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觀てきました!待望の『JOKER : Folie A Duex』!!
公開初日初回と最終の計二回鑑賞で、これを書いているのは一回目が終わった時点です。
👇第一作目の感想たち👇
未鑑賞者に向けての感想
鑑賞後の感想ですが、そりゃあこれは〈酷評の嵐〉や〈賛否両論〉と言われてしまうのも致し方ないのかな、と感じます。
が、それもこれも我々が生んだ結果じゃないかと思います。
《望んだ結果、望まないものが生まれた》といったような。
わたし個人の評価?としては『どっちとも言えない』です。
どっちかというと賛です。というよりも、個人の人生を酷評できるような立場にわたしはいませんしね。
鑑賞直後は「困惑している太陽の塔」みたいな顔をしておりました。
あとは『結局は、バットマンが誕生する前のお話』なんだな、という感じです。
物語は隔離病棟と裁判の場面が主なので、大味ド派手なハリウッド映画を好む方々からしたら「退屈」と思われてしまうこともあるでしょう。
それと隔離病棟とは言いながらも環境的にほとんど刑務所映画なので、『ショーシャンクの空に』と『グリーンマイル』が引用されています。
それにヒースジョーカー。
本編未鑑賞の方にはこのくらいまででしょうか。
あ、第一作目の対比・セルフオマージュが結構あるので、今一度見返してから鑑賞するとよりより娯しめると思います。
では、以下、ネタバレしかしないので作品未鑑賞の方は絶対に鑑賞後にお読みください。
絶対に、です。
警告はいたしましたからね。
※以下ネタバレ※
一回目の鑑賞
本編最後、アーサーくん(正直もう『アーサーくん』なんて言えない)が刺されて死んじゃうじゃないですか。
あの結末って、我々が【JOKER】というものを望んだ結果に起こったものなんじゃないかと思うんですよね。
記事の冒頭に書いた『望んだ結果、望まないものが発生した』ということです。
マレー・フランクリン含めた五人(うち四人はゴッサム市民の敵)を殺害したことで、アーサーくんはゴッサムの英雄の如くなりました。
そして、それを觀ていた我々鑑賞者もJOKERに対して大層熱を上げた。
ですが、それってアーサーくんを見ていたのではなく、【JOKERの仮面】を見ていたに過ぎなかったのですよね。
劇中最終抗弁でアーサーくんが口にしま自虐ジョーク
「ノックノック」
「どなたですか」
「アーサー・フレックです」
「知りません。誰ですか」
は、世間がいかにアーサーくん自身を見ていなかったか、を表していると感じます。
第一作でアーサーくんはトーマス・ウェイン氏の会社で働く証券マン×3を殺害し、世間に認知されます。
続いてマレー・フランクリンを生放送中に銃殺し、ゴッサム市民から英雄視されます。
結果的に隔離病棟に収容されますが、その場でも囚人たちから一目置かれています。
そんな中で今作で初登場のリー・クインゼルと出会い、恋をする。
リーと出会うまでは、アーサーくんも【JOKERの仮面】を被った姿で満足していたけれど、それは所詮、所謂『ポーズを取った姿』でしかありません。
ポーズを取り続けるのは疲れる。
リーという存在から愛を知ったアーサーくんは、リー自身に "アーサー・フレックそのもの" を受け止めてほしかった。
だから、最終抗弁で「JOKERはいない。いるのは自分一人だけだ」と言ったのではないでしょうか(最終的にアーサーくんは母性を求めていた?)。
それもこれも、ゴッサム市民と、我々觀客が『アーサー・フレックその人』ではなく【JOKER】ばかりを見ていたからなのですね。劇中にて言及されていた通り。
我々はピエロを面白がっていただけだった。
ピエロの格好をしたヒーローを欲していただけだった。
2019年に大ヒットを記録した『JOKER』
その監督は本作でもメガホンを取っているトッド・フィリップス氏です。
そのトッド氏が「ほら、アーサーを持ち上げたのは君たちで、その結果は、そりゃあこうなるよね」と言わんとするための今作だったんじゃないか、と思うのです。
実際、最後にアーサーくんを刺し殺す囚人は自分の口をナイフで斬ります。
それは言わずもがな『ダークナイト』のヒースジョーカーを示唆しているわけですが、第一作目でも「JOKERの辛い過去なんて知りたくねぇ。もっとブッ壊れたのが見たいんだよ」という感想があったそうです。
アーサーくんを刺し殺した囚人の彼は上記した意見の具現化だと思われますが、それは要約すれば『JOKERに人間味なんていらない』という意見でもありますし、「一人の人間として肯定されたかったアーサーくん」を殺す理由たり得るのではないでしょうか。
アーサーくんに見向きもしなかったのも我々だし、【JOKER】としてのアーサーくんを生み出したのも我々だし、アーサーくんを殺したのも我々である。ということです。
なんだか監督のトッド・フィリップス氏がにこにこと黙って目の前にいる、そんなような氣がします。
「で、どうするの?みんな君たちの責任だよ」と言われているような思いがします。
刑務所映画
この『JOKER : Folie A Deux』、舞台は隔離病棟ですが、実質刑務所映画です。
刑務所映画の大名作といえば『ショーシャンクの空に』ですね。
『JOKER : Folie A Deux』ではその『ショーシャンクの空に』のオマージュが散りばめられておりました。
・中庭での交流
・聖書・キリスト教を巡ってのやりとり(アメリカの刑務所では当然なのかもしれません)
・模範囚としての特別扱い(【模範囚につき特別扱い】云々については『時計じかけのオレンジ』も想起しますが、その線は薄いでしょう)
・刑務所内での映画鑑賞(ここで流れていた作品に登場されていた俳優さん、『JOKER』の第一作目でもテレビの中に出演されておりましたね。黒人労働者の意見を聞く雇い主?としてです)
そして、刑務所内での殺人。
また『ショーシャンクの空に』の同監督作である『グリーンマイル』もオマージュされておりましたね。
死刑で電氣椅子や、煙草の煙を口移しなどです。
一作目への答え合わせと、一作目との対比
ところで、元ご近所さんのソフィーさんが証人席にて語っていたペニー・フレック氏の話は醜惡でした。
"久しぶりに親というものの醜惡" を見ました。
ゲイリー氏の尋問前に「この場で証言する一切は真実です」と宣言する場面があったので、ソフィーさんが証言した母親の醜惡は真実なのでしょう。
最惡です。
親には幻想を見せる役目と幻滅をさせる役目があると思うので、その責務は果たしたのかな、とは思いますね。
本当に最惡。思い出したくもない。
しかし第一作目でアーサーくんがソフィーさんの部屋に入り「最惡な一日だった」と口にした後のことは描かれていなかったため、アーサーくんがソフィーさんをも手にかけたのか、との推察がインターネットにて飛び交っていましたが、そうではなくて良かったです。
また刑務所内でのインタビューにて「元々はマレーを射殺するつもりではなく、自殺をするつもりだった」とも話していて、なるほどそうだったのか。と思いました。
じゃあ、録画したマレー・フランクリンショーを流しながら練習していたのは実行しようと思っていたのか。と。
一作目ではクビを言われる側だったアーサーくんが本作ではクビを言い渡す側になっていたのは痛快でした。
そういえば一作目との対比がたのしい作品でしたね。
ゲイリーさんが証人として呼ばれた時に「僕を笑わなかったのは君だけだ」とアーサーくんに対して言ったり。
結局はバットマンが生まれる前のお話
第一作の終盤でトーマス・ウェイン氏がゴッサム市民の凶弾に倒れ、一人息子のブルースくんだけが残される描写がありました。
バットマンファンの皆様ならご存じのことだと思いますが、このブルースくんこそが後のバットマンです。
ジョーカーというキャラクターはバットマンの宿敵として作品上で登場するのですが、アーサーくんが【JOKER】として存在している状況では、バットマンとは対峙ができません。
なぜならば、ブルースくんが成長をしていないから、です。
上記したことや、アーサーくんを刺し殺した囚人がヒースジョーカーよろしく口を裂いたこと、アーサーくんの裁判で検事を務めていたハービー・デント氏が怪我をする直前直後のお話であったことから、この作品は〈バットマンの系列作品〉ではあるが、『バットマンの作品』ではない。ということなのではないか?と考えます。
だからこそ、アーサーくんは故ヒース・レジャー氏の演じた「得体の知れないジョーカー」ではなく、『ゴッサムで産まれ、生きて、死んだ一人の人間』だった。
そういうことなのではないでしょうか。
ゴッサムシティがゴッサムゴッサムしてる
アーサーくんがTVの生放送に出演した際、画面の向こうにいるハーレイに愛の歌を捧げるじゃないですか。
それを聴いたハーレイがショーウィンドウを割って小型のテレビを盗む訳なのですが、その場面が「「最高にゴッサムシティ!!!」」って感じがしてとても氣分が高揚しました。
第一作目の感想にて、「アーサーくんの訪れるところには混沌が巻き起こる(市庁舎での警官隊と市民との乱闘や、電車内逃亡劇での騒乱)」と書いたのですが、それは今作も健在でした。
実写本編冒頭の藥を飲む場面ですね。
しかもアーサーくん本人は騒乱が発生していることになんてとんと見向きもしない。
そういえば裁判所が爆破され、アーサーくんは《【JOKER】の信奉者》に助けられるわけですが、その時に劇中初めて刑務所と裁判所以外の場所が映ります。
それが第一作目にて映っていたあの街並みだったのですが、見事に荒れててゴッサムの趣を感じました。
『JOKER』という作品が始まった街で、作品を終えるに向かう。
しかも両作ともアーサーくんは収容された。
違うのは、アーサーくんが殺されたこと(『アーサーくんが殺害した人数』は、公に五人とされていたので一作目の最後でカウンセリングをしていた女性はアーサーくんに蹴り殺されてはいないのでしょうね)。
雑記 ~フレンチアニメーション最高~
冒頭、アニメーションから始まるわけですが(もうこの時点で最高)、思えばこのアニメーションが本作を表していたんじゃないか…?と感じます。
ここは二回目の鑑賞をしてからですね。
アニメーションパートの監督さんはシルヴァン・ショメという方で、有名な作品でいうと『ベルヴィル・ランデヴー』を制作された方です。
上記作品についてはわたしは未鑑賞ですが、同監督作の『イルージョニスト』は十二年ほど前に友人と觀ました。
そうだ。
第一作目は虚実入り混じる内容だったと感じますが(感じざるを得ない)、本作は圧倒的に現実でした。
アーサーくんがインタビューに応じる場面や、裁判所での映像。
その4:3のアスペクト比に《記録》された映像が【現実の物語】であることの証明を強固にしていたと感じます。
あと、ランドル氏のファミリーネームを何度も間違えていたり、ゲイリー氏のファミリーネームを間違えて覺えていたりと、アーサーくんは実際本当に知的なハンディキャップを持っていたんだな、と思い至りました。
とりあえずここまでが一回目の鑑賞での感想です。
最後に一言。
音樂が良い!!!
裁判所でのミュージカルシーンの曲が良い!!!!
最後自分でこめかみぶち抜くアーサーくんがかっこいい!!!!
アーサーくんが愛していたのはハーレイ・クインゼルだったのか?
そういえば『JOKER』も『ハーレイ』もメディアが名付けたものですね。
二回目直後
ねぇちょっと辛いよ〜〜ね〜〜〜え〜〜〜〜
やっぱり最初のフレンチアニメーションでオチを言ってたしさぁ〜〜
オイディプス王
映画鑑賞のシーン。
上映されている映画内でオイディプス王について言及する台詞があります。
今インターネットで調べたのですが、オイディプス王は『下手人探したら実は自分自身だったよ〜テヘ★』というお話なのですが、これは、アーサーくんとジョーカーとの関係ではないでしょうか。
ちなみに『オイディプス王』の影響で〈エディプスコンプレックス(日本人に馴染み深い言葉にすると『マザーコンプレックス』)〉という言葉が生まれたそうです。
裁判の場面など、明らかアーサーくんは恋人として以上に、母親に甘える子どものような接し方をリーに対してしていましたね。
検事補
今作ではアーサーくんを有罪とするための検事補としてハービー・デント氏が登場します。
そんなアーサーくんをハービー氏が『怪物』と形容した時、アーサーくんはリーと出会い愛を見つけたことは歌います。
「自分には愛があるから大丈夫。何も怖くない」と。妄想の中で。
この歌詞がですね〜〜〜結末を知っている身からすると、それがもうつらくてつらくて。。
アーサーくんはリーから別れを告げられますからね。
ハービー・デント氏とは、バットマンにて登場するトゥー・フェイスという惡役の元々の人物なのですが、裁判中もトゥー・フェイスとしての示唆が為されているんですね。
法廷にある窓の関係上、正面から見て顔の左側が影になります。
向かって右が明るく、左が影に。
しかし、裁判所の爆破テロでハービー氏は顔の右側を負傷するんですね。
「え、そっちなんだ」と思いました。
ご丁寧に『ハービーさんこんな感じですよー』とでもいうようなカメラワークが為されています。
これはよりより憶測ですが、ハービー氏の光側が傷ついたから惡の道に舵を切る、ということなのですかね。
どちらにせよ、ヒースジョーカーのような人物も出てトゥー・フェイスへの布石も整ったので、あとはブルースくんが成長するだけです。
こういった理由からも「バットマンが誕生する以前のお話なんだな」と思った次第です。
本作の監督であるトッド・フィリップスさんはその後のバットマン物語は撮らないような氣がいたしますがね。
結婚式
白タキシードで結婚式をする場面。
マレー・フランクリンショーで番組の補佐?をしていた人物が「誓いますか?」と問うた時に、アーサーくんは「yes」と即答したのに、リーてめぇは言ってねえなあ?どうなってんだコラ!
雑記
アーサーくんが法廷で「自由だ!」と両手を広げて喝采を受ける場面があるじゃないですか。
この場面も第一作目との対比ですよね。
コメディクラブの『pogo's』にて「今は誰も僕を笑わない!」と言っていた時の姿勢と一緒なのですが、本作では傍聴人の歓声を受けていました。
リーと面会を行なった際にリーより懐妊の知らせを受けますが、その前の「なんだ?」も第一作目との対比です。
一作目ではアーカム病院で金網を隔てて、でしたが、今回はアクリル板を隔てて、と構図も同じです。
テレビ中継の裁判にて隔離病棟の看守を愚弄したため、アーサーくんはジャッキーらに痛めつけられます。
その場面にて、ジャッキーが「楽しませろ」と言いますが、これも『ショーシャンクの空に』のオマージュですね。
ショーシャンクでは囚人が言っていましたけれど。
そういえば、アーサーくんが痛めつけられる時は三人ですね。
電車での証券マンの時もそうですし、看守らに痛めつけられる時も三人でした。
あとこの作品は基本的に時系列順に物語が進行しているのだと思うのですが、始めの方にあった『雨に打たれながら笑うアーサーくん』って本当にあの時に起きたことなの??
あの笑いって発作のほうでしょ?めちゃくちゃ苦しそうに見えたし。
発作の笑いって、嫌なこととかつらいことが起こった時に出るものだと認識しているのですが、あのタイミング前後は囚人同士からも一目置かれていたし、リーに出会ってすぐだったでしょ?
なので、あの笑いって、実は『リーがアーサーくんのもとを去り、隔離病棟に再収監された後に出たもの』じゃないの???
なーんて思います。
意志を継ぐ者
ところで、アーサーくんが刺し殺され絶命する瞬間、ちょっと笑ってる?ように見えたのですが(『死の一瞬間には快感がある』という噂からの演出?)、それってヒースジョーカーオマージュの彼が自分の意志を継いだと思ったからなんですかね(ヒース・レジャー氏を今見てみれば、アーサーくんを刺した彼と、どこか、雰囲氣?が似ているようにも思います)。
刺された瞬間、リーとの妄想に場面が変わり「自分の意志を継ぐ息子が欲しかったんだ!」とアーサーくんが叫びます。
アーサーくんを刺し殺した若い彼は、自らの口を斬りつけて笑い狂います。
その様をアーサーくんは見ていませんが、笑い声は聞こえたのでしょう。
その笑い声を聞いたアーサーくんは、自分を殺した彼こそが自らの意志を継ぐ "息子" だと思った。
だから、笑った。
のかな、とか思いました。
正直リーが本当に妊娠していたのかもわからないし、アーサーくんとの子どもである確証もないのですし。
最後に
初日に二回同じ映画を觀るという人生初体験をしたわけです。
二回觀て思いましたが、これはそりゃあ酷評の嵐でも仕方ないよなーと思います。
実際にもアーサーくん死ぬ必要あったの?という声が聞こえてきそうですし。
でもさー、こうするしかないんじゃねえの、と思います。
『ダークナイト』のヒースジョーカーって、明らかにカリスマがあってやることも派手じゃないですか。
それって、いわば「ヒーロー」ですし、〈別の星の人〉なんですよね。
でも、『JOKER』にて描かれていたホアキンジョーカーは、言ってしまえば《我々》なんですよ。
より距離が近い。
だからこそ、ホアキンジョーカーに影響されて(それこそ「感化されて」)、実社会で犯罪に走る人が増える可能性が高くある。
そういった『社会影響』を考慮しての結末だったんじゃないか、と感じます。
それと今思ったのですが、SNS時代の今、すぐに持ち上げられて炎上して、が発生します。
それについても実は言及していたのか?と感じたりします。
第一作目はわたし自身の精神状況もあって劇場で五回ほど鑑賞いたしましたが、今作は無理ですね。
ちょっと悲しすぎる。
どうか安らかに。
ありがとうございました( ¨̮ )
à!?
予告編にしかなかったシーンあるよなぁ!!?
ミスリードさせるための演出とファンサービスかよ!!!
最高だな!!!!!
ついき
アーサーくんは『ジョーカーの手札』を切った、という感じだったんだな。
常にジョーカーが手元にある訳ではない。
ですが、第一作目でゴッサム市民を暴徒化させたのも、最後にアーサーくんを刺した彼を生んだのも、アーサーくん自身ではあると感じるので、見事に「ゲームの局面」は変えたと言えます。
ゴッサムは治安が惡いですが、ただ治安が惡くてもバットマンは誕生しない。
市民が暴徒化してサイコパスが新たなJOKERとなり、様々な惡役が登場してこそバットマンが映えますからね。
ん?
【ゴッサム市民の暴徒化】はアーサーくんが素地を作った。
ということは惡の意志は受け継がれる。
"アーサーくんの立派な子ども" ということか?
‾\_(ツ)_/‾