頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

大・大衆広告ツールSNS

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

もう一ヶ月前になるのですが、ある中華料理やさんに行きました。

 

そのお店はいわゆる町中華的なお店ではなく、商業施設に入っている綺麗で大きいお店です。

 

行った時間が土曜日の夜ということもあって、店内は混雑し、行列すらできていました。

 

いざ順番が来て入店し、座席に着きます。

 

満員の店内はがやがやと賑やかでありながらも、店員さんはきびぎびと配膳やお客さんを席に誘導しています。

そういった状況から、ある種の格式や高級感的な雰囲氣すら感じました。

 

さて、料理はすでに注文していたので、出来上がった料理を待つのみです。

 

わたしが頼んだのは炸醤麺(ジャージャー麺って読むんですって!)と小籠包。

 

しばらく待っていると炸醤麺が到着しました。

 

味はおいしかったですが、この記事で書きたいことは味ではないので割愛します。

味はおいしかったです。

 

 

炸醤麺をおいしいおいしいと思いながらお箸を進めていますが、一向に小籠包が来ない。

「あれ?どうしたのだろう。もしや忘れられている?まぁでも忙しそうだもんなぁ」なんて思いながら待ちますが、確かに来ない。

 

そろそろ炸醤麺が無くなりそうだったので、店員さんに注文を伺うと、どうやら注文が通っていなかったそうです。

 

所謂いつもの『申し訳ございません、すぐにお持ちいたします』の後に、いざ小籠包が到着しました。

 

料理を持ってこられた店員は口を開きます。

 

この小籠包は形があまり良くないのでお作り直しも可能ですがいかがなさいますか」

 

そう言われたわたしはあまり理解ができません。

 

形が悪い?でも小籠包の味には影響しないんでしょ?

 

あまりにも自分の感覺にない申し出だったので「え、冷えているとかですか?」とちんぷんかんぷんな返答をします。

しかし、状況としてまずいのは《形が悪いこと》だけ。

 

わたしは中身が一緒なら氣にならないので、「かまへんかまへん!(いえ、このままで大丈夫です)」と返答しました。

 

すると、店員さんは「でしたら、こちらの小籠包はサービスとさせていただきますね。新しい伝票を書いてきます」と言い、席を離れました。

 

 

棚からぼたもち、田中からぼたんえびです。

 

注文した料理がサービスになるなんて経験したことなどなかったので、なんだか狐につままれた氣分でした。

 

 

「日頃からちっっっちゃい善をしている(落ちているゴミをゴミ箱に入れたり。本当はそのゴミを出した本人の鞄に転送させたい)からかね〜☆」などと太平樂に思いながらも、どうして店側は《料理を無償提供する》という決断をしたのかを考えました。

 

 

現代は超SNS社会です。

そんなSNSで『どこそこのお店は注文した料理も通ってなくて待たされた挙句、出てきた料理も形が悪かった』などと書かれたら、悪評は立たずともネガティヴマーケティングになりかねません。

そういった事態を防ぐための手段としての《料理の無償提供》なのではないか、と思います。

 

料理が無償提供されたら、『どこそこのお店で食事をしたが注文が通ってなくて待たされて出てきた料理も形が悪かったけど、料理をサービスしてくれた♪』と書けばリカバリーが効きます。

 

そういった大・SNS時代に対応するための判断だったのではないかなぁ。と夢想しました。

 

 

そう考えると、現代は我ら大衆の全員が広告を背負っているということでありますね。

このブログもちょっとしたことで炎上をする可能性があるということです。

 

今の時代はなかなか恐ろしいですからね。

 

 

そういえばアメリカのキム・カーダシアン氏という方が、《どんな人種にも対応できるカラーバリエーションが特徴の肌着》を『KIMONO』という名前で売り出す、という発表をして大炎上をしたことがありましたね。

「死ねどす」が生まれた一件です。

 

あれもSNSを利用した《炎上マーケティング》です。

 

炎上マーケティングはお金のかからない宣伝方法ですもんね。

 

 

 

さて、そんな中華料理屋さんですが、どこにある何という名前か、とかは明かしません。

阿保くさいですしね。

 

 

ありがとうございました( ˊᵕˋ )