頭の中の洪水

言葉に頼っているうちなのでまだまだです。

不思議

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

今回はわたし個人の統計上で不思議に思っていることです。

 

 

世界にいる人間を乱暴に二分すると、『賢い人』と『阿保な人』にわけることができます。

 

わたしは自分自身のことを『賢い人』だとは思っていないし、思いたくないのですが、生活しているとどうにも「この方は阿保だなぁ」と思う方と出くわしたりします。

 

『阿保な人』の特徴は、まぁもろもろあったりはするのですが、わたしが生きてきてどうしても不思議に思う特徴が一つあります。

 

それは【自身が無知であることを誇る】ことです。

 

言葉だけ書かれても印象に薄いと感じますので、例などを失礼致しますが、例えば料理。

しっかりと火が通っていない料理があったとして、その料理を作った人に「火を使って調理をする場合は、食材にしっかりと火が通っていないと健康被害に発展する恐れがあるよ」と説明をしたらば「火が通っていないといけないなんて聞いていない!」と返答されるといったような。

 

わたしが過去に経験した話でいうと、おへその下にある〈丹田(たんでん)〉の文字を見た際に「なにこれ、たんだ?わけわからないことを言わないでほしい!」と意見していたり。

 

わたしが不思議に思うのは、まずその対象に初めて触れた時、どうして最初に「へぇ、そんなものがあるのか」と思うことができないのか。ということです。

上記した二つの例を見ても、その根本にあるのは『自分は正しい』や『自分の知っていることは間違っていない』という意識、つまり誇りみたいなものが起因していると感じます。

 

『《自分が知っていること》が絶対に正しい』なんて、まずあるわけがないだろうに。とわたしとしては思うので(時代によっても価値觀は変化するし)、【無知を誇る】という心理が不思議なんですよね。

 

 

《対象に初めて触れた時、どうして最初に「へぇ、そんなものがあるのか」と思うことができないのか》の派生ですが、例えば自分の知らない価値觀に触れた時、即座に「ないない 笑」と否定したり、ぷっと鼻で笑ったりするのも同様です。

 

 

 

これら言動や意識の根本にあるのは『自分は間違っていない』という考え方や無意識だと感じますし、その無意識が強固になると【自身が無知であることを誇る】という無意識へと変容していくのか?と思ったりします。

 

 

不思議です。

 

 

みんなで一緒に無知の知!と言いたいところではあるのですが、【自身が無知であることを誇っている人】にとっては今回書いたようなことを読んだとて「また氣が狂った奴が意味不明なことを言っている 笑」と思うだけなのだろうな、と思うので馬の耳に念仏ですね。

 

無情な氣分。

 

 

まぁいつも言っている通り、好きに生きたらいい。

わたし自身も阿保な方に近づかなければいいだけですからね。

でも阿保な方って《自身の阿保さを自慢する》ためにわざわざ近寄ってきたりするからなぁ。

無情な氣分〜。

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

ちなみに他の特徴は『自分が知っていることは他の人も知っていると思っている』こと、などです。

☝️はわたしも陥りがちなので戒めて精進致します。