頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

仏滅の夜 from 流儀

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

本日は音樂のお話です。

わたしの本分ですね。

 

 

タイトルの通り、八十八ヶ所巡礼さんについての記事です。

これまでも色々と書いてきました。

音源のレビュー・自己解釈やライヴレポ、色々ですね。

floodinhead.hatenablog.com

 

見返したところで、「本当に変なことを言っているなぁ」としか思わないと予想ができるので、見返しません。

 

 

一応全部のアルバムを自分なりに解釈してレビューを行なったわけですが、前から思っていたことがありました。

『音源が発表された時系列順に歌詞を読みながら聴きたい!』

 

そうなのです。

2023年現在で入手できる音源は全て持っているにはいるのですが、発表された順番ではなく、てんでバラバラに聴きたくなった順番に音源を購入したので、アルバム単体でしか聴けていないんですよね。

 

────『アルバム単体』ではなく『《バンドの活動》を"大河"として』触れたい。

 

そんな思いから、この度『ファーストE.P』から2023年現在での最新作『幻魔大祭』までを通して聴き、そこで改めて感じたことをつらつらと認めようと思った次第です。

 

 

ちなみに、今回は〈歌詞を読みながら聴く〉ということに重点を置いているので、『鬼畜』『奈落サブウーファー』『泥春』『沙羅魔都』『近頃どうしてる?』は除外いたします。

次のアルバムが発表された時の娯しみにもしたいですし。

 

 

八十八ヶ所巡礼というバンド

もはや説明不要かとは思いますが、『八十八ヶ所巡礼』というバンドは、

・ベースヴォーカル マーガレット廣井さん

・ギター Katzuya Shimizuさん

・ドラム Kenz ∞さん (アルバムが発表された数によって「o」の数が増えるので、ここでは『∞』と表記いたします)

 

のお三方で結成された3ピースのバンドです。

 

音樂性はプログレッシヴ・ロックから影響を受けたのだそうで、マーガレット廣井さん自身が「メンバー全員プログレッシヴ・ロックってジャンルが好きなんだけど」と公言されておりました。

プログレッシヴ・ロックの特徴は、難解・変拍子・各々の演奏技術がとても高いなど色々とありますが、この八十八ヶ所巡礼というバンドはそれを継承していると感じます。

 

 

音源について

八十八ヶ所巡礼さんのアルバム音源は、皆、八曲収録あるいは八曲+Bonus Trackという構成になっております(1stだけは録り下ろし八曲+過去のシングル音源から厳選の八曲という構成)。

各アルバム作品の収録時間は長くても45分以内、短いものだと30分くらいのものもあります。

 

アルバムを聴いてみれば分かりますが、非常にコンパクトで聴きやすい。

しかし、収録されている曲たちは一曲一曲が濃いので、満足感が高い。

むしろ、この濃さで十曲以上も収録されていたら、胃もたれすらするのではないかと思ったりするのですが、わたしが思うに、このコンパクトさも狙ってのものだろうと思います。

 

 

2023年の今現在では、サブスクリプションサービスやダウンロード販売で音樂と触れる機会が多くなって、CDやレコードをわざわざ購入して音樂を愉しむ文化というのも音樂好きしかしなくなったような氣がいたします。

 

個人的にダウンロード販売は好まないので、わたしは今でもCDをせっせと購入しているわけなのですが、以前、あるアルバムと出会いました。

KRAFTWERKさんの『Computer World』です。

Computer World

Computer World

Amazon

 

KRAFTWERK〉は、荒木飛呂彦さんが執筆されている漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』でもスタンドとして登場しているので、名前だけご存知の方も多くいらっしゃるのではないかと思いますが、この"バンド"はテクノミュージックの始祖的存在であり、日本におけるテクノミュージックの大家『Yellow Magic Orchestra』に多大な影響を与えた存在です。

結成は1970年で、『Autobahn』や『The Man Machine』など多くの作品を発表しております。

精力的に活動されていたのは~'80年代後半までです。

 

そんな時代なので、音源を発表する媒体はレコードとなりますが、レコード盤は長時間収録できないという難点がありました。

そのため、収録時間をコンパクトに収める必要がある。

 

そんなレコードの特性上、レコード時代に発表された音源を見ると、長くても45分に収められているものがほとんどです。

Yesさんの『Fragile』や『Close To The Edge』、Pink Floydさんの『The Dark Side Of The Moon』、Lee Morgan氏の『The Sidewinder』などなどなど。

 

レコードで発売された時の収録時間が30分の作品を、CDで再発売するにあたってボーナストラックなどを追加したりしますが、MAJIで全くの蛇足だと思います。が、そんな個人の感想は閑話休題

 

 

先に挙げた『Computer World』も、収録時間は39分程度です。

このコンパクトさが、とても聴きやすい。

それまでは〈アルバム作品は一時間越えしてなんぼ〉とすら思っていたので、「短かくない?物足りなく感じたりしない??」などと生意氣なことを思ったりいたしましたが、いいえ、真逆でした。

濃いし、コンパクトで聴きやすい。

『時間が短い』=〈聴きやすさ〉ってのはあるのだろうな、と感じました(映画においても昔は『映画は二時間越えするもの』と思っておりましたが、最近では〈映画の適切な長さは90分〉という価値観が深く理解できるようになってきました。これは"老い"も関係しているのでしょうね)。

 

 

八十八ヶ所巡礼さんの話に戻りますが、本人がプログレッシヴ・ロック好きを公言しており、プログレという音樂が盛り上がったのは1970年代です。

そんなそんなレコード全盛の時代に隆盛した音樂ジャンルを好んでいたのであれば、自身が作るアルバムの収録時間もレコードに適した長さで構成するのが普通じゃないかな、そういう意思があって、アルバムをあの尺にしているのではないかな?と考えます (『幻魔大祭』のレコード盤を発表したくらいですし)。

 

あと、これは個人的な邪推ですが、『アルバムは一時間近くないといけない』という意識があるのか、多くの邦樂アルバムは、いわゆる"捨て曲"をわざわざ作ってアルバム時代の濃度を薄めているような氣もいたします。

洋樂のアルバムには、レコードサイズに収録された作品もあるので、それとの差別化とかですかね。牛肉のそれみたいな。閑話休題

 

 

八十八ヶ所巡礼さんとサブスクリプションサービスについて

そして、2022年から2023年で八十八ヶ所巡礼というバンドの認知が急速に広がり(なんでなんやろなぁ🙄)、YouTubeで新しい曲のPVが発表されるたびにお祭りが開催されております(きっと前からそうなのだと思うけど)。

そんな動画のコメントで『なんでサブスクにないんだ!』という嘆きが散見されますが、個人的に「八十八ヶ所巡礼さんのアルバム音源がサブスクリプションサービスで配信されること」はないのだろうなと思っております。

 

その理由・根拠として、レコード時代に発表されたアルバムを聴くとよりわかりやすい(正確には、いろいろなアルバムを通して聴いていると、です)のですが、アルバムは『作品』であるためです。

 

音樂アルバムというものは、その一作品に収録されている曲が "全てあって" 初めて、そのアルバム作品の、所謂《世界観》というものを構成しております(商業的に作ったアルバムがどうかは知らない)。

なので、音樂のアルバムに収録されている曲はそのアルバムを通して聴くのがベストなのですが、サブスクリプションサービスを介して聴くとランダムでシャッフル再生されます。

つまり《作品が持っている世界観》など、へったくれもないわけです。

『Close To The Edge』の『Siberian Khatru』だけ聴こえてきても、アルバムとしての感慨や感動などはないですしね。

 

これだけ一つのアルバム作品に意図を持って制作しているバンドが、はたして作品の世界観をぶち壊すサービスに音源を提供するのかしら?と思ってしまいます。

 

 

そんな意図があるために、わたしはサブスプリプションサービスで八十八ヶ所巡礼さんの音源が解禁されることはまずないだろうな、と勝手に考えております。

 

 

ま、好きな聴き方で聴きゃいいとは思う。

 

 

音源

 

ファーストE.P

『今回は〈歌詞を読みながら聴く〉ということに重点を置いている』などと、偉そうに息巻いたわけですが、いきなりから歌詞カードがない!わぁ!

 

殺風景グローバルグルーヴ

マイルドなベースサウンド(シングルコイルのベースで収録されたのかしら?)と、ドンシャリ(高音域と低音域を強調して中音域を抑えめにした音。メタルでよく用いられる)サウンドのギター、めちゃリヴァーブ(残響音)がかかっているスネアドラムが特徴的な曲。

久しぶりにしっかり腰を据えて聞いたら「スネアこんなにリヴァーブかかってたっけ???!」と驚きました。

 

結構テンポが速く、疾走感のある曲なので、各々の演奏技術の高さが垣間見える曲です。

Katzuya Shimizuさんのタッピングフレーズも樂曲の疾走感をより高めているように思えます。

 

あと、ギターの音がでかい。ですがそれはドンシャリの特性かもしれません。

でもやっぱりギター音が大きいと感じます。しかし、ドンシャリサウンドの妙もあってか、各々の樂器とマーガレット廣井さんの歌の帯域が被っていないため、全ての樂器がバランスよく綺麗にまとまって聴こえます。

 

次第にスネアのリヴァーブが心地よくなってくる不思議な曲。

 

 

太陽ヲ盗ンダ男

ベースがもっちりとレイドバック氣味だからなのか、疾走感のあった一曲目と対比が感じられて愉しい。

曲名は同名の映画からですかね?

マーガレット廣井さんはその作品がお好きだそうです。

 

一曲目の『殺風景グローバルグルーヴ』がギターが主役とされた曲なのだとしたら、この曲はベースが主役だと感じました。

ベースがレイドバック氣味だと表現いたしましたが、そのレイドバックしたベースフレーズの中に16分音符とかが鳴らされているので、もっちりとしているが、決してもっちゃりとはしておらず曲の聴き心地が良い。

呑みやすい曲です。

 

 

オノボリサン

この曲を一番最初に聴いたのは『八 + 八』の『オノボリサン2006』だったのですが、なぜか筋肉少女帯さんを想起いたしました。

 

先の二曲とスネアの音が違う氣がするのですが、スネアを変えて録音されたのでしょうか?

『殺風景グローバルグルーヴ』と『太陽ヲ盗ンダ男』が「タァァン…」というふわふわと奥に広がっていく下の帯域に特徴を感じる音像だとしたら、この曲のスネアは真ん中の帯域的な〈スッと腑に落ちていく音〉のように感じます。

 

この曲は、先の二曲に比べたら演奏よりも歌の方が強調されている?と感じます。

歌の音量レベルが少し上げ目のように思う。

 

 

十八銀行

愉しい。全く樂しい曲です。

ソカビートの派生系のようなビートが鳴らされているため、自然と体が動きます。

ロックバンドの伝統?なのか、この「ドッタッ、ドッタン」みたいなソカビートが使った曲は、どうしてかロックバンドには多く見られます。

Aメロ?のバスドラムと竿隊の音とがユニゾンする部分は、何度聴いても氣持ちが良いですね。

 

 

全体的に、歌よりも演奏の方が音量が大きいというミキシングが施された作品でした。

このミキシングなのですが、おそらく、『歌詞カードが付属しない』ということも関係しているのではないか、と考えております。

 

歌詞カードが付いていると、どうしても歌詞カードを見ながら聴いてしまう(もちろん全員ではないと思います)。

それによって音樂として純粋に樂しめなくなる可能性があるし、聴いてほしいプレイも印象に残らない可能性がある。

お三方が洋樂のプログレ盤を聴く時も、わざわざ異言語を解読しながら聴いていたわけではないだろうし、そういった《音樂の純粋な本来的な娯しみ方》を促すために、敢えて歌詞カードを付属しなかったのかな?と考えます。

歌を言語ではなく、『音』として聴いてほしいからこそ、マーガレット廣井さんの歌を主役とおいたミックスではなく他の樂器と同レベルのミックスにした。

 

などと無粋な妄想を炸裂しました。

 

 

ちなみに、この頃からギターが左チャンネルに寄ったミキシングがされております。

一般的なミキシングだと、観客から見た各樂器の立ち位置に音を振り分けるものなのですが(ドラムとベースは曲の要になるので、左右と真ん中に置かれていますが、ギターが一人だけのバンドの場合、基本左右に同じギターを重ねることが多いです。ギターが二人いるバンドなら、立ち位置によって各々の演奏が左右に振られている)、八十八ヶ所巡礼さんの音源の場合、樂曲の多くが左Chにメインのギター音が振られております(最近では『奈落サブウーファー』でもメインのサウンドが左Chに振られていることを確認済み)。

 

ここの意図とかは、まぁ一介の変なファンにはもちろん不明なのですが、ステージでマーガレット廣井さんが聴いている状況の再現とかなのかな?とか思います。

妄想です。

 

 

ファースト・ミニ・アルバム

この作品から歌詞カードが付属いたします。

やっぱり、《情報》があると、そっちに意識を持って行かれますね。

 

仏狂

『ファーストE.P』の時に言及いたしましたが、この曲もギターが左Chから始まって左Chのギターがメインとなっております。

『ファーストE.P』の時の歪みは完全にドンシャリなギターサウンドでしたが、少し中音域が足された音になっていて幾分か聴きやすくなっております。

 

また、この曲も〈歌も樂器の一部〉になるように調整されている曲ですね。

ライヴで盛り上がることを想定した曲なのでしょうか。

 

 

女性問題ト賭ケゴルフ

「ジョウダンダッチャ」イウテカイホウシテネ

 

ーーーーーーーー

 

タツソウジョウコウカテキニ コントンノシナジー

 

ーーーーーーーー

 

コンナンナッチャウナンテソウトウヤバイ

ヨメニバレチャモトモコモナイ

コンナンナッチャウナンテサイテイダ ウ〜ン

シュウカンシダナンテ アザワライミルダケデイイ

 

久しぶりにちゃんと歌詞を見て聴きましたが、なかなかこの主人公は無責任なことを言っておりますね…。

「冗談だっちゃ」と言ったところで解放はされないでしょう…。。とはいえ、ここら辺はわたし自身の倫理観が軸になっているので、どう感じたって良い。個人の自由ですね。

賭けゴルフと女性問題という二つのスキャンダルで、 混沌が相乗効果的なレベルアップを起こしている。

 

 

この曲の歌詞を見ていて思ったのですが、語り手が変わっていますかね?

「コンナンナッチャウナンテソウトウヤバイ」を言っているのは、スキャンダルが報道されている週刊誌を読んでいる側みたいな。

『週刊誌だなんてすっぱ抜かれるもんじゃなくて、あざ笑うものだろ』みたいな?

 

 

ちょっと調べてみたのですが、賭けゴルフと女性問題で取り沙汰された政治家さんが実際にいたそうな…。

 

 

あとですね。

この曲って筋肉少女帯さんの『踊るダメ人間』のオマージュしてます?


www.youtube.com

 

ohenro3

ヒョーゲンリョクデタイセイ ヒョーゲンデキヌサンライズ

 

ーーーーーーーー

 

ショセンヒビハナンセンス ヒョーゲンダケガサンライズ

速いシャッフルビートの曲ですが、いわゆるなブルース的シャッフルではありません(BPMが早いからブルースに聴こえないのか?)。

ライヴ映えする曲で、今聴いていてもまた生の爆音で聴きたくなってきますね。

「ニシへ ヒガシヘ〜」で奏でられているギターフレーズが、ライヴだと本当に流れるように滑らかに演奏されるんです。

 

 

歌詞は表現事で大成することを夢見ている人の決起を歌っている感じですかね。

ビートの甲斐もあって「行くぜ!」みたいな感じが伝わるようです。

 

他にも『ヒョーゲンダケガサンライズ(表現だけが夜明け)』と言っているだけあって、表現に呪われている人であることも垣間見えます。

 

 

9.17

ヒドイアメダッタネ

コンサバティブナアメ

 

ーーーーーーーー

 

サミダレハサダメ

キコウガメダッテネ

オワカレニナッタネ

 

『ohenro3』が樂しげなものだったので、この曲の昏さには心配になります。

「おいどうしたよ!そりゃ表現は簡単なものではないけど、なんかあった?」と思っちゃいます。

 

 

コンサバティブ(conservative)は保守的という意味なのだそうですが、【雨】を『人から浴びせられる意見』だと仮定したら、〈保守的な意見ばかりで自分の意見は聴きいれてもらえなかった〉と解釈することができます。

まぁ『表現で大成する!』と息巻いても、本当に大成できる人はほんの一握りですので、「地に足つけて生きろ。夢を見るな」という保守的な意見もさもありなんとも思う。

 

『五月雨は定め』について、わたしは "五月雨式" ということだと思いました。

『五月雨式』と言う言葉は、〈途切れながらもだらだらと続く様〉という意味だそうです。

また「キコウ」についても、五月雨について言及しているので、天氣という意味合いの『氣候』とも取れますが、わたしは "奇行" だと考えます。

 

そういったことから考えると、《保守的な意見をだらだらと浴びせられ続け、その返答にも窮してしまったために知らぬ間に奇行を行なっており、それが目立ったために縁談が破談となった》みたいなことなのかな、などとつまらぬ妄想をいたします。

 

この『ファースト・ミニ・アルバム』は、歌詞が全てカタカナで表記されております。

これも、わたしのような奇特な変人に妙な妄想をさせないためなのかな、と思ったりいたします。

でも結局わたしのような奇特な変人は生まれてしまう。

 

 

あと、全てをカタカナ表記にした理由としては、目から入る情報をマイルドにするため。

 

 

脳ハ寝テナイ

ヨウキナアサダネ モザイクガユレテテ

チョウシハズレノメイ ヤッパリオレハモッタイナイノ

 

カナ?

 

ーーーーーーーーーーー

 

キタグチ「ザンガイ」 サビレタキッサデ

ノマサレツヅケル オマエノハキダスイサン

 

ノンキナモンダネ ハッタリジミテテ

 

『9.17』のその後?

晴れた陽氣な朝だけど、ぼやっとした視界がモザイクになって揺れている。

五月雨式に保守的な意見を言われ、その後に「わたしにはあなたは勿体無い」などと言われた。

本当にそうなのかな?

 

駅の北口にある寂れた喫茶店で、相手から浴びせかけられる、胃酸(これは不快な言葉、みたいな意味合いか?)

ですが、次に来る「呑気なもんだね。はったりじみてて」ということから見ると、『遺産(思い出)』である可能性も浮かびます。

 

自分でもよくここまで色々な妄想ができるもんだと思う。

 

 

ペテン師ト後ノ祭リ

オナジウソニダマサレテ サンドメモミギニオナジ

 

ーーーーーーーー

 

イデアッテモーソー ユビヲタテ ユビヲタテ サケブニチジョー

 

ーーーーーーーー

 

ヨガッテルウエニクサッテル イヲケッシテタチアガル

ワレ、ショードー ヨクボー ウズ ワカイシヨウトケツレツス

 

『同じ嘘に騙されて、三度目も右に同じ』は「好きよ」などの言葉に騙されて、三度目の正直とならず以前と同じ結末を迎えた。

思っていたものは、恋であり、また妄想でもあったことを理解して、指を立てた。

 

この曲において『ペテン師』と表現しているのは、おそらく恋仲になった相手とかなのでしょうね。

『ペテン師ト後ノ祭リ』は、恋仲だった相手と別れ話かなにかをし、喧嘩になったことを謝って和解はするけど、二度と恋仲になることはないよ。みたいなお話なのですかね。

 

あるいは単純に政治と政治家に対しての感情。

 

なにを読み解いているのだわたしは。

"こうじゃないか" と思ったら、人は往々にして『それ』だと思ってしまうものですが、こういうことを危惧してマーガレット廣井さんは全てをカタカナ表記にしたのでしょうね。

 

 

曲始まりの怪しい感じから開けて盛り上がるところとか、何度聴いても氣分が高揚いたしますね。

『オナジウソニダマサレテ サンドメモミギニオナジ』にて複弦で鳴らされるベースも大好きです。

 

 

ファースト・マキシ・シングル

今ではめっきり見なくなった、懐かしのマキシシングルケースです。

しかし今知ったのですが、マキシシングルは12cm規格のCDのことを指すのですね。

 

愛ワ三文字

愛 ワ キモチ  愛 トワ 即チ

LOVE ワ ヨ・コ・モ・ジ  サテ 愛 ワ 何文字?

 

ーーーーーーーー

 

奇ヲ衒ッテルme

DE-CONSTRUCTION 美

 

ーーーーーーーー

 

本能遊戯

ホ・ン・ノ・オ・ア・ソ・ビ

『愛というものは、氣持ちだ。だから、愛は三文字だ』

『しかし愛の英訳であるLOVEは横文字だ。だったら、愛は何文字なんだ?』みたいな意味合いですかね。とんちみたいな。

 

『DE-CONSTRUCTION』というのは〈脱構築〉という意味の哲學的思想のようです。

「既存の意味を解体して、新しい可能性を生み出す」みたいな、ちょう雑に言ったらそんな感じらしいです。

『奇を衒う』というのは、風変わりなことや他の人と違うことをするという意味ですので、『自分は奇を衒っている。美しさを脱構築するのだ』という意思にも思ます。

とすると、この曲の語り手は『ohenro3』『9.17』の主人公と同じ?

 

『本能遊戯 ホ・ン・ノ・オ・ア・ソ・ビ』は言葉遊び的な側面の方が強いと思いますが、「〈脱構築〉をすることを本能が求めている」とも取れるし、「〈脱構築〉なんてお遊びだよ、と冷めた牽制をしている」可能性もある。

 

またその他に、この曲は『愛について』の曲でもあり「愛に飢えてる 愛を寄越せ」と言っているため、《愛を求めること、それ自体が生物の本能的な遊び》であるとも解釈することができます。

 

 

ウ〜ン、支離滅裂である。

 

 

 

歌い出しである『愛 ワ』の歌メロディに対して、ベースで鳴らした音程がテンションに当たっているんですかね。

歌も樂曲のハーモニーの一端を担っているなんて言われたり言われなかったりしますが、よく体現しているかなと思います。非常に偉そうだ。

 

この曲はベースの音が大きくミックスされていますね。

よく八十八ヶ所巡礼さんの曲の感想として「3ピースの音圧じゃない」なんて言われたりしますが、それって、マーガレット廣井さんが動くベースラインを奏でていて、コードトーンまで一手に奏でているために、さながらギターが二人いるバンドのような音圧を獲得しているんですかね。

 

 

浮き浮き

日を追う毎 過激に無謀になっていく

毎夜もがいても 過激に無謀になっていく

 

ーーーーーーーー

 

うきうきうきうきうきうきする...

と言いつつ 俺は不条理に泣いた

 

ーーーーーーーー

 

Hello, 素晴らしき日々 浮き浮きで死に 勘違いの日々

Good night, 素晴らしき日々 浮き浮きで死に 勘違いの日々

 

浮き世は地獄 雁字搦めの

欲をいえば 前向きなアホ

無謀になっていくのは、妄想か何かについてでしょうか。

妄想が逞しくなって「うきうきする…」と思っても、それは妄想でしかないから俺は泣いた。みたいな感じ?

『おはよう、おやすみ、素晴らしき日々』と言うも、それ自体が勘違いである。

勘違いばかりが引き起こされる浮き世は地獄。身動きの取れない貼り付け地獄。

願い()を言わば、「前向きなアホ」と詰られる。

 

みたいな感じだと、わたしは受け取りました。

しかし、『チルドレン』の陣内みたいな《前向きで勘違い的なアホ》の方が、人生愉しんで生きられるようにも思える。

 

そして、『ファーストE.P』から続いたある人物の色恋物語は終えた。

 

八十八ヶ所巡礼さんの樂曲って、色恋情事のことを歌ったものってほとんどないと思いっていたので、『八 + 八』までの三枚の作品でこんなに色恋のことを歌っていたことに驚きました(もちろんわたしの阿保な勘違いの可能性はとても多くある)。

 

あとこの曲名の『浮き浮き』ですが、曲が暗い内容ではあるので『憂き憂き』とのダブルミーニングという可能性もあるかもしれませんね。

 

 

妖しげな雰囲氣から始まる曲です。

ベースのフレーズと歌とが絶妙にグルーヴしているのか、ポリリズムしているのかと思えてハラハラします。

樂器全般に言えますが、ニュアンスも含め同じ音を何度も繰り返して奏でることはとてもとても難しいです。

しかも、「ブブブブ…」というあの音はなかなか弱めにピッキングしないと出せない音でもあり、強いピッキングをするよりも弱いピッキングをする方が難しかったりもします。

そんな難しいプレイをニュアンス一緒で繰り返し弾いていて、すごいな、という感情です。

 

ギターは、巻き弦を鳴らした時にブィーンという音が足された歪みの音作りがされております。

ナチュラルでありながらもキラギラとした金属的な音』が鳴っている感じ、ファズでも使っているのかな?と思いました。

 

ドラムのスネアは先に使われていたような、弾ける類の音ではなく、下の音の抜けが強調されています。

スネアドラムは個体が変わるだけで音も大きく変化いたしますが(ドラムの各太鼓全てに言えますが、ギタリストやベーシストが多くの竿を持つのと同じように、ドラマーはスネアドラムを複数個所持したりします)、この氣分が暗めな曲を、弾ける元氣な音が特徴のスネアで叩いたら、確かにちょっとイメージは違うかもな、とは思います。

このスネアの音源だけしか聴いたことがないのでなんとも言えませんけどね。

あとスナッピー(響き線)というスネアの音を変化させる鎖?みたいなのによっても打音は変化するので、単純にスナッピーを付け替えただけかもしれません。

 

『愛ワ三文字』と音像が似ているので同じスネアでスナッピーを付け替えているのかもしれませんね。

 

 

Bonus Track

初めてこの曲を聴いたときの衝撃は忘れません。

「"Bonus Track" はて、どんな曲なのだろう。ロックバンド特有のふざけた類のもの かしら…」と思って、曲が始まるのを待つ…と。。

 

えっ!!!!!!『Return To Foever』じゃん!!!!!!!

 

MAJIかMAJIでか。という感情です。

この『Return to Forever』はエレクトリックピアノを使ったジャズアルバムの中でも名盤と名高いものなので、ご存知の方も多くいらっしゃるでしょう。

 

 

まさかの選曲だったので心底びっくりいたしましたです。

しかし、思い返せば後に発表された『粋NALI』でもジャズの技法をマーガレット廣井さんが用いていたり、ライヴの終演BGMにLee Morgan氏の『The Sidewinder』を流したりしているので、ジャズに対して造詣が深いのでしょうね。

 

原曲では女性が歌っているメロディーをKatzuya Shimizuさんがギターで奏で、リズム隊のマーガレット廣井さんとKenz∞さんは黙々と職人のようにフレーズを繰り返し奏でます。

このKatzuya Shimizuさんがギターソロをひたすら弾き倒し、他の二人は伴奏に徹するという構図があったから?のちに作られる『幽兵衛 no 幽鬱』や『幽楽町線』ができたのかも?とか思います。

いや、ギタリストはずっとギターソロを弾いていられるものですかね。

 

曲の雰囲氣は、原曲の収録されたアルバムが発売された1972年当時の、ある意味昭和的な風や空氣を感じます。

なんというか、'80年代入りして色々と浮かれる前の『様々な敗北によって時代にできた影』を感じる。

 

個人的に、原曲の方が明るめというか幻想的な調べを感じるのですが、このカヴァーにはどちらかというと仄暗さやぼんやりとした憂鬱感(憂鬱感を樂器演奏で昇華している印象。ジャズやブルースなどのブラックミュージックの原点と本懐)を憶えるため、原曲の完全なカヴァーというよりも原曲が収録されているアルバムの二曲名『Crystal Silence』と『Return to Forever』とのミックス的な印象を感じます。

 

 

1:02~のマーガレット廣井さんのベースソロですが、《バンドで実際に音を出した際のドラムが共鳴してジャラジャラ鳴る感じ》も収録されていて(「ボヮッ」と低音が広がる感じの音像)、生の樂器をマイクから音を拾って録音しているリアル感みたいなものが感じられて、フェチ心をくすぐられます。

最近のライン録音だとアンプから音を出さなかったりなんてザラですからね。懐古主義かな。

 

 

八 + 八

floodinhead.hatenablog.com

 

具現化中

5678

 

ーーーーーーーー

 

闇にちょっとうっとり 光を知ってうんざり

 

脳内のイメージ=幻覺を具現化(表現)しようとする曲です。

なので、『ohenro3』とかと同じ語り手か?

 

『闇にちょっとうっとり 光を知ってうんざり』と言っているので、少し腐っている人物なのかしらなどと思ったりもしてみた。

 

ずっと「なんで『5678』なのかしら?」と思っておりましたが、これって拍ですね。

この曲は4/4拍子で構成されているので、一小節が四分音符四つ分ということになります。

「イチ、ニ、サン、シ、」と数えるので、自ずと「ゴ、ロク、シチ、ハチ」となるわけです。

 

ライヴでは定番の曲です。

 

 

日本

現在我が日本国は 経済的繁栄にうつつを抜かし

ついには精神的にカラッポに陥っている

ただ、技術とへ理屈にばかり偏った

血も、涙も、儀も、誠も無い政治に蝕まれている

 

子供騙しな情報を垂れ流すマスメディア

自国民の精神を著しく弱体化させ

若者を絶望の淵へ誘い 飼い殺しにすることの

その真実の意味を知っているか?

 

ーーーーーーーー

 

何となくで嘲笑うな

まずは冷笑主義を潰せ

 

ーーーーーーーー

 

洗脳から解き放たれろ 洗脳から解き放たれろ

洗脳から解き放たれろ 洗脳から解き放たれろ

 

愛国心を個々に持て

 

歌詞に書かれていることは、マーガレット廣井さんの本懐でしょう。

おそらく今現在でも心にあることではないでしょうか。

 

『何となくで嘲笑うな まずは冷笑主義を潰せ』というのは、この曲ができた当時のインターネット(匿名性が表面的には担保されたもの)に対してだろうな、と思っていましたが、思い返せば普通に現実世界でも『自分の世界しか認めない』というスタンスの方はいましたね。いましたし、今も一定数いますね。

しかも、今はインターネットがインフラ化しちゃったから、その当時よりも酷いかもしれませんやね。節操ねえや。

 

あと『洗脳から解き放たれろ』ですが、《洗脳》についてはどう考えるか難しいですよね〜。

個人的には『インターネットで調べて出てきたこと』や『携帯電話に表示されたこと』を全面的に信用するのも洗脳じゃないの?とも思うし、『「天皇万歳!」と言うことも洗脳だ!』と主張する方もいる。

もはや趣味の範囲すらも洗脳だと言って糾弾しようとする方もいらっしゃるよう。

 

自分が正とするものを信じてりゃいいじゃん、とも思うけど、それを押し付けようとすれば「それもそれで洗脳しようとしてね?」と解釈することもできる。

むずいっすね。

 

とりあえず、自分が正しいと思っていることも、一回フラットに疑ってみることをしたら "洗脳から解き放たれる" ことができるのかも。

とか言っていますが、こんなわたすの意見なんてこの記事では必要ではない!

 

 

今ではマーガレット廣井さんの音はハムバッカーピックアップを深く歪ませてブィンブィンとなる音作りが行われておりますが、この曲からyesのクリス・スクワイア氏のような音像のサウンドが形作られたように思います。

 

 

マーガレット廣井さんの「日本万歳!」も「ンン日本っ」も好きだし、『ご静聴有難う』の後の展開や、ライヴの時に言う「みんなが知ってるカヴァー曲を一つ!」も好き。

 

 

ちなみに、2023年の夏にマーガレット廣井さんとKenz∞さんの生まれ育った町、愛媛県南予の吉田町に行ってきたのですが、吉田町には神社があって、そこの鳥居には『愛國』という文字が彫られていました。

 

八十八ヶ所巡礼さんのライヴでは、本編の最後にこの『日本』が演奏されます。

曲が始まる前に「愛國心はあるか」と口にするのが恒例となっているのですが、この意識というのも生まれ育った町が関係しているのかな、と感じます。

 

 

仏滅トリシュナー

よく嗤う君の妄想気味で凶暴な趣味を知った

 

ーーーーーーーー

 

呆気なく 容赦無く 酔っ払い主義を叩き込む此岸

 

ーーーーーーーー

 

よく嗤う君は際限のない不条理を創り出した

微笑で眠り狂えば彼岸だって辿るって云うのだ

 

ここで言われている『君』って、実は仏陀のことなんじゃないでしょうか。

よく嗤うというのは、仏の笑みを見て此岸を生きる我々を嘲笑っていると感じたとかなんとか。

《酔っ払い主義》は、いわゆる "仏狂" 状態で、その酔っ払い主義を叩き込むのが仏の趣味で、「微笑で眠ったら彼岸も辿れるよ」と唆して、仏狂状態に陥れること=際限のない不条理である、そんな状態にすることを趣味としているなんて、なんて凶暴なんだ。みたいな。

全面的に批判するわけではなく、造形が深いからこそ責めたくなるみたいな感じではないかなとは思います。

近しい間柄だからこそ見える解せない部分、みたいな。

 

 

先に流れた『日本』はYes的のクリス・スクワイア氏なブィンブィンした音でしたが、この曲は前作と前々作的なアプローチで音作りが行われております。

バンドがオールインする前にマーガレット廣井さんが効果音的なフレーズを奏で、ドラムとベースとがユニゾンいたしますが、この正確無比さとベースの音とが、さながら機械的な調べをもたらします。

再三言っておりますが、このプレイは本当のMAJIでとんでもないです。

 

ちょっと技術的な話をいたしますが、このベースラインはファ・シ・ファ#・シで1ブロックが構成されております。

この曲も基本的に4/4拍子で構成されていて、フレーズの音符は八分音符です。

三弦→二弦→一弦→二弦の順番でピッキングされますが、単純にこんなフレーズはピッキングをする右手がもたつく。

ピック弾きで演奏するのなら、ピックを上下に動かすオルタネイトピッキングで比較的樂に演奏ができますが、マーガレット廣井さんは指弾きです。

人差し指と中指を交互に動かすオルタネイトピッキングだったりエコノミーピッキング(一回の動作で複数の弦を鳴らす奏法)をしているのですが(日によって使い分けている?)、一朝一夕のプレイヤーではこんなややこしいフレーズは指がもたついて仕方がない。

 

しかも、以前に言及いたしましたが、一弦を弾くときには手首を下方向へ動かす必要がありますが、ピッキングは指を曲げるので、手首と指が互い違いの方向へ動くことになる。

そうするとうまくピッキングができず音の粒がばらけたりするものなのですが、それもなく正確無比にフレーズを弾いている。

 

伝わっていますでしょうか、この凄さ。

 

しかも押弦する左手は、ピッキングして出す音だけを慣らすために都度ミュートをしているのです。

右手でピッキングする意識+左手のミュート、氣が遠くなりそうです。

わたしはギターを嗜むのですが、ギタリストだから『仏滅トリシュナー』のベースフレーズを難しいと感じるという訳ではないと思います。

 

 

一番終わりの間奏、4/4拍子と3/4拍子の所で首振り人形みたいにゆらゆらするマーガレット廣井さんが好きです。


www.youtube.com

 

 

女々しい女

歌詞については対して言及するべきものもないように思えますが、ここで『女々しい女』とされている人は過去に登場した人とかなのでしょうか?

復縁を迫っているとか?

 

 

ベースとバスドラムのユニゾン大好き人間なので、聴いていてとても樂しいです。

しかもお二人とも音がタイトなのでスタッカートの具合も良く、わたしの中の八分音符も悦びます。

 

曲始まりのミュートしたギターの音が綺麗すぎる。

おそらく全部ダウンピッキングで弾いていますね。

Katzuya Shimizuさんのギターは基本的に脱力して弾いているのだと思いますが、これだけ脱力して弾けるようになるまでにはどれだけの練習が必要となるのでしょうか。

 

 

浮世デェト

心がへし折れた

しょうも無いことだと一蹴したのに

 

ーーーーーーーー

 

心が二つある

途方も無い無気力が襲ってくるし

 

逢えたら何を話そう

無意味に悩んでいる

 

ーーーーーーー

 

ぶっ倒れそうなほど

退屈なのよ

あくびしながら

死んじゃってもいい?

 

泣いていいよ 泣いてくれ

泣いていいよ 泣いてくれ

泣くな

 

ーーーーーーー

 

「じゃあまた浮世で会おう

ねぇまた浮世で会おう」

 

『ファースト・マキシ・シングル』で終わったと思っていた、色恋事を想起される曲です。

理由は、そのまんま「浮世でデート」というところから。安直。

『女々しい女』と続き物かしら?

 

また、「コイデアッテモーソー」と叫んでいた人のその後のお話であるとも解釈できます。

心がへし折れた、しょうも無いことだと一蹴したのに、という発言からです。

 

それともしかしてなのですが、これって『脳ハ寝テナイ』と同時期が舞台ですか?

時間軸は違うけど、その当時のことを思い返している。

 

「もし逢えたら何を話そうか」

考えたって無意味なのに悩んでいる。

相手のいない日々は退屈すぎて倒れそうなほど。

"当時のこと" を思い出して泣きそうになっている。

「じゃあまた浮世で会おう、ねぇまた浮世で会おう」って別れるときに交わした会話だとか?

なかなか悲しいお話ですが、妄想です。

 

 

この曲のベースは前述の『クリス・スクワイア的な音』の曲ですね。

 

リズム隊が土台を作った上でKatzuya Shimizuさんが奏でるギタープレイが、何ともギタリスト然としたプレイで良い。

 

ところで「泣いていいよ」のところのスネアってうっすら深めのリヴァーブかけられてる??

それとも全体的に同じリヴァーブがかけられていて、静かになったからリヴァーブがよく聴こえただけ?

 

 

八十八発

八十八ヶ所巡礼さんの歌詞にはよく烏賊が登場いたしますが、マーガレット廣井さんが好きな肴なんですかね。

「厚生にだけ 光当てやがり」の部分がやけに生々しくて、改めて歌詞を見返して笑いました。

 

 

この曲は『ファーストE.P』や『ファースト・ミニ・アルバム』とかの音と近い感じでベースの音が作られているのですが、何というかねっちゃりしているというか、リングイネみたいな音像だなと思います(なんだそれ)。

 

以前にも少し書いたのですが、やっぱりサビになると〈ワル〉な感じを感じますね。

サビの八小節目で、オクターヴ上に移動するベースラインが超かっこいいです。

 

 

親孝行

おれはごくつぶし

 

おれはロクデナシ

 

ーーーーーーーー

 

いえをかってやるよ

いずへいってこいよ

ほねはひろわせおくれよ

 

自らのことを『ごくつぶし』や『ロクデナシ』と表現し、「しゅっせばらい」を目論む人物の曲。

「親孝行」という曲名なのに自分のことを穀潰しと言っていて、いいのかよ。と冷静に聴いたら笑ってしまいました。

三日で月賦がなくなるとのことですが、酒でしょうか、博打でしょうか。

 

しかし、家を買ったり伊豆旅行を用意したり、骨は拾わせろと言ったり、ちゃんと良い息子をしております。

なんたって、親よりも先に死ぬことほど親不孝なことはないと言うくらいですからね。

親よりも長く生きて骨を拾うということは孝行ごとであると言えます。

 

 

音樂にはメジャー/マイナーという考え方があります。

和名では長調短調という言葉で表現され、そちらなら耳にされたことがある方は多いのでは無いかと思いますが、簡単に言ったら『メジャー(長調)=明るい』『マイナー(短調)=暗い』みたいな感じです。

めちゃ偏見ですが、この『親孝行』のような《"無理して明るく振舞っている"みたいなメジャー調の曲》ってロックバンド特有な氣がします。

殊に'90年代のロックを聴いて育ったバンドは、こういったメジャー調の曲が一曲はある感じ。ね、偏見でしょ。

わたしはヴィジュアル系の音樂を聴いて育ってきたので(主に聴いていたいたのは密室系だから、王道のヴィジュアル系バンドってよりも異端よりですが)、こういったロックバンド特有のものには馴染みがなくどう言ったらよいかわかりません。

しかし、この曲はミックスが非常にシンプルなので、『"謂わゆる" な3ピースのロックバンド的な音』をしているように思います。

ほとんど知らないので勉強しないといけないし、下手なことは言えませんが、音のミックス具合に『ゆらゆら帝国』を感じるというか。

 

 

BUTT'S TRIP BAR

この曲、結構過激なこと歌っているのですね…。。

あんまり褒められたことではないことをしている…。

考えてみれば、この曲も色恋の話か?

恋慕が絡むと常軌を逸した行いもできてしまうということ?

どうか、素敵な夜を…。

 

なんというか、個人的にこの曲はBARって言うよりもスナックって感じがする。

 

 

SYG88

floodinhead.hatenablog.com

 

この作品からだんだんと「???どう読むのこれ曲名」と思っちゃうような曲名が増えてきます。

 

ano世love

ano 世 love ano 世 life

ano 世 love I know your lies

やたらと死後の世界を知りたがっている人物が主人公です。

《あの世》のことをやたらと言っていて、あの世ってのはまったく仏教的な価値観である次第ですが、「I know your lies」で言っている『your lies』ってあの世とかのこと?

〈あの世〉とか言っているけど、そのおべんちゃらは嘘なんでしょ?みたいな問いかけというか、問い詰めというのか。

 

 

のっけの始まりから感じる、このギリギリした緊張感のある刃物っぽい感覺が脳内に快樂物質をドバドバ出してくれますね。最高。

 

マーガレット廣井さんの音が非常にクリーミーで好きです(音の喩えで『クリーミー』を使うなんて思ってもみなかった)。

 

曲始まりのベースとAメロのベースとが若干違うのとかも憎いアレンジですよね。

 

 

悟ri + time

プルシャまで逃げましょう プルシャまで逃げたい

プルシャまで逃げます プルシャまで逃げたい

 

ーーーーーーーー

 

乱ダムに云います

前の解説でも書きましたが、『プルシャ』は真我という意味だそうです。

真我というのは《本来の自分》という意味ですので、そこに逃げるということは、自分という存在は大きな一つから派遣されていることを本能的?に自覺しているということなのかなと思います。

 

また『乱ダム』に色々と真逆と思えることすら言われますが、この清濁というか、表裏左右前後を経験して受け入れることを経てこそ《悟り》を得ることができる、この曲名自体、「悟りを得る時間」と「"悟りたい" と願う氣持ち」という二つの意味合いが同居しておりますしね。

 

 

PALAMA・JIPANG

欲望愛好家の皆々様

満たされ過ぎて どうしようもなくて

恍惚だなんて とうに超越しちゃってる

 

 

ーーーーーーーー

 

我らの望む理想郷へようこそ

現世の望む理想郷へようこそ★

 

ーーーーーーーー

 

八月は極楽浄土キャンペーン!

 

ーーーーーーーー

 

正気になってみてご覧

貴女うしろめたい事はありますか?

 

ここで言及されている『欲望愛好家』とは我々人類のことですが、「満たされ過ぎてどうしようもない」というのは、色々な意味で飢餓(断食とかも)を経て悟ることができると言われているこの世で、欲望愛好家は飽食に胡座をかいて生きていちゃって、どうしようもない、という意味合いも篭っていたりするのかな、などと邪推をかましたりしちゃった次第です(「痛い・欲しい・眠たい 喰べたいし 吐き出したい 快樂に浮かんでいたいの」という後に歌われる歌詞でも、より推論を裏付けていると感じたり感じなかったり)。

 

この曲ってつまり踊り念仏的かつ仏狂的な「愚な自分もちゃんとしっかり見つめた上で愉しもうぜ!」みたいな曲なのかな〜と思いました。

「うしろめたいことはあるでしょ?」

しかし、たしかに善行をしても報われないんだよな。

 

 

あとさ、〈満たされ過ぎてどうしようもない〉ってのは、後に発表される『日本』にて収録の『幽星より愛を込めて』で言及されている「役立たずで愚図なニュース」のことも指しているんじゃないのか、っても思うんです。

実生活において本当のMAJIで1mmも必要ではないゴシップを浴びせかけられて、ゴシップに満たされ過ぎてどうしようもないほど、自分の生活に目が向いていない。

ゴシップに魅せられて、《実態のない欲望》にまったく振り回される皆々様。

 

でも、ゴシップに対してだとしたら「恍惚」への解釈がわからなくなるんだよな。

ゴシップにやいのやいの好き勝手言って、恍惚になっている "消費者" のこと?

『女性問題ト賭ケゴルフ』においての、"週刊誌を読んでいる側" のこと?

流石に飛躍しすぎかな。

 

この曲で歌われる「理想郷」も、この曲を歌っているマーガレット廣井さんから見た理想郷ではない可能性もあります。

この曲のタイトルは『PALAMA・JIPANG』ですが、ジパングはこの日本国のことです。

そんな現代の日本国が望む理想郷、生!解脱の絶えない欲望垂れ流しで満たされまくる煩悩満載の国にようこそ!みたいな意味でもあるのかしらね〜なんても思ったりしたり。

 

 

SYG88

生まれてきたのは 午前◯一時◯八分

酔った勢いの   午前◯三時◯五分

 

ーーーーーーーー

 

生まれてきたままの 午前◯◯時十二分

酔った勢いで    善からぬ事を考えているのは

 

ーーーーーーーー

 

未知の意識まで  あと二十数秒

まだらな外界と  みだらな時空を

 

いまいち何を歌っているのかわからない曲。

ですが、ふと思ったのですが、これってまぐわいのことを歌ってます?

『BUTT'S TRIP BAR』でも言及されていた午前一時八分ですが、別な表示にすればAM1:08となります。

108は煩悩の数になり、煩悩の数の時間に生まれた感情。

午前午後と歌っているのなら、わざわざ明確な時間を設定する必要はないはずです。

それに、24時間時計であれば午後一時は13時となり、108にはなりません。

やっぱ煩悩じゃね?

 

また『BUTT'S TRIP BAR』の主人公はなかなか過激なことを行おうとしておりました。

 

最初はこの曲の元ネタ?が浮かんだのが午前1時8分とかなのかな、と思っていましたが、それだと「生まれてきたままの」や「酔った勢いで」の説明がつかない。

 

極めつけは「未知の意識」と「まだらな外界」「みだらな時空」です。

そんな時を経て、俺は生まれてきたんだぜ。みたいな。

 

 

粋NALI

You've got 眼 to 眼 to 共同体

齷齪する醜態

炸裂する崇拝

 

ーーーーーーーー

 

「何を云ってんだ兄ちゃん!」

You!What!

「浮かれたこのままでええんかい」

「おいっ!何だ、その面は兄ちゃん!」

"You've got"

「浮かれたこの世は見えんかい?」

 

アルコール中毒の方が見た幻想の曲??

手前が生み出した手前の幻影だけど、醜態だけど、だからこそmana&kanaみたいに瓜二つな関係。

あと幻想だと思っているけど、実は自分自身を叱責する自分の意識でもあるのかしらね。

 

「齷齪する醜態 炸裂する崇拝」ってのは、『齷齪して生活していると、ぽっと出の対象(ぽっと出ではない古のものにも)を崇拝してしまう』から氣をつけろよ、みたいな意味合い? "敵は血に潜んでる?"

 

最後の「何を云ってんだ兄ちゃん!」からの部分は、《粋NALI》との会話は実は脳内とか幻想での会話で、路上生活の方に心配されている様を想起いたしました。

『You've got』は「あなたは持っている」という意味だそうなので、お前が持っている両目で浮かれたこの世は見えねえのか?と言われているような意味合いかなと邪推いたします。

 

 

この曲ってイントロとオールイン後とでテンポが違うんですね。

赤色灯とサイレンの音みたいなギターが鳴る所では、イントロに比べて少しテンポが上がっています。

そして、このオールインした後の演奏、わたしは不思議な感じがするのですが、それってドラムとベースは一小節で完結するフレーズなのだけど、ギターが二小節分でパッケージされたフレーズだから不思議な調べを感じるのでしょうか。

二小節分の八拍を三三二とか三二三のノリでギターを弾いているから、四拍四拍のリズム隊と絶妙に食い違うポリリズム的な浮遊感を感じるのかもしれません(実はドラムもバスドラムを聴いたら二小節で成立するフレーズです)。

 

 

Carrousel末路

色々遊びまわっている人物の曲ですね。

この人物が遊んでいる場所って、『PALAMA・JIPANG』で歌われている〈理想郷〉でしょうか?

また曲名のCarrouselって回転木馬のことらしいのですが、回転という意味でいうと、脳内で色々考え過ぎていて思考が永遠に回っているということとも考えられますね。

が考え過ぎているから、脳が痛い。

 

あと、考えられるとしたら、普通に嫌いな人間と遊びたくないけど「NO」が言えなくて脳が痛くなっている。

 

 

この曲のギターソロはおそらくチキンピッキングが用いられていますが、このアルバムからチキンピッキングを多用しだした感じでしょうか?(いちおう『仏狂』にて、チキンピッキングで弾いているフレーズはある)

『PALAMA・JIPANG』の「テレレテレテレレッ♪」というフレーズもチキンピッキングですもんね。

 

 

delusion喪黒

おれの美女んはどこいった

Ah 君ともう苦樂苦樂

Ah 君との極樂が

曖昧な涅槃は

滅却 delusion

 

ーーーーーーーー

 

Ah 生きてる 喉からお手々が出てる

 

ーーーーーーーー

 

如何わしい愛を解きたい

もう嫌って見たくない

 

現実を直視したくない人物が嘆いている曲です。

現実を直視したくないから妄想に凭れ頼っている?

現実ではなくて、過去の?"君と重ねた極樂"を反芻しているのでしょうか。

でもそんな妄想(delusion)は滅却した。

 

はたして、この曲で語っている人物って、このアルバムのトリに収録されている幽兵衛なのではないでしょうか。

 

 

幽兵衛no幽鬱

怨めしい盆の夜に

生前、妻と呼んでいた女に逢いにいく

某の知らぬ男と

情事を営んでいる最中

 

「あなたが仏様になったら必ず共に行くわ」

 

「『delusion喪黒』の語り手は、この曲の主人公である幽兵衛なのではないか」などという、まったくトチ狂った考察を行なったわけですが、『Ah 生きてる』や『俺の美女んはどこいった』などの発言から、なかなか上記の説は的を射ているように思います。

 

自分の知らない男を情事を重ねる妻を見て、妻()と重ねた極樂が知らない男と重ねられている様を目の当たりにして、如何わしい愛を解きたいと思うし、それは喉から手が出るほど。

生前に妻と呼んでいた女が情事を重ねる様は、もう嫌と見たくない。

 

「あなたが仏様になったら必ず共に行くわ」と言っていた思い出、それは今となっては幻想であり妄想である。

それを滅却して、呪って射止めたい。怨念で仕留めたい。

 

 

ところでこの曲ってベース二本重ねてますかね??

どう聴いても一本の音に聴こえないんですよね。

ベースを二本重ねている、あるいはベースだと思っている音は実はギターという可能性。

 

 

○△□

floodinhead.hatenablog.com

 

某WNO夜

 実態ヲ前ニシテイナイモノノ

 有限ノエネルギー凝集状態デアル

 我々ニソノ不穏ナ波ハ感ジ取レルノデアロウ

 ソウ、現代風ニ言ッテミレバ

 某WNO夜ノ到来ニ怯エテイルトイウ

 素ッ頓狂ナ話ナノダ

 

ーーーーーーーー

 

 マトモニ認識スル能力ガアルウチニ考エテオキタイ

 ソレハトテツモナク深遠デ巨大ナコトダ

 アリモシナイ某WNO夜ノ到来ニ怯エテイル場合デハナイ

 モット素ッ頓狂な恐怖ガ来ル

 

からくりはどこだ?

覚醒者を見つけ出すんだ

 

からくりはどこだ?

覚醒者を見つけ出せ

 

からくりはどこだ?

覚醒者を見つけ出すんだ

 

その物事は具現化されてはいないが、限界のあるエネルギーの集合である。

我々にはその不穏な状態を感じ取れるだろう。

今時の言葉で表現するならば、某WNO夜の到来に怯えているという全く間抜けなことなのだ。

という意味合いなのですが、ここで言っている『具現化されていない有限エネルギー』って、報道とかのこと?かなとふと思いました。

 

(わたくしの持論)

多くの報道って、その報道が行われたからこそ報道された物事が現実化するとおもうんですよね。

(わたくしの持論)

 

そして、報道というものにも鮮度というものがあって、なんがしかの衝撃的な報道も、それがおきた(とされる)その時に報じないと意味がない。

『実は誰それが一ヶ月前に暗殺されておりましたが、下手人はすでに捕まっており、死刑も執行されている』などという報道は、ほとんど(多くの消費行動を促す報道という意味合いで)意味をなさないわけです。

そのような『出来事を "起こすように" 誘導する』報道の内容に怯えきっている、「某WNO夜が到来します」という報道に怯えているなどという至極間抜け千万なお話なのだ。

みたいな意味合いなのではないか、と思いました。

 

まともに認識する能力があるうちに考えておきたい

それはとてつもなく根が深く多岐に渡り強大な巨人然としている

ありもしない某WNO夜の到来に怯えている場合ではない

もっとほとんど阿呆らしい恐怖が来る

からの部分は、『「某WNO夜が到来します」という、嘘っぱちな側面を持った報道』を信じて怯えていると、《報道する側》が本当にありもしないことを本当らしく報道しかねない/する、ことになる。

その『ありもしない報道』を信じるということ、それが "素っ頓狂で間抜け" な恐怖そのものである。ということなのではないの?と、『個人的』に思いました。

 

だから、その間抜けで素っ頓狂なからくりの所在と、それを作った者を探している。

世の中の潮流を、"素っ頓狂で間抜け、だと氣付いている人" それが、覺醒者だということなのではないかしら?と、正直わたしはそうとしか思えません。

 

ですが、こんなものはわたしの妄想なので「まったく素っ頓狂なことを主張するものである」と笑いながら読み飛ばしてください。

 

 

サビの部分でアルペジオからのユニゾンチョーキングかましているギターが好きです。

 

 

霊界ヌ~ボ~♨︎

あ、三時寅の刻同時に天界の小間使いが来て

天からのお告げだの○△□※と喚いている

あ、神は云った。ここをこうしてこの紙を喰って

約50分して目を開いてその全て分かる

 

まるで錯覚 視覚はトロトロ まるで△のように 視覚は飛ぶ

 

「あ?なんだ、この紙は?」と聞いたら天界の小間使いは云う

「天からのご招待状なんです!」と喚いている

あ、おれじゃない、おれじゃない、カタチだけおれだ

あ、クリアランス クリアランスに浄化してく

 

ーーーーーーーー

 

「あ?なんだ、この場所はいったい?」独言する私がいて

「死んだらとにかく困んない?」

「死んだらどうなるかってことを教えてあげる」

床一面には六芒星

「死んだらどうなるかってことを教えてあげる」

 

 

ーーーーーーーー

 

まるで錯覚 視覚はトロトロ マジで錯覚のせいで 思考が飛ぶ

 

ーーーーーーーー

 

あ、クリアランス クリアランスに浄化して

あ、クリアランス クリアランスに浄化したい

あ、クリアランス クリアランスな気持ちで

あ、クリアランス クリアランスに誰か消して

ねぇ

 

ここにきて『神』が出てきました。

八十八ヶ所巡礼というバンドはこれまで仏や仏教に対しては歌っておりましたが、西洋思想的な神の存在は歌っておりませんでした(初めて聴いたときに言及した通り、LSDなどの藥物に対しての曲でもあるように思える部分もあるので、『紙』と『神』の同音異義語で子音踏みしただけの可能性も大いにある)。

そんなバンドがここにきて一神教的な神(曲のなかでは "一神教" と言及されていないので、『神=一神教』という思考運動も洗脳ということになりますね。おお怖い)のことを出している。

仏教では『極樂』とか『浄土』という価値観はありますが、『天』や『天界』という価値観はありません。それはキリスト教的価値観の領分です。

ということは、この曲で言われている〈天界の小間使い〉なる人物は、さながらインターネット回線の乗り換えを売り込みにくるセールスマン然としているように思いました(単純に薬物を勧めて来る悪友の可能性もある)。

 

 

死後の世界を紹介する?部分がありますが、これさ、この『"わかりようもないもの" を、《これはこう》と思考確定させようとする行い』って、ほとほと宗教的ですよね。

「死んだら困らない?『死んだらどうなるか』ってことを教えてあげる!教えてあげるから、お氣持ち由来のお布施をね?」みたいな話が定石と思います。

 

 

この曲には『錯覺』という言葉が多く登場いたしますが、これも『日本』で歌われている洗脳じゃないのかな、と感じます。

実はありもしないことを錯覺している(させられている)せいで、思考が飛んじゃって正常に考えられない(こんなことを書いているわたし自身が、はたして正常な思考をしているのか?とふと思った)。

それは、このアルバム一曲目の『某WNO夜』における「素っ頓狂な状態」である。

 

そんな錯覺塗れ・洗脳塗れ( "洗う" のに "塗る" という漢字が使われるのは面白いなぁと感じる次第)の自分を、浄化・洗浄・精算して?クリアランスして?という願い?みたいな歌でもあるのか?などと思考いたしました。

全く素ッ頓狂である。

 

 

もしか、これは非常にデリケートな話ですが、仏教でさながら仏狂になっていた文明開化以前の日本に、持ち込まれた『キリスト教』という、ある意味合いでの異物の話なのかしら?

昔なにかで触れた小説(芥川龍之介さんとかの古い時代のもの)に、キリスト教を『邪教』と呼称していた部分があり「そんなこと言わないでよ〜」と、ぼんやり暗い氣持ちになったりしましたが、その当時の意識としては当然なのかもなぁ、と思います。

今現代だっていろんな宗教を『ペテン』と切り捨てているような時代ですし。

 

個人的には八十八ヶ所巡礼さんの曲でのKatzuya Shimizuさんのプレイで一番好きな曲です。

ギターのプレイ的にはタッピングみたいにド派手な部類ではなくどっちかというと燻し銀な部類なのですが、ニッチなプレイを聴くと喜びを感じるわたしにとっては、この曲のギタープレイは格別です。

曲始まりからトリルをぶちかましているところや、曲間の静かになるところで曲始まりのフレーズと同じプレイをピッキングなしでトリルしているところ、一番目のサビで四弦ルートのオクターブを二弦と四弦で弾き分けているところとかも最高で、最高に枚挙に遑がありません。

 

ライヴでも確実に盛り上がる曲なので、あの爆発力も好きです。

 

 

((((未練))))

未練の無い世界にいきたい

 

ーーーーーーーー

 

下界はもう繰り返しの穴だらけの矛盾史の腐った泰平(ピース)を嘲る

都合のいい妄想とか狂った現実逃避でぱっと一生無になる

 

わたしも未練のない世界にいきたいね〜。

 

この『未練』ですが、こいつぁ記憶ってものがあるために引き起こされるものです。

つまり曲解すると(これまでもかなり曲解はしておりますが)、「これまでの記憶を無くしたい・記憶というもの自体がない状態になりたい/世界にいきたい」ということなのかしらでしょうか。

 

この曲では下界という価値観が登場いたしますが、この曲の主人公は幽兵衛のようなアストラル的存在👉つまり平たく言えば幽霊ではなく、この現世に馴染めず、世間と自分とに浮いた違和感を持っている、実在する憂いた人間であろうと思われます。

実際に浮いた違和感を持っているため、世間様の世の中が下界と思えてしまう。

 

下界で起こることは、いつも腐った穴(ボロ)だらけの矛盾史の繰り返しで、一瞬間の腐った(でたらめ、という意味合いでこの言葉を使った?)泰平で安息している。

泰平は平和という言葉とほとんど同義ですが、それをピースと言い換えているのが、That's cool!ですね。

『ピース』という発声にすることで、一切れ・欠片という意味としても通用することになり、〈穴だらけの矛盾史に、腐った泰平をはめ込んでいる〉という意味合いでも解釈することができるようになり、『その生活』を、嘲る自分という構図として判断することもできます。

 

都合のいい妄想(ポジティヴな意味でもネガティヴな意味でも。自分にとって都合のいい妄想を、パズルのピースのように組み替えられる)とか、狂った現実逃避(『都合のいい妄想』を理由に、行動したりしなかったりすること)でぱっと一生無になる(現実逃避のせいにして、自分の魂が本当に慶ぶことも行わず、一生を終える・無駄にすること)。

 

☝️上記☝️したことから考えると、『アホみたいな他者由来の価値観に振り回されて、自分の本分を生きずに一生を終える』ような未練のない一生を生きたい、ということでもあると考えられますね。

未練のない世界で生きたいね。

 

 

個人的に一番変拍子を贅沢に、ふんだんに用いている曲だと感じます。

だって曲始まりとサビは5/4拍子で、3/4拍子になって、3/4拍子の小節も一小節目の三拍目にアクセント(Kenz∞さんのシンバル)が付いているんですよ??

もはや6/4拍子じゃないですか!

 

…いや、サビのサイズが5/4拍子で二小節なので、十拍分となることから、この曲は2/2拍子の曲なのか??

…ああ、くらくらしてきた。。

これだからギターを嗜んでいる程度で偉そうなことを言うもんじゃないんだ。

 

 

A & N & D

安堵を君に伝えたい 安堵はやけに素敵でしょ?

安堵は君につかりたい? 安堵は君を喰らいたい?

安堵を君に伝えたい 安堵に君が要るのなら

安堵の意味をたたえたい 安泰に明後日の方へ

 

乱れたり滑稽になったり 萎えたり性急になったり

あんたにとって間違ってよ 勝手にしちゃって悶々で

 

ーーーーーーーー

 

安堵を君に与えたい 安堵に意味が有るのなら

安堵に意味を与えたい 安堵に意味が要るのなら

幸せをひねるつもりなら 安堵はやけに素敵でしょ?

安堵に君はすがりたい? 安堵は君を喰らいたい

 

乱れたり滑稽になってり 遊んだり幸せに語ったり

浮かれてる状態をもってよ ぴったりいかず間違ってよ

会えたり透明になったり 恨んだり恍惚となったり

あんたにとって間違ってよ 勝手にしちゃって悶々で

変えたり急にとどまったり あせったり聡明になったり

浮かれてる状態をもってよ ぴったりいかずまとまってよ

あんたにしたって間違ってる うっかりしちゃって間違ってる

あんたにしたって丸まってる 安泰に明後日の方へ

 

この曲、わたしには《恋人関係の相手へ、安堵を知ってほしいと思っている願い》の歌に思えて仕方がありません。

そんでもってこの曲の語り手は女性。

相手(安堵を知るべきと思われている人)の方は完璧主義に取り憑かれているのかな、とも思います。

 

「安堵を君に与えたい」と歌っていますが、安堵ってのは相手自身の意思で求めないといけない。

なので、『あなたは安堵を欲している?縋りたい?安堵の方はあなたを欲しているのよ』と助け舟を相手に出している。

「Help!」は、相手自身が出さないと意味がないからです。

 

もし押し付けて『実は安堵がほしいんでしょ?』と強硬策を取ろうものなら、この相手は態度を硬化させて自分から去って生きかねない。

そもそも、完璧主義な方は『自分は安堵を欲している』ということを自覺しないと、意味がないためです。

 

だから、この曲の語り手は、辛抱強く相手に寄り添ったり語りかけたりしている。

 

 

もちろん、たった一人の個人の別人格的主観が「おまえさ、もっと力抜きなよ。もっと助けを求めなよ。自分でも限界なのわかってんでしょ?」と自己煩悶している可能性もありますが、あんまりその線は薄いんじゃないのかなと思います。

その理由ですが、そもそも完璧主義の方は『自分のやわっこくて痛い部分は見ないようにしている』から、です。

そのやわっこい部分を下手に突っつきでもしちゃったらば、これまでのアイデンティティすら崩壊しかねないためです。

つまりは、『自覺している、観えているけど見ないようにしている』ということですね。彼ら彼女らもしんどいんですよね。

 

当然『自分の痛い腹すらも突き刺して、ぐるぐるかき混ぜて、煩悶している人』もいらっしゃるのでしょうが、それをできる人はかなり頭が良いし、死地をくゞり抜けて傷だらけになっている。

一応補足しておきますが、この曲の歌詞を書かれたマーガレット廣井さんの頭がよくないと言っているわけではありません。

 

 

ちなーみに。

のちに発表される『脳がとろける街888』の主人公は、この曲で言われている《完璧主義に呪われた人》だと思います(この曲に登場する《完璧主義に呪われた人》かどうかはなぞ)。

 

 

あとは別で、この曲で主張している「いろんな感情を赦そうよ」というのは、前作の『悟ri + time』で言及していた「乱ダムに云います」に通じます。というよりも同じことなんじゃないのか。

 

 

☞異界逝コウ☜

絶望をない交ぜにした存在を見ないことにして

不快な覚醒をもたらすものから目をそらしておけ

苦い水は要らないそれから強い香も要らない

ほの暗い仕掛けなどあったら見ないふりをしたい

 

絶望を最低数日ぐらいは見ないことにして

不快な覚醒をもたらすものから距離をとっておけ

苦い水は要らない生々しい香も要らない

不意に手痛い奇襲などあったら非常に厄介だな

 

絶望をない交ぜにした存在を見ないことにして

不快な覚醒をもたらすものから睨みつけておけ

苦い水を求める生々しい香を吸い込む

浅暗いあざとい仕掛けなどあったら破壊してやりたい

 

絶望の意味を淡々と鮮明に理解してゆく

不快な覚醒をもたらすものに対峙し合っていく

苦い水を飲み干す生々しい香を吸いつくし

途方もなく暗い陰惨な己と距離をとっておけ

 

煩悩の対象が分からないし

ぶっ飛びたい次元も分からないし

煩悩の回答が掴めないし

ぶっ飛んだ場所さえも覚えちゃいない

 

絶望をない交ぜにした存在を見ないことにして

不快な覚醒をもたらすものから目をそらしておけ

絶望をない交ぜにした存在を逃げないようにして

不快な覚醒をもたらすものから睨みつけておけ

 

異界マデ逝カナイ?

 

この曲の語り手は『A & N & D』で言及した《完璧主義に呪われた人》?

「絶望をない交ぜにした存在」は、自分の認められないところ。

その〈自分自身の認められない部分〉を直視すると憂鬱な覺醒が始まるので、見ないように目を逸らす。

ここでの「苦い水」はAlc.のことだろうと感じます。強い香は、煙草か、あるいはその他のものか。

自分が認められない部分を見てしまうと、現実逃避のためにAlc.や強い香を頼ることになってしまう。

そういった仕掛けを理解しているのなら、見ないふりをした方がよい。

 

そのような対策を最低数日行うことで、憂鬱からは距離を取れるから実践しておきたい。

さすれば、本来不要な嗜好品も必要ではなくなる。

でも、そういった対策を行ったことで、手痛い奇襲が不意に降りかかったら、とても嫌だな。

 

〈自分の認められないところ〉を、常に意識化に置いて警戒をしておく。

しかし、そんなことをしていたら「苦い水」を筆頭とした嗜好品が必要となってくる。

抜け目がなくて狡猾な仕掛け(ストレスを感じると、嗜好品に逃げるという『 "生物の" 防衛本能』と、それを利用し阿漕な利益を生んでいるシステムなどなどなど)があるのならば、壊したい。

 

「絶望」の意味、それは『観ないように意識をすること、それはつまり意識をしている以上、観ないようにしているものは忘れることができない』ということ。

その「絶望」という事実に氣付いて、淡々と、しかしはっきりと、その事実を理解していく。

それなら「苦い水」も「強い香」も呑んだって一緒じゃないか。

「絶望」の根本になっている〈自分の認められないところ〉とは、付かず離れずの距離で日々を過ごすしかないのであれば。

 

それなら、『「絶望」を観ない』という煩悩の対象はどうなるのか?

自分自身の煩悩が分からなければ、生きたい場所も分からないし。

自分自身の煩悩がわからないから、煩悩自身の回答である煩悩も理解できないし。

たまたま行って心地よかった場所のことも覺えちゃいない。

 

赦せない自分は赦せないままでもいい。

それを赦せないと怒ったり憂鬱になったりしても、そうしなくても、いい。

 

そんなどっち付かずの状態のない異界へ行きたい。

なんなら、、。

 

 

恋人に心中を持ちかける曲?太宰か?

『自分はこのままでも良い』という、ある意味の悟りや諦観の曲でもあると思いましたが、それだと最後の「異界マデ逝カナイ?」の部分が暗すぎて辻褄が合わない。

『自分はこのままで良い』の意識は、ちょっとポジティヴ的すぎるように思えて、樂曲がマイナー調なことからも、実は「共に心中をしないか?」と誘っている曲だと思いました。妄想です。

煩悩の対象がわからなくなっている部分って、のちに歌われるところの "モヤ" なのではないかとも思います。

 

 

⌘惑う惑星⌘

この惑星はもうやばい 負を塗りつぶす未来

この惑星はもうやばい 暗闇ばかり喰らい

この辺でもうやばい 秘密の消滅をもって

諭してあげたい それが真実じゃないの?

ねぇ?

 

ーーーーーーーー

 

逃げよう

 

二度と戻らない 愛想つかして

片道の宇宙旅行と洒落込もう

疑念の及ばない 狂おしく安らぐ

紫煙の揺らめく 涅槃の星まで

たどり着きましょう 無重力でしましょう

痴情に惑わない 這いつくばらないの?

ねぇ?

 

ーーーーーーーー

 

我は宇宙なり それが真実じゃないの?

ねぇ?

 

『☞異界逝コウ☜』の語り手の中にいる細胞たちが歌ってるの??と思いました。

「こんなネガティヴなことばっかり言っている肉体で仕事すんの、おいら嫌だよ」みたいな。

『秘密の消滅』は、そんな細胞たちが一斉に生命活動をストライキしたらどうなるのか、それで説得する?と相談している様、みたいな。無理矢理感が多い。

 

の・で、この曲の語り手は『A & N & D』の方かな、と思ったりもしました。

「ものごとの暗い部分だけ見て、喰らって、もうそろそろこの人やばいかも。連絡取れないようにしたら、自分の愚かさを悟ってくれるのかも。そうでもしないと諭せないのかもしれない。もう、逃げよう」

ほとほと愛想がついたのでしょうか、『痴情に惑わない』とも言っておりますし。

『這いつくばらないの?』は、迷惑かけたのに謝らないの?みたいなこと?

 

だとしたら、『我は宇宙なり』に関してはどうなのか。

相手に合わせて生きたり、生活をする。それは、地球にとっての月であったり、太陽系における火星や金星。つまり、他の存在に振り回される。

いや、自分の人生なのだから、自分は惑星ではなくて宇宙そのものであるはずでしょう。

ということなのかしら?

 

実際、地球の生命にとって地球はさながら宇宙みたいですが、生命の細胞にとってはその生命自体が宇宙であるとも考えられます。フラクタル構造ってやつですね。

 

 

または、黒塗りという言葉から、単純凡庸な思考回路で考えて、政治に対してだとか。

安直!

 

 

極樂いづこ

悶々と過ごしてる 部屋以外も薄暗いしな

想像で時間を止めたりして遊んでいる

 

盲目で暮らして 時を弄んでいる

此処に肉体は在るのに 果たして魂もあるのか

 

霊界のヒットチャアトに一通り目を通している

霊界で流行りの歌も下界と同じでくだらないな

 

ーーーーーーーー

 

悶々と過ごせば 先は明るい未来さ

年々と苦痛に 耐えられるだけの未来さ

 

ーーーーーーーー

 

此処はどこですか?或いは幻か?

嬉しいことは妙に白々しいんだけど

此処はどこですか?或いは幻か?

悲しいことも妙に白々しいんだけど

此処はどこですか?或いは幻か?

現実の正体をご存知ですか?

 

そりゃあ悶々と過ごしていたら部屋も氣持ちも暗くなるよな。

 

「想像で時間を止めたりして」というのは、《もし、死んだりしちゃったら》なんて考えることで、それを遊びと捉えている( "遊び" と捉えている理由は後述します)。

愉しいこと?に目を当てず、暗い氣持ちで生活すること。また、自分の生きている時間を生のために使うのではなくて《もし死んじゃったとして》とか暗い氣持ちで生きているその瞬間そのものが「盲目で暮らして 時を弄んでいる」ということだと解釈。

「此処に肉体は在るのに 果たして魂もあるのか」は、正直解釈が追いついておらず自分の中でも曖昧ですが、この語り手は近代合理主義や唯物的な価値観で生きてきたけど、もう限界になった人?正直わからん。

でもこの語り手は先に言及しておりました《完璧主義に呪われた人》であるとは思います。同一人物かは謎。

 

 

霊界のヒットチャアトに一通り目を通している 霊界で流行りの歌も下界と同じでくだらないな

この一節で思ったのですが、この語り手は寄る辺ない人なんじゃないでしょうか。

 

靈界はもちろんあの世でこの世ではありません。

この世に居場所を見出せなかった『((((未練))))』の語り手のように、「あの世や靈界なら居場所があるのではないか」と思っていたのに、蓋を開けてあの世の流行歌を聴いてみたらば、その実はこの世の流行歌と大差のないものであった。

〈あの世〉だけは自分の居場所なのかも、と抱いた希望が砕けたわけです。

 

この世でもあの世でも自分の居場所はないのだと知った。それによって自分という存在の生き場所と身の置き場所がなくなったのです。つらい。

自分の居場所はないと実感してしまったため、『死んだところで無駄』だと知ってしまった。

なので『《もし、自分が死んじゃったら》なんて考えること』は遊びになるのです。実行ができないから。

 

この寄る辺ない論は現世とあの世だけではなく、自分が強い憧れをもっていた世界などにも適用されます。

學校、職場、共同体、趣味の集まり。

多くの人間が多くいる場所で、自分だけがぽっかり取り残されているような感覺というのは、言いようのない哀しさがありますからね。

 

 

悶々と過ごせば 先は明るい未来さ 年々と苦痛に 耐えられるだけの未来さ

これが本当に辛すぎる。

今のしんどい時期を耐えたら、そのしんどさと苦痛を感じる機能が麻痺していく。今耐えれば、未来は同じ苦痛を受けても耐えられる。それは明るい未来じゃないでしょうか、ということでしょ?

 

果たして、それは明るいのか。

わたしには目の前が暗くなるような氣持ちになりますが、当事者としては明るい希望なのかもしれない。

しかしながら、わたしには辛いことだと感じる。

 

 

「此処はどこですか?或いは幻か?」からのセクションから、もしかしたら?と思ったのですが、この語り手はニヒリズムに支配されもしていたのではないでしょうか。あるいは、時間の経過で支配されていった。

嬉しいことも悲しいことも白々しいと言っておりますが、それ以前は生々しいと感じ取っていたわけです。

感情が動くという意味合いでの感動すらもできなくなっていた、全く不感症な日々を過ごしていた。

挙句は現実の実感すらも持てなくなってしまった。

あるいは、頭が良すぎて狂ってしまった方か。

 

 

一番終わりにあるギターソロにて、マーガレット廣井さんはペダルポイントでコード弾いてますかね?

 

 

⇔粛正の夜明け⇔

はい!不貞腐れの諸君!!

学⇔生の皆さん!!

下層の同士よ!!

悪政を前にしご機嫌はいかが?

我々の理想を幻想に閉じ込め悶えてはいないか?

紙切れによる支配と!

強欲の失態!

詐欺師の君臨を!

粛清がしたい!!

勝算はあるんだ!!

今こそ我らに貴様らの粋な!!

一票を!!!

 

ーーーーーーーー

 

無知の歯車が増産されてるそのうちの一つがお前だ!

愛くるしい甘い囁きに裏切られてる気分はどうだ?

金を出し不幸を買ってる己に嫌気はさしていないか?

 

ーーーーーーー

 

無知の歯車が増産されてるそのうちの一つがお前だ!!

戦々恐々怯えて暮らし続けているのはどうだ?

それが八十と八年死ぬまで続くのなんかはどうだ?

 

迎えたい⇔粛正の夜明け⇔

罪を憎め!腹を暴け!

心ない輩を殺せ!!

 

ーーーーーーーー

 

嘘で勝ってるのは嫌です!

唯々諾々言いなりも嫌です!

騒がしくも暗い浮世です!

それがお前とおれの運命です!!

 

ーーーーーーーー

 

はい!不貞腐れの諸君!!

学⇔生の皆さん!!

下層の同士よ!!

悪政を前にしご機嫌はいかが?

我々の理想を幻想に閉じ込め悶えてはいないか?

紙切れによる支配と!

強欲の失態!

詐欺師の君臨を!

粛清がしたい!

粛清がしたい!!

粛清をしよう!!!

我々の粋な!!

粛清を!!!!

 

ーーーーーーーー

 

迎えたい⇔粛正の夜明け⇔

罪を憎め!卑怯な世渡り!

 

ーーーーーーーー

 

紙切れで死ぬのは嫌です!

不幸で商売も嫌です!

騒がしくも暗い浮世です!

それがお前とおれの運命です!

嘘で勝ってるのは嫌です!

唯々諾々言いなりも嫌です!

騒がしくも暗い浮世です!

それがお前とおれの運命です!!

 

最高…。もう最高ですこの曲。本当恍惚。

不貞腐れしょぼくれ文句ばっかりの人間への喝と活力を注入するような曲だと感じます。

さながら岡本太郎氏の『自分の中に毒を持て』を読んだ時と似た感情が去来します。

 

多分に政治的批判も垣間見えますが、それと同時に個人的には資本主義企業への怒りも感じる。

以前にも言いましたが、『紙切れによる支配』の紙切れは言わずもがなで「お金」のことじゃないですか。

『強欲の失態』は政治献金云々がバレた政治家に対してかな?とも思いますし、2000年代の中盤以降に多く話題になった食品偽装についてであるとも思えます。

『詐欺師の君臨』というのも、「選挙時には上辺だけ綺麗な政策を掲げても、いざ当選してみれば掲げていた政策をまともに実行しない政治家」についてとも言えますし、「『安心安全を謳った』資本企業」についてであるとも解釈が可能です。

 

そんな詐欺師だらけの今の世で、無知なまま生活している一つがお前だ!

金を生み出すシステムにいることを知らぬまま生活していることで、自ら金を増産させているんだぞう!

体裁の良い政策や『安心安全』の謳い文句に踊らされ裏切られている氣分はどうだ!

『安心安全』を買ったそのもの自体が、不幸への援助をしていることを知っているか?

 

戦々恐々怯えて暮らし続けているのはどうだ?

それが八十と八年死ぬまで続くのなんかはどうだ?

👆上の内容に覺えはございますでしょうか。

これこそ、『某WNO夜』にて言及されていた「アリモシナイ某WNO夜ノ到来ニ怯エテイル場合デハナイ モット素ッ頓狂な恐怖ガ来ル」そのものです。

『某WNO夜』は報道というものについての注意喚起の曲である、とわたしは解釈いたしましたが、その報道されたことを怯えるのならまだしも、起こってもいないことに目を向けさせて不安にさせ、保険企業などに搾取される(もちろん咄嗟のことに備えて起こっていないことに目を向けることは必要です。しかし、度が過ぎると元も子もない)。

そんな日々を汲々と生きて八十八年間の人生を費やすのって、どう思うよ?ということなのだろうと、わたしは、解釈いたしました。

 

しかし、その搾取構造を憎むのであって、搾取を仕事として行なっていた方を糾弾したり、システムを作った方を憎んではいけません。

どうしてその搾取構造を、システムを作ったのか。その理由を暴け!

 

個人的にですが、『悪役がどうして悪役になったのか』を描いていないものって、どうしても薄っぺらく感じてしまうので、勝者強者だけの視点ってのは、あたしゃは好きじゃないですね。

 

あと「罪を憎め!腹を暴け!心ない輩を殺せ!!」の部分は、インターネット上で好き勝手他人を批判している方々に対しての注意であるようにも聴こえました。

 

 

またどうしたわけか、なんというか、ミヒャエル・エンデさんの『モモ』を想起いたしますね。

〈心ない輩〉が、灰色の人間です。

 

 

それで、この曲で言われている『粛清』がなにかということなのですが、もちろんそのまま〈革命〉とかそういった運動とか一揆とかデモ行進とかの、ある意味物騒な行動(物理的意識としても精神的な感じ方にしても)の可能性もあるのですが、これって「我々の粋な!!」って言っているじゃないですか。

なので、わたしは『八十八ヶ所巡礼の音樂を聴くこと』が粋NA粛清である、と解釈致しました。

『八十八ヶ所巡礼の音樂を聴いて踊ろうぜ!!』というバンドからのメッセージなのではないか、という結論を導いた次第です。

 

もともとロックンロールというものは、我々を苦しみから助け出すものではないわけです。

苦しみを抱えたまま踊らせることができるのがロックなので、「難しいこと考えずロック聴きゃいいじゃん。それで」という、暖かい主張なのかなと思いました。

大体、基本的に不安を煽ることでマネー中毒の詐欺は横行するわけなので、上記した「うるせえ!ロック聴け!」という主張は、無知な歯車ながら『紙切れの支配』と『詐欺師の君臨』に対して一矢報いる《粛清》を行えているのではないの?と思います。

 

 

しかしですね。

この曲が上記の意味なのだとすると、このアルバムの流れとつじつまが合わないわけなのですよね。

虚無に支配された一個人が政治や社会に怒りを向けるという構図は、今昔変わらずあるものと思いますが、だとしても唐突がすぎるよな…?と思います。

虚無に支配された末に、人は活動家になった…??

 

すみません怒らないでください。

 

 

Katzuya Shimizuさんのギターは、音源では左Chにメインの音が置かれていると先に記しました。

その音の振りはこの『○△□』でも続いており(ネタバレ:最新作でもそう)、右Chのギターはハモりとして機能していたりします(ライヴで弾いているのは左Chのギターだと思われます)。

 

基本的に右Chのギターはハモりなのですが、大サビ?で右Chに振られたギターがめちゃくちゃかっこよくて好きです。

休符と裏拍の調べが良いですね…〜。テンションコードを使ってる?と思われる音も好きですし、大サビに入る直前で「テレレレレッ!」と音が上がるのも好きです。

 

 

0088

floodinhead.hatenablog.com

 

苦苦★念仏

やぁ!世のオカルトな諸君!!グル苦しぃ世を苦しみましょ♡

 

ギラギラの苦悶抱く

痛いところ突かれると疼く

大概何かの中毒

四苦八苦以上の地獄

幸薄く♪

百八つ越えの悪行

しゃんと視ての♪

不平不満が酒の肴

 

貪りを抑えきれず

たった…二・六・余文字じゃ足らず…

斑斑としたの消えず

捕らぬ狸に化かされ尽くし

冷やっと視てる♪

そんな己の哀れみのみ

ちょっと待っての

セコい「逃れ力」だけ上がる

 

ーーーーーーーー

 

ギラギラの疑問抱く

痒い所に手は届かず

大概何かの中毒

四苦八苦以上の地獄

幸薄く♪

除け者感だけ増え

しゃんと視ての♪

不平不満を叫び酒だ♂

 

ーーーーーーーー

 

神を感じずに

 

 

 

 

 

 

やぁ!世のオカルトな諸君!!グル苦しぃ世を愉しみましょ♡

 

やぁ!世のオカルトな諸君!!グル苦しぃ世を苦しみましょ

これから長い苦しみの旅(人生)が始まります。

この記事では省略しておりますが、『ギラギラ』の後に六芒星があります。

これは『霊界ヌ〜ボ〜』の時代/世界を経てきているということではないのか、と思いました。

 

他にも「捕らぬ狸に化かされ尽くし」の部分とかは、前作で語られていた『素っ頓狂な恐怖』のことではないのかな、とも感じます。

『取らぬ狸の皮算用』という諺?は、〈起こってもいないことを前もって考える〉というような意味合いです(宝くじが当たったら、あれを買ってあれを食べて…。。などといった考えもそれ)。

つまり『本当に起こるかわからないことを恐れて対策をしている』という状況と、その対策で色々な消費行動をしているということは『TANUKIに化かされている』のと同じなんじゃないのかい?という主張なのかなぁ、と考えたりしました。

 

上記のように考えたならば「冷やっと視てる♪ そんな己の哀れみのみ」「ちょっと待っての セコい「逃れ力」だけ上がるのラインも、自分の身だけを守る利己的な保険・保身に準ずる者たちへの痛烈な批判にも思えます。

『困った時はお互い様』の精神はどこにいったのだ?という叱責が聞こえてきそうですね。

 

 

「ギラギラの疑問抱く 痒い所に手は届かず」という部分について、誠に勝手ながら自分のことを書かせていただきますが、わたしはなるべく自分自身の心と精神が快を感じるように、少なくとも不快を感じないように心がけて毎日の生を生きております。

ですので、世間で必要と言われていても "それ" を自分自身が必要だと思わなかったり、 "それ" を不快だと思ったら、基本的には実行しません。

 

上記を踏まえた上での、わたしの偏見ですが『周りが必要だと言っているから自分も "それ" をやろう』というように、《自身の軸ではなく、他人の意識に流されて意思決定をしている方(当人は自身の自由意志で決定していると思っている場合がほとんど)》は、その人自身が感じる快不快に対して、本当に鈍くなっているように思うのですね。

👆という『わたしが普段感じている感慨と偏見』を以って考えると、そういった方は、疑問は感じるけど、その疑問がどこ由来なのかが検討ついていないのではないか、と考えます。

 

そういった人間FUNUKE状態だったら、そりゃあ痒いところに手は届かねえよな。と思います。

ま、『頓珍漢な弁明をしている為政者に対して強烈な疑問を感じているが、回答者は頓珍漢な回答をするだけなので、民が感じている〈痒いところ〉に手は届かない』という意味かもしれませんけどね。

 

大概何かの中毒 四苦八苦以上の地獄

大概、何かの中毒にさせることで搾取するものですよね、お金儲けってね〜。

『四苦八苦』とは生老病死愛別離苦のことらしいのですが、〈自身にとって本当は不要なもの〉を、中毒に "させられる" ということ、それが四苦八苦以上の地獄であるという意味なのですかね。わかりません。

 

 

神を感じずに 生 老 病 死

四苦八苦にも含まれる『生老病死』ですが、ここでも登場いたします。

しかし個人的には、ここでの意味合いと上記の四苦八苦観点での意味合いは別のものなのじゃないかな、と思っております。

前作に収録された『霊界ヌ〜ボ〜』にて突如登場いたしました《神》の概念ですが、この曲での《神》は、イエスとかそういった意味合いの「宗教概念としての《神》」ではないと思っております。

ではこの『神を感じずに』の《神》は何を指しているのか。

 

それは、自分自身のことを指しているのだろうと感じます。

前述いたしました《自分軸ではなく他人の意思に流されている方々》のことですが、「自身の心を無視している」ということは自分を感じていないということになります。

これまた前作に収録されている『惑う惑星』でも「我は宇宙なり」と言っており、自分自身という宇宙(=神)を無視し、自分自身を感じずに、本来の意味ではない全くの『 "表面的な生老病死" を(しかも不要な中毒を過剰に喰わされ)恐怖して生きている』ということじゃないのかなと思います。

 

 

 

この曲はまさに念仏たるサビのリフレインが目まぐるしく巻き起こりますが、これって〈この世で生きている "オカルトな諸君の生〉の一つ一つだったりするのかなぁ、とかも思いました。

しかも、そんな "オカルトな諸君は対して変わらない生を生きている(あえての表現です)

しかし、声を出す時の違いくらいはある、みたいな表現。

 

その証拠?に、ギターだけになる部分では色々な方がコーラスを行なっております

これは "オカルトな諸君らの氣持ちが層や魂魄として乗っているのではないのでしょうか(ヒジョ〜に都合の良い解釈)

 

 

また、ギターだけの部分の後『グル苦しぃ世を愉しみましょの部分。

これまでは『グル苦しぃ世を苦しみましょ』だったのに、このセクションだけ歌詞の内容が変化します。

この部分、わたしは不徳の致すところ今の今まで氣付かなかったのですが、『くるしい』を現す漢字って《苦しい》の一種類だけですが、『たのしい』を現す漢字って沢山あるんですよね。

楽しい、樂しい、愉しい、娯しい。

 

ということは、『色んなたのしみ方があるんだから、各々銘々それぞれのたのしみ方で「たのしぃ」を享受しなよ!』という前向きな曲だったのでかも知れません(全く都合のいい解釈)。

 

実際、『楽しい』ではなく『愉しい』の漢字を用いているのは意図してのものでしょうし(極樂いづこ』も別に「極楽」で良かったわけだし)、『愉しい』という漢字は〈不快心を無くしてたのしむ〉という意味合いのものです。

 

 

まぁ、「愉しみましょ」のすぐ後に「苦しみましょが来るので、節操ねぇなあとは思いますが、その『愉しぃ』は『苦しぃ』の先にある光明だから、多くの『苦しぃを感じながら、案外沢山ある『たのしぃ』を感じたりもしながら、最終的には『愉しぃ』を得ましょうねということなのかも知れませんね

 

。。、、、いま思いましたが、「感情を覺える」ということ自体が、現代のペテン的科學では解明できていないらしく、それを、=オカルトと定義していると考えれば、未だ "解明されていない情に振り回される我々⇒👉オカルトな諸君》ということなのかしら、などと酔狂な妄想が去来彗星しました。

 

 

グル苦しぃ世を苦しみましょー♡♨︎☆♂♬♪◎〆

 

 

歌い出しのところのアームを用いた「ジュワァアアァァァン…」ってギターが好きです。

 

あ!と!サビのギターは同じフレーズを左右で弾いていますが、PANが移動して右は左へ、左は右へと移動しているのが素晴らしいですね。

最高。どんなところにこだわってんですか。最高!

 

しかもサビとエンディングとでギターフレーズのクロスオーバーが若干変わっているのが藝が細かくて好き。MOST HIGH。

 

 

それと『やぁ!世のオカルトな諸君!!グル苦しぃ世を苦しみましょ♡』はハモっていますが、単純にハモっているだけではないところもあったりする…?

 

 

茫漠冥途草

案ずるな 幽玄な亡者よ

そこに金の粉 まぶしてあげよう

 

無様な人の醜怪な虚妄の

虚ろで無為な「世迷」を喰わされ

 

ーーーーーーーー

 

案ずるな 不埒な亡者よ

そこに金の粉 かけながら云おう

 

素っ頓狂な井の中で 異を眺め 非を嘆き

この浮世を漂う不気味な沙汰を浮かれながら解って

 

案ずるな 幽玄な亡者よそこに金の粉 まぶしてあげよう

無様な人の醜怪な虚妄の 虚ろで無為な「世迷」を喰わされ

ここに示されていることって、愚痴のこと?

というより、さらりまん的職業に準じている者対しての歌?

いや、『職業』で金銭を得ている者への曲?

 

「あんまり氣にすんな、未来のこととか。ほら、金渡してやっからさ」みたいな感じ。

『無様な人が作り出した怪しく醜い虚・妄想』と『意味のない世迷言』を、受け手が喰わされて生きる構図。

いわゆる《社会の歯車》へと準じて、金の粉をもらう代わりに愚痴を言ってくだを巻く様と様子。

 

信じていたものは中身の虚な幻想であったことが露見しておりますし。

 

 

案ずるな 不埒な亡者よ そこに金の粉 かけながら云おう

ここで言っている『不埒な亡者』というのは、夢追い人のことかとも思ったのですが、《人間=生物》の道理を外れた者ということかもしれないと想います。

そんな《生物の道理》から外れた者(ここでは貨幣経済などの「塵に価値があると思わされていること」と仮定します)に対して、「お前らが『価値がある』と思っている金の粉をふりかけながら言いましょうね。しっかと聴いてね」と某かが言っているということなのか?と考えました。

言っていることは、以下👇

 

 

素っ頓狂な井の中で 異を眺め 非を嘆き

これ、最近読んだ本の影響で『自分が正しいと信じて疑わない姿勢』と似ているな、非常にそれっぽいな、と感じました。

 

実際には世間を知らない(「こんなことを書いている、そういうお前は世間を知っているのか」というご意見はお門違いなので、どうぞ御勘弁ください)のに、知った口で自分とは違う相手を判断して、その違う部分=非を嘆く。

 

この浮世を漂う不気味な沙汰を浮かれながら解って

そんな井の中の蛙で浮世を生き漂って、《世間様の普通》という不氣味なあれこれを浮かれ心地て理解して、生きて。

いずれは「社会ってそんなもんだよ」などと知った口を叩く。

くそです。知ったつもりになるな。この内容を書いている自分も含めて。

 

 

思えば、この『0088』というアルバムのリード曲である『苦苦★念仏』のPVでは主人公家族の各々が周りの人間に悪戯をしております。

その中で母親の役割をしていると思しき女性は、ブルジョワジー的雰囲氣を纏ったマダムの指輪を指で叩き割っていて、息子の役割をしている男児はテスト用紙を黒くしています。

この二つは、『世間様で価値基準を獲得しているもの』であります。が、それ自体に価値があるのかっていうと、実際怪しいものです。

だって人間が価値を付与している、ひいては価値があると思い込んでいるのですから。

 

もしかしたら、そんな《実際には価値があるのか疑わしいもの》を信じているという様子自体を皮肉って『オカルトな諸君!』と謳っているのかもしれません。

いや、曲単体で考察しろよ。

 

《実際には価値があるのか疑わしい世迷》を、《不氣味な沙汰》を浮かれながら解って。

いや、これも世迷かもしれないしわかんねえことなのですけどね。

 

もしかしたら、この悪戯をしている核家族家庭は親子ではなく、ある目的のために集まった劇団員かもしれませんし。

 

 

余談ですが、川とかを流れ漂う蛙さんたちを想像したら、愛らしいなと思いました。

 

 

この曲のベースの音好きなんですよね。

独特な音してますよね。

わたしはベースの音とか機材にはてんでさっぱりなのですが、オクターバーとかかましてそうな音ですね。

この瑞瑞しいとも取れる、ジャリっともしている音が好きです。

 

ベースが特徴的な音なので、ギターの音がキラッとした綺麗な歪みになっていて音がぶつかっていないのも棲み分けがされていて藝が細かい。

 

 

漆・黒・の・と・き・め・き

死んだら儲かっちゃう?

仏陀が言ってたし¥

死んだら許さんで!

閻魔のお怒りです

 

漆黒のときめき 腐敗したままの正義

漆黒のときめき 背徳のど・き・ど・き

 

なんかあれなんですかね。

この『0088』ってのは人間社会生活に巣食うお金という価値観についての作品なのですかね。

 

死んだら儲かっちゃう?仏陀が言ってたし¥

死んだら許さんで!閻魔のお怒りです

毒っけが利いていますね。

星新一さんの初期ショートショートを読んだ時のような「にやり」がでてしまう内容です。

 

『死んだら儲かる』というのは、言わずもがな葬儀等々のことかと思うのですが、閻魔さんは「死んだら許さんで!」とお怒りである。

極樂浄土にいる仏陀は人が死にゃあ儲かってにっこりするけど、極樂に行きか地獄行きかを実務処理をするのは閻魔さんのお仕事である。

 

下請けや子会社が割を喰って、本社・元締めの人間はウハウハの儲けを得る。

そんな縮図を皮肉的に描いた巧い歌詞だなぁ、と受け取りました。

 

とはいえわたしは仏道には聡くないので、認識違いや見識の浅い部分がございましたらすみません。

 

 

漆黒のときめき 腐敗したままの正義

漆黒のときめき 背徳のど・き・ど・き

あとあれですねー。

志高く希望した世界に入ったけど、業態の腐敗に自分も染まって行く様・過程とも認識できます。

だから『正体は不明なまんまがCOOL』だし『正気になると一切の希望が無くなる』のでしょう。

 

『腐敗したままの正義』というラインも、「正義自体が腐敗して、以後腐敗したまま」という意味合いとも「(既得権益などで)腐敗した状態が常となって、《腐敗した状態》が正義になっている」という意味合いとも取れます。

 

その腐敗した状態に毅然と立ち向かえば、返り討ちにあったり、ともすれば生活すら危うくなることもある。

なので、不氣味な沙汰すらも麻痺した状態の眼で受け入れる。

 

そんなことをしていたら自身の身が持たないのは当然なんですけどね。

 

 

でも、そこを掬うのが宗教だったりする。

それが心を救うのか、心に巣食うのか、「儲かっちゃう!」な部類なものかは別として。

 

 

この曲は前の二曲に比べてドラムの音が大きめ?ダイナミクスがより細かく聴こえる氣がします。

この曲はKenz∞さんのドラムが主役になっている曲なのでしょうか?

そう思うと主役級に活躍しているようにも思えますね。

 

 

惡闇霧島

闇の霧は晴れた?

闇の君は内緒

闇の顔になれた?

闇は全部バレそう

 

なに性懲りもなく企んでる?

割と仕様も無い野郎です

パキパキして禁酒辞めるか?麦酒飲んでいたい

在るままにこれが酔余の境地?理解らないけどね!

他には小生に質疑は無いかい?理解らないけどね!!

 

終わりたいことは終わりないことだ

理解りたいことは飾りないことだ

 

闇の霧は晴れた?

闇の神は誰だ?

闇の顔に慣れた?

闇は全部バレた?

 

仮の闇の終わりを争う

 

闇の霧は晴れた? 闇の君は内緒 闇の顔になれた? 闇は全部バレそう

 

『漆・黒・の・と・き・め・き』の流れを汲んだ曲だと感じました。

「闇の顔になれた?」とは『腐敗を普通として染まった自身、腐敗を普通として慣れた=闇の顔になった』ということであろうと考えます。

 

惡闇な霧が充満した島。

その霧は晴れても、君の闇な部分は内緒。でも闇はいずれバレそうでこわい。という感じでしょうか。

 

そんでもって、別の視点で《宗教性を持っているもの》の内側にいる者目線の曲かな〜。とも思いました。

 (伝わり易いように『信者』と『教祖』という表現をします)信者の立場ではなく、教祖自身が自身の惡行が露見してしまうのを恐れている様。

 

 

なに性懲りもなく企んでる? 割と仕様も無い野郎です

上が何に対してのことなのかは想像できませんが、信者を手のひらの上で転がす算段ですかね。

 

「なに性懲りもなく企んでる?」と「割と仕様も無い野郎です」とが別れているようにも考えられて、前者がいろんな方法を考えている教団関係者や信者に対して向けられたもの。後者が『自分、結構仕様もないやつだぜ?』というように自分に向けられたものである可能性も考えられます。

 

他の線としても想像が浮かびますが、いまいち霧のように摑めません。

 

パキパキして禁酒辞めるか?麦酒飲んでいたい

宗教は禁酒を強いるものが多いです。

誘惑断ちとかなんですかね。禁酒しているんですね。教義を守っているんですかね。でも自分が御本尊だと自分自身がルールブックとかになりますよね。

正直わからん。

閑話休題

 

在るままにこれが酔余の境地?理解らないけどね! 他には小生に質疑は無いかい?理解らないけどね!!

この部分で教祖的な立場にいる人物が主人公だと思いました。

結局禁酒できなくてAlc.を飲み、『在るままに』というクソほど凡庸な、でもある種の真理を摑みそうになっております。

しかしこの語り手は付け焼き刃で悟ったつもりになっているので、わからないよ!と開き直っております(この開き直りが、相手に晒しているかいないかは別として)。

 

聖の光明を実際に得たわけではないので、「あるがままでいたらいんじゃね!知らんけど!」ということですね。

わからんなりにも質問してもらってたらわかったりもすんじゃね。知らんけど。

 

 

終わりたいことは終わりないことだ

皮肉ですね〜。

『終わりたいこと』って「信者からの質問」ってことだと思ったからですね。

でも信者は次々と質問漬けにしてくるから、終わりがない。

 

信者にしてもちっとは自分で考えろよ。そうやって他人に依存してるから依存から抜けれないんだぜ。

 

「解りたいことは飾りないことだ

これは教祖としての地位が確立されるに従って、様相が華美になっていく(あるいは側近がそう演出する?)。

でも、世にある神のベテランたちは全然装飾などで飾り立てていない。

その理由を知りたい、みたいな感じでしょうか。

 

 

闇の霧は晴れた? 闇の神は誰だ? 闇の顔に慣れた? 闇は全部バレた?

ここら辺は自分自身に言って(聞いて)いる感じかしら、と思います。

教祖として地位は確立されてきたけど、どこか小心者な自分が顔を出している。

「闇の神は誰だ!?」「((((  ))))様です!!」という感じではなく、「(こんな状況になってるけど、実際神ってだれよ?)」みたいなニュアンスですね。

 

『闇の顔』とは、聖の光明なんて何にも受けていないのに信者を欺いている自分がつけている顔、《信者と相対すときにつけている仮面》という意味合いかなと思います。

そんなペルソナ、人格の表情をしている自分に対して、「その振る舞いはもう慣れた?」と確認している状況。

 

でも本当は小心者なので、「闇は全部バレちゃったりした?」と心配になる。

 

 

仮の闇の終わりを争う

この部分の意味、意図がわからなかったんですが、これってもしかして仮想敵のことだったりしますか?

氣づいて息を飲んだりしたんですけどももも。

 

この仮想敵は「あの國が悪い!」と設定して攻め込むという意味合いのものというよりも、「あなたが今辛いのは、こういった理由があるから」という意味合いのもののように感じますね。

上記した『その理由』を仮想敵と設定し、「その苦しみからあなたが解放されるためには、こう言った行動をしましょう」と説くのが、《終わりを争う》という形で表現されている、ように思いました。

 

 

てめえくらいてめえで救えや。

 

 

それとは別に、宗教家の教祖の方って孤独だったりするんだろうか。

 

 

この曲の一番Aメロのベースラインが超すきです(ちょう好き)。

 

『漆・黒・の・と・き・め・き』に比べてシンバルの音量が控えめですね。

太鼓の音が際立って聴こえますが、それよりもマーガレット廣井さんの歌の方が前に出ているように思います。

ここら辺も狙ってミックスしたのでしょうか。

 

あとこの曲は各々の樂器の音が中音域の帯域に作られているように思います。

なので、結構重心を低く、すっきりと聴ける印象。えらそうですね。

 

 

百鬼園

臨終間際の酔うたら奇矯な亡者盲目無行動無能の

盛者衆愚猥雑真理な冒涜被り観念境地の

非道困憊の妄執が止んだり病んでる

非道応酬の俗衆を怨んだり斬りたい

偽装上等の荒唐無稽な論者を疑い

誹謗中傷と滑稽な愚劣が溢れる

 

ーーーーーーーー

 

虚無なら神頼み 要も無し已む無し意味無し

支配者の襤褸儲け 人間畜生がぞろぞろ

虚無なら神頼み 要も無し已む無し意味無し

神様儲かってる? 地獄の沙汰も金次第

 

ーーーーーーーー

 

煩念無慈悲な聖者を疑え 冥加因果醜怪苦悩を

臨終間際の酔うたら奇矯な亡者 釈迦 聖者はもういない

 

最高じゃん。

 

臨終間際の酔うたら奇矯な亡者盲目無行動無能の

死に際の死に酔った者。『死ぬ間際』だからいつもとは違う神頼みなどをして、それをすれば万事安泰と勘違いした無能な無行動者。

 

盛者衆愚猥雑真理な冒涜被り観念境地の

権力者と阿保な民の下品な真理で、神聖なものを汚されて諦め心情な、

 

非道困憊の妄執が止んだり病んでる

身に降りかかった非道なことで疲れ切って《本当は無駄なこと》に囚われ、

 

非道応酬の俗衆を怨んだり斬りたい

『非道』をのべつまくなし浴びせかけてくる俗人供をやっつけたい。

 

偽装上等の荒唐無稽な論者を疑い

有る事無い事でっち上げて訳知り顔の論客に疑いを持ち

 

誹謗中傷と滑稽な愚劣が溢れる

有る事無い事のでっち上げで踊らされて、誹謗中傷と滑稽な愚劣が噴出される。

 

 

ここまでで思ったのですが、インターネット掲示板とかのことだったりもしますかね?

真相なんて知りもしねえのに、よくそんな訳知り顔で断定断言できるな?みたいな感じ?

だとしたら、『日本』で歌っていた「冷笑主義を潰せ」とも繋がってきます。

 

そんでもって、ここまでわたしが書いてきたことも同じであると思えます。

だって歌詞の一部分を抜き出して、それをもとにしてあーだこーだ言っているだけなのですし。意味の解明できない部分は飛ばすのですし。

阿保ですね。

続けます。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜

 

虚無なら神頼み 要も無し已む無し意味無し

人生に愉しみがないから、神頼み。

肝心な部分を持ち合わせていないから、それも致し方なし。でもそんなことには意味もねえよ、という意味合いでもあると感じます。

 

あと、『神頼み』という言葉が指すものとして、文字のまま宗教的な神という意味合いもあれば、なんがしかのコンテンツという意味合いの神であるかもしれません。

自分で愉しみを見出せない元は、外にあるコンテンツに頼る。→神頼み。という構図。

 

支配者の襤褸儲け 人間畜生がぞろぞろ

虚無に支配された人間畜生がぞろぞろ。虚無をかりそめに払う支配者は "お布施" で襤褸儲け。

 

神様儲かってる? 地獄の沙汰も金次第

文字の通り、虚無という地獄も虚無を払うものがあればどうとでもなる。=金次第でどうとでもなる。ということになる。

 

上記の通りですが、『地獄の沙汰も金次第』というのは、示談とかそういった意味合いのものでもあるのかしら、とも感じました。

 

 

煩念無慈悲な聖者を疑え 冥加因果醜怪苦悩を

となると、《煩悩でホルマリン漬け》にする無慈悲な聖者を、「聖者であるのか」を疑え。

『煩悩に支配された慈悲』なんて仮面のごとき聖者の真を疑え。

冥利を受けるための因果たる醜い苦労を(本当に経験しているかを見定めろ?)

 

ということであるのか?とも思います。

 

臨終間際の酔うたら奇矯な亡者 釈迦 聖者はもういない

死ぬ間際になって、いつもとは違って神だなんだを信仰しだした亡者よ。

釈迦や聖者はもう現世にはいない。

 

とかって意味か?

ギリシャ神話では『人間が蛮行の限りを尽くした挙句、神々が心底呆れて地球から去った』という世界観なのだそうですね。

 

 

『惡闇霧島』に比べると明らかにシンバル類の音が大きくなっていて、ギターも高音域のギラッとした部分が鋭利な音になっています。

ベースの音も実はブリブリなドライヴサウンドになっているのも良いですね。

 

Bメロでギターがアルペジオになり、歌のメロディの音符の兼ね合いとで弛緩したような印象が浮かびます。

イメージとしてはお線香の煙が薫るような感じ。

Aメロの緊張感と、Bメロの弛緩した感じが上手に対比となっていて、良いアクセント?になっていると感じます。

 

この曲の攻撃的な音像がとても好きです。

 

 

巡礼地獄♨

宵になって心のぞんざいな人だかり

「さいなら〜」ってひとときの娑婆を見納めて 唸るか?

 

聖になったら真理の光明 御裾分けて

光の輪◉って響きの境界で自惚れて 唸るか?

 

滑稽な後悔 非常に卑屈がったり

六腑に沁み入るよな 虚無 沁沁宿してる

 

愚かな わたしを許して

愚かな ぼくを問い詰めて

愚かな あたいを壊して

愚かな 僕を懲らしめてくれ

 

これも教祖の立場にいるものの目線?

だとしたら、顔を隠して信者と接している類のものかなと思います。

 

というよりも、キリスト教の懺悔室で懺悔を聴く神父が主人公?

 

宵になって心のぞんざいな人だかり

「さいなら〜」ってひとときの娑婆を見納めて 唸るか?

野次馬が群がっている様を見かけた主人公。

その野次馬な様子を見納め、「さいなら〜」と言い残してその場を去る。

 

 

聖になったら真理の光明 御裾分けて 光の輪◉って響きの境界で自惚れて 唸るか?

Saintになったら、『真理の光明』を自分以外の他者にもおすそ分けして。(金の粉ふりかけて?)

《光の輪◉》の教会に自分がいることを、その響きに自惚れて。

 

正直「唸るか」は解釈不明なのですが、もしかしたら一回目と二回目では意味合いが違うかもしれません。

『絶妙Σ』にて歌われている「観念」と同じです。

 

 

滑稽な後悔 非常に卑屈がったり 六腑に沁み入るよな 虚無 沁沁宿してる

ここは懺悔室で信徒が打ち明けている内容に対して、聞き手の神父が思っている氣持ちでは無いかなと思います。

 

 

愚かな わたしを許して

愚かな ぼくを問い詰めて

愚かな あたいを壊して

愚かな 僕を懲らしめてくれ

これらは告解をして赦しを乞うている信徒の発言かなー、とか思いましたが、最後は神父自身の心情かもしれません。

 

 

一転してのっぺりしたベースサウンドの曲です。

ちょっと『八 + 八』の頃っぽいアプローチ?な曲なんですかね。

 

ですが、歌やコーラスの重ね方とかはその頃の感じはないです。

八十八ヶ所巡礼さんの曲では一番3ピースのバンドっぽい音だと思います(その他多くの曲が三人の音じゃなさすぎるんですよ)。

 

 

愚痴 x 愚痴 x 悪魔

なんで? ×2

不快だらけのこの未来

なんで? ×2

腐敗者の機嫌取りだ

 

ーーーーーーーー

 

否応なしに飛来する 向精神的な苦悩行動を反復し

否応なしに飛来する 向精神的な苦悩行動を反省し

否応なしに飛来する 向精神的な苦悩行動を反芻し

否応なしに飛来する 向精神的な苦悩行動を反逆せよ 

 

ーーーーーーーー

 

踏んだり蹴ったり そりゃないぜ 百年経っても云ってる

わからん!そもそも『何かをわかろうとする行動』自体が愚かでお門違い違いなんですけどね!

 

これまでは宗教的な側面での解釈ができたのですが、この曲はどうにもその解釈ができない。

どうもこれまでにあった、『宗教の流れ(辞書で説明される意味合い以外の意味でも)』をぶった斬っているように思います。

 

いうなれば、宗教というものの、全く外にいる人の視点とでもいうのでしょうか。

 

 

宗教においての、教団関係者は【宗教の中にいる存在】ですが、信者も【宗教の内にある存在】であります。

その宗教と接点を持っているため、です。

ですが、この曲の語り手は、どうも【宗教という価値観の外にいる存在】のように思える。

 

なんというか、宗教を莫迦にするでもなく、そもそもが意識も向けていない感じ。

 

 

確かに愚痴を言ってはいるのですが、、、あぁ。愚痴に塗れているということは虚無な人間では無いのか。

自身が虚無じゃ無いから、この語り手は宗教の外にいるんだ。

 

「腐敗者の機嫌取りだ」と言っているあたりから考えるに、『漆・黒・の・と・き・め・き』で正氣になった側なのかも。

 

また「否応なしに飛来する 向精神的な苦悩行動を〜」の部分が繰り返されている感じから、『☞異界逝コウ☜』にて語り手を勤めていた《完璧主義に呪われた人》のその後が、この曲か?とも酔狂な妄想が起こりました。

逞しい妄想万歳。

 

 

一番の『踏んだり蹴ったり』のところってベースに対して右Chのギターがハモってるんだ。

 

曲のギターサウンドは粘りのあるストラトっぽい音だな、と思ったりします。

ベースの音は『霊界ヌ~ボ~♨︎』っぽい?

 

 

宇宙の末端☆彡

それも難攻不落の気分次第

 

この曲も解読が難しいですね。。

一つ前の『愚痴 x 愚痴 x 悪魔』と同じように【宗教の外にいる人】と思えばなんとかこじつけることは可能ですが、こんなことに意味などあるのか、野暮じゃないのか、と何度目かの問いを自身に投げています。

しかしこの行いが愉しいので別に良いですし、なんたって絶妙な意味が欲しいので引き続き無駄を娯しみます。

 

 

それも難攻不落の気分次第

『色々な感情が生まれるけど、それも結局自分が生み出しているんだよねー。その感情をいかに上手に御すか。氣分ってなかなか難攻不落なんだけどね』

みたいな意味合いであるとは思いますが、この境地であるということは、【他者に頼ろうとしていない】ということであると思います。

 

人は愚かなもんなので、隙あらば樂を講じようとします。

その【樂】の一つとして、宗教というシステムや、宗教性を持っているシステムやコンテンツがあるとわたしは思っており、そのなんがしかに寄っかかってのびのびと『のび太ism』を実行するのが人間の人間たる部分だと、わたしは個人的に考えております。

 

ですが、この曲の主人公は「あーつまんねー、なんか面白いこと、ねーの。眠たぇしさ。でも、この感情移動も氣分によるもので、それを御したらなんてことないんだけどね☆」という真実を腑に持っています。

つまり、《樂をするシステム》にもたれて太平樂を貪る地点にはいないということになります。

 

《樂をするシステム》にもたれていない=他者に依存して樂を貪るのではなく、自らの思考具合一つで苦を苦樂に変換することができる、というわけです。

上記を踏まえれば、この曲の主人公は【宗教の外にいる人】であると判断ができますね。

 

 

また別の観点で考えてみれば。

感情に振り回される=《オカルト》とは『苦苦念仏』にて仮定した次第ですが、上記の通り、この曲では〈氣分こそコントロールが難しい難攻不落な存在だよ〉と歌っております。

 

曲の内容は脳内フライトで宇宙旅行を行うお話ですが、この《宇宙》というものが、『様々渦巻く自分自身の感情』を喩えたものだとしたら。

 

「我は宇宙なり」と歌っていた『⌘惑う惑星⌘』とも繋がってくるんじゃないのかしら、とも思われますね。

 

じゃあ曲中にある『貴方』は何を指してんねん、って話〜。

考えていたら、前作の『A & N & D』『☞異界逝コウ☜』『⌘惑う惑星⌘』で歌われていた関係性のその後か?とかも思いました。

わかんね。

 

 

Katzuya Shimizu先生のギターが光る曲…。

真顔でさらっと弾いている姿が容易に思い浮かぶぜ。。。

 

ちなみにこの曲は八十八ヶ所巡礼さんの曲の中で一番踊れるディスコソングだと思っています。

踊り念仏〜〜!☆

 

「チキチッチキチッチキチッチキチッ」と16分で刻まれるKenz∞さんのハイハットが小氣味良くて、それもまとめて大大BIG好き。

 

 

『0088』というアルバムを宗教を透かして解釈した次第ですが、それを踏まえてジャケットを見直したらば、どうにも笑ってしまいました。

鎮座した者を囲んで周りを奔走する者たち。

鎮座している者と奔走する者は大した違いもない。

 

 

攻撃的国民的音楽

floodinhead.hatenablog.com

 

初めてアルバムを聴いた時の衝撃は忘れられません。。

「これは、、、どんでもない世界に足を突ッ込んじまったかもしれない…。。」と思っておりましたね。

無事、現在どっぷりしっかり肩まで浸かっております。いい湯です( ¨̮ )

 

この『攻撃的国民的音楽』のアルバムレビューを『凍狂』のレビューと一緒にしていたので、ちゃんと感想を書きたかったのもあって今回のクソ長い感想を書いております。 

あと三枚同じ長さの文章を書くのかもとなると、氣が遠くなったりならなかったりしますね。

 

赤い衝動 -R.I.P-

わずかに異様な赤い衝動が脳に突き刺さってる

失くされた幻想と爆発が妙に蘇る

もういい!

狂った現代病と脳がアイアン・メイデン

いつまで黒い震動の記憶で泣いていやがる

 

世界は本当に真っ白なんでしょう?

誰にでも疑問が百種類あるのさ

世間の視界は真っ暗なんだよ

でたらめな気持ちと解り合ってんだろ?

 

嗚呼 空想ばかり 想像不足のリズム

呪いの海辺で溺れてる

 

静かに微妙な赤い衝動が脳に沸き上がってく

隠された幻想と爆発が妙に蘇る

もういい!

狂った現代病と脳がアイアン・メイデン

いつまで黒い震動の記憶で泣いていやがる

 

世界の理想は真っ白なんでしょう?

誰にでも電波で殺せるんだってさ

世間は誤解で真っ暗なんだよ

でたらめなカタチと解り合ってんだろう?

 

嗚呼 空想ばかり 想像不足のリズム

呪いの海辺を這い上がれ

 

確かに巨大な赤い衝動が脳で立ち上がった

失くしたはずの幻想と刺激が全部蘇る

もういい!

狂った人間界と脳がハルシネイション

いつまで黒い震動の記憶で泣いていやがる

 

世界は物語さ

物語は嘘の世界さ

世界は物語で

物語は嘘で真っ赤っ赤さ

 

正体不明な赤い衝動が脳に巻き起こってる

隠したはずの幻想と刺激が全部蘇る

もういい!

狂った人間界と脳がハルシネイション

いつまでも狂騒の残像で泣いてる場合か!

 

この曲では『赤い衝動』という言葉が登場します。

曲名にも冠されておりますが、この曲名で示されている内容と、曲中・歌詞にて示されている内容とは違うのでは無いか、そう思いました。

 

赤色というのはなかなかシンボリックな色として人間が勝手に機能させておりますが、色の意味の一つに《革命》というものがあります。

そういうわけで『赤い衝動』という言葉の一つ目の意味は、革命衝動。

 

わずかに異様な赤い衝動が脳に突き刺さってる 失くされた幻想と爆発が妙に蘇る

 

上記は自身の中で革命衝動が生まれ起こっている様を描いているのではないかと思われます。

ちなみに『革命衝動』ですが、テロとか活動家的な行動をする意味合いではありません。

 

 

また、この曲には色が特徴的に登場いたします。

赤・黒・白。

 

「赤」という色を革命衝動として認識したことは先に書いた通りですが、赤色が指すものは他にもあります。

そのうちの一つが『嘘』です。

「世界は物語さ 物語は嘘の世界さ 世界は物語で 物語は嘘で真っ赤っ赤さ」で歌われていることですね。

 

『赤い衝動』が指すもう一つのこと、それは「嘘を吐こうとする意識」そして、「自分自身へ嘘をつき続けようとする意識」のことではないのか、と考えます。

 

 

またこの曲は曲名に『R.I.P』という言葉がついております。

『R.I.P』はRest In Peaceという意味で、「安らかに眠れ」などの意味合いがあるのですが、『赤い衝動=嘘をつき続ける意識』だと仮定すれば、《嘘をついて自分を騙す自分自身に対して別れを告げている》ということになります。

これがもう一つの意味。

 

ここまでのことを踏まえて考えると、『嘘をつき続けて生きていたが、なにかのきっかけで自分の強い意志を革命衝動として受け取り、これまでの自分に対して別れを告げる曲』なのではないかと思いました。

 

狂った現代病と脳がアイアン・メイデン いつまで黒い震動の記憶で泣いていやがる

ここの『狂った現代病』について、最初は「ニヒリズムのことかしら?」と思っていたのですが、《嘘をつき続けて生きる意識》のことだとすれば辻褄が合うように感じます。

そして『アイアン・メイデン』は鉄の処女と呼ばれる拷問器具のことだと思います(さすがにバンドのことではないだろうと思う…)。

 

この拷問器具は、内側に鋭い棘の付いた空洞の人形に人間を押し込め、内側の針で串刺しにするものなのだそうですが、その構造を考えれば『《嘘をつき続けて生きる意識》という現代病』と『自分に素直に生きたいという脳』とを無理矢理に一緒にしているということであると考えられます。

『黒い震動の記憶』は「嘘をついて生きている自分」を黒い震動として、その時代への後悔という解釈で相違ないのではないかな、と思います。

「いつまで過去にしがみついているんだ!"自分を自分として生きる" という革命は始まったのだから、後悔などするな!」という感じ。

 

世界は本当に真っ白なんでしょう? 誰にでも疑問が百種類あるのさ

世間の視界は真っ暗なんだよ でたらめな気持ちと解り合ってんだろ?

 

嗚呼 空想ばかり 想像不足のリズム 呪いの海辺で溺れてる

ここでの『真っ白』が指すものがいまいちはっきりとしませんが、『でたらめな気持ちと解り合ってんだろ?』は「 "生活" のために嘘を吐いて生きているんだろ?だから視界も真っ暗なんだよ」ということであろうと思います。

 

『呪いの海辺』での "呪い" は「嘘をつき続けること」で、"海辺" は「嘘をつき続けている生活や環境」のことだと感じました。

 

確かに巨大な赤い衝動が脳で立ち上がった 失くしたはずの幻想と刺激が全部蘇る

もういい! 狂った人間界と脳がハルシネイション いつまで黒い震動の記憶で泣いていやがる

『確かに巨大な赤い衝動が脳で立ち上がった』と言っています。

「確かに」と言っているということは、過去に起こっていた『革命衝動』は "思い違い" としてスルーしていたのではないかな、と思います。

つまりは嘘をつき続けて生きていた、ということです。

 

ですが、看過できないほどの『革命衝動』が(もしかしたら『嘘を吐いて生きること』に対して何も思っていなかったけど、「あれ、おかしくね?」とふと思っただけどいうことかもしれません。他者から見れば小さな一歩でも、当人には大きな一歩です)脳で立ち上がり、昔見ていた夢やら目標という、《失くしたはずのものたち》が全部蘇った。

 

『ハルシネイション(hallucination)』は【幻覺】という意味なのだそうですが、「狂った人間界」と「自分の脳」とが地続きで同じ物質であると思っていた(アイアン・メイデン)が、「狂った人間界」を見ていたのも「自分の脳」であって、そういった《狂った人間界という幻覺を見せていたのも、自分自身》であるということを知った。

「その愚かさに後悔するのも、泣くのも、いい加減やめろ。後悔するなら後悔を取り戻すように、"自分" を生きろ」と、革命衝動を起こした自分が。

 

 

 

誤解を恐れず言いますが、そりゃあ売れないよ。

だって世界はネガティヴで支配して、ネガティヴな意識で民に生きてほしいんだもん。

 

だからこの曲(というよりも八十八ヶ所巡礼さん自体)みたいに、『青い炎のような熱さ』をもっているものや、「その人自身のポジティヴ」が開花したり「思いやりを思い出させるような、利他の意識のもの」は、何がなんでも隠そうとしますよ。

 

でも、体裁の良い麻藥みたいな御託を並べるポップスよりも、ガツンと殴ってくるような、「脳みそ生きてますか!!」と目を見て言われるようなものの方がわたしは好きですし、その方が正直で誠実だと感じます。

 

 

世界は物語さ 物語は嘘の世界さ 世界は物語で 物語は嘘で真っ赤っ赤さ

あと、報道されていることとかも。

そんな報道によってネガティヴに生きるように扇動される。

 

 

 

めちゃKenz∞さんがかっこいい曲です。

ハイハットの四カウントから目紛しい演奏が繰り広げられますが、これって『《赤い衝動》が脳内で巻き起こっている様』だと考えてよいですか??

 

曲の始まりから歌い出しまで、右Chのギターが左Chのギターより一拍ほど遅れて同じフレーズを弾いています。

一般的なレコーディングであると、左右同じフレーズを重ねて録音したり、ハモリのフレーズや全く別のフレーズを重ねることはありますが、同じフレーズをちょっとずらして録音することなんてまぁありません(同じフレーズをコピーして左右に振り分けた場合、同じ波形同じ位相なので、ただただ音量が大きくなります。なので、左右でギターを録音する必要がありますが、そうすることで音と曲に厚みと深みが出ます)。

しかも、『《同じサイズで録音して右のギターだけ若干トラックをずらしている》のじゃない』ところが凄いというかイかれている(褒めてる)というか、変態というか。

 

あと決め後の休符の時に確認できますが、ギターにかかっているリヴァーブの具合が好きです。

 

 

IMNY

愉しいことがない! 何も興味がない!

新しい意志がない! 闇の原理みたい!

悲しいことがない! 他にも動機がない!

馬鹿らしい景色が MAJIちょっと視たい!

 

やましいことが無い! 悪いSHOWに期待!

新しい意識は ぬるい意識!!!

正しいことが無い! 誰も抗議が無い!

素晴らしいジャッジを MAJIチョー云いたい!

 

視ない! 空が真っ暗いせいで

聴かない!! 文句がうざいせいで

云わない!!! あらぬ恐怖ばっかりで

曖昧で変になっちゃいそう!

 

ーーーーーーーー

 

夜に喰らいついてる 喰らったら鬼になってんだ

光を奪い合ってる 腐った希望に酔ってる

 

澱みなく云われても 苦悶の波がゆれてる

汚れてもイカれても 無常の海が満ちてる

 

意味無い! これはもうやばい状態!

意味無い!! なんてとうに知ってんだ

ヤバい!!!ジョークで満たしてんだ

凶暴で変になっちゃいそう!

 

夜に喰らいついてる 喰らったら鬼になってんだ

光に喰らいついてる 腐った自由を奪ってやる

 

愉しいことがない! 何も興味がない! 新しい意志がない! 闇の原理みたい!

現代病である『ニヒリズム』に支配されていた人が主人公?

あるいは「潰せ」と言われていた『冷笑主義』にたいして?

 

そこの真意は不明ですが(歌詞の解釈なんて元から真意不明)、何に対しても愉しさ・興味が見出せなくなっている状態は、闇の原理ではあるだろうと思います。

 

 

いや、違うかも。

これは『《世間で善いとされているもの》を、善いと思えない人』のことかも。

それこそ【《嘘を吐き続けて生きること》を善いとしている世界】に馴染めない人が、この曲の主人公なのかもしれません。

 

正しいことが無い! 誰も抗議が無い!

上記は「本当は良く無いことなのに、誰も抗議しないから『正しいこと』になっている状況(缶用のゴミ箱にラージサイズのプラカップを入れている、みたいなものから色々)」のことを言っているように思えますし、「素晴らしいジャッジを MAJIチョー云いたい!」は『駄目なことは駄目』とはっきりさせたい意思とも思います。

 

視ない! 空が真っ暗いせいで 聴かない!! 文句がうざいせいで

『世間一般で善いとされているもの』を良いと思えないので、それらをしないということだと思います。

それこそ、『自分に嘘をついて生きている人』ほど、文句やなんやが多いように思うのですが、これはわたしの身勝手な偏見でしょうね。

 

云わない!!! あらぬ恐怖ばっかりで 曖昧で変になっちゃいそう!

これは報道云々かなーと思います。

『ありもしない恐怖ばっかり煽り立てて、本質や真実を言わない。しかもその内容自体も曖昧で仕方ないから変になりそう』ということではないか、と思います。

しかも曖昧なことを言い切ったりしたり。

それこそ『某WNO夜』にて言及されていた『素ッ頓狂な恐怖』であろうと感じますね。

 

 

個人的には、物事はなるべくはっきりと断言したくなく、"遊び" を持っておきたい姿勢です。

その理由ですが、曖昧であるからこそ受け取り手に考える余地が生まれ、様々な《あらぬ恐怖》が想像しやすくなったりするためです。

そういった心理的なこと駆使してきます。

 

 

夜に喰らいついてる 喰らったら鬼になってんだ 光を奪い合ってる 腐った希望に酔ってる

ここの『夜』は冷笑主義とか破滅的なもの? 『光』は麻藥的な体裁のよい痛み止め的モルヒネ御託のことかなと感じました。

 

澱みなく云われても 苦悶の波がゆれてる

虚構を滑らかに説かれたとしても、その虚さを知っている身としては苦悶と煩悶をしてしまう。

 

汚れてもイカれても 無常の海が満ちてる

たった個人が汚れたりイカれたとしても、この世は流転して変わる、大して変わんないということ?

 

『腐った自由』は為政者たちが政治をしやすいように設定された自由ということ?

 

 

 

サビにて、ノリが縦になっているように思います。

これはベースが「ブブ…」と鳴らされていることと、スネアのアクセントが拍の頭に鳴らされていること、ギターの音も拍の頭にアクセントが置かれていることから、こういった効果が起きているのかな、と思います。

 

あと、最後のサビ前で左のChにトライアングル?の音が入っていますが、わたしはこのチーチキ音が大好きでございます。

左ChだからKatzuya Shimizuさんが演奏している…?

 

 

攻撃的国民的音楽

しゃっくりと後悔の中で 世ノ常の根本を笑え

百粒の混沌の中で 魔の國のカラクリを探せ

 

しゃっくりと後悔の中で 世ノ常の根本を笑え

百粒の混沌の中で 魔の國の弱点を探せ

 

新しい言葉で欲望を掻き立てるマスメディア

馬鹿らしい言葉で真実を書き立てるマスメディア

新しい言葉の裏側に隠されている真理

馬鹿らしい言葉の裏側に隠されている神秘

 

はたらき蜂⑧では死に切れない

ため息ばかりじゃ救われない

はたらき蜂⑧では死に切れない

あそびがないから気に喰わない

 

しゃっくりと後悔の中で 世ノ常の根本を正せ

百粒の混沌の中で 魔の國のカラクリを暴け

 

しゃっくりと後悔の中で その胸の太陽を燃やせ

百粒の混沌の中で 乱れ咲く煩悩を殺せ

百粒の混沌の中で 寝惚けてる本能を起こせ

 

『しゃっくり』が何に対してを指しているのかは確証がないのですが、その後に『後悔』の文字がきているので、嗚咽でしゃくりあげているという状況か?とも思いました。

ということは『赤い衝動 -R.I.P-』において歌われていた時期のあとか?

 

いや、多分そうかなと思います。

「世ノ常の根本を笑え」と言うのは、『赤い衝動 -R.I.P-』にて明言されていた《世界=嘘》のことを指し示しているように思いますしね。

 

新しい言葉で欲望を掻き立てるマスメディア

馬鹿らしい言葉で真実を書き立てるマスメディア

新しい言葉の裏側に隠されている真理

馬鹿らしい言葉の裏側に隠されている神秘

わたし的には、この曲の重要な部分は上記したところだと思います。

 

『流行』というものがどうして発生するのか。

それは往々にして《マスメディアが騒ぎ立てる》から、という側面が強いとわたしは考えております。

そして、マスメディアは我々大衆を扇動する術と手法を熟知している。

思考や意識においてもそうだと考えられます。

 

「新しい言葉で欲望を掻き立てるマスメディア」

新しいものへ利潤を発生させるために、マスメディアでコマーシャルやプロパガンダが実施される。

その広告で我々大衆は欲望を掻き立てられる。

それが必要ではなくても。

必要だと思わされるのですね。

 

馬鹿らしい言葉で真実を書き立てるマスメディア

マスメディアが大衆の思考を操作することなんて造作もないことが前述した通りですが、ということは、『重要なことを重要ではないように思わせること』も『《真実》取るに足らないことと思わせること』も可能と言うことです。

これは大変に恐ろしいことであると、自覺することがとても重要であると考えています。

 

新しい言葉の裏側に隠されている真理

「新しい言葉」でプロパガンダやコマーシャルをして、実際にはそれが必要ではなくても、必要だと "思わされる" ことで何ができるか、何が起こるか。

 

人は、自分たちが思っているよりも、想像の何倍も阿呆で莫迦です。

阿呆で莫迦な状態が何を産むかといえば、「新しい言葉」を額面通り受け取るという事態です。

 

前述のように『新しいサービスができたから、それによっての利潤を生まないといけないので、広告を打つ』という一連の流れの中に、その事業者やサービスを提供するものの利益となるが、利用するものにとっては害にしかならないものが含まれていたなら。

そんな時は、当然その事実は隠して知らされるでしょう。

その《不都合な部分を隠す行為》の一つとして、『新しい言葉』があるのだと考えております。

 

例として一つをあげますが、『直ちに人体に影響はない』という言葉は『中長期的には害が発生する恐れがある』ということで、もっと奥には『その害が遺伝するかどうかは判明していないよ🎶』という意味合いも隠れています。

 

馬鹿らしい言葉の裏側に隠されている神秘

「新しい言葉」だからって、「流行っているから」って、信用ができる理由とはならないことが判りました。

そんな「新しい言葉」に含まれている不都合な内容を明らかにする言葉なんてのもあります。

そんな言葉たちに対してはどのような対策をとるのか。

 

つまり『「新しい言葉」に隠されている毒や惡をつまびらかにする言葉』に対しては、どういったことをするのか。

もうおわかりのことだとは思いますが、「馬鹿らしい言葉」というものを被せたり、くっつけたり、「馬鹿らしい言葉」で包んだりするのです。

 

言葉を額面通りでしか受け取ることができない人々は、「馬鹿らしい言葉」を『馬鹿らしい言葉・内容』として受け取ります。決して『「新しい言葉」の秘密を暴く言葉』とは見ないでしょう。

 

 

他にも、次々生まれる「新しい言葉」の全てを根幹から覆す内容の言葉があるけど、それをしちゃうと既得権益やらなんやらが崩壊したり、これまで信じていたものが否定されたことで路頭に迷う人民が発生してしまうので、必死に神秘の内容を「馬鹿らしい言葉」というレッテルを貼って隠しているという側面もあります。

 

 

言葉は大事で重要なので慎重に用いないといけないと思っているのですが、言葉というものは嘘をついたりするものです。

その言葉自体は嘘をついていなくても、その言葉が使われる背景・経緯が嘘をついているから、言葉自体が嘘を吐いている。という、一見ではわかりにくいものが隠れていたりするものです。

 

ちなみに、ここで『言葉』と表現したものは別の事象においても当てはまったりします。

 

はたらき蜂⑧では死に切れない

あそびがないから気に喰わない

はたらき蜂⑧になっているのも「新しい言葉」が由来しているという実際もあるのですが、とりあえずそれは端に置いておきます。

 

ここで「あそび」という言葉がでましたが、これは2010年くらいから顕著になってきた【《無駄を省いて効率化》の風潮】のことじゃないのかなと考えます。

効率化や便利とは聞いているには良いものに思えますが(実は「効率化」を良いものと捉えているのも言葉の効果)、その実、効率化をしたことで休めない・代わりがいないという事態が発生します。

 

わたしはよくこの例えを用いるのですが、電信柱と電信柱の間に伝っている電線は、実は撓んでおります。

その理由は、電線がぴん、と張っていると、地震などが発生した時にすぐに切れてしまうから。

また、電信柱も実はめちゃくちゃしなるらしいです。それの理由も、地震などで折れてしまわないように。

ちなみに電線が撓んでいる理由のもう一つとしては『電信柱がしなって電線がぴん、と張った時の張力、反動で電信柱が折れないようにするため』ということなのだそうです。

 

上記したことができるのはどうしてかといえば、それは《あそび》があったからです。

ですが、今の社会はどんどんと「効率化!効率化!無駄を排除!」の方向へ移行しているように感じます。

この超効率化社会のためには、会社は『無駄な人員』を削るでしょうし、その結果、残った人員はより働き蜂であることを強いられるのです。

 

余談ですが、便利というものは実はかなり危険であると思っています。が、実はこの便利感情を刺戟するよりも不便感情を刺戟した方が利潤は回ります。

 

個人的な意見なのですが(ずっとそうだろ)、そうそう簡単に「無駄!不要!」と言い切るあなたは社会に、人類に、地球に、本当に必要なのかい?と思います。一介の小市民が他人をジャッジしなさんなって、そーんな感慨。

 

あと五年もすりゃあ、無駄にあふれていた頃を大層懐かしんで「無駄って言って切り捨てていたけど、無駄じゃなくて豊かだったんだな」と後悔する日がくるんだろうと思いますよ。

 

しゃっくりと後悔の中で その胸の太陽を燃やせ

百粒の混沌の中で 乱れ咲く煩悩を殺せ

百粒の混沌の中で 寝惚けてる本能を起こせ

後悔してる暇があるなら、これからの生を後悔の無いように生きろよ。

後悔を取り戻すほどの人生にしろよ。

「樂したい」とか「被害者でいたい」とかの煩悩なんて相手にするな、支配されるな(でもたまの樂は必要)。

手前ぇが心の底からしたいと思っていることをしろ。

 

みたいな意味ですかね。

熱いですね。やっぱり岡本太郎さんみたいな印象です。

 

 

この曲はギターのピッキングのほとんどがダウンピッキングです。

ダウンピッキングで弾き続けるのが苦手な人間からすると「どうしてそんなに難しいことをわざわざ…」と思うのですが、その理由は音を聴けば腑に落ちました。

 

「この曲のギターは、ほとんどでピッキングハーモニクスが鳴っている!!!」

 

ピックングハーモニクスとは、ピックでギターの弦を弾いた時、即座に親指の側面を弦に触れさせることで「コ!」みたいな超高音で金属的な音を鳴らす奏法です(ちなみに『霊界ヌ~ボ~♨︎』の最後で鳴っている超高音はナチュラハーモニクスというもの)。

 

その音が曲的に必要だからほとんどのピッキングがダウンピッキングなんですね。

どうしてそんな難しいことをわざわざ…。

www.youtube.com

 

それと歪んだギターをブリッジミュートした音が大好きです。

 

ところでこの曲の曲中にも拍の頭にアクセントを置いている部分がありますが、縦のノリになりませんね。

縦のノリになるところはありますが、それはハーフになるところだし。

 

 

-超感覚的宇宙-

喰べすぎたときは毎回思う 体重は何kg?

呑みすぎたときは大概思う 暴走もありだろー?

 

泣き出したときは毎回思う 怪獣じゃないわよ

叱られたときは大概思う  感情がないのよ

 

媚びすぎたときは毎回思う 賞賛はないのよ

知りすぎた時は大体思う  大衆は蜃気楼?

 

So So ワカルヨ チキュウノタビワコンナンサ

So So ダカラサ ジクウヲコエテアイニキタンダ

 

喰べすぎたときは毎回思う もう悔いはないのよ

呑みすぎたときは大概思う 報酬はないのよ

負けだしたときは毎回思う 文句いわないのよ

勝ちだしたときは大体思う 勝算は無いわよ

 

So So ワカルヨ チキュウノタビワコンナンサ

So So ワカルヨ マヒルノザツネンガマグマサ

─超感覚的ウネル宇宙─

So So ワカルヨ チキュウノタビワコンナンサ

So So ワカルヨ ヨルワコウカイノアラシサ

 

喰べすぎたときは毎回思う 体重は何kg?

呑みすぎたときは大概思う 日常が蜃気楼

─超感覚的ウネル宇宙─

So So ワカルヨ チキュウノタビワコンナンサ

So So ダカラサ ジクウヲコエテアイニキタンダ

─超感覚的ウネル宇宙─

So So ワカルヨ ヨルワコウカイノアラシサ

─超感覚的ウネル宇宙─

So So ワカルヨ

─超感覚的ウネル宇宙─超感覚デキメル宇宙─ 

So So ワカルヨ チキュウノタビワコンナンサ

So So ダカラサ ジクウヲコエテアイニキタンダ

これってなんのことを歌っているのかなーと思ったのですが、たぶん大衆についてですね。

 

きっと《地球で生きている人》についてです。はたらき蜂⑧として生きている人についてでもあると思いますし、『苦苦★念仏』で歌われている人々についてのことでもあると思います。

 

日常の瑣末なことに苦心したりしている人々と、そんな地球大衆を見ている、神か、先祖か、守護靈か、概念的な思念体か。

 

その証拠?に、「チキュウノタビワコンナンサ」があります。

日本語であれば、「チキュウノタビハコンナンサ」になると思いますが、『は』ではなく『ワ』です。

これは人間界にて生きている存在とは画した存在の意識だと感じるのです。

人間界の存在では無いから、言語に影響が出た。

 

 

そんな《何かしらの存在》は、わざわざ会いに来たと言っています。

これから考えると、新生児として誕生する準備をしているのか?とも考えられますし、新しい概念(実は太古にあったけど現代では新しいと認識されること)として生まれ落ちるのか?とも考えられます。

 

ですが「So So ワカルヨ」と言っているあたりから考えると、その昔に地球で暮らしていた存在でしょうね。それが新生児として新たに生まれ落ちると考えた方が適当です(本当に適当か?)。

 

 

あ、あれか?

『苦苦★念仏』で「世のオカルトな諸君」と歌われていた人々とそれを見守る存在の歌か?

 

 

「泣き出したときは毎回思う 怪獣じゃないわよ」はマーガレット廣井さんの実体験なんじゃないかと邪推してしまう。。。

 

 

 

忙しねえ。忙しねえ曲です。

ですが、どうやら実はこの曲は一つ前の『攻撃的国民的音楽』よりもテンポが遅いみたいです。

『攻撃的国民的音楽』のBPM(Beat Per Minuteの略称で、『一分間にいくつの拍数を打つのか』ということ。秒針は一秒で一回なので、一分はBPM60)は、おおよそ200を超えていると思われるのですが、この曲はおそらくBPM190前後?で200は超えていないと思われます。

なのに、忙しなく聴こえる理由。

それは演奏する音符が基本的に八分音符ばっかりだからなのかな〜、とか思いました。

 

『攻撃的国民的音楽』も基本的には八分音符ばっかりですが、ノリがハーフになったり (「1、2、3、4」で取っていたノリを、BPMは変えずに「1、・、3、・」のノリにすること。四分音符で拍を取るんじゃなくて二分音符で取るって考えたらわかりやすいかも)、セクションでBPMが変わったりするので、メリハリがあるためそんなに忙しなくは聴こえないのかもしれません(でも実際はめっちゃ速い)。

 

そして、この曲が忙しなく聴こえるのも、歌詞の内容とかと関係しているのか??とかとも思いました。

 

 

それとイントロでマーガレット廣井さんが『教則本に載っていそうなコードスケールのエクササイズ』みたいなフレーズを弾いていますが、これは本当に何かのコードを弾いているからギターが大暴れなフレーズを弾いていても曲として成立しているのかな、と感じました。

 

あとこの曲、樂器の全部が音でけえな。

これも意向なんでしょうね。

ギターも左のほうが目立って聴こえますが、これはイコライジングの妙だと感じます。

 

 

Violet Purple Bible

ヴァイオレットパァプルのヴァイブル

 

純情な作戦の聖書

感情は細胞の霊魂

人造の森林の迷子

親愛なる矛盾界の教徒

 

終点は全く違うぞ

安定が賢明じゃないぞ

神聖たる覚醒の迷路

心臓がぶっ壊れそうさ

 

ヴァイオレットパァプルのヴァイブル

ジパング列島解放サヴァイヴ

 

そう 簡単に飲み込まれないぞ

冥界の強大なゲート

新鮮たる天界のAPPLE

親愛なる矛盾界の教徒

漠念な忠告のヴァイヴ

混沌は改造の末路

心配な崩壊の最後

心臓がぶっ壊そうさ

 

ヴァイオレットパァプルのヴァイブル

ジパング列島解放サヴァイヴ

ヴァイオレットパァプルのヴァイブル

ジパング列島解放サヴァイヴ

 

世間の眼 大衆の涙

やっちゃ駄目 粛正のマニュアル

快刀乱麻 玉砕の覚悟

残された 最終のバイブル

 

純情な作戦の聖書

感情は細胞の霊魂

人造の森林の迷子

親愛なる矛盾界の教徒

終点は全く違うぞ

安定が賢明じゃないぞ

神聖たる覚醒の迷路

心臓がぶっ壊れそうさ

 

ヴァイオレットパァプルのヴァイブル

ジパング列島解放サヴァイヴ

ヴァイオレットパァプルのヴァイブル

ジパング列島解放サヴァイヴ

個人的に『攻撃的国民的音楽』よりも【怒り】を感じる曲です。

 

そう 簡単に飲み込まれないぞ 冥界の強大なゲート

こことか良いですよね。

『赤い衝動 -R.I.P-』で目醒めた人なのか、『⇔粛正の夜明け⇔』で警鐘を鳴らしていた人なのかは不明ですが(個人的には後者だと思います)、「てめえらの真っ黒い世界がクソだってことは知っているぞ」という意思を感じます。

ここの意識ですが、のちに発表された『狂感できない』にてより濃く歌われていると感じます。

 

「終点は全く違うぞ 安定が賢明じゃないぞ」も最高です。

この曲が発表された当時とは違いますが、近年では非常に顕著になってきています。

終身雇用とか年金とか。

 

他にも『長い物に巻かれて安定を選ぶ』もそうですし、『「良い學校出て、良い会社に就職して」が良い結果を生むとは限らないぞ』という意味合いとも捉えることができます。

 

そもそも、『《安定》という言葉自体が危険かつ支配的』という意味かも。

《安定》という言葉には【常識】や【多数派】という意味合いも隠れているし。

 

世間の眼 大衆の涙 やっちゃ駄目 粛正のマニュアル

快刀乱麻 玉砕の覚悟 残された 最終のバイブル

 

『世間の眼』はよくよく言われる抑止力ですよね。

『大衆の涙』がどう繋がるかは不明なのですが、『やっちゃ駄目』があるあたりから、やっぱり常識とかそういう価値観が「何かをやりたいと思う氣持ち」を粛正する手引き・手段であるという暴露をしていると感じます。

【快刀乱麻】は「こじれたものごとを鮮やかに解決すること」を指すらしいのですが、つまりは『常識という、常識とされたものが一番根っこに巣食う最終の聖書(思考の規範)。それを玉砕する覺悟で鮮やかに断つ』という意氣込みと受け取りました。

なんだかマーガレット廣井さんが日本刀を持って、一心に斬っている様が想起されますね。

 

前半だけで見ると、「タトゥー入れようと思っている(あるいは「入れた」の事後報告)」という話をめぐる話し合いのこととも思えます。

 

 

 

さて、『Violet Purple Bible』というタイトルですが、どういう意味合いなのでしょう。

軽く調べてみたところ、ざっくりとVioletは【青紫色】、Purpleは【赤紫色】のことを指しているのだそうですね(インターネットの情報なので真偽は不明)。

 

パッと聞きでは両方とも紫と形容される色ですが、その実はちゃんと違いがある。

その違いを、『同じに見えるもの』や『同じだと見せられているもの』達を、ちゃんと見分けられるように脳みそ生かしておけよ。ちゃんと脳みそ起きておけよ。という意味とかでしょうか。

 

Bibleについてはわかんないです。

「『同じに見えるもの』や『同じだと見せられているもの』達を、ちゃんと見分けられるように脳みそ生かしておけよ」を信条にしましょう。なのか、単純に韻を踏んでいるだけなのか。

 

『《聖書》として信じているもの』は、一見似ていても実は全く違うものだぞ。という意味であるかも。

そうかも。

それなら「解放」の意味も通るし。

 

それか『VioletもPurpleも紫である』ので、《紫は高貴な色であること》から展開して、【聖書(宗教、常識)を信条にする信者を金蔓として喰い物にしている様】のことかも?

だとしたら『0088』とも繋がりますし、「解放」の意味も通る。

 

 

ヴァイオレットパァプルのヴァイブル

ジパング列島解放サヴァイヴ

 

 

 

この曲のメインギターフレーズ、一定の音程を奏でているのが『押弦した音』なのか『ナチュラルハーモ二クス』なのか、今でも分からない。

多分『押弦した音』だとは思うんですけどね…。

 

「心臓がぶっ壊れそうさ」の『ぶっ』の部分の歌い方と最後のサビの歌唱が、魂が篭っているように思えてとても好きです。

 

 

都会の魔界

千年前から俺達は 残忍極まるあやかしだった

神に刃向かい生態を破壊 金のキチガイ現代の魔界

罪状は 70 億通り 惨状は増え続け不条理

怠慢な迎合の脳裏 強情な繁栄の脅威

 

都会が沈みだして 真っ赤な森になってく

都会が歪みだして むちゃくちゃ緑濁ってく

 

二千年前には俺達は 太陽崇める精霊だった

神を敬い生態を理解 人知一体の無邪気な世界

愛情は 70 億通り 清浄が増えつづける冥利

平常な瞑想の心理 温厚な超越の憑依

 

都会が滲みだして 真っ赤な森になってく

都会が歪みだして たった独りになってる

 

都会の虹になって 不確かな鳥になって

誤解が歪みだして 異界と同じになってく

 

都会が沈みだして 真っ赤な森になってく

都会が沈みだして むちゃくちゃ緑濁ってく

 

魔界も虹になって 不確かな鳥になって

誤解が歪みだして やっぱ独りになってる

現代人を嘆く曲だと感じます。

『千年前』などの時間の期間を表現する言葉が用いられていますが、わたし的には特に額面通りの時間ではないんじゃないのかと思っています。

 

神に刃向かい生態を破壊 金のキチガイ現代の魔界

ここで言われている『神』は自然のことを指していると思われ、森林伐採と、都市化、都市化による利益主義に対しての痛烈な批判だと思いました。

『神に刃向かい生態を破壊』というのは、ムックさんの『ココロノナイマチ』で歌われている「地球を隠し、靴の汚れない街」と似ている、あるいは同じ要素を歌っていると感じます。

 

罪状は 70 億通り 惨状は増え続け不条理

『70億通り』は言わずもがな世界人口のことを指しているでしょうし、利己主義が正となったことで、生物の道理を逸脱し、その結果惨状が累々跋扈してしまった。そのことへの嘆きだと読み取りました。

 

「都会が歪みだして むちゃくちゃ緑濁ってく」の『都会が歪む』というのはいろんな解釈ができると思いますが(大抵そうだろ)、ウイルスか何かのように侵食して自然を喰い潰す、つまり《ヒトが都市生活をするために開墾した様子》のことを表わしているのか、《「緑のある都会」的な意図で植林をした都市》のことを表わしているのか?とも考えました。

後者は【デザインされた自然】なので、全く本来の自然とは違います。

『瑞々しい緑』が《自然がちゃんと自然として機能している状態》のことを指すのであれば、【デザインされた自然】が『濁った緑』と形容されるのも納得と言えます。

 

 

二千年前には俺達は 太陽崇める精霊だった

神を敬い生態を理解 人知一体の無邪気な世界

愛情は 70 億通り 清浄が増えつづける冥利

平常な瞑想の心理 温厚な超越の憑依

 

わたし個人としてはこっちの方が好きです。

この部分は日本でいうならば、江戸や縄文の頃をイメージする時代です。

つまり、自然を畏怖の対象として敬っている時代。あるいは、《自然を一つの生物として尊重している時代》です。

 

『太陽を崇めること』は、全世界的に確認されているそうですが、"太陽を崇める" という行為は自然に対して敬意を持っている状態だとも思えます。

『神を敬い生態を理解』は《自然に対して敬意を払って、共生すること》だと考えられ、自然に対して侵略をしません。

敬意を持っているということは、愛情にも発展します。

愛情は惡感情を清浄化しますので、ヒトが自然を一生命として敬えば、愛情は全人口の数になる。ということだと考えます。

 

 

ということは、本来の神(自然)と生きる世界と、人工の神(宗教・価値観)に支配された世界の対比?愚かさ?を歌った曲なのではないのか、と考えます。

であれば「誤解が歪みだして 異界と同じになってく」は愛情ではなく罪状が70億通りある世界のことであり、愛情がないから誤解があっても許すことができない。

誤解を許すことができないから、神の星であるはずの地球が、異界と同じになっていき、誤解を許すことができないから、次第に関わる人もいなくなって独りになっていってしまう。

 

いやぁ、好き勝手なことを言っております。

都会が沈みだして 真っ赤な森になってくというのは、現代の都会→コンクリートジャングル→夕焼けでビル群が火事の様になっている様の形容?

それか、都会=資本主義の没落→赤字続きみたいな意味合い?

 

わたしもこんな解釈(誤解かもしれないこと)を好き勝手言っているから、独りになっている。

 

 

 

イントロの「グワァァァァア…」ってところってギターとベースがユニゾンしているんですね。今更氣付きました。

 

この曲は16分なノリの曲ですが、Kenz∞さんの「チチーチチー」というハイハットの刻みがタイトかつパワフルなグルーヴを出していてとっても良いですね。

 

曲はベースの音量は控えめで、ギターとドラムが同量くらい。ギターの方が氣持ち多めって感じですね。

 

 

ユーレイ・ドライヴ

しょっちゅう記憶飛び散ってるから

アタシが誰かわからないのでしょう?

記憶が無いの無いの ぬけがらよ

急いで眼玉動かしてるからよ

 

ぐるっと廻りこんで

つるっと乗りこなして

パキっと殻を割って

シャキッとよみがえって

 

わるいユーレイを 次から次へ撃ち殺しながら

終わりの来ない夢から覚醒させるのよ

 

ぐるっと廻りこんで

つるっと乗りこなして

パキっと殻を割って

シャキッとよみがえって

 

わるいユーレイを 闇から闇へ葬り去ってね

終わりの来ない 夢から覚醒させるの

わるい冗談で 次から次と騙されちゃ駄目よ

終わりの来ない夢から覚醒させるのよ

 

しょっちゅう記憶飛び散ってるから

アタシが誰かわからないのでしょう?

気力が無いの無いの ぬけがらよ

独りで下手な夢みているからよ

この曲の主人公は『-超感覚的宇宙-』にて「So So ワカルヨ」と言っていた存在でしょう。

「あー、もう。そんな汲々とした日々を送ってるから変なもんに騙されんねん。こりゃいっちょ正しい道路に戻さなあかんな」と思って、憑依して(あるいは守護霊として)、俗世で生きるものへの指南をしています。

 

「急いで眼玉動かしてるからよ」の部分、あまりに最近の様相になりますが、わたしにはすまーとほんに支配されている人々のことに思えます。

それとか『ながら』が推奨され、キャパシティがオーバーするまで求められる。その求められていることをこなすために情報を入れていること、に対してとも取れます。

 

わるいユーレイを 次から次へ撃ち殺しながら

終わりの来ない夢から覚醒させるのよ

ここに歌われている『わるいユーレイ』が【常識】であるのか【宗教】であるのか【新しい言葉】なのか、【政治家の耳障りの良い公約】なのかはたまた全く違うもののことなのかは不明ですが、『終わりの来ない夢』と表現されているので、未来もずっとこの夢は流布され続けるのでしょう。

その夢から逃れるためには、己が自ら覺醒しないといけない。

この「覺醒」は『某WNO夜』で言及されていた《覚醒者》に繋がるのだと考えます。

 

 

わるいユーレイを 闇から闇へ葬り去ってね

終わりの来ない 夢から覚醒させるの

わるい冗談で 次から次と騙されちゃ駄目よ

終わりの来ない夢から覚醒させるのよ

上記は二回目の内容ですが、おそらくなのですが我々にドライヴしたユーレイさんは、別のところへ行こうとしているのだろうと思います。

「今度はあなた自身が《わるいユーレイ》を闇へ葬って、憑かれて疲れた人を解放してあげてね。現実の顔して居座っているクソッタレな夢から覺醒させるのよ」

「もう覺醒したはずだけど、いつだって悪い冗談で騙そうとしてくるから氣をつけるのよ。あなたは悪い夢から覺醒させる使命があるんだからね」というような叱咤激励です。

 

であるなら最後の部分がわからない。

ユーレイさんは別の人につるっと入ったということ?

 

「独りで下手な夢みているからよ」というところから判断したら、『都会の魔界』で独りになっていた人にドライヴしたということなのでしょうか。

 

 

イントロと間奏のギターがアーム(弦の張力を変えることで音程を変えるもの)を用いたもので、その「ワァ〜〜〜ン」という音がユーレイっぽさというか、一種の儚さを感じます。

 

そんな儚いを感じるギターの側でドラムとベースがユニゾンして曲が進行すること、このリズム隊としての堅実さみたいなものを感じるのも対比があって良いですね。

「ドドドド…」と一定のリズムが曲の根底でキープされているのは、エンジン音として想像しても御誂え向きかもしれません。

 

 

エイトビイトな人々

消息わかってんだろう?

故にベソかいてんだろう?

何処に向かってんだろう?

頭の逝き先を教えてくれ

 

消息わかってんだろう?

故にベソかいてんだろう?

ジョークに決まってんだろう?

頭の言い訳を訊かせてくれ

 

鼓膜の中が答えさ

絶叫に呑まれてキレイさ

もがき疲れた答えが

しょんぼりに包まれた

光だったんだとさ

 

消息わかってんだろう?

故にベソかいてんだろう?

なんでそう頑張ってんだろう?

だからさ 言い訳を教えてくれ

 

覗き込まれた答えが

熱狂に呑まれてキレイさ

もがき疲れた答えが

しょんぼりに包まれて 光り出したんだ

 

どうにもならない孤独があるさ

どうにもできない地獄があるんだ

どうにも鳴らない響きもあるさ

どこにも逝けないことが怖くもあるさ

 

ふにゃふにゃにされた人々

くしゃくしゃになったエイトビイトを

へとへとに慣れた人々

あやふやになったエイトビイトを

でたらめに慣れた人々

がらくたになったエイトビイトを

うやむやにされた人々

ギラギラ光ったエイトビイトを

 

さ が そ う ぜ

さ が そ う ぜ

 

消息わかってんだろう?

故にベソかいてんだろう?

何処に向かってんだろう?

頭の逝き先を教えてくれ

 

何から書こうか。

まず、この曲は個人の内面の葛藤でろうと思います。

はたらき蜂⑧として生きている人なのか、『赤い衝動 -R.I.P-』で覺醒していた人なのか、それともまた別な人なのは定かではありません。

 

ともかく、葛藤をしている。

 

『心の底からやりたいこと』は分かっているが、いろいろな制約やしがらみから行うことができない。

でも、その制約やしがらみすらも、自分が受け入れているから発生していることも知っている。

つまり、自分次第でなんとでもなることを理解している。

でも、『怖い』や『今後の生活が』などの、心ではない理性と思考の【言い訳】があって、行動ができない。

 

だけど、『やりたいこと』は自分が本当にしたいことなんでしょう?

それをやることを渋ってるのってジョークでしょ?

そんなジョークを言ってる、頭の理由を教えてくれよ。

 

「鼓膜の中が答えさ」とあります。

これは心の中の氣持ちこそが真の答えであるということだと思います。

『鼓膜の中』ということは体内ということであり、思考や理性の言い訳というのは、所詮外的な社会から持ち込まれたものなので、体外のものであると判断ができます。

 

もがき疲れた答えが しょんぼりに包まれた 光だったんだとさ

『真の心からやりたいこと』と、『対世間的にどうかなどの反対意見』との板挟みで煩悶してもがき疲れた答え(ここでの【答え】は「自分がやりたいと思ったこと」を指しているように感じます)は、しょんぼりには包まれていてもまだ消えていない光だったんだとさ。つまり真にやりたいことだから、そう簡単に消えるもんじゃないということだろうと思う。

 

なお、ここでの煩悶は《世間の眼》や《「やっちゃ駄目」などの粛正のマニュアル》によって生み出されていて、そこでの煩悶によって大衆の涙が生まれるのかしら、と、ここでようやっと思いました。

 

消息わかってんだろう? 故にベソかいてんだろう?

なんでそう頑張ってんだろう? だからさ 言い訳を教えてくれ

【消息】

それは物事の動静や行方なんかを意味する日本語です。

 

『消息わかってんだろう?』という問いかけは、「このままの生活を続けた場合の結果」についてのことであるのかな。と感じました。

「 "自分のしたいこと" に蓋をしてこのまま生きた場合の結果、想像ついてるんでしょ?後悔とかすることを想像ができちゃうからベソかいてるんでしょう?」ということです。

「じゃあ、どうして『"自分のしたいこと" に蓋をして』生きているの?その理由を教えてよ」との問いかけなのかなと思いました。

 

またここの煩悶は『⇔粛正の夜明け⇔』にて歌われていた「我々の理想を幻想に閉じ込め悶えてはいないか?」と同義であろうと考えられます。

 

覗き込まれた答えが 熱狂に呑まれてキレイさ

もがき疲れた答えが しょんぼりに包まれて 光り出したんだ

ここの『覗き込まれた答え』という部分がどういう意味合いなのか、全然わからなかったのですが、もしかして、ここって立場?が逆転してる?

一回目では自分が観察者だったけど、二回目の今回は自分が観察される側で《答え》に様子を確認されていた(一回目での自分はしょぼくれて引きこもっていた?)。

顔を見せた《答え》は、"自分のしたいこと" だから、どうにもキレイに見えた。

 

んで、もしかして『覗き込まれた答え』『もがき疲れた答え』との《答え》って、それぞれ別々の意味合いですか?

前者は "自分のしたいこと" で、後者は苦しい煩悶を続けた結果に "自分が出した結論"。

後者でどんな結論を出したのかは不明ですが、どちらにしても覺悟を決めたから光り出した。

 

どうにもならない孤独があるさ

どうにもできない地獄があるんだ

どうにも鳴らない響きもあるさ

どこにも逝けないことが怖くもあるさ

結論は自身の心に従うことだったのでしょうか。

『どうにもならない孤独がある』という発言からみても、自分の心からの願いに従うことを選んだのだと思います。

 

やっぱりこの世界は【自分の真の心のままに生きる人】の方が少ないと感じます。

「どこかで自分に嘘をついている人」は、同士と徒党を組むものに感じますしね。

もちろん【自分の真の心のままに生きる人】は実は結構いたりするものなのでしょうが、実際に出会うことは少ない。

なんだかんだで「どこかで自分に嘘をついている人」の方がマジョリティを占めているので、【自分の真の心のままに生きる人】の孤独は避けられない。

 

かと言って今から「自分に嘘をついている人」になって生きるのは地獄であるし、『それはできない』という地獄でもある。

 

『どうにも鳴らない響き』はわたしの力量不足で何を指しているのか分かりかねるのですが、「自分の真の心のままに生きる人になってみては?」という語りかけをしても理解を示さず響かないということですかね?

そうすると『どうにもできない地獄』とも繋がりますね。

 

どこにも逝けないことが怖くもあるは、やっぱり使われている漢字のことから考えても、死なんじゃないかなぁと思います。

「自分に嘘をつくこと」もできず、「真の心に従って生きることで発生する孤独」に耐えることや「真の心で生きることへの理解が示されないこと」に絶望して死を選ぶこともできるけど、怖氣付いたり度胸がないとかで、死に切れない。これからの生を行くことが怖くもある。

 

ふにゃふにゃにされた人々 くしゃくしゃになったエイトビイトを

へとへとに慣れた人々 あやふやになったエイトビイトを

でたらめに慣れた人々 がらくたになったエイトビイトを

うやむやにされた人々 ギラギラ光ったエイトビイトを

 

さ が そ う ぜ

 

とはいえ、自分に嘘は吐かずに生きることを選択し、覺醒者となった主人公は、過去の自分と同じ境遇の人へ提示します。

 

『へとへとに慣れた人々』は "はたらき蜂⑧" のことでもあると思うし、『でたらめに慣れた人々』は "理想を幻想に閉じ込め悶えている人" や不正を諦めて甘受している人、『うやむやにされた人々』は "理想を持っていた頃の各々" や、そのまま "でたらめにされた人々" 

 

そんな人々に対し、エイトビートというロックミュージックで基本中の基本であるもの、つまりは「『その人それぞれが大事にしているもの』をもう一回探して見つけてみようよ。別に悪いもんじゃないと思うよ」と語りかけている(ロックミュージックの源流であるブルースは遣る瀬ない氣持ちの発露から生まれた歴史があるので、可笑しく酔狂なこじつけも、さもありなんとも思えます)。

初めて聴いた時の感想でも書きましたが、ここで「探せ!」ではなく「さがそうぜ」と言っているのが、優しくて好きです。

 

他には "大人" になってしまった人たちへの応援歌とも思えますね。

特に現代で大人と認識されている方々って効率ばっかりを重視していて、それこそ遊びがないように思えます。

そんな方達に対して「童心忘れてない?そんな生活続けてたらしんどいんじゃないの?たまには昔好きだったものを思い出して、愉しんでみたりするのも悪くはないんじゃないかな」と語りかけているようにも感じました。

 

 

 

大好き〜〜〜!!!!!!!!!

この曲は道なりに続いている感じ、その道を歩んでいる感じを覺えます。

 

この曲ってマーガレット廣井さんがベースでコードをバッキングしている曲です。

なので、Katzuya Shimizuさんが好きなギターを弾けるということですね。

 

ところでこの曲のギターは独特な音をしていますね。

特徴的なハイ?の音がフィルターかかっているように思え、「フランジャーか…?(飛行機の離陸時みたいな音のエフェクター)」と思っていたのですが、あれですね。これはサスティナーを使っていますね(サスティナーは、弦振動の減衰に左右されず一定の音量の音をお届けするエフェクター)。

 

『ふにゃふにゃにされた人々』からの盛り上がりも好きです。

 

 

先に書いた通り、この曲はマーガレット廣井さんがベースでコードを弾いています。

ベースは弦が太いですし、マーガレット廣井さんはピック弾きではありません。

よって手が痛い。

だからライヴではほとんど演奏されないのか?と邪推いたしました。

『不人氣だから演奏されない』のではないだと思いたい。。。

 

 

 

必要以上に好き勝手なことを書きました。

どうしても好きな曲だし思い入れも強いので、愛が長くなる。

酔狂でけったいなこじつけも厚さを増す。

 

しかしまぁめ〜〜〜っちゃくちゃ不器用な応援歌ですね。

不器用なのですが、とても誠実な曲だと感じます。

じんわりと眼が満潮になりそうな想いがあります。

 

再三申し上げますが、あくまでもこれはわたしの解釈なので「はぁ〜??もっと体に烏賊を詰め直してから出直せタコ!」と思っていただいて一向に構いません。

 

 

この度歌詞を見直しながら改めて聴きましたが、このアルバムは全体を通してかなり攻めていますね。

伊達に『攻撃的』という言葉が使われているわけじゃない。

 

 

日本

floodinhead.hatenablog.com

 

さて困った。

この『日本』というアルバムは今聴いても【永劫回帰】を表した作品であるようにしか思えないからです。

手前味噌、親莫迦、甚だ自惚れ千万で恐縮至極でございますが、なかなかナイスな解釈をしたな、と自分でも思います。

他人様の褌で勝手に相撲をとっているくせに、なにを偉そうに、と思います。

 

prologue

八十八ヶ所巡礼というバンドには珍しいシンセサイザーが入っている曲、しかもバンドサウンドではない曲です。

「ボンボン…」という音から開始する曲ですが、なんちゅーか分厚い扉が開くようなイメージが浮かびます。

 

キラキラ?している音も、八十八ヶ所巡礼というバンドにおいては《異様》となってしまいますので、それも特徴的ですね。

 

 

亡月亡日

インストゥルメンタルの曲ですね。

珍しく?マーガレット廣井さんのベースがボワッとした音で作られています。

 

この曲は一度だけ演奏をちゃんと見たことがあるのですが、Katzuya Shimizuさんが低音弦のローフレットを右手で、高音弦のハイフレットを左手でタッピングしていて(腕が交差する)「どうしてわざわざそんな難しいことを…」と思った記憶があります。

 

まぁでも多分どっちのポジションでも同じ演奏をできるのでしょうね。

 

 

絶妙Σ

渇愛の波を掻き分けて 低俗な波動放つ我ら

仏滅の夜From流儀 観念なさいな

 

頭痛のある 汲々の日々 パニックとなる人類の意地

しみったれた観念を引きずり廻し

情報に乗っかってる

 

時間が伸びたり縮んだり ふざけてる世界さ

時間がノウハウ握ったり 身勝手な時代さ

時間は何かと訊かれたら 時間は波だと答えるし

時計は何かと訊かれたら 時計は屑だと答えるさ

 

ーーーーーーーー

 

お金は何かと訊かれたら お金は紙だと答えるし

 

ーーーーーーーー

 

絶妙な意味が欲しい 俺らまだまだ苦しみたいらしい

 

ーーーーーーーー

 

じゃあどうしよう? 敵は血に潜んでる

なあそうだろう? 貴様らの中さ

 

頭痛のある 汲々の日々 パニックとなる人類の意地

しみったれた観念を引きずり廻し

行き交う 怏々の神のシグマ

のろまな時は止む 我らの先は絶妙

おいおい、マーガレット廣井さんに歌われる人間はいっつも疲れてんな。

 

 

渇愛』は「のどが渇くように愛を求める状態」という意味だそうです。

そんな渇望感を抱えて、草臥れて生きている。

そして、この曲で『仏滅の夜From流儀』が初登場します。

 

【仏滅の夜From流儀】が意図することもなんとなくわかったような氣がするのですが、この曲での意味は『給料日前のカツカツ状態』的な意味かしら?と思います。

 

【仏滅の夜From流儀】に込められた(と勝手に思っている)意味につきましては、後述いたします。

 

頭痛のある 汲々の日々 パニックとなる人類の意地

しみったれた観念を引きずり廻し

『汲汲』は「小事で瑣末なことに囚われてあくせくすること」という意味ですが、様々な理由で頭痛がある生活をしてパニックとなるも、『この価値観でこれまで生きてきたのだから今更変えられるか!』みたいなつまらない意地で生かされ続ける。みたいな意味合いかしら、と考えます。

 

『しみったれた観念』とは「けちくさい諦めの感情」ということでしょうが、つまりは、瑣末なことに囚われて生きる事を今更変えたら自身を否定することになるので、そんなけちくさい諦観を抱えながらというような意味合いだと考えます。

 

そして「情報に乗っかってる」というわけです。

その『情報』こそが汲々な日々を送る原因になるやもしれないのに。

いや、『情報に乗っかること自体が、しみったれた観念』ですかね。

 

そして、【観念】という言葉の意味合いが「考え」というものと「諦めろ」というものとで場所によって変わるのは、日本語の妙という感じですね。

 

時間が伸びたり縮んだり ふざけてる世界さ

時間がノウハウ握ったり 身勝手な時代さ

時間は何かと訊かれたら 時間は波だと答えるし

時計は何かと訊かれたら 時計は屑だと答えるさ

時間、それも情報なのですが、『伸びたり縮んだりする時間』は労働の期間やら生命活動の期間とかでもあると考えられます。

初回の感想記事では「みんなが信じている時間とかねーから」と書きましたが、そんな『ない』を『ある』にする "情報" それが時計であると思います。

 

お金は何かと訊かれたら お金は紙だと答えるし

「『お金』に価値がある」と信じているのも、情報があったからです。

この数十年で《お金を神様扱いする意識》がかなり育ちましたが、この曲で言及がされている通り、お金は紙です。

紙にインクで印刷したものを現代人は大層に有難がっているわけですが、別に地球へお金を差し出したところで、ぴゅうと風が吹くだけです。

そして飛ばされたお金を慌てて追いかけるのが、人間です。滑稽ですね。

 

さて、そんな情報に乗っかって情報で生きて生かされている人間ですが、とすれば、情報が乗っている紙にその生をコントロールされているのと同義とも考えられます。

生まれて死ぬまでお金にお世話になって、時に時間を売ったり時に寂しさで憂き憂きしたりもします。

 

はい。

これこそ、『⇔粛正の夜明け⇔』にて言及されていた「紙切れの支配」ってやつです。

「紙切れが必要だから」と思って、けちくさい諦観を引きずり廻して生きることこそ『紙切れで死ぬ』ということだと考えられます。

 

絶妙な意味が欲しい 俺らまだまだ苦しみたいらしい

ここの意図がわかったと思った時、思わず笑ってしまいました。

 

『絶妙な意味』というのは「生きる意味」とかそういったことだと思いました。

こんな塵芥な人がいる世界、正直言って別に生きなくても良いです。

なので、「え、生きる意味ねーじゃん。」と思えば、言ってしまえばさっさと死ぬこともできます。

ですが、死ぬのもなんなので生きている。が、なんとも自分が納得できる良い生きる理由がほしい。

つまり「なんだかんだで我々はまだまだこの現世で望んで苦しみたいらしいぜ。実は。」ということになるわけですね。

可愛らしいと言うか、呆れるというか、微笑ましいというか、笑ってしまいます。

 

最近思ったのですが、確かに『長期計画で何かを成すこと』を生きる意味に設定するのも良いと思いますが、『短期的な目先の目標に向かって生活すること』を生きる意味に設定するのでも全然良いと感じます。こんな感じのことマーガレット廣井さんも仰っていたな。

 

『理想は高く、いついつまでにこれやって、これをするためにはこれをするのが必要で…』としていたら、もしそれができないとなった時に最終目標の実現すらも霞んで眩むこともあり得るんですし。

 

その人当人が絶妙に苦しんで充実感を覺えられたらいいんだよ。

 

じゃあどうしよう? 敵は血に潜んでる

なあそうだろう? 貴様らの中さ

ここにて『敵』と形容しているのは【常識】とか【当たり前】とされている物事だと考えております。

Violet Purple Bible』でも言及されていたことですね。

 

それを遂行するためにあなた方がへとへとに慣れて疲弊しきっているんなら『敵』でしょう。

『敵』も生まれた頃から親しんでいれば、訳知ったる友も同義。その意識が自身に染み込みきっているのなら、血も同義。

 

頭痛のある 汲々の日々 パニックとなる人類の意地

しみったれた観念を引きずり廻し

行き交う 怏々の神のシグマ

のろまな時は止む 我らの先は絶妙

 

瑣末なことに囚われて頭痛に苛まれる我々大衆。

けちくさい諦め感情を引きずって生きて生活をする、不平不満ばかりの神(大衆の個人個人)の総和。

のんびりした微笑みの生活はなくなり、生の苦しみを絶妙に感じながら生きる。

 

みたいな感じでしょうか?正直最後は全くわかりません。

 

特に『Σ』です。

インターネットで調べたクソ付け焼き刃知識だと、シグマは二つ以上の数の総和という意味らしいです。

とすると、汲々とした日々を生きる人ばかりになって、そんな生活を送る人が多数派となれば、社会全体が多数派に寄せた形に情勢を作り直します(2023年現在、全くその通りになっていると感じます)。

そうやって社会や世界が『汲々で怏々な人たち』に向けたかたちに変化すると、《あそび》というのろまな時が止まって、行く先は苦しみの続くなんとも絶妙な世界〜、ということなのかな?と考えました。

 

『攻撃的国民的音楽』の時とは違って、なかなかアイロニカルな内容ですね。

わたしとしてはにやりとできて面白いです。

 

 


www.youtube.com

さてはて、今度は『絶妙Σ』のPVについての考察です。

この曲では床に数多の新聞紙が敷かれていますが、思い出してみれば、この新聞というメディアも情報を媒介しています。

そして、新聞紙も【常識】や【当たり前】を規定する存在ですし、『ない』を『ある』にする存在でもあります。

もういっちょいえば、『新しい言葉』と『馬鹿らしい言葉』を駆使する機関でもあります。

 

そんな新聞紙を踏みつけにして、時には破ったりして、最高にロックの精神を体現しているように感じて痛快です。

「ッカァ〜〜 !!!」って顔になっちゃいますね。

 

しかも、『貴様らの中さ』の部分で、マーガレット廣井さんは下の方向を指差します。

『なあそうだろう?』の部分でも、不自然にKatzuya Shimizuさんの脚を写しています。

やっぱりこれは、そういうことなのではないでしょうか。

 

 

 

Katzuya Shimizuさんは左Chのギターをライヴでは演奏するのだと思いますが、曲頭のキメの時「えっ!!!!そんなことしてたの!!!?!!??!!!!」と思いました。

てっきりベースと同じ音をユニゾンしていると思っていたものですから、ええ。

てっきりギターソロの時に右Chで鳴っているギターと同じフレーズだと思っていたものですから、ええ。

 

この曲のベースはフルコーラス通して全部好きなのですが、特に一番Aメロのベースがとても好きです。

ベース四弦特有のコリっとした感じが絶妙で誠にツボです。

 

あとこの曲のサビで感じることのできる『グルーヴがドライヴしている感じ』も大好きです。

この『グルーヴがドライヴする感じ』って、スネアが重要だと思うのですが、それこそ《絶妙》です。

 

 

ここのKenz∞さんめっちょかっこいい

〜〜〜〜!!!!

 

 

奇天烈レジャ~

《昔々 おかしな騙し合いが ひっきりなしにあったらしい そんな虚しい 嗚呼 時代のお話》

 

沈んだりすることに慣れた 縮んだ脳を取りだして

不安なんかを取り除いて 歪んだ車に乗りな!

 

気分ばっかの心ないラヴ♡ 縮んだ脳の問題さ

耳ん中で踊りだした歪んだ今日を楽しんだ

 

狂楽!

 

沈んだりすることに慣れた 縮んだ脳を取りだして

不安なんかを取り除いて 歪んだ車に乗りな

 

気分ばっかの心ないラヴ♡ 縮んだ脳の問題さ

耳ん中で踊りだした歪んだ今日を楽しんだ…

 

…確かに変だ …流石に変だ 〜…

 

昔々のおかしな話

 

やあ! 自由と空想に潜む繊細な諸君! そこはB級の社交場さ!

時間のルールとうしろめたい浪費を享楽に封じ込めてみないか?

人間の中身をえぐりだす旅 そこは永久の射幸場さ!

無限のクールをひねりだす旅ならもう既に動き出している!

 

昔々のおかしな話

 

沈んだりすることに慣れた 縮んだ脳を取りだして

不安なんかを取り除いて 歪んだ車に乗りな!

 

気分ばっかの心ないラヴ♡ 縮んだ脳の問題さ

耳ん中で踊りだした歪んだ今日を楽しんだ!

 

夢の中で踊りだした 歪んだ脳を取り返せ!

君の中で踊りだした 歪んだ脳を取り返せ!

 

! 確かに変だ ! さすがに変だ

〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!

《昔々 おかしな騙し合いが ひっきりなしにあったらしい そんな虚しい 嗚呼 時代のお話》

ここでは『昔々』と表記されていますが、これも『都会の魔界』と同様に、額面的に時間を表現しているのではないんじゃないかと感じます。

あるいは、『おかしな騙し合いがひっきりなしにあった』のはこの現代のことで、未来の世で「昔は、阿保じゃったのう」と話しているということか。

 

沈んだりすることに慣れた 縮んだ脳を取りだして

不安なんかを取り除いて 歪んだ車に乗りな!

 

気分ばっかの心ないラヴ♡ 縮んだ脳の問題さ

耳ん中で踊りだした歪んだ今日を楽しんだ

 

狂楽!

 

えーと、再度申しますが、『沈んだりすることに慣れる』のは危険です。異常事態であるとすら言えるでしょう。

そしてここで言われているのは、そんな《異常自体》の状態に蓋をして、不安とかも見て見ぬ振り蓋をして「いまを楽しんじゃいなヨ!!」と嗾す輩どものことであると思います。

 

『享樂』という言葉は「快樂を味わうこと」という意味がありますが、ここでは「狂」の字に変わっています。

こういったことから、《見ないといけないことを見ずに『楽しいこトしちゃおうヨ!』と唆されている人》のことなのではないかと考えました。

 

沈んだりすることに慣れた 縮んだ脳を取りだして

不安なんかを取り除いて 歪んだ車に乗りな

 

気分ばっかの心ないラヴ♡ 縮んだ脳の問題さ

耳ん中で踊りだした歪んだ今日を楽しんだ…

 

…確かに変だ …流石に変だ 〜…

 

先ほどと同じ内容の旨が繰り返されていますが、この場で狂樂を唆されている人は、そのことへの不自然さ?歪みを氣付いています。

ぼんやりとした、ふわっと香るお線香の香り程度のもののように思いますが、氣付いています。

 

昔々のおかしな話

 

やあ! 自由と空想に潜む繊細な諸君! そこはB級の社交場さ!

時間のルールとうしろめたい浪費を享楽に封じ込めてみないか?

人間の中身をえぐりだす旅 そこは永久の射幸場さ!

無限のクールをひねりだす旅ならもう既に動き出している!

 

ここで「やあ!」と言っている存在が、どの立場なのかがわたしにはわかりません。

とりあえず『射幸』という言葉は「努力をせずに利益や成功などをねらうこと」だそうです。

そういったことや、文章の流れから見ると《狂樂に閉じ込めようと唆す存在》ではないように思えます。

 

『無限のクール』が何を指しているのかも不明です。

冷静を指す意味なのか、期間を指す意味なのか。

でも『無限』という言葉自体が期間を指す意味も含まれているように思うので、前者か?とも思えますが、わかりません。

とりあえずは《現世は人間の中身を抉り出す、他力本願な世界》だということはなんとなく想像ができます。

 

昔々のおかしな話

 

沈んだりすることに慣れた 縮んだ脳を取りだして

不安なんかを取り除いて 歪んだ車に乗りな!

 

気分ばっかの心ないラヴ♡ 縮んだ脳の問題さ

耳ん中で踊りだした歪んだ今日を楽しんだ!

 

夢の中で踊りだした 歪んだ脳を取り返せ!

君の中で踊りだした 歪んだ脳を取り返せ!

 

! 確かに変だ ! さすがに変だ

〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!

 

《沈んだりすることに慣れる生活》や、それを《狂楽で誤魔化すこと》に、はっきりとした違和感を感じた主人公。

万々歳ですが、ここからが肝心です。

『歪んだ脳』を取り返すためには、その人自身が動かないといけないからです。

 

まぁ『赤い衝動 -R.I.P-』の主人公のように問題はないだろうと思いますけれどね。

 

 

 

この曲のギターは八分音符でコードを刻みながらワーミーを踏んでいる感じですね。

そういえばKatzuya Shimizuさんはどういう経緯でワーミーをボードに組もうと思ったのだろう?

ワーミーペダルを使っているギタリストって、わたしはRage Against The MachineのTom MorelloさんとJack Whiteさんくらいしか思い浮かばない。

 

曲中にファ#が二拍四拍で鳴りますが、これってコーラスで人が歌っているのか、キーボードなのか、どっちなのでしょう?

人が「とぅ♪とぅ♪」と歌っているようにも聴こえますし、キーボードで和音を弾いているようにも聴こえます。

あるいは両方を重ねているのか、ですね。

 

 

銀河の恥…

銀河くるしいな ぎゅうぎゅうの銀河

そんな情報ばっか

 

ーーーーーーーー

 

流行みたいに散りばめ チープな競争みていた

流行みたいに気になる ドープな狂を生きていた

 

はい、今回もこの曲だけはさっぱりです。

辛うじて、こうかな?と思う部分はあったので、そちらを書きます…。

 

銀河くるしいな ぎゅうぎゅうの銀河

そんな情報ばっか

言語表現として比喩を用いるのは一般的な常套手段ですが、ここで用いられている『銀河』も比喩であろうと感じます。

何への比喩かと言いますと、娑婆、俗世間です。

 

この曲の語り手がどういった性格パーソナリティを持った人物なのかなんて、私には知る由もないのですが、二つの説が考えられました。

一つは、この人自身が「娑婆生き辛えー」と思っている説。

もう一つは、この人が他者の発言していた「娑婆生き辛えー」を見かけた説です。

 

まず一つ目ですが、様々な手段により情報がこの語り手へ去来し、生活と生活をする環境に対して窮屈さや苦しさを感じている説。

「娑婆生き難いー。どこそこで事件、とか、年金問題が、とか、増税とか。そんな情報ばっかりじゃん」な考え。

 

もう一つの、語り手がいろんな他者の「娑婆生き難いー」発言を見た説ですが、これはSNSとかで見たんじゃないかな、と思います。

「うわ、この人もこの人もこの人も『娑婆生き難い』って言ってんじゃん。アンケートとかでも不安不満の声が多いし。そんな情報ばっかじゃん」というご意見。

 

 

ここで提案なのですが、報道とかそういったものを意識して見ないようにしたらいかがでしょうか。

 

ちなみにわたしは各種報道を見ていません。意識的に。

昔はわたしも「とは言っても、社会情勢とか追っておかないと駄目じゃないの?」と思っておりました。

それから数年経過したいま、報道なんて一切見ていませんが、特に生活に支障もないし問題ないです。

 

支障があるとすれば、時事ネタで雑談ができないとか、時事ネタが絡んだジョークがわからないくらい。

 

わざわざ自分からネガティヴな氣持ちにならなくても良いんですよ。

 

『社会情勢や世の中の流れを知っておきましょう』という価値観も、【常識】で【当たり前】という意識から由来しているものです。

敵は。

 

流行みたいに散りばめ チープな競争みていた

これについては、わたしには企業が仕掛けている広告手法にしか思えません。

一つの企業が自社商品を「どっちが人氣商品か!」みたいな謳い文句で対立構造にして、消費者の購買意欲を焚きつけるあれです。『〇〇VS〇〇戦争!』とか言っているあれです。

 

どうしてなんでも対立構造にするんですかね。資本主義と共産主義とか。ギターバトル!とか。

「仲良くしたらよろしいやん。そんなわざわざ違いを見つけたりせんと互いを尊重したらええやん」と思うのですが、対立するのが民主主義の本懐でもあるように思うし、仕方ないのかしらね。

 

『A商品とB商品を対立構造にして消費者の購買意欲を煽る広告手法』ですが、どっちに軍配が上がろうがその商品を作っている企業は儲かるんですよね。

 

流行みたいに気になる ドープな狂を生きていた

『Dope』は、スラングでは褒め言葉になったりもしますが、ここでの『Dope』は藥物とかそっちの意味じゃないかしらね〜と感じます。

他にも「物性を変化させるために、少量の不純物を添加する手法」に対しての呼び名でもあるそうです。

 

『銀河の恥…』についてはこれくらい。

もっと勉強します。

 

 

 

珍しくマーガレット廣井さんの音が結構歪んでいます。

が、曲の奥でジリジリ言っているのってベースの歪みか?なんの歪みなんだろう。

 

マーガレット廣井さんが遠吠えするところで聴いた感じ、やっぱりベースの歪みかなぁ。

 

 

大安ナイト

あんよの引っぱりあいをやめて 愛を込めながら…

 

一切わからんシリーズ第二弾。

この曲については本当になんの意図があるのかわかりません。

 

愉しく宴を執り行っているだけに思えます。

曲名に冠されている【大安】は「なにをやってもうまくいく日」として六曜にありますが、『大安の日くらいはそう苦しまずに愉しもうぜ』という主張の曲なのか?

 

「あんよの引っぱりあいをやめて 愛を込めながら…」という歌詞から考えても、人間界の生活が足の引っ張り合いなどをしきりにしていることに対しての提言や憂いとも思えます。

 

この曲には種々様々な童話などの登場人物が勢ぞろいしていますが、これは《人間界にないのろま〜な世界》が童話などの世界にある、裏を返したら童話などの世界にしかないから、そんな世界の皆様と宴をしているということなのでしょうか。

『生き埋めにされたような日々も〜』とも歌われているので、やはり人間界ではない場所での宴説が濃厚かな、と思います。

 

ちなみに、わたしはこの曲はマーガレット廣井さんがいろんな妖怪たちと酒を呑みながら、どんちゃんべろべろ街を練り歩いている様が想起します。

 

 

 

この曲は祭囃子ライクなチャンチャン♪鳴る音が印象的ですが、まさかとは思いますがDEAD ENDさんの『Perfume Of Violence』のオマージュなんてことはないですよね?

 

そうそう、この曲は二番のAメロに左Chで聴こえるディレイとリヴァーブの深いブリッジミュートのギターが好きです。

なんというか "充満している感じ" が好きですね。

本当にいい音。

 

あと右Chのギターは結構音量が抑えられていますが、このギターがなかなかいい仕事している。

 

 

幽星より愛を込めて

大体暗い街で輪になって とり憑かれたように

繰り返しの愚図な ゲェムに病みつき

 

言葉の棘が 毒のコクを高め

言葉で感電死 化けの皮を剥ぎとれ

 

とどまり続ける限り 心まで空に飛び交う

ぼうっと揺蕩う限り 言霊は宙に溶けだす

 

ーーーーーーーー

 

大体凍る街で震えてて 憑依されたように

役立たずの屑な ニュースに狂喜し

 

言葉に秘めた 毒の奥を掴め

言葉で感電死 化けの皮を剥ぎとれ

 

遺詠 !!!  探せ !!!  のろまな幽星 !!!

 

大体暗い街で輪になって とり憑かれたように

繰り返しの愚図な ゲェムに病みつき

 

企業の中に組み込まれている組織人への曲?

とりあえずそう解釈してみましょう。

 

『暗い街』が雰囲氣についてなのか、ビルで太陽が遮られて暗いのかは不明ですが、どっちにしろ、同じです。

どうして「組織人への曲?」と思ったかというと、『繰り返しの愚図なゲェム』って権力とか派閥のことや社内政治とかそういったことに感じたからです。

あのほとほと莫迦らしいしょうもない抗爭。

 

そんな莫迦らしい抗爭に、とり憑かれたように執心している様。

 

言葉の棘が 毒のコクを高め

言葉で感電死 化けの皮を剥ぎとれ

 

『言葉の棘』は《他の派閥への当てつけ》とかかしら、と思います。

自分の嫌いなものへに対しての言及は、自然と嫌味みたいなものが含まれちゃうものですしね、人間。

しかし『毒のコク』とは素晴らしく素敵な表現だと思います。この表現が提示されたら、そうとしか思えません。

 

『化けの皮』は、そのまま「建前で仲が良いようにしているおままごと・コント」な風景についてであろうと思います。

わたくしごとで恐縮ですが、わたしはあの組織内政治だとか、派閥だとかいうものはほとほと辟易とします。

「手前ぇの意志くらい手前ぇ一人で確立させろよ。賛同者がいないと不安な、その程度の意志や主張なんだったら辞めちまえ。最初っから持つなよタコ」と思います。

閑話休題

 

とどまり続ける限り 心まで空に飛び交う

ぼうっと揺蕩う限り 言霊は宙に溶けだす

 

ここは『窮屈な思いをしながらその場に居たって、汲々として怏々としちゃいますよ』というメッセージが隠されていると思います。

『あなたが我慢してその場所にいても、疲弊して忙殺されてぼうっと生きるだけになりますよ』という感じ。

 

大体凍る街で震えてて 憑依されたように

役立たずの屑な ニュースに狂喜し

 

さて、対象は変わって、今度は社会生活をする人間全体に広がります。

『凍る街』は人情(『あそび』も同義)の消えた街ということで、その冷たさに震え、寒さを紛らわすために役立たずで屑なニュースを貪る。中毒にもなってしまっているので、さながら憑依されたようでもある。

ここで言及されている『ニュース』は芸能ゴシップが有力と思いますが、基本的に報道は屑だと感じます。

ここらへんはご自由にどうぞ。

 

言葉に秘めた 毒の奥を掴め

言葉で感電死 化けの皮を剥ぎとれ

 

『言葉に秘めた 毒の奥を掴め』と『化けの皮』は『攻撃的国民的音楽』で言及されていた《新しい言葉》と《馬鹿らしい言葉》のことでしょう。

 

遺詠 !!!  探せ !!!  のろまな幽星 !!!

 

この曲で歌われている世界は『絶妙Σ』と同じ場所だと思われます。

つまり、汲々として窮屈な世界です。

 

そんな窮屈な世界を抜け出して、のろまで遊びのある世界を探せ。と提言している曲なのであろうと受け取りました。

あったけえ曲…。。

 

 

 

この曲はバンドとしてのノリは基本的に8ビートだけど、16分のノリが入っています。

ギターとドラムは結構演奏が細かいのですが、ベースはバスドラムとのユニゾン、歌のメロディは比較的ゆったりした音符感の調べになっていますね。

細かい樂器とゆったりめなメロディとの対比が、歌を際立てているのかな?なんて思います。

 

最後のサビにある中央Chにユニゾンチョーキングの「〜〜〜!!!!」みたいなところが最高すぎて酔っ払いの顔になってしまいます。

「「「〜〜〜〜!!!!」」」

 

 

ところで、この曲って『水の星へ愛をこめて』のタイトルをオマージュしてたりしますか?


www.youtube.com

いつかのライヴでも『善悪』の話をされていましたが、マーガレット廣井さんってガンダムとか好きなんじゃねえのか?と思います。

 

 

ウルトラ・ヘヴン

ぽっかり底に空いた 穴の無い傷があった

やあ、ヘヴン!ご無沙汰!って 穴の無い傷が言った

やっぱり僕にとって 憎めない奴であった

さあ、ヘヴン!飛べるように くだらない脳を捨てよう。

 

孤独ごとにしるしを付けて 届かない空へと投げつけてた

 

天国は どこでもあるクスリだって

じゃあ僕は 救いのない所に立っていた

 

ぽっかり底に空いた 穴の無い傷が言った

大丈夫一度だって つまらない事は無いさ

 

怖くないと小言を言って 動かない心を投げつけてた

 

天国は どこにもありゃしないさって

じゃあ僕は 救いのない小鳥だった

天国は どこにもありゃしないさって

じゃあ僕は 救いの無い花になっていた

 

 

夢の中では余念がないさ

空に始まり出口はないのさ

 

退屈ばかりさ

 

天国は どこでもある誇りだって

じゃあ僕は 浮世でまだ観ていたいさ

天国は どこでも地獄だって

じゃあ僕は 同然ならここに立っていよう

 

ありがとう

楽になった

サンキューです

 

ぽっかり底に空いた 穴の無い傷があった

やあ、ヘヴン!ご無沙汰!って 穴の無い傷が言った

やっぱり僕にとって 憎めない奴であった

さあ、ヘヴン!飛べるように くだらない脳を捨てよう。

 

『ぽっかり底に空いた 穴の無い傷があった。「やあ、ヘヴン!ご無沙汰!」って穴の無い傷が言った』

初回の感想にて、わたしはこの傷が実際にあったものだと思っておりました。

ですが、もしかしたら傷なんてなかったのかもしれません。

 

この傷は《僕》に語りかけ、《僕》自身も『憎めない奴』と認識しています。

そんな憎めない傷は「さぁ、飛べるようにくだらない脳を捨てよう」と語りかけます。

 

 

『穴のない傷』とありますが、そもそも、傷なんてなかった。

《僕》がそれを『傷』と錯覺していただけだった。

 

傷というのは、自身が認識するからつくものです。

そんな『傷』は癒えるもので、やがては傷跡があったことすらわからなくなることもあります。

 

たぶんちょっとした(当人にとって大きなことなんだろうけど)出来事で、過去に受けた傷を思い出したとかなのでしょう。

そんな時に、過去の傷が「ご無沙汰!」とやってきて、「またご機嫌で過ごせるようにさ、悲しいを感じる脳なんて捨てようぜ」と助けに来てくれた。

ここで《過去の傷》としていることが重要で(これはわたしが勝手に決めているだけですけど)、"過去の傷" ということは、癒えているはずです。

ということは『その傷も癒えるはずだよ』と暗に答えを提示してくれているとも取れます。

 

天国は どこでもあるクスリだって

じゃあ僕は 救いのない所に立っていた

 

この部分って『エイトビイトな人々』の「どこにも逝けないこと」とリンクしますか?

今ある辛苦は、死んでしまえば樂にはなるけれど、死ぬこともできないから救いもない場所にいる、ということでしょうか。

 

ぽっかり底に空いた 穴の無い傷が言った

大丈夫一度だって つまらない事は無いさ

 

天国は どこにもありゃしないさって

じゃあ僕は 救いの無い花になっていた

 

『傷』が「つまらない事なんて一度もないから大丈夫だよ」と言います。

これは『面白いこともなき世をおもしろく』とも『難攻不落の気分次第』とも同義であろうと考えられます。

つまり、物事、捉え方次第ということですね。

 

なので、「天国はどこにもない」と考えること自体も考え方次第です。

 

夢の中では余念がないさ

空に始まり出口はないのさ

 

『夢の中では余念がない』ですが、ネガティヴってのはなかなか用意周到です。

というよりも、我が心がネガティヴを甘受しようとしている。そんな我が心は否定されるのを嫌がるので、ネガティヴを肯定する要素を積極的に探そうとします。

被害者側にいた方が樂ですからね。

こういったからくりに関しても『敵は血に潜んでる』が該当すると思います。

 

しかも、そもそもが傷なんて本当はなくて空想で始まっているものなので、出口なんてありません。

 

出口のない状況で余念のない辛苦を味わい続けるのは、そりゃあ辛いですよ。

 

天国は どこでもある誇りだって

じゃあ僕は 浮世でまだ観ていたいさ

天国は どこでもある地獄だって

じゃあ僕は 同然ならここに立っていよう

 

『天國』も『地獄』も、自分の氣持ち次第。どこにでもあることと、《僕》は知りました。

『天國はどこにでもある』は、自分の氣持ち次第で世界を綺麗に觀れることです。

『天國はどこでもある地獄』は、天國と規定したら、同時に地獄も発生してしまうことでしょうか。

それとも、天國にいるからどこでも地獄を見いだせてしまうことでしょうか。

 

ともかく、この曲の語りでである《僕》は死ぬ必要もなくなったので、生を続けることを決めたようです。

 

しかし、どうやら『傷』はいないようです。

それもそのはず、まず『穴の無い傷』は幻想・空想なので、実在していないのです。

 

すべては《僕》が生み出していたものなわけですが、この、用が終わったらすっといなくなっている感じ、粋じゃないですか。まったく粋也。

こういった粋なことをするし、実は癒しを提示しているところなどからも『憎めない奴』と思っているのでしょう。

 

ネガティヴってものは隙をみて去来するので、『穴の無い傷』とは一生涯伴れそう友となるのでしょうが、その度に励ましてくれる存在がいるというのは心強いです。

それに一度でも乗り越えたら、経験済みのネガティヴに対しての対処法もわかりますしね。

 

 

 

もしかしたらこの『日本』というアルバムの中で一番ナチュラルな音像をしているかもしれないベースサウンドです。

 

あれ?この曲も『赤い衝動 -R.I.P-』の冒頭みたいに左Chのギターを右Chのギターが追っかけている?

サビのところです。

 

『退屈ばかりさ』の最後で、ピントが集束するように音がスッキリするの、いいですね。

 

 

脳がとろける街888

いつまでも魂は一緒さ 溶けない心で融合しようよ

 

ーーーーーーーー

 

この街では塵の様に 霧の様に『今』をぼやかしてる

 

ーーーーーーーー

 

夜が続きそうな街で心ばっかり観たり大変さ

 

ーーーーーーーー

 

夜が続きそうな街で 夜が続きそうな街で 夜が続きそうな街で こうやって叫べば

夜が終わりそうになるさ 夜が終わりそうになるさ そうやっていけたら最高さ

夜が続きそうな街で 夜が続きそうな街で 喉が千切れそうなそうな程に こうやって叫べば

夜が終わりそうになるさ 夜が終わりそうになるさ

 

そうやって溶けたら最高さ

 

『転がってる月』って、酒瓶のことかなあ。と思っていたのですが、空き缶の方がぽいかなあと感じました。

それなら『使い捨て』という大衆とリンクしますしね。ですが、「呪われてる」への説明にならないので、結局は分からずじまいです。

 

いつまでも魂は一緒さ 溶けない心で融合しようよ

 

『いつまでも魂は一緒さ』と歌っています。

これって『極樂いづこ』への返答なのではないでしょうか。

「果たして魂もあるのか」と歌われていたところです。

 

『溶けない心』ですが、これは大衆に馴染むことができなかった人が語り手なのではないかと思います。

汲々として怏々とした日々を送ることができなかった=多数派に心を溶かすことができなかった人、ということです。

やっぱり夢追い人が語り手なんじゃないのか。

 

そんな溶けない心のそばに、いつも魂が一緒にいるから、まぁ、生きていきましょうよ。という意味合いかしら、とも思うし、「別に一人じゃないよ」という意味合いとも取れます。

 

そして、前述していた《完璧主義に呪われた人》であるとも思います。

 

この街では塵の様に 霧の様に『今』をぼやかしてる

 

ここの【塵】を『絶妙Σ』で歌われていた『地上は何かと訊かれたら 所詮は塵だと答えるさ』という部分と重ねて考えるのなら、《将来だの過去だののことばかりに執心して、本当に重要な『今』を疎かにしている》という意味合いとなるように思います。

そして、将来だのに執心するようになった経緯と理由は、『お金は重要、時間を無駄にするな』などの情報に乗っかったから発生したものであろうと考えられます。

そして、将来のことばかり考えたりして、『今』しかできないことを見逃して後悔なんてしちゃうのでしょう。

 

地上は所詮塵。お金も所詮は紙。未来は未来で未だ来ないもの。あるのは、今だけだから、真摯に誠意に今を生きないと、あなたという神と仏が狂っちゃいますよ、といった感じです。

 

夜が続きそうな街で心ばっかり観たり大変さ

 

そもそも、どうしてこの街が夜みたいに暗いかといえば「そこで生きている人の心がどんより曇っているから」なのではないのかと思ってきた。

もちろん自分という存在自体が塞ぎ込んでいる(『鬱ぎ込む』も「ふさぎこむ」って読むんですね)からという理由もあるでしょう。

 

『心ばっかり観たり』というのはいろんなものを指すのでしょうね。

道路に落ちている吸い殻や空き缶などのごみと呼称されているものの類や、人々の話し声、行動とかです。

とかく人が行うことってのは、その人自身が考えて行なっているので、心の切れ端であるということです(何も考えず自分のためだけにごみを棄てる場合も、心の切れ端ということです)。

なので、醜い心が蔓延している状況の方では、どうしても心の切れ端も醜いものとなります。

そして、醜い心の切れ端は醜い念を放出するので、街の空氣雰囲氣も自ずと暗いものになっていきます。

 

あと、『ウルトラ・ヘヴン』でも言及したように人間の脳は樂をしたいみたいなので、ネガティヴを感じたい時は無意識にネガティヴを探そうとします。

なので街の状況を「醜いなぁ」と思っていると、その『醜いなぁという思い』を肯定する要素を探し出して、もっと「醜いなぁ」を加速させる、ということです。

 

ちなみに上記した内容はわたしの実体験です。

路上に転がる吸い殻などを見て、「どうしてそうも醜いのかなぁ、どうしてそうも醜いものと同じ種族なのかなぁ」と思ってよく氣に病んだものです。

ですが、今では人間は醜いものと割り切っているので、諦観すらも覺えません。

自分から神を棄てるのも、その方の自由なので好きにすりゃあいいって感じですね‾\_(ツ)_/‾

 

 

しかし、ここで『続く』ではなく『続きそう』と書かれているので、救いはあります。

 

夜が続きそうな街で 夜が続きそうな街で 夜が続きそうな街で こうやって叫べば

夜が終わりそうになるさ 夜が終わりそうになるさ そうやっていけたら最高さ

夜が続きそうな街で 夜が続きそうな街で 喉が千切れそうなそうな程に こうやって叫べば

夜が終わりそうになるさ 夜が終わりそうになるさ

 

『ウルトラ・ヘヴン』からの流れで、《自分を苦しめているのは自分自身》であることを認識した語り手(『ウルトラ・ヘヴン』の方か否かは不明)。

自分の心を癒す方法を知ったということは、夜が明ける方法を知ったということになります。

【叫び】が喜びのものなのか、単純に夜を明けさせる為の方法なのか、そもそも『一回目の叫び』は方法で、『二回目の叫び』は夜が開けるかもしてれない喜びに対してのもので、指しているものが違う可能性はありますが、いつまでも続くと思っていた悲しいに終わりの兆しを見出せたのは大変嬉しいです。

 

そうやって溶けたら最高さ

 

最後の部分ですが、これは自分自身が社会とか世界に対して抱えていた氷とかの意味なのかなと感じました。

 

あるいは、魂と溶け合って融合すること。

魂と融合する=本当の自分自身として生活する、とも捉えられる様に感じるからです。

 

とはいえ、何にせよ自分自身で自分を助ける方法を見出すことができたので、万々歳です。

「助けてもらおう」「助けてほしい」なんて、自分自身の主導権を他者に委ねてはいけません。

 

 

 

この曲は歌にディレイがかかっているのですが、この音像が『涙声になっている感じ』やら、『自分がぽろぽろと溢れている感じ』やらを想起しました。

 

曲の真ん中でマーガレット廣井さんのベースソロがありますが、やっぱりトロッコがごとごと進んでいている様子と、『銀河鉄道の夜』が思い浮かびます。

 

ちなみに、このベースソロ以降は歌にディレイがかかっているようには聴こえません。

 

 

この『脳がとろける街888』という曲を初めてレビューした際、「Hollyな印象がある」と書きました。

その理由としてはキーボードの音が鳴っているからだと思っているのですが、これって本当にキーボードの音なのか??

 

なんとなく《コーラスとかの空間系のエフェクターをかませたエレキギターの音》っぽくも聴こえるんですよね。

曲終わりで鳴っているのは、流石にキーボードだとは思うのですが、最後のサビの右Chで鳴っている音ってギターっぽい音をしているように感じるし。

 

 

 

《『脳がとろける街888』はどうして【888】なのかという考証》

このバンドは皆様もご存知の通り、「8」及び「88」がシンボリックなバンドです。

しかし、この曲は【888】です。

理由なんて『なんとなく』である可能性も大いにありますが、こういった意味がないかもしれないことに意味を見出して苦しんだりするのが好きな人間と致しましては、意味があるんじゃないかと思いたい。

そんな考証です。

 

【888】はゾロ目ですが、ゾロ目にはそれぞれ意味があるといいます。

エンジェルナンバーなんて言います。

【888】は「繁栄や成功がもうすぐそこにあるよ。人生の転換期ってやつ」みたいな意味らしいです。

曲の歌詞を考えてみても、上記した意味合いとリンクするように思うのですが、皆様はいかがお考えでしょうか。

 

『街』と『8』は同じ[ai]の母音ですね( ¨̮ )

だから単純に韻を踏んでいるだけかも( ¨̮ )

でもだとしても8が三つあることの理由にはならないけど( ¨̮ )

やっぱり『なんとなく』ですかね( ¨̮ )

 

 

凍狂

floodinhead.hatenablog.com

 

虚夢虚夢

空!

 

五・六・七・八 苦楽苦楽苦

脳ガトロケル脳ハ寝テナイ

ぎゅんぎゅんぎゅんの闇に踊り

紫光の果てまでぶっ飛んで

 

虚夢虚夢してるとね

仏が滅入りましょう

虚夢虚夢してるとね

仏が狂いだす

 

仏滅の夜 from 流儀

 

虚夢 笑う 奈落 奪う

永遠に呑む 夢幻 謳う

 

ここの『空!』って色即是空のことだったりしますかね?

であれば【虚夢】という言葉とも説明がつくと思われます。

 

この曲は過去に八十八ヶ所巡礼というバンドが発表した曲の曲名や要素を引用した歌詞が使われています。

 

なので歌詞には意味がないのかもとかとも思いましたが、そんな疑いは取っ払って酔っ払って好き勝手に解釈します。

 

五・六・七・八 苦楽苦楽苦

脳ガトロケル脳ハ寝テナイ

ぎゅんぎゅんぎゅんの闇に踊り

紫光の果てまでぶっ飛んで

 

五、六、七、八と数字が上がっていき、九の意で苦樂苦樂苦〜と繫がりますが、「あ〜、苦樂を感じていても最後は苦を感じちゃうのね〜」と思いました。

現代の超情報化社会とかいうものに支配されて、脳が寝ることはなく、『週五勤務』や『労働をしないと』という闇に踊らされ、思考できないほどまで脳がとろけてる。みたいな感じに解釈はできますが、『紫光』については、後で言及いたします。

 

虚夢虚夢してるとね

仏が滅入りましょう

虚夢虚夢してるとね

仏が狂いだす

 

本来であれば「きょむ」という言葉は【虚無】と表記されます。

しかし、この曲では『虚夢』と表記されています。

ただの言葉遊びである可能性を忘れてはいけませんが、わたしは『虚な夢を見ている』状況だったり『夢を魅せられて虚になっている』状況を考えます。

 

これまでにわたしなりに歌詞を解釈してきましたが、八十八ヶ所巡礼というバンド、もといマーガレット廣井さんが書く歌詞は、聴く側のこちらに対して「騙されてないか?」と語りかけるものが多いように思います。

 

そして、実社会では実際に毒にも藥にもならないようなことでクスリ漬けにされている毎日を送っている方が多い印象があります。

 

【常識】や【当たり前】を遵守する生活で、虚〜なホログラム毎日を送っているのです。

自分の心が底から求めるものを従わず行わず、日々の生活やら未来への不安に追われてこなすだけの毎日が健康的であるわけないでしょうに。

 

そんな惡鬼な生活だと、そりゃあ虚な夢も見るし仏先祖は滅入るし、仏自分も狂います。当然です。

 

はっきりと、こんな状況は異常だと思うし主張いたしますが、そんな異常も《多数派》となりゃあ話は別。数の暴力、惡魔の魔法、忙殺の靈魂。

いくら「危険だしおかしいでしょ」と主張しても【常識】と【当たり前】を持ち出して、必要な主張はなかったものにされたり嗤われたりしちゃうんです。

まったく悲しいもんですよ。

 

虚夢 笑う 奈落 奪う

永遠に呑む 夢幻 謳う

 

先の通り、虚な夢。つまり『虚夢』は幻想であるということですが、奈落が奪われています。

【奈落】は「どん底」や「地獄」という意味合いがあるのですが、ということは行き場所があるということになります。

しかし、虚が夢である場合はどん底や地獄などの "終着点" すらも存在しないということになり、これは『ウルトラ・ヘヴン』で歌われていた「空に始まり出口はない」というのと同義であると考えられます。

 

ちなみに『笑う』についてはわかりません。

『虚夢を生み出している者が、他者の奈落を奪うことで笑う』という意味かもしれない?

 

 

虚な夢であること、しかし、それが夢であることを認識していないので、虚夢は永遠に続いていき、夢の真っ只中にいる人は永久に飲み続けることとなる。

 

異常を日常として生活しているので、それが正常になって、異常と認識できない。そういう感じです。

 

 

 

この曲は過去に発表した曲名とかを用いておりますが、音とかの面においても過去の曲を踏襲したというか、ハイブリッドな感じになっているように思います。

 

 

金土日

やってる意味のない事が大切 僕なりにがんばってる

やってる意味のない事が退屈 訳など探さないで

 

『やってる意味のない事が大切』

この曲はそれに尽きます。

 

あと、《あそび》

『攻撃的国民的音楽』にて言及されていたことですね。

 

《効率化》が礼賛されるようになり極まっている昨今、"無駄" を省こうという勢力がどんどんと力を付けています。

労働労働労働、無駄を省いて労働に勤しみなさい。

であれば、休日なんてものも無駄なので省かないといけないのではないでしょうか。

まったくふざけた論説です。

 

労働力と効率化を同時に考えた場合、365日無休で365連勤が一番効率的なはずです。

まぁそんなことすると一揆が生じちゃうので、全く現実的じゃあないんですけどね。

飼い殺しにするには休日も必要ってわけです。

ちなみに、日本は週五日勤務が一般的ですが、ヨーロッパでは週四日勤務の國もあるそうです。聞くところによると、週四日にしたら日本人は思いやりを持ちやがるから週五日にしているとかいないとか居たとか居なかったとかゴドーは来るはずだとか。

 

また「訳など探すな」とも提言しています。

これは『絶妙Σ』にて歌われていた「絶妙な意味が欲しい」と同じ意味合いです。

【訳】は「理由」という意味合いでありますが、生に理由付けをするとその理由がなくなったときに生を続ける必要がなくなってしまいます。

また、理由という《意味・訳》があるために苦しむという事態にもなりかねません。

なので『理由なんて何でもいいんだよ』ということで「訳など探すな」と歌っているのだと思います。

 

上記したようなことから、八十八ヶ所巡礼の音樂は地続きというか、延長線上にあるんだな、と再確認しました。

 

 

 

なんだかこの曲のドラムは今までの曲と違って重心の重い音になっていますね。

バスドラムも毛布とかでしっかりミュートした「ボッボッ」って感じの音です。

 

全然詳しくないのですが、LED ZEPPELINJohn Bonhamさんっぽい音だな、と思います。

(今確認のためにもLED ZEPPELINさんの音源をちょっと聴いてみたのですが、Jimmy Pageさんのギターが左Chに振られていますね。Katzuya Shimizuさんはハードロック畑出身のギタリストであるとのことですが、八十八ヶ所巡礼さんの音源でメインのギターが左Chに振られているのってLED ZEPPELINさんの影響とかあるのでしょうか?)

 

 

脳の王国

言葉はいつでも馬鹿さ イミテーション達を褒めだした

御伽の国にも無かった ヘンテコ価値を決めだした

 

ーーーーーーーー

 

名前の無いモノに勝手に名前をつけた者達が

無くならないモノを必死に探し始めた

誰にも邪魔されず止まることのない幻想と

脳の王国の旅は続いてゆく

 

曲名にも付けられている『脳の王国』というのは、都市及び人間が作った街などの事だと思うのですが、もしかして養老孟司さんとの対談で安部公房さんが話していた「(ビルっていうのは)目的じゃなくて手段でしょ」というのを指していたりしますか?

 

この世界は人間の思考を切り取って具現化した世界なので、脳みそがいたるところに存在する『脳の王國』であるとも考えられます。

 

言葉はいつでも馬鹿さ イミテーション達を褒めだした

 

イミテーションは模倣や偽物という意味があります。

そんなイミテーションを『言葉』たちが礼賛しだした。

ここでいう『言葉』は《新しい言葉》であるとも思いますし、昔からある言葉でも使い方次第では模倣を礼賛することも可能です。言葉は流動的な側面もありますしね。

 

また、これって思うのですが、そもそも本物を知らないという事もあるのではないでしょうか。

それこそ『異常が普通だからそれを異常と思えない』というのと同じで『偽物しか知らないから偽物を褒めるという手段しかない』という感じです。

 

御伽の国にも無かった ヘンテコ価値を決めだした

 

『御伽の國』は、ふと思いましたが『不思議の国のアリス』の世界である可能性とかありますか?

 

まぁそもそもの言葉の意味から「非現実な世界・夢物語」ということでしょう。

そんな夢物語な世界にすらも無かったヘンテコな価値を、言葉たちは決定しだした。

 

ヘンテコな価値観はゆっくりと大衆に浸透して、【常識】や【当たり前】へと固着していく。

そういった絶妙な意味を付与するのは、メディア等々。。という感じでもあるな、と考えた訳ですが、ということは『脳の王國』って新聞とかのことですか?

 

名前の無いモノに勝手に名前をつけた者達が

無くならないモノを必死に探し始めた

 

これねー、本当によくあることですよね。

ヨーロピヤンな意識はすぐにラベルをつけるから。

そしてラベルを付けて、それが「良い、悪い」と判断しちゃうんです。

 

確かにラベルがあることで樂になる方もいらっしゃるのだとは思いますけどね。

 

そんなモノたちですが、名付けたものは意識の中に入るので、在る。

しかし、"在る" ということは無くなることが必然となるので、無くならないものを必死になって探している。

 

何だか『モモ』の時間泥棒みたいだな、とふと感じました。

 

誰にも邪魔されず止まることのない幻想と

脳の王国の旅は続いてゆく

 

「もういっそのこと、ありゃあしないものを "在る" ってしたらいいんじゃない?そしたら、そもそも無いのだからなくなることも無いんだし。んでもってそれを『在る』ってことにしちゃったらいいじゃん」

 

まーそもそも心で考えずに脳でばっかり考えている民の生活している街(=王國)って意味かもしれないですね、単純に。

 

 

 

ふと思ったのですが、このアルバムくらいから歌の引き立て役としてベースが鳴っているように思いました。

これまでの曲は、歌も樂器の一つとして構成されていたように感じます。

 

 

幽楽町線

始まってる黄泉が

繰り返しの莫迦

革命家のギヤが

火を噴いてぶちアガった

 

覚醒する夜が

ゴッタ返す朝が

濡れちゃってる脳が

九丁目の虚夢だったんだ

 

始まってる黄泉が

繰り返しの莫迦

 

『黄泉』はあの世冥界冥府な意味です。

生には過去も未来もありゃせんで、今しかないとはよく言われますが、そんな《今》をぼやかして生きているということは、生きていないとも同義であると考えることができる。

ということは、黄泉が始まっている。

 

そんな黄泉を生きる生活を繰り返す莫迦(「ばか」と読みますが、昨今で主流になっている『馬鹿』は当て字で、本来の漢字は『莫迦』なのだそうです。「莫」は否定、「迦」は釈迦のことを指し『釈迦を否定するものはばか』という意味でしょうか)、自分の心、つまり仏を否定して生活をする、仏を狂わせている愚か者。

 

革命家のギヤが

火を噴いてぶちアガった

 

そんな莫迦を見て、革命家が使命を感じた。というような感じでしょうか。

ちなみに、ここで言われている《革命家》は『⇔粛正の夜明け⇔』にて「勝算はある」と言っていた人なのか?と思いました。

 

覚醒する夜が

ゴッタ返す朝が

濡れちゃってる脳が

九丁目の虚夢だったんだ

 

この部分、何を指しているのかがよくわからなかったのですが、もしかして《覺醒する夜》って『夜が明ける』という意味じゃ無いのですかね?

覺醒剤的な意味で、夜(=闇)が牙を剥くとかって意味ですかね。

夜が明けない→黄泉を繰り返す莫迦達によるごちゃごちゃとゴッタ返す朝が続いていく、というような。

だとしても、『濡れちゃってる脳』が説明つかないんだよなあ。

"八" にこだわるバンドが、わざわざ「九丁目」としているのも不明だし。

 

 

 

『踏切の "再現" 』から始まる曲です。

この踏切の音って、一弦二弦をユニゾンチョーキングの形で押さえて、ミとレ#で構成されているんですね(すげー余談かつ今更なのですが、ユニゾンチョーキングってちゃんとするとオクターヴの関係になるんですね)。

一弦12フレットのE()と、二弦16フレットのD#(レ#)なのですが、これが不思議。

 

踏切の音は大きく括って『不協和音』と表現されるのだと思いますが、ミをルート(根音。基礎の音)として考えた場合、レ#って七度の音になるんですね(ルートの音を一度として、二度、三度、、と数える。二度のオクターヴ上は九度)。

これって五度の音があるかないかも関係するのかもしれませんが、個人的には一度七度の和音って不氣味に聴こえないんですよね(特にギターの音なら落ち着く音)。

 

ですが、レ#をルートとして考えた場合、ミってルートの半音上なんですよ。

そうすると、途端に不氣味になるじゃないですか。

だから、不思議だなあって。音樂って面白いなあって。

 

 

あと、ギターソロのコード進行ってライヴでは違うんですかね?

『日本万歳!!』の時は音源のコード進行ではありませんでしたが、ここら辺もライヴ特有の即興って感じでしょうか。

 

 

凍狂

全然夜にならないね

破裂した歩道橋の上

センセイションが足らないね

凍てついた炎 凍狂で

 

兎が視ていた夢が醒め

ミサイルの雪がはしゃぎだす

 

空が 呑み干した雲と眠って

脳を 切り裂いた星を喰べたの

酔えば 一瞬を永遠にみたてた

夜を 怖がった髑髏の街で

 

狂が溶けてく

 

二人が聴いていた夢語り

アタリマエ達がざわめきだす

 

兎が視ていた夢が醒め

ミサイルの雪がはしゃぎだす

 

空が 呑み干した雲と眠って

脳を 切り裂いた星を喰べたの

酔えば 一瞬を永遠にみたてた

夜を 怖がった髑髏の街で

 

今日が溶けてく

笑い転げようね

今日が裂けてく

烏賊が割けるように

 

空が 欲しがった愛を巡って

脳を 切り裂いた都市を喰べたの

声は 一瞬を永遠にみたてた

夜を消し去った髑髏の歌と

 

今日が溶けてく

笑い滅びようね

今日が裂けてく

烏賊が割けるように

 

狂が溶けてく

 

全然夜にならないね

破裂した歩道橋の上

センセイションが足らないね

凍てついた炎 凍狂で

 

兎が視ていた夢が醒め

ミサイルの雪がはしゃぎだす

 

空が 呑み干した雲と眠って

脳を 切り裂いた星を喰べたの

酔えば 一瞬を永遠にみたてた

夜を 怖がった髑髏の街で

 

狂が溶けてく

 

夜を怖がった死人の街で、虚ろに酔っ払って一瞬の出来事を永遠に仮定した。

夜を怖がって光で虚構を映し出した街には夜が訪れることはなく、髑髏の街で生きる死人たちは衝撃的な出来事を求める。

様々な事件が発生しても、決して温かいものではない冷たい好奇心というミサイルを事件の当事者に浴びせる。

街に、人々に狂が浸透して溶け込んでいく。

 

みたいな感じ?毎度のことながら強引だなぁ。

『兎』の説明もできていないし。

うるせぇなんでも答えを提示してくれると思うな。

 

二人が聴いていた夢語り

アタリマエ達がざわめきだす

 

兎が視ていた夢が醒め

ミサイルの雪がはしゃぎだす

 

空が 呑み干した雲と眠って

脳を 切り裂いた星を喰べたの

酔えば 一瞬を永遠にみたてた

夜を 怖がった髑髏の街で

 

今日が溶けてく

笑い転げようね

今日が裂けてく

烏賊が割けるように

 

あるいは、前回書いたようにやっぱり色恋のことであろうかなーと感じます。

 

同じような境遇、希望を持って出逢った二人が居た。

一番は出逢う前か、出逢ってすぐか。「驚くようなこと(売れたり注目されること?)って無いもんだね」と語りかける。

 

髑髏の街の中で、二人は自然と仲良くなっていくが【常識】を規範としているセンセイション亡者のアタリマエたちの標的になる。

人々の意識(=脳)を喰って生きている髑髏の街で、互いに酔うことで永遠を思おうとした。

 

空が 欲しがった愛を巡って

脳を 切り裂いた都市を喰べたの

声は 一瞬を永遠にみたてた

夜を消し去った髑髏の歌と

 

今日が溶けてく

笑い滅びようね

今日が裂けてく

烏賊が割けるように

 

狂が溶けてく

 

とか思いましたが、壮大すぎてわかりませんでした。

わたしの力量不足です。

 

『一瞬を永遠に見立てた声』というのは、誰かからの愛の囁きであるのかな、と思ったのですが、そうすると『夜を消し去った髑髏の歌』への繋がりになりませんし。

 

「あなたとならこんな髑髏な世界ででも笑って滅べそうだし、自分の中にある狂も溶けていきそう」とは取れるかも。

 

『髑髏の歌』が聴き手へ麻酔をかけるものと規定すれば、《「夢は叶う」的な声を永遠に思って、都市へ赴き、自身も脳を都市の一部にした》と読むこともできるのですが、そうすると『笑い滅びようね』との繋がりが不明になります。

 

ウーム。

 

『ペテン師ト後ノ祭リ』で歌われていた「コイデアッテモーソー」とも繋がったりするのかしら?

 

 

 

この曲はBPM=160前後くらいですが、全体的にゆったりしたノリで構成されていると感じます。

落ちサビっぽいというか。

 

拍は♩160くらいだけど、ハーフでアクセントが来ているからなのでしょうか。

 

 

サビ頭の低い感じから段々と盛り上がって行くのいいですよね。

それで盛り上がってエンディングでも突き通すところとかが曲の雰囲氣と合っているように感じます。

 

貴様らの皆様諸氏みんな大好き『歌い出しのブレス』も大好き〜〜🦑

 

 

月斗

月斗ベッドで交わる希望遊戯

 

この曲は仲間内と飲み屋で飲んでいる話?

飲み屋で吐く吐かないの問答悶着が勃発している状況に思えます。

 

あと、わたしの貧弱な脳ではこの曲も色恋を感じます。

『凍狂』で出ていた二人か?と考えたのですが、「君とならマシ」と言っているので別な人だろうかな〜と思います。

髑髏の街で生活しているまた別の人。『凍狂』での出来事と同時刻で起こっていることかもしない?とも思える。

 

なんというか、《小説内の飲み会》っぽいなとも感じます。

また或いは「思い返せばあの頃は愉しかったねー」と振り返る感じの思い出飲み会。

 

 

 

この曲は個人的にギターの音が印象的です。

これまでのKatzuya Shimizuさんの音は、中高域帯で作られていましたが、この曲では中低域帯でギターの音が作られています。

個人的にゴツッとした音の方が好みなので、こっちの「ブゥーン」という感じの音の方が好きです。

 

この音の太さ的にオクターバーで下の成分を足してそうに思いますが、普通にイコライジングでしょうね。コード弾いてるし。

と、思ったのですが、コードを鳴らしても対応してくれるオクターバーもあるんですね。

 

嗚呼、、、オクターバーなのかイコライジングなのかわからなくなってきた…。。。

 

一番最初に聴いたときは最後の酒を注ぐ音に大笑いしましたね。

 

 

紫光

用も無い癖に大衆は 勝手に嘘だけ知りたがってる

身勝手なのはお互い様さ 狂信の末にこんなザマさ

夢幻の街 お金の街 そんな街で majiで待ち惚けさ

その真っ赤な眼で 恍惚の眼で 後悔の海を航海し続けろ

 

その眼を消しとばしたら 喜びは単純さ

世の眼が馬鹿になったね わたし紫の光になる

 

ーーーーーーーー

 

止まない闇の大小は 呆れてる君の勘違いさ

千年かかった可笑しな旅 三蔵不在の西遊記

『なんか私…ちょっと悲しい…』

そんな心持ちを繰り返して

その真っ赤な眼で 恍惚の眼で 後悔の海を航海し続けろ

 

ーーーーーーーー

 

さあ 飛ぼうぜ 何処でもいい 誰でもいい 時間の無い場所へ

ぶっ飛ぼうぜ 何でもいい かんでもいい 気持ちの在る街へ

ぶっ飛ぼうぜ 何処でもいい 誰でもいい 時間が無えからさ

ぶっ飛ぼうぜ 何でもいい かんでもいい 紫光の果てまでさ

 

外は疑惑の雨さ

 

『そんなのどうでもいいじゃないか?』ってさ

 

仏滅の夜 from 流儀

八十八ヶ所巡礼

いつまでも夢が醒めない街で

紫の光になる

 

用も無い癖に大衆は 勝手に嘘だけ知りたがってる

身勝手なのはお互い様さ 狂信の末にこんなザマさ

夢幻の街 お金の街 そんな街で majiで待ち惚けさ

その真っ赤な眼で 恍惚の眼で 後悔の海を航海し続けろ

 

ここで言われている『嘘』は、ワイドショウ及び報道全般だろうな、と思います。

『用も無い』は《暇を潰すために觀ること》や、それこそ《別に必要でも無いのに喰う》ということなのではないかな、と感じます。

 

この曲は夢追い人を語り手として聴いてしまうのですが、【狂信】は、夢追い人からするとそのまま『夢』に対して、大衆からすると『報道』であろうと考えます(生まれた時から存在していて身近にあるからといって、全幅の信頼を置けるわけがないはずです)。

そんな【狂信】をお互いともしてるんだから、似た者同士だよね。ってことです。

 

お金という情報が支配した夢幻が濃く漂う、そんな街で、お呼びのかかる(驚くようなこと)のを待ち惚けている。

夢中毒になった(泣きはらした?)真っ赤な眼で、でも夢を信じている恍惚の眼で、自身の選択を後悔して生き続けろ。みたいな感じ?

 

その眼を消しとばしたら 喜びは単純さ

世の眼が馬鹿になったね わたし紫の光になる

 

『眼』=価値観を度外視して観れば、喜びは単純(『何かを成さないと』という価値観・価値基準ではなく、『それ自体ができること』という部分に意識を向けたら、それ自体が喜びである)。

世間の眼、大衆の眼、社会が馬鹿になっちゃったね(ここで『莫迦』の字を使っていないのは意図的であると思います。本来の字ではなく当て字、つまり、ある意味での嘘が正となった、ということでしょうか?)。

『紫の光』については、前に書いたのと同じ様に《「白黒、どちらか」という思考ではなく、赤と青の混ざった紫のような価値観》で、グラデーションを感じながら汲々とすることなく生きていく。そんな光を見せていく。という思いに感じるのですが、もしかしてこの解釈は破綻してますか?

 

止まない闇の大小は 呆れてる君の勘違いさ

千年かかった可笑しな旅 三蔵不在の西遊記

『なんか私…ちょっと悲しい…』

そんな心持ちを繰り返して

その真っ赤な眼で 恍惚の眼で 後悔の海を航海し続けろ

 

『止まない闇の大小は君の勘違い』という部分は『ウルトラ・ヘヴン』にて言及されていたことと同じ、「闇なんて自分が勝手に觀ている錯覺」ということだと思います。

「なんかわたし…ちょっと悲しい…」と感じているのも、自身が『悲しい…』を視ようとするその眼を消しとばしちゃえば無くなってハッピー♪ということです。

『絶妙Σ』での「敵は血に潜んでる」ですね。

 

ですので、ここで言われている『恍惚の目』は被害者でいる自分に酔っているという状況だろうか、と思います。

 

さあ 飛ぼうぜ 何処でもいい 誰でもいい 時間の無い場所へ

ぶっ飛ぼうぜ 何でもいい かんでもいい 気持ちの在る街へ

ぶっ飛ぼうぜ 何処でもいい 誰でもいい 時間が無えからさ

ぶっ飛ぼうぜ 何でもいい かんでもいい 紫光の果てまでさ

 

『時間』が我々の行動を狭めたり、選択を少なくしたりします。

『氣持ち』がない場所だと、心が疲弊してしまいます。そして、ひどい時には自分自身の心も氣持ちが無くなってしまいます。『気持ち』になってしまいます。

そもそも、感情はすべての元となるので、《氣持ちが無い》というのは死んでいるのと同義だと考えられます。

人はいつ死ぬかわからないので、うかうかしていられない。

 

『しこう』と読む漢字は色んな種類があり、曲の中で使われているのは「思考」と「至高」でした。

【思考】は考えという意味で【至高】はこの上ない高みや最高みたいな意味があります。

 

『思考の果て』は《考えることというちっぽけな枠を超えた境地》という意味合いで、『至高の果て』は《規定された高みの先》という意味合いかな、と思います。

 

外は疑惑の雨さ

 

ここで言われている『外』ですが、自分の考えの外=世間のことなのか?と思います。

世間では疑惑が起こっているが、世間とかよりも自分を大切にしろよと言っている様な印象。

 

そんな曲の最後に『紫の光になる』と歌われています。

ということは「白黒思考であくせくしている人たちに対して、紫光思考のグラデイション価値観を見せる光に自分がなりましょう」ということなのでしょうか。

でも『いつまでも夢が醒めない街で紫の光になる』という一節で考えると整合性がないようにも思える。

 

 

ここまでで考えられることとすれば、『凍り狂った髑髏の街にやってきたことで歪んでしまった意識』へのアルバムだということでしょうか。

 

 

 

この曲のベースはコーラスがかかってるんですかね。

非常に曲の世界観と合っているように思います。

 

八十八ヶ所巡礼さんの曲は(特に『凍狂』に収録されている曲は)、非常に夜を感じるものが多いように思います。

この曲は《深夜の静かな街で遣る瀬無さを感じながら自分という膜の中にある様々な激情をみつめている感情》を想起します。

 

 

曲中のブレイクにある「つつつ、じゃららん」というギターのミュートした音とミュートしていない音が繰り返される部分が好きです。

あとサビにて右Chで鳴っているアコギの音も曲と合っている。

 

ブレイク中の『ぶっ飛ぼうぜ 何でもいい かんでもいい 気持ちの在る街へ』で歌に深いリヴァーブがかかっていますが、これが自分自身に対して言っているようで、とてもよい。

『紫光の果てまでさ』でリヴァーブが晴れるようになるのも良い。

 

 

またこの曲は、ベース、ドラム、ギターのどれを取っても、一番HIPHOP的なアプローチがされている曲だと感じます(『泥春』も非常にHIPHOP的だと感じますが、それについてはまたいずれ)。

最近でこそ変拍子の曲は減ってきましたが、昔のように一曲を通して変拍子で構成すると一小節完結でフレーズを決めないといけません。

一般的な曲は4/4拍子で構成されているので、循環コードというものがありますが、変拍子の曲は絶対数が少ないため循環コードなんかも使えません。

なので「ドラムはこれ」、「ベースはこのフレーズ」といったように樂器ごとのフレーズを一小節の中で終わる(あるいは二小節で終わる)もので作り、それのリフレインをするという手法になった。

 

これってループということですし、『フレーズがループする』というのはHIPHOPにおけるトラックと似たものであると感じます。

HIPHOP的なアプローチ】がバンドミュージックで出来るので、曲にした。という感じじゃないのかなぁ、と考えました。

うまく伝わっていなかったらすみません。

 

 

 

あと、この曲は一拍目と三拍目に拍をとって子守唄にしたい曲です。

BPM=90ちょっとくらいの曲なので、ハーフでリズムを取ったら子守唄にちょうどいいくらいですね。

「ぶっ飛ぼうぜ 何でもいい かんでもいい 気持ちの在る街へ」って歌いながら寝かしつけたら思いやりが素晴らしい人に育ちそうですしね。

 

 

永・凹・阿阿瑠

今夜もゆっくり散る様な 形の無い淡い炭酸

 

呑み干せ このまま誰にも邪魔されず酔うて

呑み干せ そのまま想いを咲かさなきゃトばされそうだな

 

ーーーーーーーー

 

呑み干せ このまま誰にも知られずにいようか?

呑み干せ そのまま想いを咲かさなきゃトばされそうだな

 

今夜もゆっくり散る様な 形の無い淡い炭酸

夢追い人シリーズの曲、あるいは、暮らしの日々に思うことの多い人が語り手の曲だと感じます。

 

炭酸は下から上へ細かい泡が昇って行きますが、その泡の様に様々なアイディアやら考えがぽこぽこと生まれる性格の方なのだろうと思います。

そんな思いを炭酸が弾ける様に散らしている。せっかくの考えを見ないふりをして無下にしている状況のことを形容した歌詞だと感じました。

 

あら?これは『幽星より愛を込めて』の「ぼうっと揺蕩う限り言靈は宙に溶けだす」と同じかしら?

 

呑み干せ このまま誰にも邪魔されず酔うて

呑み干せ そのまま想いを咲かさなきゃトばされそうだな

 

ここでの《酔う》はアルコールに酔うという意味ではなく、『紫光』にて歌われていた【狂信】と近い意味であろうと思います。

結局自分で自分を信じるしかないので、他者のゴタ御託になんて邪魔されずに自分が信じたものに酔って、思いついた想いを実現しないと、社会やら現実やらにトばされそう。という意味です。

 

呑み干せ このまま誰にも知られずにいようか?

呑み干せ そのまま想いを咲かさなきゃトばされそうだな

 

とはいえ、ふとした時に正氣に戻る時もあります。

『脳がとろける街888』での「どこまで続けるの?」とか。

 

そんな時に「このまま誰にも知られずにいようか。その方が良いんじゃないか」という考えが去来するのですが、そんな考えすらも呑み干して自分が信じたものを咲かさないとと、改めて決起します。

 

曲の最後で『永遠の彼方へトばされそうだな』と歌っていますが、《想いを紡ぐことが生命線》となっている人であれば、想いを無下にすること=生きる理由が知らんところへ飛ばされるかもしれないという意味合いにも、《小さな思いつきであったとしても、結果的に自分が満足するものがもたらされることがある、そのきっかけと永久に再会できないかもしれない》という意味合いとが考えられます。

実際、ふとした思いつきってのは "その時に捕まえておかないと一生再会できないもの" だったりします。

想いは生物です。

 

厭世しながらも生きようとするこの語り手は美しいなー。生を儚んでも自棄っぱちにならないのは素晴らしい。

 

 

 

巧い曲だなー、と思います。

最初はゆったりした曲調で途中からファンキーな曲調に変わります。

一番最初にこの曲を聴いた時は、「このゆったりしたまま一曲続くのかなぁ。だとしたらなかなかダレちゃうな」と思いましたが、そんなことを思った矢先にファンキーな曲調へ変化したので、「ウワーめっちゃかっこいいじゃん」と感服したのを覺えております。

 

また、この曲はマーガレット廣井さんのベースがなかなかに厚みと重みのある音をしていますが、それに対してKatzuya Shimizuさんのギターが軽くてキラキラしたクランチサウンドになっているので、もたれることなく聴くことができます。

 

そこらへんの構成力とかも絶妙というか、妙を知っている感じがしますね。

 

 

 

怪感旅行

狂の怪感と 罰当たりな幻夢と虚しさ

表裏一体の 狂おしくも幽雅な浮世さ

妙と尋常の 狭間で浅ましく身悶えて

今日の極楽と 明日の地獄を愛でましょう

 

…世知辛い…

 

狂の怪感と 罰当たりな幻夢と虚しさ

表裏一体の 狂おしくも幽雅な浮世さ

妙と尋常の 狭間で浅ましく身悶えて

今日の極楽と 明日の地獄を愛でましょう

 

狂いを甘受する浮世と、狂うことで多数派になる快感。安心感。

無いを在るとする詐欺まがいの罰当たりな幻と、それに伴う虚しさ。

良いと悪いの表裏一体が生まれ起こる、狂いそうになるも趣深い千変万化する現世。

「普通」と「異常」という《認識》一つでどうとでも変わる紙一重の間で苦しんで、今という極樂と未だ来ない地獄を想って、そういった瑣末な小事とそれを思えることを愛でましょう。

 

世知辛いけど。

 

最高!

 

 

この曲大好きです。

歌詞に出てくる妖怪たちと大合唱したいくらい。

 

なんというか厭世し切った後の人というか、『クソな世の中なら笑わな損損♪』と吹っ切れた感があるというか、じめっとした感情を感じないので、そこらへんも合わせて好きです( ¨̮ )

最高!

 

 

幻魔大祭

floodinhead.hatenablog.com

 

ついに2023年現在で最新のアルバムです。

ここまでくるのに、長かった。。。

最後のアルバム、氣を引き締めて考察します。

 

JOVE JOVE

いらっしゃいませ いらっしゃいませ
浮世の不条理にお困りの方
呑み処JOVEJOVEへご指名ご巡礼
誠に有難う御座います
カメラは出鱈目 光の消えた眼
控え明細等 出血大サービス
酔わぬなら 酔わせてみせよう
 
ーーーーーーーー

 

JOVE JOVE呑みなよ もういっちょ

JOVE JOVE呑みなよ ずずずいっと

JOVE JOVE呑みなよ もういっちょ

JOVE JOVE呑みなよ

 

博愛主義GENERATION

 

冒頭の口上を文字に起こしてみたのですが、果たしてこの内容で合っているのでしょうか。。

『控え明細』の部分が、曖昧。

「控えめに言って」だと思っていたのですが、「光迷彩」とも聞こえる。

うーむ。

上記した部分以外は合っていると思われます。

 

 

歌詞の内容は『博愛主義の世代にAlc.を薦める曲』ですね。

これって一見すると上の内容なのですが、もしやもしや『単純に元氣のない人にAlc.(活力)を与える曲』なのではないでしょうか。

 

【博愛】は「広く平等に愛する姿勢」のことを指しますが、この曲でAlc.を薦められているのは『博愛以前の精神状態にある人』だと感じます。

 

そもそも特定のものへ関心が薄いので、なんでも良いという考えを博愛主義だと思っているのではないのか、と思うのです。

 

また、この曲の歌詞で氣になったのは【虚無】が使われている点です。

『凍狂』では【虚夢】でしたが、この曲では【虚無】と書かれています。

【虚無】は空虚やらむなしいやらという意味がありますが、そんな『虚無ちゃん』に「呑みなよ」と促しています。

 

これって『腹では実際のところどう思ってんのさ。腹割って話そうぜ』と、Alc.を通じて持ちかけているのだろうと思うのです。

 

この『腹割って話そう』と持ちかけている人は、なんだかんだで「毎日最高!」と言っています。

側から見ても愉しそうです。

しかし、虚無ちゃんらは愉しそうではない。

そんな彼ら彼女らにどうする?どうする?どうした?どうする?どうする?と升酒を片手に語りかけるのですね。

 

呑めば規制していた意識は爆裂し、神(自身の身内にある仏)の行き先(生き先?)も変わり、勘違いの博愛主義から抜け出すかもしれない。

 

親戚の人とか?職場の上司にこういった人がいると確かに面倒だなと思いますが、その実、こういう親身になってくれる人がいることの有難みもあります。

あと個人的に酒飲みってお節介な人が多い印象があって、酒をやらない仕事人間ほど薄情な氣がしますが、これは完全に偏見です。

 

このJOVE JOVEを薦めてくる人って、濁り酒呑んでる?

 

 

 

この曲のギターもこれまでと違う感じがしますね。

中音域にハイの成分が足された音ですが、そのハイがマイルドで耳に痛くない音像として機能しています。

この曲のイントロはKatzuya Shimizuさんのダブルハンドタッピングから始まりますが、タッピングの後に弾くピッキングハーモニクスのフレーズと音がとても好みです。

 

あとこの曲は八十八ヶ所巡礼というバンドが四つ打ちっぽい曲を初めて作ったかもしれない曲です。

こりゃあ売れ線だ。毎年紅白に出るしかないですね。

 

 

怒喜怒気

嗚呼

病気みたい

弱気みたい

途切れない鬼胎

奈落みたい

朧げなのに

 

嗚呼

剽軽で低級な

法螺が見抜けない

堕落したい

浮かれ心地で

 

ーーーーーーーー

 

嗚呼

そっちじゃない

こっちみたい

愚図がささやく

懲らしめたい

嵌められる度

 

嗚呼

素っ頓狂

けったいな

熱が流行りだす

頓珍漢

こんな調子の

 

ーーーーーーーー

 

怒喜怒気やまない

なんてしんどいんだろう?

でもやっぱ怒喜怒気

変に怒喜怒気

はち切れる

怒喜怒気が

YABAI

なんてしんどいんだろう?

でもやっぱ怒喜怒気

変に怒喜怒気

止められない

 

踠いてるだけでも変じゃない

黙ってるだけでも縁がない

探してるだけでも変じゃない

悩んでて変じゃない

 

病気みたい

弱気みたい

途切れない鬼胎

奈落みたい

朧げなのに

 

病氣というものは実体がありませんが、「あなたは病氣だ」と宣告すると、その相手を絶望の縁あたりまで突き落とす力があったりします。

この語り手は『〜みたい』というだけで、実感が伴っていません。

しかし、朧げでありながらまるで地獄に落ちたかのような恐れと心配を持っています。

 

剽軽で低級な

法螺が見抜けない

堕落したい

浮かれ心地で

 

また「人を面白がるような程度の低い嘘を嘘と見抜けないなんて」と辟易をしているようで、『どうせならいっそのこと、自分も同じような堕落をしたい』とも思っているようです。

 

そっちじゃない

こっちみたい

愚図がささやく

懲らしめたい

嵌められる度

 

「そっちじゃないよ」「こっちみたいだよ」と、囁くものがいるようです。

この語り手は堕落に落ちたのでしょうか。それとも落ちていないのでしょうか。

兎にも角にも、上記したような『噂』に右往左往させられることに辟易と怒りを感じているようです。

 

素っ頓狂

けったいな

熱が流行りだす

頓珍漢

こんな調子の

 

そんなあくせくする生活の中で、非常に間抜けで奇妙な熱病が流行りだしたそうです。

その熱病は症例がちぐはぐみたいですね。

 

怒喜怒気やまない

なんてしんどいんだろう?

でもやっぱ怒喜怒気

変に怒喜怒気

はち切れる

怒喜怒気が

YABAI

なんてしんどいんだろう?

でもやっぱ怒喜怒気

変に怒喜怒気

止められない

 

この語り手はやたらと動悸を感じているみたいです。

病氣というのは、とかく性質として色んな病氣に該当した症状を見せたりします。

そしてその反面、表出した病状から大病なんかも早期発見したりしますが、それは裏を返せば『どうってことない軽い病』も『重い病だと思い込むこと』もできるということです。

 

昔から『病は氣から』なんていう言葉がございますが、そうすると《重い病氣だと思い込んだら、治るものも治らない》なんてことも起こり得ます。

 

さて、『病は氣から』に《情報》が加わったならどうでしょう。

「新星の病氣が猛威を揮っていますよ」という報道がされた場合です。

その報道されている症状と、自分が今実感している症状とが一致していたら。

そりゃあもう、「怒喜怒気がYABAI」な状態で止められない♪ですよね。

 

『病は氣から』に対して「非科学的!」とご意見がございます方も多くいらっしゃることかもしれませんが、『科學は信用に足る』という意識も《情報》と【常識】から由来されたものだということをご認識いただければ幸いです。

とはいえ信仰の自由はあるから勝手に信じたいものを信じてくれ。

 

踠いてるだけでも変じゃない

黙ってるだけでも縁がない

探してるだけでも変じゃない

悩んでて変じゃない

 

ここの部分、いまいち解釈・解読できなかったのですが、『信用しきって諦めているよりは、踠いたり悩んだりしている方が良い』という意味か?

偉そうなことをいうんなら最後までしっかり決めろよ、自分。

 

 

 

またすごいバチバチした音ですね。
エレキギターを弾かない方にはぴんとこないかと思いますが、これは歪みエフェクターを二個重ねた時の音だろうと思います。
メインの歪みに、歪みペダルをブースターとして重ねて出した音ですね。
 

他にも『頓珍漢な熱』を表現した時の左右ギターの掛け合いがいいですね。

あそこのふわぁ〜んと広がっている感じの空氣感がベリー好きです。

ライヴだとギターの歪み具合がもう少し深くなりますが、個人的には音源くらい幻想的な歪みの方が好みではあります。
ギターがコードで掛け合いをしている中、ベースはソロを弾いているのも好きなポイントです。
 
 

あと、個人的に一番ロックバンド的なガッツを感じる曲です。

最後のサビが終わってCメロになった時、マーガレット廣井さんのベースがルート弾きのスタイルになりますが、そこの「グワァー!!ッ!」って感じの盛り上がりが、ロックバンドを感じるのです。

 

 

M.O. 8

免罪符暴く!

幻想CITY凍狂!

いいたいこといったもん勝ち?

低級民なら?

 

現在地ばらす!

電脳GIMME少女!

あーもう!身体の中!心の中!

 

M!O!8!

 

ーーーーーーーー

 

M.O.8.M.O.8.し過ぎてないかな?

足りなくてまだHAPPYだね!

M.O.8.M.O.8.し過ぎてないかな?

意味だってMOTHERFUCKIN'だね!

 

このままでいいのかな?

そのM.O.8.でいいのさ

M!O!8!

 

健全に解脱!

人間FUNUKE作戦!

やりたいことやったもん勝ち!

全員死ぬから!

 

免罪符暴く!

幻想CITY凍狂!

いいたいこといったもん勝ち?

低級民なら?

 

やっぱりこれSNSとかの匿名性を謳っているものでしょ。

『匿名性』という免罪符があったけど、あまりの誹謗中傷で《匿名性という免罪符》が機能しなくなってきた。

「でも圧政敷かれてそれに耐えているんだから、言いたいことは言わせてよ」は、大衆の特権??

 

あとは『匿名なら何言ってもいいと思っている人』に対しての意見とか。

向こうに相手がいるとわかってるんだから、目の前にいなくても誹謗中傷なんてしたら駄目でしょう。言いたくても言っちゃいけないことは、あります。

 

『免罪符=匿名性が担保されたもの』説はさすがに安直ではありますが、正直それしか思いつかない。

 

現在地ばらす!

電脳GIMME少女!

 

もう完全にSNSですよね。

「今これしてます」とか「今日はここに行きます」とかです。

全てのものに対して言えますが、そうそう易々と自分の個人的な情報をインターネッツの大海に流すもんじゃないですよ。

 

『うるせ〜〜〜』と思われるでしょうが、これは本当に大事です。

 

「一介の一般大衆の個人情報だぜ、別に重要じゃねえって」と思われる方もいらっしゃるのでしょう。

わたしもそうでした。

しかし、情報は誰の情報であろうが、ありゃあるだけ良いのです。

 

何においても傾向を知るために情報は重要で、統計學的な意味でも『データは多いに越したことはない』のです。

 

あーもう!身体の中!心の中!

M!O!8!

 

そして、現代で生きる多くの人間がどうしてそういった匿名性のあるツールで発信するかというと、要は『寂しいんでしょ?』ということだと考えます。

「自分の発言を見て!」「わたしはここにいる!」などの、まぁ承認欲求ってやつが満たされていないために、現在地を自らバラしたりして自分を見てもらおうとする(承認欲求由来ということなので、こうやってノコノコと考察を書いているこの記事も同じ穴の狢ということになりますね)。

その承認欲求とかそういった感情を総称して、『M.O.8.』としたのだろうと考えます。

 

そして、そんなM.O.8.を多く抱えて居るのが『JOVE JOVE』にて言及されていた《博愛主義GENERATION》なのだと思います。

だからこそ「毎日 毎日 寂しそうで苦しそうだね」と歌われているのだと考えます。

 

あと、『情報なんてなんぼあってもいいですからね』の言説に補足をするなら、イギリスの格言?とかに『もしあなたが無料でそのサービスで使っているなら、あなたは客ではなく商品なのだ』というものがあるそうですが、色々な無料のサービスを利用することで、情報・データという商品を知らないうちに自ら提供しているということなのです。

まぁここら辺も話半分に聞いてもらって構いません。

 

M.O.8.M.O.8.し過ぎてないかな?

足りなくてまだHAPPYだね!

M.O.8.M.O.8.し過ぎてないかな?

意味だってMOTHERFUCKIN'だね!

 

『モヤが足りなくてHAPPY!』ということですが、これは反語的表現であろうかなと感じます。

 "モヤ" が満杯FULLな状態だと、電脳をGIMME!したり、意味を求めたりします。

意味っていうのは、『絶妙Σ』で言及いたしました「よりもっと苦しむための理由」だったりします。

なので "モヤ" が少ないと、そういった《より精神が苦しむ方向にいかない》ために、HAPPY!だということであると思います。

もちろん違う可能性も大いにありますけどね。

 

このままでいいのかな?

そのM.O.8.でいいのさ

M!O!8!

 

「んじゃあ『M.O.8.のままで良い』って言っているのはどういうことなんだやねん」というところですが、これは「このままでいいのかな?」と疑問を感じたことに対して言っているんじゃないか?と思いました。

《虚無ちゃんで活力のない匿名電脳GIMME状態!》の "モヤ" ではよくないけど、『《虚無ちゃんで活力のない匿名電脳GIMME状態!》で、果たして良いのかしら?』と "モヤ" を感じたのは良い。

だから「そのM.O.8.でいいのさ」と肯定しているのだと思われます。

『 "モヤ" だから虚無ちゃん電脳GIMME状態!になった』のか、『虚無ちゃん電脳GIMME状態!だから "モヤ" になった』のかは、《卵が先か、鶏が先か》の思考実験みたいな感じですね…。

 

健全に解脱!

人間FUNUKE作戦!

やりたいことやったもん勝ち!

全員死ぬから!

 

正しい "モヤ" を感じたことで、《人間FUNUKE作戰》を脱しました(ヤッタネ!)

この《人間FUNUKE作戰》は『虚夢ちゃん増幅計画』のこともあると思いますが、『攻撃的国民的音楽』と『日本』の二つのアルバムにて語られていた「大衆を疲弊させて氣勢を削ぐ」というものと「今をぼやかして未来のことに意識を向けさせる」というもののことだと考えます。

『やりたいことやったもん勝ち!だって全員死ぬもん!』とだけで「今やろう!」とは言っていないので、わたしの考え違いである可能性は大いにあって、あんまり自信なんて持つべきじゃないと考えているので、思い違いだと思います。

 

TANUKIが出てくるのは、「化かす」からですかね?

 

 

 

弦樂器のご両人が弾き倒す曲です。

ですが、実はサビとギターソロ以外はマーガレット廣井さんは同じフレーズを繰り返しています。

つまり、曲のボトムをしっかりと支えているということになりますし、ベースという樂器の、バンドでの役割をしっかりと果たしていることになるのですね。

ベースが下を堅く固めているからこそ、ギターは弾き倒すことができる、ということです。

とは言っても、わざわざそんな難しいフレーズにしなくても、、とは思います。

 

そして、わたしが個人的にとても好きなところがあります。

サビ終わりの『M!O!8!』でキメがありますが、この時の音ってE()なんですね、Eの音ってギターでいう六弦、ベースでいう四弦の開放音なんですよ。

つまり、弦を押さえなくていい音程ということです。

 

なので、どんなにハイポジションで難しいプレイをしていても、キメの音程が押弦を必要としないので、指板を抑えるために指と腕を動かす必要がなく一定の音を弾くことができる。

ライヴではよくKatzuya Shimizuさんがサビの終わりで左手を使ってポーズを決めていたりしますが、そういった樂曲の構成や音程の次第によって、キメのキワまで超絶プレイを弾くことができるのです。

 

ちなみに、このキメの部分、マーガレット廣井さんはライヴではサムピングという親指の側面で弦を叩く奏法を用いているのですが、この音がとても好きです。

「音が好き」繋がりで、この曲のベースでかけられているジャリジャリした歪みの音が好きです。

どこかKornさんを彷彿としますね。

 

 

ちなみになのですが、この曲が『もやもやさまぁ〜ず2』のエンディングになっていた記憶が確かにあるのですが(わたしが八十八ヶ所巡礼というバンドをちゃんと認識する前)、これって夢の中での出来事ですか?それともマンデラエフェクトですか?

 

 

OH!SOJI!

こわいこわい紙切れ

降り積もり ちと匂う

OH!SOJI!

 

ぼんやり抱えていた謎は

突如弾ける

OH!SOJI!

 

硬く絞った雑巾で

僕を磨こう

OH!SOJI!

 

捲し立てて騒ぎ立てて拭い去っても

奥まで届かない

 

噂だけで電波だけで繋がり

ぎとぎとこびりつく

OH!SOJI!

 

硬く絞った雑巾で

僕を磨こう

OH!SOJI!

 

僕らはこの星に生まれて

極樂の日々を夢を見て

好きも嫌いも分からなくて

欲の肥溜めに流された

 

孤独の群れが列をなして

安い麻薬に甘えていた

闇を暴いたお姫様は

事故に見せかけて殺された

BUGる大衆と白うさぎ

お掃除 ROBOT気づいていた

駅の乞食の独り言は

誰も知らない予言だった

 

OH!SOJI!

 

OH!SOJI!

 

こわいこわい紙切れ

降り積もり ちと匂う

OH!SOJI!

 

ここの紙切れは新聞かお金か。

『匂う』がいまいちよくわかりませんが、過去からの情報が積もると、一つの思想や勢力になって別な意志が生まれる?ということ?

 

ぼんやり抱えていた謎は

突如弾ける

OH!SOJI!

 

これは『極樂いづこ』と『脳がとろける街888』との関係についてだと思います。

「果たして魂もあるのか」と「いつまでも魂は一緒さ」の部分ですね。

 

これまで書いてきた通り、八十八ヶ所巡礼さんの音樂は確実に同じ時間軸にあるのですね。

 

ちなみに、以前にも書いた通りずっと考え続けていたら、ずっと不明だった謎も突然ふと解決したりします。

 

捲し立てて騒ぎ立てて拭い去っても

奥まで届かない

 

ここは政治とか含めた全ての諸問題に通底するものだと思います。

問題が起こったとして、その問題を騒ぎ立てたとしても、その問題が発生するに至った背景を知って、そこから改善をしないと真の解決とは言えません。

氷山の一角だけを切り取ったとて、根っこの原因を断たなければ、それは臭いものに蓋をしているのと同義だと感じます。

 

噂だけで電波だけで繋がり

ぎとぎとこびりつく

OH!SOJI!

 

ここもSNSへの言及ですかね。

あとは井戸端会議。

 

『実際に見ていないのにさも見たように言う人(わしか…?)』に対して「本当のことは現場で、あんた自身の眼で見ないとわかんねえんだぞ」と忠告をしているのかもしれません。

 

硬く絞った雑巾で

僕を磨こう

OH!SOJI!

 

『エゴで物事を判断していないか、という内観や内省』のことを、「硬く絞った雑巾で自分を磨く」と形容したのかな、と考えます。

 

『ウルトラ・ヘヴン』でも申しました通り、脳みそは楽をしたいので、「これかしら?」と思ったら、『「これかしら?」と思ったことを正しいものにするように脳みそが機能しだすもの』なので、内観とかってものは大変大事になるのですが、わたしが今書いているのも、その《脳みそが楽をしようとしている状況》そのものであると思うので、硬く絞った雑巾でもっと磨きます。

 

僕らはこの星に生まれて

極樂の日々を夢を見て

好きも嫌いも分からなくて

欲の肥溜めに流された

 

極樂の日々を送るために感情の星に生まれたけど、好きも嫌いも分からないまま、《欲望漬け》の日々を送らされている。

好きと嫌いの判断方法すらも知らないので、次々に去来する欲望も好きかどうかがわからない(これも《人間FUNUKE作戰》の一環だと思われます)。

 

孤独の群れが列をなして

安い麻薬に甘えていた

 

『安い麻藥』はSNSとか情報とか噂とか?どれにしても、一人で行動できないから群れて列をなす、ということだと思うので、『安い麻藥』は何を指しているのかは重要ではないと感じます(そういえば『麻藥』って「麻は藥物である」と刷り込ませるための表記か?)。

 

闇を暴いたお姫様は

事故に見せかけて殺された

 

ここはやっぱりダイアナ妃なのかなーと思う。

まぁこれも『噂』なんですけれど。

 

BUGる大衆と白うさぎ

お掃除 ROBOT気づいていた

 

『BUGる大衆』は、そのまんま「はたらき蜂⑧」のことでしょうね。

ワントップに対して仕えるものたち。組織人。

「BUGる」って聞くと、伊坂幸太郎さんの『オーデュボンの祈り』を想起しますね。

 

その《BUG》をもってして考えると、『蟻は賢くないけれど、コロニーは賢い』なのか、『一人一人はいい人たちだけど、集団になると頭のない怪物だ』のどっちなのだろうか。

 

白うさぎはやっぱりわかりませんが、やっぱり『不思議の国のアリス』のことだと考えれば、《労働力として不思議の國に囚われる》ということなのかしら?と感じます。

 

そして『お掃除 ROBOT気づいていた』の部分ですが、そのまま【ロボット掃除機】に搭載されたAIのことなのか、それとも街にいる清掃員の方々のことなのか。

 

駅の乞食の独り言は

誰も知らない予言だった

 

《情報》に乗っかって、そして追われて生活している人よりも、路上で逞しく生活をされている方の方が世の中のこと良く觀て知っているかもしれませんからね。

 

あくせくと汲々に生きて怏々な生活をしている人の方が、わたしにはよっぽどホープレスだとも感じますし。

 

価値觀やら前提意識なんてものも、今一度見つめ直した方が良いのかもしれません。

 

OH!SOJI!

 

 

この曲はやっぱりマーガレット廣井さんのねばちっこいベースの音がいいですね。

この粘りが曲にファンキーさを与えているように思います。

 

そしてKenz∞さんのスネアは奥行きのある音になっています。

サスティーン(音の伸び)が下の方向に広がる感じです。

この音像によって、《澄んだ音の空間》を感じます。

わたしは何を言っているのでしょうか。

 

ギターソロ終わりからのセクションはベースが同じフレーズを繰り返しますが、わたしにはこの部分が恨み節の如く感じます。
そんな恨み節の上で、ギターはこれまでと同じようなフレーズを演奏するのですが、なんというか、じりじりと恐ろしさのようなものを覺えます。
 
この『OH! SOJI!』という曲は個人的にfunnyな感情を覺えるのですが、上記した恨み節に聴こえる部分から以降は、お氣樂にfunnyに思ってもいられません。
喩えるなら、いつもニコニコしていた友人は実は一切目が笑っておらず、むしろ怒りすら感じる目をしていたことに氣付いた後、みたいな感じです。
曲のエンディングでは「OH! SOJI!」と掛け声がありますが、その掛け声に対しても「…え、えへ、えへへへ…」と作り笑いをしてしまう。とでもいうような。

 

 

慧光

問い続けるもんだ

伝えたがるもんだ

酔い切れないもんだ

正気でいたいな

 

ーーーーーーーー

 

歪んだ価値が押し寄せる

いかれた世でもどうか御無事で

僕は叫びを響かせる

いかれた世でもどうか御無事で

 

いかれた世でもどうか御無事で

 

問い続けるもんだ

伝えたがるもんだ

 

『ぼんやり抱えていた謎は、突然弾けたように解決する』ということを経験したため、問いを絶やさないようにする。

これは実体験ですが、思考を途切れさせないでいると、疑問というのは湯水の如く溢れてきます。

この状況を「うれしい」ととるか、「地獄」ととるかは各々それぞれの自由。

 

問い続けた結果に得た答えを、伝えたいと思う。

それは、まぁエゴもあるでしょうが、人の生に必要な要素だからでしょう。

 

『答え』は各アルバムに、各曲に収められていますね。

まぁ歌詞に意味なんてないらしいですけどね〜〜〜。

https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/18775

 

酔い切れないもんだ

正気でいたいな

 

初回の感想でも書いていましたが、やっぱりここは『世間様とか一般とかって言われている狂に染まれないな』ということだろうと思います。

再三言っておりますが、狂が世間の一般と【常識】であるなら、同じように狂いに泥んで多数派に墜ちてしまった方が樂です。

ですが、この語り手は良心の呵責があるのかで、狂に興じることができない。

朱と交わっても赤くなれない人ってのも、います。

 

狂という無意識に支配されず、正氣でいたいという、願いと、ある種の諦観?が混じった氣持ちかしら?

 

歪んだ価値が押し寄せる

いかれた世でもどうか御無事で

僕は叫びを響かせる

いかれた世でもどうか御無事で

 

狂の価値と価値觀の外にいる(しかなかった)語り手が、無事を願っています。

「髑髏と惡魔の意識にお氣をつけて。どうぞご自愛くださいますよう」

 

いかれた世でもどうか御無事で

 

厭世な曲でありながら、愛を願う曲でもあると思います。

ここで『いかれた世でもどうかご無事で』と言っているのは、結局のところ『その人自身がその人自身で意識を操作しないといけないから』なのだろうな、と考えております。

 

 

 

ベースの音が下を這うような音、ドラムが真ん中、ギターが上を行く、そんなミックスの曲に聴こえます。

 

この曲、マーガレット廣井さんが「や"おー!」と叫びますが、この音程ってシとファ#なんですね。

『シ・ファ#ー!』ということなのですが、この音程ってギターでも弾いているじゃないですか。

なので、やっぱりこの曲は一人の個人の脳内模様を表しているんじゃないのかな、って思います。

歌詞になっていることが顕在意識で、演奏になっている部分がもろもろ渦巻く感情って具合に。

 

曲のエンディングではマーガレット廣井さんの叫びと呼応するようにKatzuya Shimizuさんのギターが鳴りますが、このギターの音も儚げであり、それでいて泣きのギターって感じの感情が乗っかっているように思えます。

精神状態が参っている時にあのギターを聴いたら、泣いちゃうこともあるでしょうね。

 

最後の最後「いかれた世でもどうか御無事で」で曲は幕引きになります。

それまでは感情が大きくなるような、感極まるような具合に曲が盛り上がっていましたが、最後の言葉で、すっ、と曲が終わります。

なんというか、こんな盛り上がりとかの後にいきなり終わりがあると、腹を決めたのかな、なんて邪推もしてしまいますね。

 

 

IT'S a 魔DAY

昔々 おかしな疫病が

ひっきり無しに流行ったらしい

そんな悲しい時代のお話

 

そこかしこに野ざらしの髑髏

災禍は永久に続くように思えた

外で遊べないがきどもだ歌う

 

今日も異常だな!

笑った!

桃源郷がらがらさ!

脳汁だらだら莫迦ばっか!

NONFICTIONだぜ!

笑った!

 

混沌に酔った奴らが

憂さ晴らしに大嘘をばらまいた

そんな虚しい時代のお話

 

〜脳みそなんていらない♫〜

 

妙な歌が世にはびこった

意味の分からない大人たちが嘆く

 

今日も異常だな!

笑った!

桃源郷がらがらさ!

 

脳汁だらだら莫迦ばっか!

NONFICTIONだぜ!

笑った!

 

この曲は『奇天烈レジャ〜』と同じような立ち位置?の曲でしょうか。

「いや〜、昔は本当に莫迦な時代だったんだよ」と懐かしんでいる状況で、昔話を聞かせている状況というか。

 

何時ぞやに流行ったらしい疫病のことも言及していると思いますし、『絶妙Σ』にて言及されていたようなことを言及しているとも思います。

他者の脳に依存して考えることをしない《莫迦》ばっかりな娑婆だったし、それは現実であった。

 

他人の脳に依存しているから、『ばら撒かれた大嘘』も嘘と見抜けない。

 

みたいな感じですかね。

異論は大いに認めます。っていうか、こんなものはわたしが勝手考えている妄想なので誰がどう考えたっていい。

 

 

 

一番のAメロからサビ前まで左Chにて鳴っているギター、「キャキャキャ!」という感じの音が鳴っていますが、ナチュラハーモニクスですかね?

あ、それとも、ワーミー踏んでの音か??

んん、でも、明らかにワーミーの音である二番サビ前の音とも違う氣がする…。

やっぱりナチュラハーモニクスかな。

 

上みたいなことを考えている時に『幻魔大祭』のジャケットを見たのですが、「なんでもかんでも考えて知ろうとすんじゃねえよ」と言われているような氣持ちになりました( ¨̮ )笑

 

 

神@熱

正気な僕らが莫迦にされていく

わかっているかと

陽気な奴らが法螺を吹いている

無常な気分

 

神の熱にうなされ人間らしく祈れそう

目の開いた姿で誇らしく踊れそう

 

 

右だ 黒だ 赤だ 左だ

白だ 鳩だ 鷹だ 黄色だ

好きだ 嘘だ 無知だ 嫌いだ

呑み干しゃあいい

 

正気な僕らが莫迦にされていく

わかっているかと

陽気な奴らが法螺を吹いている

無常な気分

 

初回の感想にて書きましたが、この曲も『どちらとも取れる書き方』をしているのがなんとも巧いし憎いですね。

正直最初に書いた時と感想が同じなので書くことがない。成長をしていない。

 

「人種やら主義思想やらも、情報由来のものだよ。所詮、そういったものは対立させるためのものなんだから、呑み干しゃいい」ということかしら。

果たして本当に民主主義は善いのか、という話ににもなってきますが、『民主主義は、善い/悪い』ではなくて、「何においても善い面もあれば悪い面もある」というところですね。

それこそ《善悪の話》になってきます。

善悪の話は難しいんです。

 

あ、この曲での『熱』って、病ではなくて思想とかの思考のことか?

 

上に書いたようなことに目が開いている(万物流転、千変万化)と、無常を想うのも当然でしょうね。

 

 

 

ルーズな印象のある曲調です。

ベースの音も丸みのある《のっぽりした音》で音が作られていますし、Kenz∞さんの打つハイハットの音にもどこか氣怠さがあります。

この氣怠さが熱に浮かされた時の "あの感じ" を演出しているように思います。

 

ヴォーカルにも砂が残るようなリヴァーブがかかっていて、この残響感も『熱っぽさ』を感じる一つなのでしょう。

 

リズム隊は演奏で氣怠さを演出していますが、ギターだけはずっと動いていますね。

これはなんでなのだろう、。

 

あとあと、この曲ってオートチューンを使ってたりします?

 

 

狂感できない

悪魔のしもべたちの

歌で満たされた娑婆

亡者は凍えながら

真夏を貪り狂う

 

しょっちゅう喋る脳を

雲丹で滅多滅多にしたい

弱虫は火照りながら

狂いに溺れていった

 

狂感できない

狂感しないよ

 

嗚呼 僕のこの世が

わかんない

わかんない

わかんない

わかんないよう

 

君のこの世が

わかんない

わかんない

わかんない

わかんないよう

 

狂感できない

狂感できない

 

狂感できない

狂感しない

 

THEORY?

どのCATEGORY?

海のMEMORY? 

狂感できない

 

HEAVENLY?

だれのJEALOUSY?

法螺のSYNERGY?

狂感できない

 

THEORY?

どのCATEGORY?

海のMEMORY? 

狂感できない

 

HEAVENLY?

だれのJEALOUSY?

法螺のSYNERGY?

狂感できない

 

THEORY?

どのCATEGORY?

罪のMEMORY? 

狂感できない

 

この三千世界の

何処にいたって視えるもの

嘘の本当じゃないだろう?

僕に誓って

 

狂感できない

 

はー最高。

 

悪魔のしもべたちの

歌で満たされた娑婆

亡者は凍えながら

真夏を貪り狂う

 

『悪魔のしもべたちの歌』は、先に言及しました「夢は叶う!」的な強烈な麻酔作用を持った歌のことだと考えます。

そういった麻酔的歌謡中毒の禁断症状である寒氣から逃れるために、また悪魔のしもべな歌を貪る。

 

あるいは『27club(若くして成功と名声と手にするが、27歳で亡くなってしまったミュージシャンたちのこと。ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョップリンカート・コバーンなどが有名です)』のこと?

でも亡くなったのは偉大な人たちばかりなので、『27club』のことではなさそうに思います。

 

しょっちゅう喋る脳を

雲丹で滅多滅多にしたい

弱虫は火照りながら

狂いに溺れていった

 

この曲の語り手は『慧光』と同じ人?

「狂っちまおうぜ。今からでも遅くはねえからさ。ほら、"みんなやってる" からよ」と、唆してくる蛇のような脳みそを、口も利けないようにしたい。

弱い者たちは安い麻藥に群がるように狂いに溺れていった。

 

わかんないよう

 

狂感できない

狂感しない

 

自分も狂に興じること、狂に泥んで生活すること、それは『狂に共感している』ということになります。

この語り手は「この世がわからない」と悩んでいますが、「いや、やっぱりおかしいと思う。狂っているよ。そんな狂には乗らない。"狂感" はしない」と訣別し、はっきりと『NO』の意思表示をします。

 

ここの『わかんないよう』で霞のようにかかっていたリヴァーブが晴れて、くっきりと意思表示の声が聴こえるのが本当に良い。

 

この三千世界の

何処にいたって視えるもの

嘘の本当じゃないだろう?

僕に誓って

 

狂感できない

 

どの理論を以って、どんな分類で、その《騙くらかす狂》は正とされているの?

 

この厖大な世界のどこにいても認識できるもの。

それは【本当のふりをした嘘】【嘘を本当としている虚構】じゃないでしょ?

 

僕が僕であるために、『狂に狂うこと』《狂感すること》はないと誓います。

 

という感じかなーと思います。

わたしの脳みそではこれが限界ですかね〜。

 

www.youtube.com

この曲のPVではお三方が各々複数人登場して、仮面を着けていたりしますが、これって《狂な世界を生きる時のペルソナ》ってことなんですかね?

「てめーらが『良い』としているものなんて、こちとらハナから一切良いとなんて思ってねえんだよ」という意思表示?

 

 

 

この曲で重ねられている指パッチンの音、本当に好きです。

二小節の組みで二拍目と八拍目にアクセントとして指パッチンが重なっているのが、なかなかに乙でつぼです。

 

Katzuya Shimizuさんがギターソロを弾く時、マーガレット廣井さんもソロっぽいフレーズを弾いていますが、これって実はルートの音を弾いてからソロっぽいフレーズを弾いているんですよね。

だから、弦樂器の二人がメロディを弾いていても、演奏が飽和しないし曲としても崩壊しないのです。

 

またとてもニッチなのですが、この曲の特徴であるイントロからのベースプレイで、綱渡りをするような部分もいいですが、個人的には低音弦で「ーンブ ルブブ」と弾いている部分が大好きです。

ベースの四弦特有のガリガリいう感じが堪らないのです。

 

一番サビ終わりの「狂感しないよ」のベースもその四弦特有のガリガリが聴こえて最高!

 

貴様らの皆々様方も同じ御氣持ちのことかと存じますが、「この三千世界の何処にいたって視えるもの」からのベースが大好きです。

 

 

ところで、『悪魔のしもべな歌』は基本的に440Hzを基音にしてチューニングがされるのですが、八十八ヶ所巡礼さんの音樂は少しずらしていたりするのでしょうか?

ちなみに440Hzは大体ラの音なのですが、赤ちゃんの泣き声はラらしく、この440Hzという音は聴く人を不快にさせたり攻撃的にさせる周波数なのだそうです。

ソルフェジオという周波数で作られた樂曲もありますが、そこらへんが氣になった場合は、ぜひお調べください。

www.youtube.com

ふとした時に聴きたくなる曲。

 

 

幻魔大祭 (Album Version)

俺は魔族

魔魔魔魔族

 

朝も早よから父さんが

『破壊しちゃおう』って意気込む

夜が開けるまで母さんは

呪いの STEW 煮込んでた

 

俺ら魔族

並の家族

割と満足

逆に天国

俺は魔族

魔魔魔魔族

割と満足

犬が吠えた

 

ーーーーーーーー

 

幻魔らしく

生きてたいな

孤独は嫌さ

闇も残さず

墓標は銀河

無常の因果

地上の癌へ

滅びと愛を

 

俺は魔族

何億年も

祭りは続く

 

『狂感できない』にて、決定的な訣別をしました。

世間一般は《狂を正常としている》わけですが、そんな正常に馴染むことができない=人間じゃない。

だから「俺は魔族」ということなのか?と考えました。

つまり自棄っぱちです。

 

『破壊しちゃおう』は「狂を正常としている世界」に対しての意見に思えますしね。

 

誰からも好かれようと思っている時は誰からも好かれることはなく、「好いてくれる奴だけ勝手に好いていたらいい」と思って振る舞った途端に好かれる、なんてことは往々にしてありますが、【自分は魔族だ】と思って生きたら、逆に日常は天國で過ごしやすいし、賛同者もできた。

 

俺は魔族。

 

マジョリティはマジョリティであることだけがアイデンティティなので、実際は孤独である。

だからわざわざ安い麻藥と噂に群れを為す。

 

俺は魔族。

 

騙し合いのお祭りは、なん億年も続いていく…。

 

 

アルバムのタイトルになっている曲がBonus Trackになっているのも、意味があったのですね(わたしの考えによると、ですけどね)。

曲順として『狂感できない』が先にないと、意図が通らないのでこの順番なんだろうと思います。

 

 

 

この曲、曲始まりと曲終わりで同じフレーズが演奏されますが、最初と最後でドラムのタムの音を変えてますね。

曲始まりの方の音はジャンベとかコンガっぽいというか、『動物の革を張った、昔から有る太鼓の音』っぽいアプローチになっています。

一方、曲終わりの音は『ドラムセットのタムの音』ですね。ナチュラルなタムの音です。

藝が細かい。誰が氣付くんだ。最高だ。

 

「曲始まりのタムと曲終わりののタムって、もしかしてリズムパターン違う??!」とも思いましたが、さすがにそれはないみたいですね。

それこそ、曲始まりの音と曲終わりの音が違うからリズムパターンが違うと思ったのでしょう。

 

『犬が吠えた』後の部分で、シンバルが「シャン!!」と鳴っておりますが、あれってシンバルを二枚重ねた音ですよね?

(…ただいま確認いたしまたところ)ハイハットでした!ハイハットのペダルを軽く踏んだ状態で打音するんですね!

 

 

ちなみに、「犬が吠えた」の後にKatzuya Shimizuさんが鳴らす「ギュイーン!!!」という音ですが、あれはスクウィール奏法というものです。

このスクウィール奏法ですが、Steve Vaiさんの曲で『Bad Horsie』という曲がございまして、その曲でお馬さんの声をスクウィール奏法で表現しているのですね。

www.youtube.com

 

そして、この『幻魔大祭 (Album Version)』のPVが公開された当時、「犬が吠えた」でスクウィール奏法のギターが鳴った時に、思わず「馬じゃねーか!」と突っ込んでゲラゲラ笑っていました。

とさ。

 

ちなみにちなみに、『幻魔大祭 (Album Version)』のPVにてKatzuya Shimizuさんが持っているギターはブリッジがフロイドローズという種類のものなので、スクウィール奏法がしやすいらしいです。

とさ。

 

 

あ、そうですよ。

この曲が始まる前にCD音源の方には逆再生の音みたいなものが収録されています。

これはオマージュではないのでしょうが、DEAD ENDさんのアルバム『DREAM DEMON ANALYZER』に収録されている『Angel』という曲の始まりと似ているので、初めて聴いた時は驚きました。

「まさかですよね??!」みたいな感情です。

 

 

『仏滅の夜 from 流儀』の意味

さて、『幻魔大祭』まで終わりました。

いやあ、本当に長かったです。

 

こうやって時系列順に聴いてみると、流れみたいなものが見えてきますね。

そして、明らかにあるタイミングで主張することが変わっているように思います。

 

『○△□』の頃までは色恋を感じる曲がありましたが、『0088』からはぐっと社会的なものに対して歌っている内容の曲ばかりになっているように感じます。

 

『⇔粛正の夜明け⇔』にて「勝算はある。貴様らの粋な一票を」と歌っており、わたしは『一票とは八十八ヶ所巡礼の音樂を聴くことではないか』と推測したわけですが、《勝算》こそ『0088』以降に歌われているような【ジパング列島解放】とか【敵は血に潜んでる】の告発とか、【人間FUNUKE作戰】からの解脱だとかなのであろうな、と思います。

 

さて、そんな中突如登場した【仏滅の夜 from 流儀】という言葉。

口上みたいなものですかね。

これについて、方々で「それでどういう意味なの?」という声を見かけていました(なんでもすぐに答えを求めるのは現代人の悪い所。自戒します)。

 

わたしも珍紛漢紛でしたが、何かの折にそれこそ『ぼんやり抱えていた謎が突如弾ける』が如く、【仏滅の夜 from 流儀】に込められた意味が判明した氣がいたしましたので、ここに記載いたします。

あくまでもこれは妄想なので、「まぁ〜た変なこと言ってら。」くらいのお氣持ちでお読みいただければ幸いです。

 

まず『仏滅』について。

仏滅は六曜の一つで、本来は「物滅」と書くらしく、新しく物事を始めるのに最適な日であるらしいです。

 

そして『夜』について。

【夜】は《日の入りから日の出まで》を指すらしいので、何時のことを表しているのかは不明ですが、どの時間であったにしろ日は変わる(生まれ変わる)し、朝も明ける。

 

最後に『流儀』について。

『流儀』はやり方という意味です。

 

これらを鑑みると、「仏滅の夜のように生まれ変わる、それが自分のやり方」みたいな意味合いなのではないかな、と感じます。

 

また六曜というものの関係上、仏滅の次の日は大安です。

しかも、仏滅も大安も意味合いとしてはそんなに変わらないのだそうです。

それらのことを以って考えると、『何か辛いことがあったとしても、夜は明けるし、次の日は大安だし、辛いことも捉え方次第で良いことにも思える。そういう考え方で生きてみましょうや』という意味になると考えられ、【仏滅の夜 from 流儀】の意図はそういうことなんじゃないのかと思います。

初登場が『日本』というアルバムだったのも、納得ができるように思います。

 

以上がわたしの酔狂な妄想でした。

 

 

あとこの口上は細かく韻が踏まれているので、口に出すのも氣持ちがいいですよね。

Butsumetsu no Yoru furomu Ryuugi

母音を抜き出すと上のようになりますが、『ぶつ』の[uu]は「()る ふ(ろむ)」と「(ふろ)む りゅ(うぎ)」と「りゅう()」とで韻を踏んでいますし、『(ぶつめ)つの』の[uo]は「()」、『よる』の[ou]は「()」でも踏んでいます。

マーガレット廣井さんはヒップホップにも造詣が深いそうですが、八十八ヶ所巡礼の樂曲でも細かく韻が踏まれていたりするので、それを探すのも一興であるかと思います。


www.youtube.com

 

最後に

他人様の褌で長々と好き勝手全力全開で書いてきましたが、そろそろこんな《やってる意味のないこと》もお開きとします。

正直「やべーやつ」と思われても仕方がないようなことも書いておりますが、どう思うかはその人の自由です。

御好きに御生きなさって。

 

ここまでお読みいただいた方がもしいらっしゃいましたなら、誠感謝いたします。

 

ったくクソ長え文章をよくも書けたもんです。

ちなみに、『攻撃的国民的音楽』から『幻魔大祭』までは十日くらいで書きました。

こんなことはするものじゃありません。

小説家の方には尊敬しかないですね。

 

そんなことはどうでもよく。再三言っておりますが、ここまで書いてきたことはあくまでもわたし個人の凡庸な妄想ですので、どうぞあなた様がお思いになった解釈で曲を聴いてお愉しみください。

ご自身の思考を本心の見えない他者に委ねたりされませんよう。

 

ちなみに、『辛いだのどうのってのも、所詮は自分の認識次第』というのは、わたし自身が少なくない辛苦の旅で経験した一つの事実です。

 

いかれた世でもどうかご無事で。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

 

 

『ファーストE.P』 - 1,953字

『ファースト・ミニ・アルバム』- 2,811字

『ファースト・マキシ・シングル』- 3,432字

『八 + 八』- 5,023字

『SYG88』- 4,193字

『○△□』- 12,545字

『0088』- 12,784字

『攻撃的国民的音楽』- 20,476字

『日本』- 15,931字

『凍狂』- 12,478字

『幻魔大祭』- 15,492字

 

総文字数 - 112,724字

 

 

 

 

 

 

 

 

ついしん

この記事を書き始めたのが2023年7月の終わりくらいで、今現在が同年の年の瀬です。

怠慢が極まっている。