし、かっちゃんもその一人だと思う』とマーガレット廣井さんは話していました。

その際に、わーっとKatzuya Shimizuさんに歓声が湧いたわけですが、その時の当人の困惑しながらも照れていた表情が面白かわいかったです。

 

「あ、でもかっちゃん今日のセットリストここに来てから書いていたよね」

頷くKatzuya Shimizuさん

「そんなに毎回完璧ってわけにもいかないよね。わたしも一週間前にセットリストを書いておこうと思うけど、書けないもん。

セットリストなんて印刷でもいいんだよ、正直。事前にマネージャーに曲順伝えて、A4よりも大きい紙に印刷してもらって。

黒地に黄色とかの印刷にするんだよ、照明とかの兼ね合いで。

我々も別にそれでいいんだけど、マネージャーに伝えて印刷してもらってでも。

でもさ、印刷だと味氣ないじゃん。なんか。

Kenzoooooooなんてわけわからない略し方して書いているし、わたしも『18歳』とか書いてるし(『泥春』の前に「ダンスホール新世紀に初めてきた。初めて来てびっくりしたけど、『18歳未満入場禁止』の看板があってびっくりした」という話をされておりました)」

 

 

「前からずっと思ってたこと話しても良い?」とマーガレット廣井さん。

 

数秒の沈黙があったので、どういったこと、どんな真面目な話なのだろうか、と思い待っていたところ、、、。

 

「ホームセンターに売っている注連縄(しめなわ、って読むんですって!知らなかった!)って意味ないよね」

まさかの話だったので貴様ら爆沸き。

 

「いや、意味ないは言い過ぎた。作ってる人がいるんだもんね。中国とかベトナムとかの人がやっすい賃金で作っているんだろうから。でも、注連縄とか門松の正月飾りって手作りだからいいと思うんだよ。

まぁ作っている人がいるんだから良いとして、それを安い金で買い付けてホームセンターとかで売るのはよくないと思うんだ」

 

「そんなホームセンターじゃなくて個人商店みたいなバンドに集まってくれてありがとう」的なことを話されていました。

 

今思ったけど『チェーン店』じゃなくて『ホームセンター』なんだな。

 

 

でもね!!!これだけは言わせて!!!

個人経営の方が!!!美味しい場合が多い!!!!

チェーン展開しているお店は!!!!個人経営には勝てない!!!!!

 

 

話していたことの順番は前後しているかも。

 

 

「来年になっても、ホームセンターにならず個人商店のままだと思います。安く注連縄を買い付けて売る、そんなこの狂った街に捧げます」から、本編最後の曲へ。

 

 

脳がとろける街888

最初のドラムが聴こえた途端、貴様らの皆様諸氏が、はっと息を飲むのがわかりました。

 

そんなわたしは演奏している間、ずっと泣いていました。

理由はわたくしごとになりますので割愛しますが、歌詞がしんどいもので。。

 

とはいえ、以前にこの曲が収録されている『日本』をレビューした際に、わたしはこの『日本』というアルバムを「永劫回帰アルバムである」と形容しました。

floodinhead.hatenablog.com

 

つまり、聴いているこちらとしては、『全て受け入れて救われる未来』じみたものを知っているわけです。

 

この時に、はっと思い至りました。

 

〈浮かばれない曲〉と形容していたのは、〈浮かばれない想い〉たちなのではないか。

 

「浮かばれない曲を救済するための大仏滅ナイト」と説明していたけど、その実つまり、その当時の自分であったり彼、彼女の想いたちを救済するためのイベントなのだな、と思ったから。

 

『仏狂』のニヒリズムを感じていた頃、

『苦苦★念仏』のグル苦しい頃、

『◎百鬼園◎』の怒りを感じていた頃、

『浮き浮き』の強がりをしていた頃、

『鬼畜』の恨みを感じていた頃、

『泥春』の人生に対して途方に暮れていた頃、

 

そんな想い達、少なくともそれを感じて共感している聴き手の想いが報われて、もう一度人生を進めてみよう、なんて思えるためにこのイベントが開催されたのではないか。

と思いました。

 

この記事の最初に『天井の豆電球が星みたい』と形容しましたが、浮かばれなかった想い、そんな魂たちが星になって光っている。

その魂たちの想いを歌えば、喉が千切れそうな程にこうやって叫べば、想いは浮かばれて、夜が終わりそうになるさ。そうやって溶けたら最高さ。

 

そーんな妄想を受け取りました。

 

 

わたしは超個人的な悲しさ?エゴ?想い?で本当に曲中ずっと泣いていたのですが、『喉が千切れそうな程に こうやって叫べば』の部分で崩壊しました。

ありがとうマーガレット廣井さん、正面で顔歪ませて泣いていてすみません。

 

辛いことも『未来をおいしく味わうためのスパイス』と思わないとやってらんないし、蓮華は泥がないと咲けませんからね。

 

 

アンコール開け〜具現化中〜日本

アンコール開けMCで「来年はいいことを引き寄せるために」と言いながら手をワシワシさせるマーガレット廣井さんとそれに準じる貴様らの皆様諸氏。

ステージから見ているとさぞ奇妙で異様だったろうな、と思います。

 

15年くらい前に鶯谷の地下スタジオ(当時マーガレット廣井さんが住んでいたゲストハウスの地下にあったそう)でバンドの練習をしていた話や、鳩にごはんをあげたり、250円のお弁当をKenzooooooooさんは二個食べていたという話。

 

「やり忘れたことがある!貴様らの親の健康を願うことだ!」とマーガレット廣井さんが叫んだり、『日本』のイントロでKatzuya Shimizuさんが『君が代』を一緒に歌うように口を動かしていたり、「ご静聴ありがとう!」の後でマーガレット廣井さんが阿波踊りをしていたり。

 

あ、アンコール明けでKenzooooooooさんは下手袖から登場、Katzuya Shimizuさんは上手高台から。そのあとに下手袖からこっそりなぜか申し訳なさそうに登場していたマーガレット廣井さんが可愛らしかったです( ¨̮ )

 

そういえば、『日本』のコールアンドレスポンスで、多分わたしに向かってマイクを向けてくれていた(よくいるクソファン)マーガレット廣井さんの優しさが嬉しかったです。

正面で顔歪ませて泣いている客がいたら氣が散りますもんね(うるせえクソファン)。

わたしの想いも浮かばれそうです。

 

 

最後に

わたしはこの『大・仏滅ナイト!!!』を、〈浮かばれなかった想いたち〉を成仏させる公演だと解釈したわけですが、本編スタートの曲が『prologue~亡月亡日』であり、本編ラストが『脳がとろける街888』という、アルバム『日本』に収録された頭と最後の曲が演奏されたわけです。

 

これは〈浮かばれなかった想い〉が、日本という國で成就されなかった『夢』や『目標』と呼ばれる希望を指しているとも思いますし、ともすれば成就せぬまま自死を選んだ方の想いである可能性もあるわけです。

 

 

『亡月亡日』は言わずもがな「某月某日」を文字った名前ですが、特定の日にちにしないことで、このイベントで演奏された曲たちの想いと、曲に共鳴した貴様ら個人各々が【体験した出来事が起こった日】を固定しないという意味、そしてもう失われた『亡き月日』を指しているんだろうな、と勝手に解釈いたします。

 

そんな『亡き月日の想い』を、『想いの星』を成仏させるイベントだったのかなぁ、なんて思いました。

 

しかも『冷笑主義を潰せ』という、〈浮かばれない想い〉を生み出さない為のマーガレット廣井さんからの檄も込められて。

 

 

そう考えれば『幻魔大祭』で行なっていたのは鎮魂祭だったのか。

 

 

 

この日も『エイトビイトな人々』は聴くことができなかったわけですが、この日のコンセプトが〈浮かばれない想いの、ある種の救済〉であるため、当然か、とも思います。

曲の中で救いの方向を示している曲(『ウルトラ・ヘヴン』とか『紫光』、『宇宙の末端☆彡』)は、想いとしても時期に浮かばれるでしょう。

『エイトビイト』も救いの方向を示している曲です。

 

生きてりゃあ聴けるしね✌️ 氣長に待ちましょ。

 

 

今年は八十八ヶ所巡礼さんだけでも、五回もライヴにお邪魔したわけですが、全く、良い人生です。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついき

『虚夢虚夢』の「我も貴様の銀河の恥!」の部分で、『あっ…、、そうです、、銀河の恥です…。。。』という気持ちと、『イェー!銀河の恥iiiiiィィィェ!!!』という気持ちがないまぜになってたよ。

 

なにかの曲でKatzuya Shimizuさんの音が『ミッドハイが強調された音』になってて、その音が好みでした。