頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

今すぐに買え

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

この記事は、2023年2月24日に書いています。

 

『モダンタイムス』の新装版

先日、わたしは本屋さんに行きました。

 

わたしは本が好きです。

 

本が好きなので、本屋さんに行くと浮き浮き湧く湧くと胸が踊ります。

色々な種類の本が陳列されているので、さながらわたしは本屋さんに対して『本のテーマパーク』といった印象を持っています。

 

そんな本屋さんを散策していると、以下の文庫本が目に入りました。

 

わたしの大好きな伊坂幸太郎さんの小説です。

わたしはこの『モダンタイムス』を何度も読み返し、読み返すたびに色々な発見や知見などを得ました。

伊坂幸太郎さんの作品の中でも、一番好きな作品です。

 

そんな『モダンタイムス』が?120万部突破したか何かの理由で、新装版が新刊として刊行され、その文庫本が本屋さんで陳列されていたのですね。

 

わたしは伊坂幸太郎さんのファンでありますので、たとえ持っている作品だとしても、面陳(書棚に挿さっている陳列方法ではなく、表紙・面が見えるように陳列される陳列方法)されていたら嬉しくなります。

これをきっかけとして、伊坂幸太郎の作品群に触れる人がいるかもしれないのかぁ、と思うと、氣分が上向く、みたいな感じです。

紛うことなくファンですね。

 

 

そんな『モダンタイムス』の新装版を手に取り、びっくりしました。

 

定価、高くない…?

 

わたしは文庫刊行時の初版本を持っていますが、その当時購入した時はこんなに高くはなかったです。

そう思い、家にある『モダンタイムス』の初版本を見ました。

圧倒的、安い。

初版の証明

 

全然違いますね。

初版時の定価が、上巻562円・下巻657円(税別)です。

それに対し、新装版の定価が、上巻720円・下巻880円(税別)です。

 

実に、上巻は158円・下巻は223円も値上がりしております。

 

 

本屋さんで新装版の定価を見て、「初版本こんなに高くなかったって。物価か…。。」と思いました。

その時に、あることに氣付きました。

わたしはとんでもないことに氣付いてしまったかもしれません。

 

 

サブスクリプションサービス

ここ最近では、サブスクリプションサービスというものが隆盛を究めております。

巷では『さぶすく』などと省略して呼称しておりますね。

 

この『さぶすく』の概略は、「月々に定額の代金を払った、その代価としてサービスを受ける。大抵は使い放題」というもので、有名なところではSpotifyAmazon Primeなどがあります。

 

諸大衆は、その便利さに『さぶすく』を利用されている方も多いのでしょう。

多いからこそ隆盛しているわけですからね。卵と鶏。

 

『さぶすく』のサービスを利用して事業展開しているものをちょっと調べて見たのですが、音樂、映画などの映像コンテンツ、漫画や小説などの書籍や雑誌類、自転車、食事類、衣服、家具・家電、などなどなど。

多岐に渡っていろんなサービスが提供されているようです。

 

しかし、これら『さぶすく』に対して、わたしがよくないと感じる点は《所有をしない》という点です。

 

もしかしたら、「所有をしないからいいのですよ、所有をするとかさばるし」というご心情のもと『さぶすく』をご利用されている方もいらっしゃるのでしょう。

 

これから、わたしが「《『さぶすく』を利用し、所有をしないこと》がどうしてよくないと考えているのか」をご説明いたします。

 

 

財産

サブスクリプションサービスで受けられるサービスの多くは、物質を伴っています。

 

音樂や、映画、書籍、家具・家電、衣服。

 

これらは、これまで『ものを買わないといけない』ものでした。

つまり《所有を前提としたもの》だったわけです。

 

『所有する』ということは、つまり、どういうことか。

それは『財産になる』ということです。

 

音樂や映像の類は、記録媒体を買い、書籍や家具、衣服はそのままその物を買います。

当然「物を買う」ということは、その物を所有することになり、所有した物は財産となります。

 

しかし『さぶすく』は、「売買」ではなく「借りる」というニュアンスの方が強いので、所有はしません。

サービスによっては一定期間借りて、それで氣に入ったら買取もできるそうですね。

 

 

財産となったものは、そのまま所有しておくか、あるいは売りに出すこともできます。

財産となったものは、希少価値がついて定価時よりも高額で売りに出すことができる場合もあるそうですね。

希少価値のついた物を、それを欲している人が購入する。

これは富の循環です。循環であり、継承でもあります。

ヴィンテージと言われるものはこれですね。

 

ですが、サブスクリプションサービスを利用していると、借りることが主体となるので、所有はしない。

所有をしないと、富の循環も継承もされないし、できない。

しかも、利用者は自身の身銭を切って『さぶすく』の定額料金を払い続けるので、サービスを提供する側は定期的に利用者から一定の金額が支払われます。

 

つまり、サブスクリプションサービスは富の循環と継承を行わず、一極集中的に富が集まる。

所有をすれば富が循環して周るが、『さぶすく』はサービスの提供者が富を保有し続ける。

 

サブスクリプションサービスがこのままいくとどうなるか。

その先にあるのは富めるものはより富み、貧困なものはより貧困になるという、貧富の拡大が激化する可能性があるのです。

 

これって、実はかなーり危険なことなんじゃないのか、と思うのですが、どうでしょう?

行き着いた先は、一定のものを借りたり、配給されたりの、旧ソ連共産主義

 

 

おそらく、サブスクリプションサービスは『富める者が、そのままそのものを所有するってよくないんじゃないの』という考えから『いろんな人にシェアしよう!』となって出た案、《資本主義を打倒する案》としてのサービスという側面もあるんだろう、と思うのですが、そのアイディア、サービスの行き着く先が『所有する者はそのまま所有し続ける』という《資本主義が助長される案》になりかねない、というのは、なんとも苦々しい皮肉だなぁ、と思います。

しかも、表面は共産主義的な顔をしている。

ペテンか詐欺か、そんな何かなのでしょうか。

 

 

物価が高騰することで儲ける者、損をする者たち

本や音樂などの諸藝術は、その内容自体は変わりません。

『モダンタイムス』はいくら年月が経とうと(作者の伊坂幸太郎さんが加筆修正などをしないかぎり)『モダンタイムス』ですし、The Beatlesさんの『Abbey Road』は録音したままの当時のものです。

 

つまりその記録媒体に込められた情報は、その『情報自体は変わらない』わけです。

 

では、何が変わるのか。

それは《物価》です。

 

物価が変わることでどうなるかと言うと、その物を買う際に『"消費者"が負担する幅』が大きくなります。

そして"提供する側"と、『提供をするために必要となるシステムを提供する側』が利益を得ます。

『提供をするために必要となるシステムを提供する側』の、代表格は消費税とかですかね。

 

少なくともこれまで30年近く生きてきた限りの浅い認識ではありますが、物価は、上がることはあっても、下がることはありません。

ということは、『今買わなかったもの』が、『次の日には高騰したりする』ということもあり得るのです。

 

『今、買う』のと、『値段が高騰して買う』のと。

その内容は同じで、違うのは物価。

損をするのは、利用者・消費者である自分である。

いかが思われますか?

 

 

今すぐに買え。

再三言っておりますが、わたしは音樂などの藝術や書籍などの『作者の思想・考えが込められているもの』が好きです。大好きです。

以前わたしは読書は旅である、というようなことを書きました。

floodinhead.hatenablog.com

 

『作者の思想や思いが込められている』ということは、それがそのまま自分の知識になる可能性が高いということですね。

実際に、わたしは書籍や音樂から得た知識で、人生がとても愉しくなっていると感じます。

 

しかし、『思想』というのはその特性上、時代によっては『危険思想』とされることもあります。

それまで普通に販売されていたものが、禁書とされ販売が禁止となることも往々にしてありえます。

 

ジョージ・オーウェル氏の著作である『一九八四年』では、読書をすること・紙に記録することが禁止されています。

その理由は『民が思考をすると、為政者が政治をしにくくなる(概略)』というものです。

 

レイ・ブラッドベリ氏の『華氏451度』も読書と蔵書を罪としておりました。

 

為政者のみなさまは、民である我々が思考することをよく思わないのです。

 

『一九八四年』では、「民が読書をしたり、語彙を豊富に知識として蓄えると、自身で思考を始める。そうすれば政治に関心を持つ者も現れる。そうすれば、為政者の地位が危うくなる。だから、読書や紙への記録を禁じているのだ」と言及されております。

 

もし、政権が特定の書籍を『危険図書』と見做し発禁とした場合、新しく書店では買うことができなくなります。

 

ですが、既に蔵書としていたら。

『危険図書』と見做した書物を焚書なりすることは、かなり困難となります。

 

なので、さっさと実体のあるものを買っておいた方が、わたしは良いと感じるのですね。

 

最近ではデータ販売などもありますが、データでの購入は良くないと考えております。

もし知らないうちに、特定の書籍が危険図書となっていた場合、データを消すのなんて簡単でしょうから。

そういった理由から、『実態のあるもの』を買った方が良いと感じます。

 

 

「フィクションから着想を得ているのか、現実をもっとよく見ろよ」と思われる方もいらっしゃるでしょうか。

しかし、恐れ多くも申し上げさせていただきます。

フィクションは、現実の延長線上にあるものなのですよ。

 

 

みなさまきっと思われている通り、少しばかり?いや、だいぶ?飛躍して思考している感は、確かに否めないとは思います。

実際に上記のことを主張している自分ですら懐疑的な部分はあります。

ですが、危険性はある。

まったく0%の杞憂とは言い切れないとも感じています。

可能性があるならば、危険ですよ、と言った方が良いのではないか、と思った。

 

なので、長々とわたしの思考と、直感を認めた次第です。

 

 

いつ何が起きるかわかりませんよ。

人は死にますし、いつ物価が高騰するのかもわかりません。

 

 

だからこそ、今すぐに買え。実体のある物を。

 

強い言い方になってしまうのですが、本心です。

 

 

「賢く使いましょう」という、陳腐なまとめ

ここまで、『サブスクリプションサービスの危うさ』を言及してきましたが、言及している本人としても、これは《財産として残る物質》に対してのみ当てはまるものだろうな、と感じています。

なので、所有という価値観から外れている『食べ物系のさぶすく』は利用してもよいのではないか?とは思います。

 

あと、『さぶすく』を利用して、好みだったら"実際に物を買う"という利用法や、「知らない世界を知るための足がかり」として利用するのならば、良いのではないか。

そんな利用の仕方は、サブスクリプションサービスの賢い利用法でないかと考えます。

 

わたしが『危険だ』と主張しているのは、サブスクリプションサービスを多用して、所有をしないということです。

 

 

な〜んて、完全アナログ派の酔狂な酔狂🍶

とうもろこし🍠

御好きに生きてください💀💓✨

 

あと、冒頭に『この記事は、2023年2月24日に書いています。』と記していますが、この記事自体が危険因子として判断されちゃって、自分以外の人に表示されなくなったら意味ないんですけどね( ¨̮ )

やっぱり紙です( ¨̮ )

紙に書きます( ¨̮ )v

 

 

 

ありがとうございました💀💖

 

( ¨̮ )🌽