本日もご訪問ありがとうございます。
今回は以前に書いた記事より部分抜粋し加筆・修正を加えた内容となります。
自立・自律
自立ってあるじゃないですか。
「自立をしましょうね」とか言われるあれです。
以前、おすすめ欄に『自立しすぎな人』みたいな内容の動画が表示されたので觀ました。
その動画様で説明されていたことは以下などです。
- 自立しすぎな人は他人を頼らないし頼れない
- 「頼る」を『甘え』だと思っている
- 『頼ると舐められるんじゃないか』という恐怖心がある
- "すぐ甘える人" にイラッとする
身に覺えがあります。ありまくりです。
「我は自立しすぎだったのか」と思いました。実感はないです。
その動画内にて説明手が「自立とは、適切に他者を頼ることです」と話されていたのですが、どうやらそのようですね。
『他者を頼らない』というのは自立ではなく孤立になるとも話されていました。
どうやらそのようです。身に覺えがある。
ウーム。
『人は頼り頼られ生きるのがあるべき姿』という感じですかね。
そこで思ったのですが、木ってあるじゃないですか。
あれって〈自らで立っている〉ように見えます。
ですが、土の下では根を伸ばして土なりバクテリアさんなりの力を借りているわけです。
自立ってこういうことなのかなぁと思いました。
適切に頼り、土の元となる葉を落とすことで頼られている。
適切に頼り、頼られるのが、健全。なんですってね。
まだまだ半人前半チャーハン人間ですね。

さあ!ドアを開けて出かけよう!
わたしは歩くのが好きです。
逍遥(しょうよう。ぶらぶら当て所なく散歩すること)とは先人の賢者たちが好んでいたことと聞きました。
先日東京の街を歩いていて思ったのですが、歩くと思考が活性化する感じがあります。
そして腸が動いていることも認識します。
「腸は第二の脳」とかって言いますし、むしろ「脳が第二の腸」だとする意見もあります。
それは別にいいとして。
逍遥をすると色々な発見をします。
まず東京は坂が多い。
話には聞いていましたが、実感をいたしました。
東京駅から赤坂方面へ歩いたので皇居や永田町、六本木を通ったのですが、皇居や永田町のあたりは高台にありますが六本木は坂を下ったところにあります。
六本木は雑多な街と聞きます。
土地學?風水?の話となりますが、谷は人の氣が集まります。だからわいわいと人の集まる賑やかな場所には適しています(渋谷など)。
しかし氣が集まるということは邪氣も溜まるということでもあります。
「谷」の字が付いている土地は上記の傾向があるということですね(ちなみに『水に関係する字がついている土地』は埋立地や沼沢地だったりするそうです)。
そういったことを思い至りました。
これにて過去の賢人が逍遥を好んだ理由がわかったような氣がします。
まず何よりも、色々なものが目に入るので様々な思考が脳に起こりますからね。
部屋に篭っていても見えるものは変わらない。
変わり映えがないので思考も固定される。
結局一人で考えていても限界はあるということです。
一人で考え抜く、というのは言わずもがな大切で重要です。
ですが一人、個人の考えってのは所詮は一人きりなので変化が少ないのですね。
なので、外に出て歩く。アルクグラウンド。
歩くと思いもしなかった思考と発見があります。
これも〈正しく頼る〉ということなのかもしれませんね。
ですがね。歩きすぎるのも考えものです。
なぜって、開演待ちで立ってるのがとてもしんどいからですね。
これは考えものだ。
でも歩きたいのだもの。
ちなみに、この日は最終的に43,517歩歩いておりました。
おおよそ10,000歩で6~7kmの距離らしいので、単純計算で25kmくらい歩いたことになりますね( ¨̮ )
ちなちなみに、ハタチyears oldの時分に終電がなくなった兼ね合いで奈良県の五位堂という駅から大阪は天王寺駅まで、28kmの距離を歩いたことがあります。
大して成長してねーな!
樂を覺えない。
もはや1時間程度なら「全然歩けるな」と思っちゃいますよね。
むしろ歩きたいと思っている節すらある。
証明
『適切に頼ることが必要』という内容と『逍遥はいいよ』のお話でした。
それらの証明として。
以前「なんで安価な酒場の看板って白地に黒字で店名、赤文字や青文字で酒の種類を描書いてるのだ?」という内容を書きました。
それを友人に話してみたらば「ペンキの値段とか見やすいかとかあんじゃね」との回答が来ました。
わたしの脳にはなかった考えなので『なるほど』と思った次第です。
実際の理由は不明です。
また別の記事にて、『考察を書いているのって若干マーケティング入ってんじゃね?』と書きました。
上記内容を同じ友人に話してみたらば『ヤラセになって炎上する危険性がありすぎるから絶対にありえない』との回答が来ました。
まったく脳になかった考えなので『なるほど』と思った次第です。
これらは別に〈他者を頼った〉というわけではありませんが、自分以外の人間が関わった結果ではあります。
他者との関わりがあったために新しい価値觀や考えを得る。
逍遥も頼るというのも、根本は似ているのかもしれません。
まぁ結局は自分自身の『考える力』こそ大事ではあるんですけどね。
でも個人一人の『考える力』だけだと広がりはありません。
やっぱり他者とは適度に接しないといけませんね。
わたしは本が好きです。
その他者との関係は読書でも良いとは思いますが、読書は "生の意見" ではないしやりとりができないので、やっぱり会話をすることが重要なのでしょうね。
ところで、最近懐かしい人によく会う。
街でばったり。
三人いて、そのうちの一人は「たぶんそうだよな?」の範疇だけど。
それも外に出るからこそ発生するのですね。
ありがとうございました( ¨̮ )