頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

【八十八ヶ所巡礼】新春新曲召喚祭へようこそ!【新曲召喚祭 FINAL!】

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

行ってきました初詣!!

『新曲召喚祭 FINAL!』です!!!

初詣!!!

 

2025年初LIVEで昨年最後が11/23の魔つやまなので一月半ぶりくらいですね。

floodinhead.hatenablog.com

 

👇これまでの八十八ヶ所巡礼についてのもの👇

floodinhead.hatenablog.com

 

 

この日はチケットの整理番号がかなり若いやぽぽぽだったので「最前列まんなか!!!」と意氣込んでいましたが、そうは問屋が卸しませんでした。

 

しかし!初の最前列下手!!

 

マーガレット廣井さんの酒瓶がじっくりくっきりばっちり見えます!!

 

樂しい!!!

音の鳴りとかミックス具合とか、上手の時とはどう違うのでしょうか!!!

 

樂しいし!!!!

 

 

 

開演までの道中とかで思ったこと

LIVEイベントではリハーサルというものがあります。

その日に演奏する会場の音の回り方や反響の具合などを調整したり、曲ごとの照明演出を注文して確認するために行います。

 

そのために演者は觀客席に降りたりPA卓付近に行って自分の音の音量や硬さ、バンド全体のまとまりなどを確認してPAスタッフに指示を行ったりします。

 

この時にあることが引っかかりますね。

Katzuya Shimizuさんはワイアレスシステムで演奏していらっしゃいますが、マーガレット廣井さんは樂器と足元とがシールドケーブルで繋がれています(なので『日本』ではベースを置いている)。

 

 

これ、マーガレット廣井さんは "自分が演奏する音" を客席で確認することができないんすよね。

 

それに今更ながら思い至りどうしてるのかしら、PAさんを完全に信頼しているのか、Katzuya Shimizuさんがベースを弾いてそれを聴いているのかしら、と疑問に思いました。

 

そういえばマーガレット廣井さんは以前に「Katzuya Shimizuさんに『近頃どうしてる』のベースがどうしてもコピーできないと言われた」という内容のSNS投稿をされておりました。

ということはKatzuya Shimizuさんが弾いてマーガレット廣井さんが確認かしらね。

妄想が膨らみんぐですわね。

 

さあて開演まであと15分。

大人しく待ちまーす。

 

 

第四の壁とかシミュレーション仮説とかの話(飛ばしても一切問題ないです)

わたしは今〈伊坂幸太郎著作を発表順に読み返そうキャンペーン〉を開催しており、現在は第一作目の『オーデュボンの祈り』です。

 

その作中で【ミステリー小説の探偵】に言及する場面がございます。

そこで思ったことですが、我々読者・鑑賞者は小説や漫画・映画といった作品で起きた出来事を盗み見ているわけです。

登場人物に対して「ちょっと見させてくださいね」と断りを入れてるわけではありませんからね。

つまりは窃視者というわけです。

 

二次元対象に対しての三次元的我々が一方的に觀ている、ということです。

 

さて。果たして、我々の世界が上記と "同じではない" と言いきれますでしょうか。

難しい話ですね。

なぜならば二次元の世界で生活する方々は三次元の世界を検知することができるか不明だからです。であれば、三次元世界を生きているといわれている我々には四次元世界を検知できるのかという話になります。

 

難しいお話です。

 

 

我々三次元にいる者は二次元世界や創作物を窃視している。

であるなら三次元にいる我々は四次元や五次元世界の者から見られているのではないのか?

 

しかし、我々が今のように文章にしていたり発言をしているから考えを共有できるのであって、そうでなければわたしの考えやあなた様の感情は外の存在や觀察をする側には検知できません。

「はっは!どうだ!ざまあみろ!」とか思ったりするのですが、『〜と、そのように思いました』と台本に書かれている可能性なども考えたら途方に暮れますね。

 

 

〈シミュレーション仮説〉の觀点から言えば、我々の考えていることは言葉などで表現をしないと觀測者には感知されません。

シミュレーションは「これこれを前提とした場合に結果がどうなるのか」という話でことが運ばれますからね。

 

小説などの創作物の登場人物として我々がいるとしたら、もうどうしようもありません。

「彼はそのように思いました」の中に全てが収まりますからね。

どうしましょ。

かといってどうもならんですが。

 

 

こんなことを考えたって仕方はありません。無駄です。

猫の肉球まくらに頭蓋を乗せ、猫の股ぐらこたつに包まれながら夢の中でサモエドの尻を追っかけパグのしわ迷路をキャッキャウウフフと回遊していた方が有意義です。

 

 

開演

初下手から見るKenzooooooooさん。

「知らないけんぞうだ…(敬称略)」と不思議な感慨でしたね。

 

マーガレット廣井さんこの日は片手で一升瓶をラッパ飲みされてました。

 

 

わたしは最前列にいたわけですが、客席の後方から觀声が飛んでいて「大きい箱もやっぱりいいなぁ」と思いました。

 

 

M. O. 8

曲開始のキメが鳴り『M. O. 8』からスタート。

最初マーガレット廣井さんが無言で空中のモヤを摘もうとされていました。

 

そして「M. O. 8ーッ!!」とバンドがオールインするわけですが、すげーベースの音が聴こえる!!!

音っていうか、振動!!!

そうだ!音って振動だったんだ!と再認識しました。

 

これまで最前列は上手だけだったので、メインスピーカーから出る他の樂器が混ざった状態の音を聴くばかりでしたが、キャビネットスピーカーから出力されるベースのみの音は強力でしたね。

 

後で氣付きましたが、BIGCATは最前列用のスピーカーもあったのでギターの音もしっかり聴こえておりました。

 

あと!!!

下手はギター、ベースの運指がよく見える!!!!

ご両人とも右利きの竿なので普通に構えても正面から見て左側へ斜めになるんですよね。

なので超見える!!!

 

 

幻魔大祭

最近練習している曲です。難しい。

 

この曲は途中からテンポが変わります。

Katzuya Shimizuさんのギター(「ゥウワァォォーン」というスクウィール奏法の部分)がその合図となりますが、この日は下手にいたからか「近くで遠吠えを聴いている」というよりも「遠くの遠吠えを聴いている」という印象でした。

 

最後はマーガレット廣井さんのベースで締めくくりますが、ディレイとオートワウが付点八分?で鳴っているんですね。今更ですね。

エンディングでは聴こえにくい箇所がありますが、それはこのエフェクターの設定とピッキングするタイミングとの兼ね合いなんだなとようやっと理解しました。

 

 

苦苦★念仏

個人的に開演までに聴いていた曲でした。

 

この曲の二番サビ前に「生を感じずに生老病死」と歌われる部分があります。

ここで『生老病死』の後にライドシンバルのカップを「チンッ ♪」と鳴らすのですが、直前に鳴っていた太鼓の音量とかの兼ね合いかカップの音があまり聴こえなかったんですね。

これはわたしの耳がスピーカーからの指向方向になかったという理由もあると思いますが、「ジャストな音ではない」と感じてしまいました(決してKenzooooooooさんが悪いとかではない)。

 

この時、自分がKenzooooooooさんと同じ演奏者の立場なら「うわ、最高のトーン出せなかったわ」と一瞬ブルーになっていたと思います。

しかもともすれば、しばしそれを引きずっていた可能性まである。これまでの自分だと。

などと思い馳せていましたが、目の前の演奏はどんどん先へ進みます。

その様を見て「起きたことは起きたこと。一瞬〈それ〉があっただけなのであれば、次の機会までに対策をしたら良いだけの話じゃん」と思いました。

今までのわたしだと『あぁ〜あの時にあれがあったから〜』と嘆き苦しんでいましたが、それが起こったのは《その時》だけです。

 

そして現在は別に【それ】は発生しておりません。

だったら次に備えたらそれでいんじゃね、と思いました。

なぜって時は止まらないからですね。やり直しもできませんし。

演奏も『曲の入りを間違えた』とかのやり直しがきく場合や練習時などであれば「ごめん、間違えた。もう一回していい?」ができますが、觀客に対して演奏をしている曲中の時はそれはできませんし、やってはいけません。

 

この〈やり直しはできない〉のっていうのは人の生活とかとも一緒なんじゃないかしらね〜、とそう思いました。

起きたことは起きたこと。もしそれがまた起こりそうなら嘆くのではなくその時に備えて準備と対策をすれば良いだけ。

 

などということを今更ながら思いましたとさ。

 

 

ちなみに『大安ナイト』の「今夜は楽しいな ♪」でチンチキ鳴っているのもライドシンバルのカップ部分です

 

 

奇天烈レジャ〜

もしかしたら初めて生で聴いたかもしれない。

めっちゃかっこいいですね。

 

トリッキーかつテクニックな部分よりも、バンドのグルーヴを重視しているこういう曲の方がバンド自身の地肩が感じられて良いですね。

 

ドラムはエイトビートが繰り返され、ベースはルート弾きが基調、その中で二拍目四拍目にワーミーが噛むギターがアクセントになります。

 

 

Bメロの「昔々のおかしな話」ではひと回し分歌無しで演奏された後、マーガレット廣井さんがお話をされておりました。

なんの話だったか忘れましたが、「もっと貴様らのニヤニヤ顔を見せてくれ」みたいな内容でしたかね。

 

 

そういえば「この曲って地球のこと?」とも思いました。

眉唾な方もいらっしゃると思いますが、この地球ってのはいろんな感情を享受するテーマパークだという考え方があります。

それを経験するために我々は地球にいる。なんて考え方があり、レジャ〜とは娯樂。

この曲の歌詞も感情とかについて言及しているように思います(てきとうに聞いてください)。

 

そんなレジャ〜施設にわざわざやってくる。それは我々が欲望愛好家だからというところですね。

 

 

PALAMA・JIPANG

新年からPALAMAはいいですね〜。お正月なんて食べて呑んで寝て呑まれて飲んで色々しますので欲望愛好家には御誂え向きな季節です。

 

曲始まりにあるマーガレット廣井さんのゴーストノートで両拳突き上げ貴様らになりました。

 

八十八ヶ所巡礼さんは【主犯格】と書かれているだけあってマーガレット廣井さんがバンドマスターだと思うのですが、この日のPALAMAはKenzooooooooさんがバンドを引っ張っている感がありました。

叩く音の一音一音が氣合いに満ちていると言いますか。

 

『PALAMA・JIPANG』は日によって安定感があるグルーヴを呈していたりと印象が変わりますが、この日の演奏はヒリヒリするような危うさがあってよかったですね。

 

 

そして、この曲で「一人の人間の中にいる様々な感情」としてお三方がいるように感じました。

別に二重人格、多重人格とかって意味ではありません。

人間いろんな感情があるわけで、嬉しい悲しい樂しい憂鬱などの感情が具現化した姿、それがお三方と重なったって感じです。

 

 

紫光

一曲通して紫色を基調とした照明でした。

イントロでは淡い紫、バンドのオールインからは濃いめのいわゆる紫色がお三方に照らされます。

 

同じ『紫光』でも、他の公演では各部分部分でパッと照明演出を切り替えをしていたりするのですが、この日はイントロからオールインへの切り替えがグラデーションになっておりました。

この演出で前述した人間の感情の中でもより繊細な部分としての『紫光』が今回であると感じましたね。

 

 

この日は音がどうこうっていうよりも『曲を聴いてどう感じたか』の方が印象的でした。

つまりわたし自身の感情の機微、情動という部分です。

 

わたくしごとで恐縮ですが、わたくしはハーフ還暦をすぎた齢です。

ハーフ還暦過ぎPeopleなわけですが、どうにも成長できていないとも我ながら思います。

端的に言えば幼稚ってわけです。

 

また、ハーフ還暦を過ぎましたがわたし自身が二十代の時に起きたことを今になってまた繰り返しているように思いますし、他の方が二十代で経験することを今体験しているようにも思います。

 

八十八ヶ所巡礼さんの音樂に共鳴する方であれば、少なからず世間一般のPeopleにはない繊細さを有していると思われますが、例に漏れずわたしも有しております。

 

わたくし思うのですが、そんなような繊細さを有しているからこそ、成長に時間がかかっているのではないでしょうか。

これだけを書くと非常に印象が悪いですが、繊細だからこそ物事の仔細に氣付くことができる。仔細に氣付くことができるからこそ色々な學びを得ることができる。

『苦苦★念仏』の時に感じたこと、それも(要領がいい人は早い段階で腑に落ちているのかもしれませんが)繊細が故に思い至ったことだと感じます。

 

良いように考えましょう。

 

繊細ってのは物事を長く味わうことができる。

ということは要領がいい人には到達できない《出来事や物事の深部》を見ることができる可能性が非常に高くなる、ということなんじゃあないかしら、このように思うのですね。

 

 

そしてわたしもその繊細さ故、一丁前に辛苦の生を送ってきていますが、その経験があったために今回書いているようなことを思い至っているわけです。

正直『他人なんて蹴落としてでも出世しろ!』なんて価値觀はもう古いですし、マーガレット廣井さんのように思いやりを持たないとねえとも思います。

 

わたしもハーフ還暦までは生きづらいなぁと思うことが大半でしたが(もちろんわたし自身の幼稚さも起因している)、その経験があるからこそ他者を想うことができる。となると、それは生きづらい経験も無駄ではない。

よくよく言いますが、人生に過不足なしという感じです。

 

もしわたしの経験から得た(得るしかなかった)言葉で誰か様の氣持ちを軽くできているのなら、それはもう無駄ではなかったということでしょう。

少しばかりは報われるってもんですかね。しーらね。

 

 

『若い頃の苦労は買ってでもしろ』とかっていうじゃないですか。今の時代っていうんですかね?時代錯誤な感もあります。

苦労とか言われようが動であろうが、自分自身が選んだことなら別にいいんじゃないか、と最近?ではないけどわたしは思うんですね。

 

あと、たぶん【苦労】って言葉は自分以外の他者からかけられるもののような氣がいたしますので、自分がなーんも思っていないことが他人様からすれば「大変な苦労」として認識されるのでしょう。

わたしも二度交通事故に遭っておりますが(どっちも大事ではない。一回目の事故で数針縫ったくらい)、他人様に話したら思った以上の反応が返ってきて話したこっちがたじたじとしていまいます。

 

自分が選んだ以上は自分で面倒見てKETSUを拭かないといけませんが、生きてきた結果がその後の人生の糧になったり苦労や努力として勝手に認識されたりする。つまりはそういうことってだけなんじゃね、と思います。

無理しない程度にのんびり生きましょーや。何を偉そうに。

 

 

なので親の借金を代わりに返済させられるだとか、上司から「ほら、若い頃の苦労は買ってでもしろよ」と無理な量仕事を押し付けられるのはKUSOってことです。

 

 

あとどうしても繊細な方だと若い時分に苦しくなったりするじゃないですか。

どうしても學校環境が生活の中心になったりするもんで視野が狭くなっちゃいがちですが、人生百年時代とかAHOなことを言っている現代。

十代なんて1/4も過ぎてないんですよね。平均寿命の1/4すら過ぎてないでしょ。

わたしもハーフ還暦まで辛苦が多かったですが、なんというか生きてたらその辛苦も薄まっているような氣もします。

生まれてから二十年間は狂っているのかもしれませんね。

しーらね。

 

とは言え、現在辛苦の最中にいる方からすれば「うるせえよ知った口聞くんじゃねえ」と思われる場合もあるでしょう。わたし自身も同じようなもんでしたからね。

なので、もし辛苦と対峙していている方はお好きなようにご自身をいたわってあげてください。

わたしみたいなどこの変人ともしれない人間の言葉ですからね。聞き入れたりする必要がありません。

 

ただ言えるのは、辛苦の想いで一生に幕を下ろした場合、その一生は悲劇として完成するってことです。

 

 

御託を並べていないでちゃんと演奏を聴け。

 

 

二番サビ前のスネアも、過剰に音のエフェクトをつけるのではなくてただリヴァーブを深くしただけ、という演出だったのも繊細さを感じる要因だったと思います。

あ、そう言えばスナッピー(スネアドラムの響き線)変わってた?

 

曲間のブレイクにてマーガレット廣井さんと貴様らの皆様諸氏とで手をあげている時

「今日はなんだか多く手が上がっているな。貴様らの手を見るのが好きだ。マイナスイオン的なものを感じる」とマーガレット廣井さんが口にされていましたが、そりゃあそうですよ!

だって心が呼応しているんですもの!

人間なんて思念体です!念と想いでできているのです!!

マーガレット廣井さんの良い氣に呼応した想いは善いものであるのは当然ですよね!

 

 

ところで公演日は成人の日でした。

これは愚痴なのですが、世の中で『大人』を自称して振舞ってる人って大抵小中學生的な精神性じゃないですか?ただ焼酎が飲める年齢になっただけ、というか。

要領が良いと体面を取り繕うのは上手だけど、その実は成長できていないような氣がする。誰かの失敗を嗤って娯しんだり。

 

【他人の不幸は蜜の味】なんて言いますが、わたしとしては全く共感できないです。

それこそ狂感できないし、狂感もしません。

 

『笑える失敗談』として話していたり、"笑って欲しくて話している" のであれば、その意を汲んだ方がいい。それが独りよがりでなければ思いやりになります。

見極めが難しいんですけどね!

 

 

脳騒曲

「貴様らのパワーで新曲が降りてきた!!」と言いながらマーガレット廣井さんがKatzuya Shimizuさんを指し『脳騒曲』がスタート。

 

イントロはKatzuya Shimizuさんのアルペジオ(コードを一音ずつ弾く奏法)から始まりますが、前よりも音にコンプレッション感があったように思います。

 

曲のサイズは音源ではなくPVのものですね。

この日にわたしがいた位置の兼ね合いだと思いますが、ギターのドンシャリサウンドがちょっと丸くなっておりました。

もしかしたら歪みの種類が昨年の魔つやまの時から変わったのかも。

わたし自身が音を聴いていた位置が理由だとは思いますけどね。

 

この曲の歌詞がめちゃくちゃでご本人も笑っていました。

 

 

音樂の話になります。

音というものはヘルツで表現されるとはご存知の方もいらっしゃると思います。

 

樂器というのはそれぞれ担当しているヘルツが違っており、それを帯域と言います。

バンドアンサンブルにおいて、樂器同士でその帯域が被らないようにすることが重要です。

なぜかと言えば、帯域が重なっていると樂器の音が聴こえないからですね(「ベースは何ヘルツで〜」などの話については割愛いたします)。

 

なのでボーカルの帯域を避けてベースやギターの音作りをする必要があります。

この日、マーガレット廣井さんご自身も音について言及されていましたが、Katzuya Shimizuさんがマルチエフェクターで音作りをされているのに対し、マーガレット廣井さんはコンパクトエフェクターでベースの音が作られております。

 

ということはベースの音は基本的に変化しないということになります(マルチエフェクターの方が収録されている種類が多いので多くの音を作れる。コンパクトだとたくさん必要なところを『マルチエフェクター』として一つにしている)。

 

大抵が新曲制作の際に曲に合わせた音も作りますが、マーガレット廣井さんの音が基本変わらない場合、新しいギターの音を作る時って樂なのかそれとも難しい部分が多いのか。

どっちなのかなぁ、と思いました。

 

 

宇宙初解禁新曲

「宇宙初解禁の新曲!」から始まった曲。

ドラム始まりでした。

「??こんな曲知らんぞ???」と思ったのを記憶しております。

 

曲調ですが、最近のバンドアンサンブルに初期っぽいメロディを合わせるという感じでした。

 

サビの歌詞は「誰かのビール呑んで」との歌詞で「エールを送る」的な歌詞もあったわけですが、『エール』がビールの種類(ラガーとかピルスナーとかの)とかかっていることに氣付いて大笑いしました。

突飛なところで大笑い貴様ら。

 

 

八百万(新曲)

こちらも新曲です。

昨年の魔つやまで聴いた曲ですね。

 

「神様は嫌いさ」と歌う曲。

 

この曲も最近の八十八ヶ所巡礼グルーヴですが、どこかBlankey Jet Cityっぽさがありました。

両バンドとも下手にヴォーカリストがいますね。

 

 

摩訶摩訶摩訶

この曲のサビベースが好きです!!!!

音源にはないうねりが生演奏にはあるんですよね。

ローがブィンブィンしてるというのか、悪どい感じ?の調べがあります。

 

 

マーガレット廣井さんはご存知の通りベースヴォーカルです。

そして「どうしてそんなに難しいフレーズをわざわざ…」と思ってしまうようなプレイをされています。

それって樂器を弾きながら歌っているからなのかな?とふと思いました。

 

摩訶摩訶摩訶』のAメロとかがそうですが、八分音符でルートとウワモノを弾いています。

それでコード進行を表現しているのかな?と思いましたが、憶測です。

 

 

今回も「タカッタカッタカッ」で黄色い照明がKenzooooooooさんに当たっておりました( ¨̮ )

 

 

アンコール明け〜金土日

愚かな男としてメンバー紹介

Kenzooooooooさん→三曲目の『苦苦★念仏』で展開を間違えた。

→禊?贖罪の長尺ソロ(いつものフレーズと違う)でマーガレット廣井さんも「なげえよ 笑」と笑っていました(ところで『苦苦★念仏』って「くくねんぶつ」じゃなくて「くるくるねんぶつ」なんですね…。ずっと思い違いをしておりました)。

 

 

Katzuya Shimizuさん→『八百万(新曲)』のイントロでギターのフレーズを忘れてフリーズした。

→Katzuya Shimizuさんが頭を指差して手で爆発するジェスチャーをする。

 

 

マーガレット廣井さん→『脳騒曲』で二番の歌詞を一番で歌ったり二番で三番の歌詞を歌ったりして三番では何を弾くのか分からなくなってた。

on!愚かな男日本代表!

→ベースソロではスプリットタン見せつけ。

 

アンコールは『金土日』だけで終了。

珍しいすね。

終演時間が20:45とかだったので完全音止めの時間とかの兼ね合いでしょうか?

 

 

MCで話していたこととかの雑記

「愚痴を言える関係って結構親密じゃん。いいよね。だからちょっと愚痴聞いて」からマーガレット廣井さんのお茶目話。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

朝?10時集合だったから9:50まで呑んで寝ずに集合しようとした。

けど「家帰ったら寝ちゃうよね」ということで三度寝した。

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Kenzooooooooさんがマーガレット廣井さん宅に起こしにきた(三度)。

「どうやってたの?」の質問すると「ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン」とKenzooooooooさんはインターホンを押しまくっていたそうです(Kenzooooooooさんのジェスチャーと声あり)。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

三度目にKenzooooooooさんが起こしに行った際、インターホンに出たマーガレット廣井さんの第一声は「起きてる」

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「ごめんね」と謝るマーガレット廣井さんと「別にいいよ」とはにかむKenzooooooooさん。

「呑み過ぎは本当によくない。今年は寝坊しない!!!」とマーガレット廣井さんが宣言するも、『無理だろうな』の表情で笑うKenzooooooooさん。と同じ思いを持つ貴様らの皆様諸氏。

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「寝坊したからいろんなものを忘れた。去年の年末にスイッチャー(多分A/Bボックス)が壊れちゃって翌々日とかに直してもらったのに持ってくるのを忘れた。でもなくても別になんとかなる。ねっ!かっちゃん!(ゆっくり頷くKatzuya Shimizuさん)」

「靴も忘れた。めっちゃやりにくい」

 

→「新ブロンSは持ってきてますか!」と質問する貴様らさんに「持ってきてるわ。でも今日は喉の調子がいい」

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「プレゼントボックスとかダサいじゃん。乞食じゃん。我々は貴様らがチケットを買って来てくれてるだけでいいんだよ」

 

「いろいろ忘れたけどなんとかなる。ベースを忘れたらちょっとダメだけど。そうなったらベースをプレゼントしてくれてもいいよ」と冗談めかしていました。

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「新春新曲召喚祭!早口言葉みたいだね。新春新曲召喚祭シャンソンショー」

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たしか『仏滅トリシュナー』前にて「あけましておめでとうピロピロ」

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『日本』で客席に降り、センターからフロア後方に行って下手に戻って来るときに「ここドラムうるせえ!!こんなとこいるなよ!」とマーガレット廣井さんが言っていたのですが、発言に触発されてかスピーカーから出るドラムの音量が上がっていました。

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親孝行MCのときだったか、片膝立ててお水を飲むKenzooooooooさんが現場のお兄ちゃんみたいでかっこよかったです。

上裸だしニッカポッカだし。

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「真面目にはやってないけど、本氣ではやってる」

 

 

初詣で感じたこと

そんな謹賀新年一発目のLIVEが終わりました。

次は1/16のZepp Shinjukuです!仏滅!

 

 

超個人的なところですが、なんだか今後の生への指針になるような公演でした。

『紫光』とかLIVEで何度も聴いているのに、聴くたびにいろいろといろんな考えが浮かんぶのは不思議というか、なんでだろうかと思います。

まるで小説や映画、漫画といった『年齢によって感じ方が変わる芸術』みたいだなと感じました。

 

 

 

この記事や八十八ヶ所巡礼さんのLIVEレポート記事は全くの自己満足でございます。

毎回「そろそろもう書かんでええんとちゃうか、、」と思っています。

理由は書いていることが同じような内容となっているように感じるからです。つまりはマンネリ。

そもそも自己満足なので別に書く必要もないんですけどね。

 

正直今回も大したこと書けないよなぁと思っておりました。

蓋をあけたら一万字超えです。

 

結果感想を書きたい!となるので仕方がないですね。

 

 

 

ありがとうございました‪( ¨̮ )‬