頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

喰おうと口を開いているのか、花束を抱えているのか

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

風邪をひいておりました。

 

ということでご無沙汰しております。

 

 

前回の劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』以来の更新でございますが(実に二週間ぶりなのですね)、実は左記の記事を書いていた時から体調が優れていなく、ふらふらの状態で書き上げたのち、ぶっ倒れておりました。

 

いやぁ、体調というのは重要ですね。まったくそう思います。

 

 

ところで、昨日わたしは友人と酒をかっ喰らってきました。

ちょくちょくと登場している方です。

 

昨日は金曜日、友人は定時が19時でした。

事前に聞いていた予定待ち合わせ時刻は20時前、しかし、その時間に近づくも連絡はありません。

20時も経過し数分後、連絡があり、残業でやっと退勤したとのことでした。

 

理由があり判明したので溜飲は下がりましたが、正直なところ、(わたし自身も労働により疲れていたこともあり)口約束だけで来るつもりなどなかったのではないか、と疑いすらもしました。

 

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場面は前後し、風邪真っ只中だった時。

流石に労働に行くなど無理だ、と思い、欠勤の連絡をしたのですが、その際に職場では軽くざわついたそうです。

労働場の同僚曰く、わたしは『責任感が強く欠勤などまず無い』という印象らしいのですが、そういった印象があるために「あの〇〇さんが欠勤とは、よっぽどなのだろう」と、ざわついたのだそう。

 

 

欠勤をした翌日、出勤したらば、複数人から「体調大丈夫ですか」とお氣遣いをいただきました。

その複数人の中には、普段話すことが無い方もいました。

 

 

わたしは基本的に世界(正確にはヒトおよび人間社会)というものに対して絶望もしているし恨みすら持っているのですが、《世界》をどう認識するかなど結局は『自分が世界をどう見るか』でしかないのだよな、と改めて感じました。

 

人間は醜いですが(これは確定事項)、その醜い面に目を向けて生きるのと、醜い面だけではなく "まだまし" な部分を意識して觀て生きるのとでは、やっぱり精神的にも実際に転がっていく現実的にも違ってくるでしょう。

 

 

20時になる前、友人からの残業をしていたという連絡を待たず、一方的に癇癪を起こして呪詛の連絡をいれるのと、「事情があるのだろう」と一旦待ってみるのとでは実際に起きる現実が違う。

その舵きりをするのは、誰でもない自分自身です。

 

 

基本的にわたしは世界に苦痛を感じているため、世界というものを《口を開いて自分を喰おうとしている》と思っているのですが、そう思うのは「自分自身がそう思っているから」という理由だけで、《世界は自分に対して花束を渡そうと抱えて待っている》こともあるのではないか、そう思えば世界は美しいと思えるのではないのか、と改めて感じました。

 

でも、腹を見せて近づけばニヤニヤと嗤いながら刃物を突き刺し、肚からとびでた内臓を喰おうとするものだからな。人間というのは。

やっぱり安易に心を開いてはいけないものではあるとも思う。

 

 

まったく辛苦の少なくない世の中であると感じます。

 

 

 

今回、風邪になって思ったのは『恐らく、わたしのような人間ほど、積極的にヒトと関係した方がよいのだろうな』ということです。

 

最近(生まれてからずっとではあるけど)、ほとほと地球は牢獄であり、肉体は魂の檻であると感じます。

なんでこんなとことに来ちゃったかなぁ。

 

 

 

ありがとうございました。