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今回は「具象と抽象」にもつながっていく内容です。
また乱暴に二分する行い
人類やら大衆やらという主語の大きなものを乱暴に二分すると【多数派】と【少数派】に分けることができます。
この【多数派】と【少数派】ですが、各々が反対の岸に所属する方を『住む世界が違う人』と認識しているように、わたしは思います。
ですが、「いや、案外双方とも変わんなくね?」と思ったりもします。
《多数派のエゴ》
まず、【多数派】には多数派であるがゆえの特徴的なエゴがあるように感じます。
そのエゴというのは『これくらい知ってて当然でしょ』というもので、これはほとんど無意識のレベルで存在していると考えています。
《多数派のエゴ》としてよくよくあるのは「世界は右利き用に作られている」というものです。
改札機やらカメラのシャッター位置やらスープバーのお玉などなどエトセトラ。
わたしは左利きなのですが、木べらやバターナイフなど、思っていたよりも膨大な量が右利き人口が使いやすいように作られています(特にお玉だけは一生許さない)。
これが《多数派のエゴ》の一例です。
では『これくらい知ってて当然でしょ』の意識とは何か。
多数の人類が認知していて、好きな人口の数が多い「野球」や「ポケットモンスター」といったものを好む方は上記したような『これくらい知ってて当然でしょ』の意識が確実に存在しているように感じるのです(理由としては好きな人の数が多いから)。
『これくらい知ってて当然でしょ』の意識が何を生むのか、というと「そんなことも知らないの?」という感情です。
興味がなかったら知ってるわけないだろうに。
わたし自身、上記したものに興味がない人間なのですが、興味がない人間でも関連する語句くらいは存じております。
ですが「ドラフトのシステム」やら「進化させるさせない、その後」なんて内実は知っているわけがないでしょう。興味がないのだから。
ここからわかることは『人間は自分の考えていることや、脳にあることは相手も知っている・共有できていると思い込みがち』ということですね。
いや、もしかしたらわたしの周りに性格の悪い人間が多くいただけかもしれない。
あと、一応説明しておきますが『野球』や『ポケットモンスター』に限ったことではなく〈【多数派】に属するものを好む人〉には《多数派のエゴ》が存在する、ということです。
《少数派のエゴ》
《多数派のエゴ》について書いたわけですが、一方で果たして《少数派のエゴ》はないの?と思ったりすることはあります。
そして《少数派のエゴ》も、しっかりと存在していると感じます。
【多数派】と【少数派】の違い。
それは対象物を好んだり所属する人間の数ですね。
対象物を好む人が多いものが【多数派】、対象物を好む人が少ないものが【少数派】と規定されます。
そりゃ当然。火を見るよりも明らか、という奴です。
では《少数派のエゴ》は何か、という話になりますが、それは『排他的』というものです。
なんというんですかねえ、【少数派】のものってどこか外に対して攻撃的な匂いを感じるんですよね。
いえ、それは「外から入ってこようとする人間を信用できるか」を確認しているだけなのかもしれないんですけどね。
あとは「わかるやつだけわかればいい」という意識でしょうか。
わたし自身にも「わかるやつだけわかればいい」の意識はありますし、このブログ自体がその権化のようなものなのですが、超個人的なブログや藝術作品に対しては「わかるやつだけわかればいい」の意識はあっても良い、というかそうなってしまう部分はどうしてもあると思います。
ですが【多数派】や【少数派】と形容されるような組織やコミュニティでの話となれば、「わかるやつだけわかればいい」の意識があって良いかは別じゃない?と感じます。
〈派閥〉やコミュニティが発生している以上、『排他的』という無意識は死活問題というか言語道断、もってのほかじゃないのか??と思うのです。
エゴの共通点
「排他的の無意識は死活問題、言語道断、もってのほかじゃないかしら」と前述しましたが、これって何も【少数派】に限ったものじゃないよな?とわたしゃ考えています。
というよりも【多数派】【少数派】双方に『排他的意識』はあるように感じるのです。
まず《多数派のエゴ》は『これくらい知ってて当然でしょ』ですが、【多数派】が「知っていて当然」と思うことを知らない人はコミュニティに入ったり近づいたりはあまりしないでしょう。
また《少数派のエゴ》は『排他的』でしたが、これはそもそも外から入ってくる人を拒絶しているとも取れるので、なかなか新しい人がコミュニティに入ることは難しいです。
【多数派】と【少数派】の共通点が見えてきましたね。
『各々のエゴ』はそれぞれのコミュニティを縮小していくということなのです。
【多数派】が持っている『これくらい知ってて当然でしょ』を知らない人はコミュニティに参加しないので、コミュニティは縮小していく。
【少数派】の持っている『排他的意識』は外から入ってくる人を拒絶しているので、新しい人の参加がなくコミュニティが縮小していく。
前述しました「いや、案外どっちも変わんなくね?」と、本記事のタイトルである『多数派も少数派も同じような行動を取っていたりする』ですが、その共通点は《無意識のエゴによって、コミュニティ自体が縮小しかねない》ということでした。
ま、なんだかんだ言っててもコミュニティが縮小ののち消滅するなんてことはそうそう無いと思いますけどね。
わたしが今回言いたかったことは「人間なんて案外みんな一緒なんだから仲良くしようぜ」ということでした。
あと【多数派】にも「わかるやつだけわかれ」という意識はありそうですよね。
どっちかというと「わからん奴は入ってくるな」の方が近いように思いますけどね。
俺はどこにも馴染めないんだってねぇ〜
ちなみに、わたしは【多数派】にも【少数派】にも所属している(できている)という意識がありません。
なので今回書いたような乱暴な意見が言えてしまうのです。
結局は《多数・少数に所属できる人》を羨んでいるということですね。
悲しいですね。
ありがとうございました。