本日もご訪問ありがとうございます。
今回はつい先日に書いたことの派生みたいな話です。
とんとんじゃだめ
わたしはバンドが好きです。
ライヴも好きです。
ミュージシャンによってまちまちですが、チケットのお代は3,000圓からのお求めとなっております。
有名な方であればイッチ萬圓超えもざらではありません。
その理由は後で説明するとして。
いきなり本題になりますが、仮にチケット代が5,000圓として、演者は5,000圓分の演奏とパフォーマンスをすれば良いのでしょうか。
恐らく個々人各々に対してならばそれでも良いでしょう。
ですがそんなのでは駄目です。
それこそ『お金を稼ぐ時間も考慮しないといけない』ということです。
ならば価値がいくらの演奏を意識すれば良いのか。
300人収容できるライヴハウスがソールドアウトだった場合、5,000×300=1,500,000となります。
150萬圓の売り上げ、そこからライヴハウスのレンタル料が三十萬圓だとしたら、純利益は120万圓。
百二〇萬圓を觀客数で割ると「4,000」となります。
本当に出鱈目な概算ですがこの4,000圓を上乗せした9,000圓分の演奏を意識しましょうね、ということです。
ですが、ここで書きました金額自体は、実は対して重要ではありません。
正直150萬圓の演奏を意識するのでも素晴らしいですし、舞台に立つ人ならそれくらいの氣概は必要でしょう。
「我は一億圓プレイヤー!」と思うくらいでも良い。
『金額は重要ではない』のであれば、何が重要なのか。
それは、觀客が払った金額を超過した分の余剰です。
上記の概算で言えば4,000圓の部分です。
觀客が5,000圓を支払い、演者は9,000圓の演奏を意識する。
觀客が9,000圓分として受け取ったなら、觀客は4,000圓分を得したことになります。
この『得』という余剰があるとどうして良いのか、どうして余剰がないといけないのか。
余剰が何に変わるのか、といえば、それは《信用》や《信頼》になります。
その《信用》や《信頼》があれば、觀客は「また觀たい」と思うのではないでしょうか。
舞台をビジネスとしたものは、觀客のリピートが非常に重要になってきます。
そのため「また觀たい」の《信頼》を得る為に「お!値段以上」と觀客が思うものを演者は提供しないといけない、少なくとも演者側はそういう氣概でいないといけないのです。
この余剰は〈感動〉と言い換えることも可能です。
演者自身の「また觀に来てほしい」という純粋な氣持ちが余剰を生み出すこともあるでしょう。
この余剰は受け手によっても変わりますよね。
演者が支払われた金額よりも良いものを提供する意識で演奏していたとしても、その演者のセンスが琴線に響かない人には余剰を感じる以前に損を感じるかも知れませんし、その演者のことがめちゃくちゃ好きなファンからすれば支払った金額の何倍もの余剰を感じることでしょう。
まぁ端的に言えば『てめえのベストを尽くせや』ということです。
何にでも当てはまるよ
さて、ここまで書いてきたことは何も舞台などのショービジネスに限ったものではありません。
聡明な皆様でございましたらお氣付きのことだと思いますけどね( ¨̮ )
一般的なビジネス、商品でも同じことですし、これは雇用をする側 / 雇用される側にも当てはまります。
わたしのこのブログをお読みいただいている方の中にも、経営者様がいらっしゃったりするのかもかも知れません。
経営者、雇用をする側の立場からしたらどのような労働者がいてほしいでしょうか。
程度はあると思いますが、『よく働いてくれる人』ではないでしょうか。
実際問題そうだと感じます。
三〇萬圓の給与に対して三〇萬圓分の働きをする人より、三十五萬圓分の働きをする人の方が重宝がられるでしょう(とはいえ、その人自身の健康の方が大事)。
この場合、給与に対して五萬圓が余剰となるわけですが、上記した『給与と同額の働きをする人』と『給与以上の働きをする人』ならどちらに新しい仕事を任せたいでしょうか。
きっと後者の方ではないでしょうか。
これが、【余剰が生む《信用》】というやつですよ。
めちゃ資本主義ですね( ¨̮ )
ちなみにわたしは雇用される側です。
前々から『雇用される側って結局は首根っこを捕まれてるってことなんだよな』と薄ぼんやり思っていましたが、ここ最近いよいよ雇用される側に厭氣が差してきました。
「組織運用について」とか、「世の『大人と自称している人』の殆どが中高生の延長を行なっていること」とかで、です。
金もらってるんだから公私を混同してんじゃねーっての。と思いますが、ここら辺の話は愚痴にしかならないので書きません。
薄っぺれ〜。
当然で一般的なことを得意顔で言ってんじゃねえっての。
正直、雇用される側の方が樂ではあると思います。
だって支配されてるんだから。
与えられたことをして一定の所得を得る、それはとても素晴らしいことです。
ですが、それって奴隷的な幸せでもあると思うんですね。
『上司の愚痴を言いながら管巻いているけどずっとその場に留まってる』って、それは有意義な時間で期間なのか、と、わたしは思っちゃうし。
とはいえ、まだまだ雇用される側だろうなぁ。
このブログみたいな内容だけ書いてお金をいただきたい。
そしてギターを弾き続けたい。
規模によって金額が変わるのは、そりゃあそう
ところで有名なミュージシャンであるとどうしてチケット代が高くなるのか、ですが、それは単純に事務所内外の人間が多く関わるからでしょうね。
広告費やら運搬費、特設会場ならその設営費などなどなどetc...etc...ですね。
また有名なミュージシャンともなれば事務所の顔でもあるでしょうし、そうなると稼ぎ頭となります。
給料(+著作権料)制をとっている事務所であれば、所属したての若手もその若手のチーム自体も食わせないといけなかったりします。
そういった単純な人件費などから大人の事情が絡んだりしてチケット代は高くなったりするんですね。
しかし、ELLEGARDENやthe HIATUSの細美武士さんは「ライヴのチケットなんてお小遣いで買える金額じゃないとあかんじゃろがい!」と全く粋な考えを持って、自らが搬入出を行なっているなんて方もいらっしゃいます。
全く粋ではありますが、これはどっちがいいとかじゃない。
『適切』とは状況によって変化するものです٩( ᐛ )و
暇つぶし程度にでもなりましたなら٩( ᐛ )و
ありがとうございました٩( ᐛ )و