本日もご訪問ありがとうございます。
今回は『老化 Ⅰ』の続きです。
つまり後編です🌼
お楽しみいただけましたら🌻
わたしには最近の言葉がわかりません。
略語や、そういった流れの言葉は以前から否定派だったので、言わずもがなという感じはしますが、とは言っても『パリピ(Party Peopleの略。軟派で軽々しく騒ぎたい民衆の意)』や『エモい(恐らく情動的という意味の英単語であるEmotionalを改造したものだと思われます。わたしはこの言葉を使っている人を信用しない)』などの意味と出自はなんとなくわかります。あくまでもわかったつもりです。
しかし、最近(いうてここ数ヶ月)に出自が皆目検討つかない言葉が現れました。
さながら、挑戦者です。
皆さまは『LJK』という言葉をご存知でしょうか。
MCバトルにて、#KTちゃんというバトルMCの方が上記の言葉を用いており、初めてその言葉と対峙したわたしの脳内はまさに『???????????……L?』でした。
JKはわかります。
わたしが中學生くらいの頃に突然現れやがりました。
〈女子高生〉という意味ですね。
「L??????????????????…LadyのL??」
全くわかりません。
老化を感じました。
それから数ヶ月か数週間、その意味を究明せず目を逸らしていたわけですが、「なんかもういいや」と思って、検索しました。
「現代人はわからないことに出くわしたらなにをするか。検索するんだよ」
『モダンタイムス』の五反田正臣先輩の仰る通りです。
さて、いざその意味を調べると『LJK』の"L"はLastという意味だそうです。
つまり、高校三年生の女子高生という意味です。
なので、高校一年生の女子高生はFirstのFJK、高校二年生はMiddleのMJKと表現されるそうです。SDK。
「なぁんだ〜!LastのLか〜!」などとすっきりしていたのですが、その時に老化というものの本質を垣間見た氣がしました。
まだまだ若い20前半くらいだと、恐らくいろんなものに対してアンテナが敏感に立っているので、新しいものが生まれたとしても自然と触れる機会が巡ってくる。
しかし、つまらない大人になってしまうと、毎日がルーティン化してしまい、新しいものへのアンテナも愚鈍化・鈍感化してしまうのではないか。
鈍感化した結果、その人は流行から外れている(まぁ別に流行って追うほどのものでもないんですけど)。
しかも、新しい文化なり流れに見聞きする機会があったとしても、自ら触れようとしない、調べようとしない。『LJK』と初対峙した時のわたし自身のように。
この、『自分から何かをしようと思わないとできなくなった』ということが、老化と呼ばれて形容されることなのではないでしょうか。
思えば、特に何をしなくとも勝手に痩せていた學生時代。
今ではしっかりと代謝も落ちてしまったために、ちゃんと自分から運動をしないと体重は増えていく一方です。
便利な便利な携帯電話にかかりっきりだと、何をするにも億劫になって、「いざ、何かをしよう!」と思うにも一苦労です。
実際に「もういいや。LJKのLってなんの略やねん」と思わなければ、今でもLはLadyのLだとでも思っていたことでしょう。
その意味を知ったのは『自分で調べようと思ったから』でしかないと思います。
怖。老化。
『若い世代や、新しいものを受け入れられなくなること』が老化の代名詞的な立ち位置にあったりしますが、現時点のわたしは『自分から"特定の何か"をしようと思わなくなった頃/こと』が老化なのだろうと思います。
こわ。
今ちょっと考えただけなので信憑性はないですが(わたしの話は全てそう)、自分からその対象に近づかなくなるのって、その対象のことを《わかった"つもりになる"から》なのではないでしょうか。
わかったつもりになるから、近寄らないし、間違っていたとて訂正しないし、「訂正したほうが良いですよ」と親切な方に言われたとて聴き入れない。
イソップ寓話の『すっぱいぶどう』ですね。
脳外科医の養老孟司さんと心理學者の名越康文さんが対談された新書で「やっぱり知ったふりや知ったつもりになるのはだめですよ。よくないと思う。お前は世界の何を知っているんだと思う」というようなことを話されていたのですが、やはり知ったかぶりは良くないのでしょう。
実際、知ったかぶりがばれることほど、"ださいこと(強調します)"はないと、経験則からも感じますからね。
なので、わたしもこんなふうに言葉に頼ってべらべらと言っているのではなく、町へ出ないといけません。
ネットを捨てろ!山へ行け!自然と対峙しろ!
ちなみに、上記にて「老化だ〜もっと新しいものを〜」などと言っておりますが、わたしは音樂に対しては微妙な感じを辿っています。
最近Deep Purpleってめちゃかっこよくね?と思って70年代のブルースを基調としたロックに興味が出たり、やっぱり「Yesはかっこいいよね」「Totoってかっこいいよね」と思っているかと思いきや、「ぼっち・ざ・ろっく!の盤普通にいいアルバムじゃね?」とも思っていますし、「tricotかっこえぇ〜!」と思ったり、「BugHolicさんかっこよ」や「Awichさんかつちょええなぁ」とか「むらたたむさんってネモフィリアのドラムになったんだ〜」などと思っています。
まぁ、温故知新ってことですね。ちんぷ。
実際の所、八十八ヶ所巡礼さんだって世間一般的にはようやっと知られてきたけど、わたしは2014年くらいから知ってたわけだし、キタニタツヤさんもここ最近何かアニメ?の主題化されてましたものね。
あ、でもTicTokとかで流行ってる曲とかはMAJIで一ミリも存じません。
とは言っても、弾いてみたを上げてる人とかTHE FIRST TAKE見てたら最近の売れてる曲はなんとな〜くわかりますよね。
逆に昔のヒット曲も知れる。
しかし、本当の傑物はメディアには出んです。
わたしの所感ですけれどね。
って「わたしは皆さんより音樂知ってるんですよアピール」も老化の証拠なのか?こわ。
「一生言ってろ、ばか」とでも思ってください\(´-`)/
しかし、有難いこと?に『一ヶ月が短く感じる』や、『もう一年終わるの!?』と感じることは、あんまりありません。
正確にいうと、一瞬間は思うけど、色々思い返せば「あ、いろいろやってるわ。案外長いじゃん、一生」と思っています。
まだ、一日は長い。
つーか時間っていうものの感覺自体が、おかしなものなんじゃないの?ペテ〜ンな。
でもあれですよね、好きなことをしてたら本当に時が経つのは一瞬ですよね。
わたしでいうとギターを弾いたり絵を描いたりすることです。
最近また絵を描いていますが「細かい作業愉しい〜!!!」と思っています。
Viva la Analog.
なんだか、聞くところによると、「えっ!もう二時間も経ってたの!?30分しか経ってないと思ってた!」と思った時というのは、その人にとっては本当に30分しか時が経過していないんだそうです。
なので、好きなことを愉しんでして生活をしている人は若々しいのだそうです。
別に、歳を取るのが悪いことだと言っているのではなく。
歳取らんと見えんものも、若いうちじゃないと感じられないものもありますからね。
なんでもかんでも一長一短だと思います。
しーらね。
お好きに生きて〜 わたしも好きに生きる〜 お愉しみに〜
そういえば、その昔に長瀬智也さんが「昔はいちごのショートケーキのいちごも甘くあってくれよと思っていたけど、歳をとるごとにあのいちごが甘くなくて酸っぱいことの大事さがわかるようになってきた」と仰られていました。
これも老化ですね。
わたしはまだ甘いいちごの方が嬉しいです🍇
ちなみに長瀬智也さんは「マイナスドライバーって男らしくていいよね」とも話されていました。
でもさ、老化=劣化ではないよな。
取り止めのない話でしたが、ありがとうございました( ¨̮ )