頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

そもそも

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

 

【大人】とは、についての追加言及

先日、「大人とは」について言及をいたしました。

floodinhead.hatenablog.com

 

上記の記事を書いて数日。

日々を過ごしていましたが、わたしは『大人になりきれていない』側だな、とひしひしと感じています(上記記事を書いている時から実感はしていたけど)。

 

 

いや、すこし違う。

単純に精神性が子どものままなのだろうと感じます。それが『大人になりきれていない』ということなんじゃないのかとも思いますけれど。

 

 

日々を生活していたらいろいろな人間がいます。

それが人間ってなものです。

 

人の善意に何も礼を言わない者もいれば、「わざとしているのか??」と思うほど騒々しい音を立てる者もいます。

ことあるごとに他者を見下さないと生きていけないのかと思ってしまうような者もいる。

道で亡くなっている動物に対して悲しみを感じ哀悼の想いを持つ者もいます。

 

そんな阿呆らしい人間模様と同じように、【大人】という価値觀にも様々あります。

 

 

【大人】というものの要素

最近「ああ、そういえば人間とはこういうものだった」と感じることがありました。

他者と会話をする際に『自分の考えていることや知っていることだとしても、相手がそれを知っているとは限らない』とは心に留めておく必要がありますが(かなり重要)、それができていない人と話しました。

そういう人がいると、わたし個人としては「あぁ、この人と話しても疲れるだけだな」と思います。

 

また他にも『相手の質問を全て聞かずに〈答え〉を返答する』という人もいます。

これは質問を受けている相手が憶測で質問へ返答をしているということになります。

そういう人に対するとわたしは「この人に話しかけても無駄だな」と思います。

 

上記しました『自分と同じことを相手が知っているとは限らない』と『相手が話し終わってから自分の口を開く』というのは、以前にも書きましたが『頭のいい人が話す前に考えていること』にも言及がされていました。

 

これも以前にも言及しましたが、この書籍で書かれていることは当たり前すぎるので読む必要はありません。

当然のことが書いているだけですので。

 

floodinhead.hatenablog.com

floodinhead.hatenablog.com

 

できていて当然のことが書かれているだけの書籍なのですが、この書籍に書かれていることって【大人】ならばできていて当然のことではないか?と思います。

 

はて、それならば【大人】とは?

 

ここでいろいろな【大人】の定義を挙げていきましょう。

  • 対立する意見の折衷案を見出す
  • 自分と自分の周りにいる人間との関係に責任を持つ
  • 自分より下の立場にいる人間のお世話をする
  • 自身の発言から生まれる影響を想像する。自身の発言に責任を持つ  etc..

他にも沢山の大人の定義ってものがあると思いますが、今ぱっと思い浮かぶのは上記したものでしょうか。

こう文章化してみると、わたしは 大人=責任 という意識が強いようですね。

 

わたし個人的な考え方としては『相手を思い遣れる』や『慮ること』ができる人が《大人の必須条件》だと思っています(大人かどうか以前に "人間として" の前提部分になりますけれど)。

 

 

上記箇条書きより『自分と自分の周りにいる人間との関係に責任を持つ』という部分について。

これは家族関係では顕著ですね。

いわゆるな "家長" としての立場にある方であれば、扶養している存在がいれば、その責任は大きなものとなります(これは『自分より下の立場にいる人間のお世話をする』という部分にも関わって来ますね。どうしても扶養対象の子どもは親や保護者からのお世話が必須となりますしね)。

 

そのために仕事をして家計を支えるという行動が重要になる次第ですが、その家計を支えるために他者の家系を崩していいのか、という話にもなります。

端的な表現で言えば『自身の保身のためにリストラなどで他者を切り捨てていいのか』ということです。

まぁリストラ云々については会社の方針や会社内でのその人の立ち位置などを考慮する必要があるため、そう簡単に解決できない部分はあるでしょう。なので今回はそんなに言及しません。

 

 

別の箇条書き項目の『自身の発言に責任を持つ』について。

「この企画はA案でいきましょう」と決定したなら、その決定を下した人はその発言に責任を持たねばなりません(全責任とは言わないでも)。

 

~他の例え~

ある不祥事を起こした芸能人や政治家、財界人がいて。

その方に対して匿名の発言や誹謗中傷をした場合にも、たとえ匿名という環境上であっても、その発言には責任を持つ必要があります(もちろんこのブログも例外ではありません。誹謗中傷なんてことしたいとも思わないけれど)。

 

 

さて、これら挙げました要素をちゃんと実行できている【大人】な方はどれだけいるのでしょうか。

匿名性のあるSNS等により色々と心のない発言などを目にしたりしますが、果たしてこれは『発言に責任を持つ』を実施できているのでしょうか。

もちろんノイジーマイノリティという方々(発言の大きい少数派という意味。内容にしても量にしても)の影響として結果が目についている可能性は大いにありますが、それは抜きにしても実生活で〈自身の発言に責任を持てている人〉は、果たして多いでしょうのか?(自戒を含む)

 

前述しました『自分と同じことを相手が知っているとは限らない』の意識を持つことと『相手が話し終わってから自分の口を開く』という "待てる姿勢" も【大人】の条件の一つだと思います。

 

果たして、【大人】ってなんなのでしょうか。

全部はそりゃあ難しいとしても、及第点レベルで実施できている人は本当に大多数いるのか?

 

 

他にも、わたしが幼い時分、わたしよりも少し年長な少年少女が『新しく知った言葉を多用する』という行動を取っていましたが、これって昨今の「アジェンダ」や「リスケ」などの横文字を多用する流行と同じではないか?と感じます。

 

 

年齢は張りぼて

以前に行った酒場でお兄ちゃんに「あなたおいくつ?」と聞かれました。

別に偽りの年齢を宣言する必要もないので「ハーフ還暦の盛りを過ぎたくらいです」と返答したのですが、そうすると質問をしてきたお兄ちゃんが「えー!若い!」と反応をしました。

その場にいた別のお客さん(4,50代の方)が「若いっていうことは、君は何歳なの?」と質問をしたのですが、そうするとお兄ちゃんは返答に窮しています。

 

それもそのはず、そのお兄ちゃんは見た感じわたしよりも年若かったので『若い!』の発言に辻褄が合わなくなるためですね。

わたしは年齢なんぞという張りぼてはあてにしていないので「まぁまぁいいじゃないですか」と口にしましたが、4,50代のお客さんは引こうとしません。

結果的にそのお兄ちゃんは23,4とかそこらへんでした。

 

わたしはこの一件において、そのお兄ちゃんには別に不快感等を感じていません。

そのお兄ちゃんはこれまでの経験上『年長者には「いやお若いですよ」と言っておいた方がいい』と學んだだけでしょうからね。むしろ氣の毒さを感じる。

 

わたしがこのお話で言いたいのは、『年齢を氣にしているってこと自体が子どもっぽくね?』ということです(わたし自身は年齢なんて大した判断基準にならないと思っているのでどうでもいいです。その人の精神性にしか興味がないし。しかし、初対面の方が「年齢からの上下関係を重要視している人」である可能性があるので、氣を遣って擬態しています)。

やはり幼い時分には年齢の違いというものはたとえ一歳二歳であっても大きなものでした。

それを引きずってるじゃん、って思うんですよね。

 

しかし年齢での上下関係については、儒教の価値觀が根っこにあるので一概に子どもや大人としてくくるのは尚早だとも思います。

 

 

ここまで書いてきましたが、どうでしょうか。

【大人】って、果たして何なのでしょうね。

 

わたしは子どものまま大人になれていない側の人間だと思いますが、果たしてわたし以外の人間、"自分のことを大人だと自負している人間" って、本当に『【大人】の精神性を持っている人』だと言えるのでしょうか。

 

ま、再びとなりますが『大人の尺度』なんて多様にあるので、一方だけの見地で「大人かどうか!」などと判断しているのは、それだけで 大人ではない、ということですね。

 

人間は多面体ですから。

 

 

そもそも

そもそもとしてなのですが、実は誰も大人ではないんじゃね?と思いました。

 

正確な表現をすれば『 "大人になりきれていない人間の様" が世間的に【大人】の姿だと認識されている』ですね。

 

最近だと某テレビ局が大炎上をしたそうです。

報道などと距離を置いて生活をしていても、さすがに耳に入ってしまいますね。

あの問題も『年齢的な大人が【大人】になりきれていない』から起きていたのではないか?と思います。

本当に【大人】なのであれば、被害者側の想いを案じて早々に告発していたのではないか?と思いますが、隠蔽していた人も自身の生活と扶養対象への責任があったのでしょうから、おいそれと簡単に「誰それが悪人だ!」とも言い切れない。邪悪ではあるけど。

わたしは『個人のエゴで他者に絶望を押し付けている人間』が嫌いなのかもしれない。果たしてわたし自身がそうはなっていないだろうか。

 

わたし個人の意見ですが〈キラキラしている業界〉ってのはその場に従事している人からキラキラを搾取(あえての表現)しているから輝いているのではないのか、と思います。

 

 

現時点の価値觀での結論 ~【大人】とは~

結果的に二回に渡って【大人】についての持論を展開しました。

これはわたしの精神性が子どものままであるから認識できることでしょう。

そして、わたし自身にも同じ要素があるために目につくのでしょう。戒めないといけませんね。

 

さて『【大人】とは』の結論なのですが、折衷案を見出せる人が【大人】なのかな、と思いました。

 

人間は多面体です。

なので『自分がしたいことをすると他方は迷惑を被る』こともありますし『一方を行うと、しないといけないもう一方が行えない』ということが様々な場面であります。

なので、折衷案が必要となるし、折衷案を見出す能力が必要になる。

時には一方を切り捨てて決断する覺悟も必要になる。

【大人】ってのは忙しいですね。

 

『時代と自分のエゴとの折衷案を考えられる人』、そして『時代と自分のエゴとの折衷案を実行できる人』が【大人】ってな感じなんですかね。

 

ま、「大人とはなんだどうだ」と喚いている時点で大人ではないのですけどね。

 

 

結局は『わたしは【大人】だ』などという自負を持たなければいいと思います。

自負なんて持っちゃったら成長をしなくなる、成長しようという意識が亡くなりやすくなりますからね。

 

もしかして『成長意欲を忘れない』という意識や認識、それそのものこそが『童心を忘れていない』ということなのかもしれませんね。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )