本日もご訪問ありがとうございます。
わたしは広告が好きです。
単純に面白いからです。
面白いといっても興味深いの方のインテリジェンスでんす。
ある日、街を歩いていましたらば腕時計の広告を見かけました。
見れば広告元はGRAND SEIKO。
言わずと知れたジャパニーズウオッチの名手、SEIKO社の高級腕時計路線ぶらーんどです。
そんなぐらーんどセイコーのこうこーくをぽやーんとながーめていたーのですが、なんだか引っかかりを憶えました。
意識の引っかかり、って、やつ、です。
「…」と觀察を続けると、その違和感の正体を捉えました。 幽靈の正体見たり枯れ尾花、的な感じかはお任せいたします。
アナログ時計というものは十時十分を指しているのが見榮え的に美しいと、その昔聞きました。
さてグランドセイコーの広告。
違和感…?と眺めていると、その正体に行きつきます。
違和感の正体とは分針が十時九分くらいを指し示していることでした。
🕰
のちに思い違いと判明いたしますが、『アナログ時計は "十時十分" を指しているのが見榮え的に美しい』と意識設定していたわたしはグランドセイコーの広告を見て、あることを思い出しました。
「逆柱?」
以前にも言及したであろうと思いますが、逆柱とは日本建築特有の価値觀・げん担ぎ・おまじない的な考え方です。
木造にて建築を行う場合、強度などの問題からか柱木は林立していた通りに用いないといけないそうです。
その柱に用いる木を上下逆さにして柱木にする。
つまり、根っこ側を天に向けるということですね。
それが逆柱です。
日本では『完成したものは滅びる』という価値觀があるそうです。
そんな価値觀があるため、敢えて完成をさせない、不完全な状態で終える。
さすれば滅びることはない。
それが日本における逆柱のげん担ぎやおまじないです。
この逆柱は、栃木県は徳川家康さんを祀っている日光東照宮に用いられているそうです(ただし全ての柱を逆にしているわけではない。社の柱一本だけ逆向きだそうです)。
この逆柱とグランドセイコーの広告とがどのように関係があるのか、ですよね。
それはつまり『 "十時十分" ぴったりを指していない以上、まだまだ完成ではない。不完全であるが故に成長する』という、日本人特有の謙遜と意氣込みが込められた広告なのではないか、と、そのように思ったのです。
その裏付けに、海外製の高級腕時計広告は十時十分ぴったりを指すものがありました。
海外では『完成は繁榮であるので滅びない』という日本と真逆の価値觀が根付いているそうです。
ということで、意氣揚々と上記の発見をブログに書こうと他にも腕時計の有名な会社を見てみます。
ハミルトン、フランク・ミュラー、ロレックス。。
あれ?
海外の会社も十時十分ぴったりじゃなくない?
それで調べましたら『時計が一番綺麗に見えるのは「十時八分三七秒」です』という記事を見かけました。
出自はアメリカ、昔のやり手広告代理店マンが「ステーキ美味そうやん!おっしゃ!時計広告にも応用したろ!!」と考えた結果、『時計が一番綺麗に見えるのは、十時八分四二秒』という基準に似たものができたのだそうですね。
なーんだ、って感じです。
自分の推理が当たってなかったのが悔しいのでしょうね。
滑稽です。
進入禁止!!!
天下一品ってラーメン屋さんがあるじゃないですか。
『天一(てんいち)』と略されることが多い全國チェーンのラーメン屋さんです。
街を歩いていて、またまたぼーんやーりーとその看板を見ていました。
そんなぼんやーり、な、時に、、。。。
!!!!!!!!!
皆様、天下一品ってラーメン屋さんの企業ロゴを見たことは、ございますでしょうか。
赤く塗りつぶした円に筆で書いたような白色の横線が走っています。
これは漢数字の『一』を表しているのでしょう。
『天下一品』の〈一〉です。
これって、似ている道路標識がありましたよね。
《進入禁止》の、それです。
これに氣付いた時、思わず「ウワー!巧いなー!」と感想が口をついて出ていました。
交通標識は人間が人間社会を運用するにおいて脳みそに叩き込む必要があったりするものです。
つまり無意識でも意識している必要がある要素、であるものが交通標識だと認識しているのですが、それとお店の看板とを紐づけているのですよね。
これは無意識的であればあるほど良い。
なぜならば、たとえ無意識であろうと目が向いてしまうからです。
しかも三大欲求の一つ、食慾に準じているお店ですし、ラーメンという男性が好むもの。
国道沿いに店舗があったら自然と目につく。
上手だ、、、。。。と思います。
しかし「飲食店なのに進入禁止とは」とも突っ込みどころもありますので、あくまでもこれは偶然の産物。
わたしの深読み、天下一品のロゴを作った人や天下一品の労働者さん自体も「そういえば確かに」と思ったりする部分でしょう。
しーらね。
なるほど the 🌏
とはいえ、世界を觀察するってのは愉しいです。
たとえ『自分がそう考えただけ』であっても、全く別のものとの共通点や似通った部分を見つけるというのはその後にも応用できますからね。
思考の筋力トレーニングってやつです。
ところで、筋力トレーニングをする方のことを「トレーニー」と昨今では呼称するそうですが、それって筋力トレーニング自体が目的になっている、またはSNSで筋力トレーニングが目的として成立しちゃえるようになったから、なのかしら、と感じますね。
頭の固いわたしとしては「筋力トレーニングって何か目的があって、その目的を達成するためにするもんなのじゃないの?」と思っているので、いわゆる安部公房さんが話していた『手段が目的になっている』状況じゃんかなーと思う。
わたしはギターを嗜むのですが、樂器演奏で喩えるならば『〈ある曲を演奏したい〉から【練習】をする』という本来の目的があった場合。
この際【練習】は〈演奏したい曲〉を演奏するための手段、として位置付けられていますが、〈演奏したい曲〉ってのはなくて【練習】だけを必死にしている、という感じです。
これが『手段が目的になっている』という状況ですね。
もっと一般的にしたなら『貯金が趣味』みたいな感じですかね。
《手段が目的になっている状況》ってのは、わたし個人的な価値觀としては「虚しくね?」と思うのですが、わたしの生き方や価値觀こそ「虚しくね?」と思われる方もいらっしゃるのでしょう。
なので、好きに生きたらいいんですね。
勝手にお生きになって ( ¨̮ )
あと、今の時代流行ることを『バズる』って言うじゃないですか。
この『バズ』って「羽音」とかの【BUZZ】って英単語から来ているらしいのですが、羽音ってことは虫さん集ってる?
ということは流行りものって排泄物か或いは誘蛾灯?
ありがとうございました( ¨̮ )

