頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

共感できない

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回は以前に書いた内容の続きとなります。

floodinhead.hatenablog.com

 


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以前の記事にて『共感にしか興味がない』というか『共感しか必要としていないのではないか』というような帰結に内容を落としました。

 

そして数日経ち、つい本日お昼ご飯を作っている時にあるお話を思い出しました。

 

 

島田秀平さんという芸人さんがいらっしゃいます。

今は占いや怪談などでお忙しくされていますが、その昔はお仕事がうまく行っていなかったそうです。

お仕事で悩んでいた際、事務所の先輩であるバナナマンの設楽統さんに相談をしたらしいのですね。

相談した後、話を聞いていた設楽さんは「やっとそこに氣付いたか。ずっと言いたかったんだよ」と口を開いたそうです。

設楽さんの言葉を聞いた島田さんは「前々から思っていたのなら言ってくださいよ〜!なんで言ってくれなかったんですか」と意見をしたらしいのですが、その意見に対して「相手が困っていない状態で指摘しても、その内容は響かないどころか反感を買うことにもなる。相手が困っていない状況で助言をするのは、助言をする側の自己満足でしかない。だから、相手の改善点を見つけても、その人自身が改善を必要とする状況になるまで待つしかないんだよ」と設楽さんが返答したのだそう。

 

以前の記事で書いたことは、つまり上記したことだったのではないでしょうか。

 

相手が求めていない状況で情報を提示していた。

相手は別に求めていないので、反応も薄くなる。

ごく自然なことです。

 

つまり『自己満足が受け入れられなかったから癇癪を起こしていた』ということだったというわけですが、幼稚ですね。

わたし自身としても困っていないことの改善方法を言われたところで薄い反応をしそうだし。

 

やはり人間は便利よりも不便感情に動かされるということだな。

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とはいえ、共感だけをするための活動というのは全くクソであるとは今も思います。

 

「共感するだけ」と「改善法を欲する」の関係って『これはこういうもの』と思って(思い込んで)いるか否かというのでも変わったりするのだろうか、と感じます。

 

『これはこういうもの』とある種の諦めがある状態では共感をするだけ、という行動・運動になり、前述の諦め感情はなく改善法を欲している状態では共感以外であったり共感の先にあるものを求める行動・運動になる。

 

面倒くせえ。

 

というよりも『現状を変えたくない(怠惰でいたい)がために「これはこういうものだ」と思っている』のではないのか、とすら思います。

やっぱりクソです。

 

「樂をするために初期投資的に面倒なことをすることも必要じゃん」と思っているわたしとしてはやっぱりクソじゃねえか、と思うのですが、これも個人個人の性格や価値觀の違いなのですかね。

〈怠惰を貪って不平不満や愚痴を言う〉というのも、性格・個々の価値觀か。

 

なんともなぁ。

 

 

ジョージ・オーウェル氏の著作にて『動物農場』というものがあります。

 

その作品にてベンジャミンという雄ロバが登場いたしますが、なんというかわたし自身ベンジャミン的になっていっているように感じます。

疑問や危機感を持っているけど、諦観をして発言をしないという感じ。

 

ところで『動物農場』って改めて思い直してみたらなかなかに重たい鬱作品ですね。

 

 

浮き世が地獄〜

 

 

 

そういえば話は変わりますが、この世で「大人」と呼称されている者たちも所詮は子どもの延長だな、と感じますね。

わたしは子どもという存在に対して『最近知った言葉を多用する』という特徴があるように感じているのですが、それは何も子どもという世代に限ったものではなく《大人》と呼称されている世代の人間もそうだと思います。

 

共感性羞恥』やら『SDGs』やら『多様性』やらの言葉が最近では典型ではないかなと考えます。

 

そんな者が年齢程度で優位に立っていると思い込んでいる様は、なんとも滑稽というか、アホらしい次第であるなと感じます。

しかし、自己満足が思ったように受け入れられないと癇癪を起こしていたこともあるし、『自分自身にある欠点でないと相手の中に同じ要素を見出さない』という不思議な法則もあるとおり、わたし自身もアホらしくて滑稽な次第であるのでしょう。

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精進ですね。

 

 

 

赤ウインナー。

 

 

 

地球面倒くせえよ。

 

 

 

ありがとうございました。