本日もご訪問ありがとうございます。
今回はブログテーマからの記事です(大嘘)。
先日、成人の日がございました。
その時分にブログテーマとなっていた『大人』について、それが今回の内容です(大嘘でもなかったね)。
【大人】っていうじゃないですか。
一口に【大人】と言っても、いろいろな意味合いがありますし、尺度・解釈によっても変わります。
わたし個人的な意見としては『自身を "大人だ" と自負・自称をしている人』が嫌いです。
その理由は『大人の自負を持っている人は、往往にして子どもの延長を過ごしている人が多い・子どもの延長的な精神性を持っていると感じる』からです。
これについては過去に何度も書いているので詳しい説明は割愛いたします。
さて、この【大人】についてのお話。
『童心を忘れていない』という言葉と『大人になりきれていない』という言葉があるじゃないですか。
前者は所ジョージさんとかがその筆頭でしょうか。後者については知りません。
この二つの言葉ですが、これまでは「同じような意味合いの言葉」だと思っていました。
しかし、これって全く別な言葉。
むしろ真逆の意味を持つ言葉なのではないでしょうか。
『童心を忘れていない』とは、言い方を変えたら「子どもの心を忘れていない」ということになります。
これは〈その人〉自身が【大人】であるからではないのか、と思うのです。
〈その人〉自身は成長をしていて、他者から【大人】として認識される精神性を持っている。
だからこそ『童心を忘れていない』という表現が成立する。
ですが『大人になりきれていない』というのは、そもそもが〈その人〉自身が成長できていない。
〈その人〉自身が成長できていないということは、【大人】ではないから『童心を忘れていない』ではなく『童心を忘れられていない』になります。
端的に言えば「幼稚なまま」ということですね。
『大人になる』というのにも様々解釈がありますし、それに対しての価値觀も人それぞれだと思いますので「何をすれば大人になれるのか」や「何をしていると人間として幼稚なままなのか」などを言って喧嘩を売る氣もありません。
そもそもこんなことを書いているわたし自身が成長できている【大人】なのかも不明ですし、そもそもわたしは『【大人】と自称している人』が嫌いと冒頭に書いていますからね。
まず「【大人】かどうか」なんて他者認識であるので自認するもんじゃないし(ですが『世間一般的には大人の一員』と自認することは大変重要です。それで様々律することもできるし、必要な場面も多いですしね。ですが『我、大人也』と自認。自意識が肥大するのは良くない)。
苦悩や葛藤をするのが人間だと思うので、それらをして(不可抗力になりますし、不可抗力で良い)、長いものに巻かれて安易なやり方で樂をしようとさえ思わなければ良いんじゃないでしょうかね知らんけど。
わたしにはわからない。
そもそもが "解る" ことなんてねえんだし。
なんでもかんでも "解ろうとする" ってこと自体も《安直で樂をしようとする行動》だと思うし。
不安定を人は嫌いますからね。
なのでハリボテでも嘘でも理解ができた方が安心する。
と、思い込もうとするのも《安直で樂をしようとする行動》なんですけどね( ¨̮ )
まぁ好きに生きてください。
ありがとうございました( ¨̮ )