頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

けいたいでんわとすまーとほんと

 

本日もご訪問ありがとうございます。

 

公共の交通機関で電車というものがあります。

利用するごとに、ですが「歩きながらの携帯電話、スマートフォンの操作は大変危険なのでお止めください」と車内アナウンスが行われておりました。

 

いわゆる歩きスマホとかってやつです。

 

そりゃ危険だしどう考えても邪魔になるので上記に対しては全面賛成しています。

『赤信号、みんなで渡れば怖くない』では、ない。

 

 

ところで『携帯電話』と『スマートフォン』って、同じじゃね?と感じます。

スマートフォンには対抗馬としてガラパゴスフォンというものがありますが、左記二つの総称として『携帯電話』という言葉があるとわたしは認識しています。

ですが、もしかして「携帯電話=ガラパゴスフォン」だと認識している?そんな人が多い?

 

MAJIで?と思います。

 

MAJIで??と思うのですが、もしそういった認識をしている人がいるのであれば、そんな人たちに対しても説明と配慮をする必要がある。

そもそも認識不足じゃねえ?と思ったとしても。

 

 

そんな時に、思いました。

「もしかしてスマートフォンって言葉、iPhoneだけのことを指すものだと認識している??」

 

スマートフォンのOSコンピュータには〈iOS〉と〈Android〉の二大巨塔があります。

iOS〉コンピュータはApple製品限定で〈Android〉コンピュータはGoogle PixelやAQUOSシリーズなど、色々な企業から対象機器が販売されております。

 

以前に知ったのですが「スマートフォンという言葉はiPhoneだけを指す」と認識している方が一定数居たそうです。

この情報も五年以上前に知ったので今がどうなのかは不明ですが、もしかしたらその勢力は未だ残っている。

iOS製品はスマートフォンAndroid製品は携帯電話』というような認識をしている人が今もいるのだとすれば、車内アナウンスでの使い分けは必要、必須なのでしょうね。

 

「自分が認識していること」は他人と必ず共有できている、なんて、そんなことはあり得ない。あるわけがない、ですからね。

 

【配慮】ではありますが、想像すらも及ばなかった事象(今回はあくまでも憶測)ってのはやっぱりあるのだな、と思ったお話でした。

 

 

ところで猫も杓子も携帯電話を触っています現代では。

電車では九割以上の人間が手元の画面とにらめっこをしておりますが、画面との距離、近くない?

やっぱり画面の覗き見防止のため、とかあると思うのですが、じゃあ別に携帯電話を見なければよくない?と思います。

しかし日常会話を成立させるため?に興味もないニュースや報道を摂取しないといけない(という思い込みや強迫観念に陥っている人)というのは、たいへんだなぁと感じます。

 

もう完全に他人事ですね。

とはいえその人自身が望んでいるのでしょう。であればいいです。

 

 

そんなわたしはまあまず読書をしています。

 

読書をしていますが、周囲に目が行くこともあります。

前述の通り、世間一般大衆の九割方が携帯電話に支配されているわけですが、すると、色々な発見があります。

数年前まではすまーとほんのケースは不透明なものをつけている方がほとんどでした(合皮の手帳型などありましたね)。

 

しかし、ここ最近ではクリアケースをつけている方が多いです。

 

どうしてそうなったのか、ですが、それって『推し文化』とかが関係しているのかなと考えています。

ケースが透明であれば、その人が好きなものを機器との間に挟んだりできますからね。

 

しかも、その組み合わせは無限大であり、自分自身のセンスで如何様にもできる。

そのような要素によってクリアケースが増えたのだろうかしらね、と感じます。

 

これも行動経済学ってやつなんですかねしーらね。

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )

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