頭の中の洪水

観察と思考と分析の日記ですよってね。たまに思想家が顔出します。よってね。

鉄の龍。いや、地中を行くのでもぐらかみみず?

 

本日もご訪問ありがとうございます。

公共利用が可能な交通機関って色々とあるじゃないですか。

今回はそんな乗り物を利用した際に見て思ったことが内容です。

 

 

多分通信販売で購入した本

ある日、土曜日。

わたしは鉄のみみずに乗っていました。

 

その時わたしは座席に座っていたのですが、車内は乗車率は全体の五割程度。

右斜め前にはさらりまんが立っており、とある本を読んでいました。

 

詳しい題名は覺えておりませんが『人生』や『勝利』、『ルール』などの単語が書かれていたように思います(かなりうろおぼえ)。

つまり書籍自体がむき出しだったのですね。

 

その様を見て、いろいろと憶測をしました。

 

ひとつ。

憶測したことの一つ目、は「本を読んでいるその人は読書の習慣がない」です。

 

・どうしてそう思ったか

読書の習慣がある人であれば、書籍自体に別途カバーをつけるはずです。

 

書籍は本体と表紙カバーが組み合わさって販売されておりますが、それだと表紙カバーに傷や破れが生じてしまいます。

なので読書が好きな人種は別途ブックカバーを用いて書籍を包むのですが(もちろん、必ず、ではない)、斜め前にいる人はそれをしていなかった。

 

ということは、読書の習慣がない。ということだろうと憶測されます。

 

別途カバーに関しては、自分で購入した書籍ならばより顕著だと思いますが、絶対ではないでしょう(改めて)。

 

 

ふたつ

ぱっ、との觀察で考えたことの二つ目は、その書籍は通信販売で購入したものだろう、ということです。

 

書店に陳列されている時、書籍はスリップという紙が挟まっています。

本のてっぺんでぴょこんと飛び出している半円状のものですね。

 

このスリップというものは書店での会計時、店員さんによって回収されます。

それはこのスリップという紙が売り上げを確認するためにあるからです。

 

正確には『売れた商品を確認して、再度発注するか。を考慮する』ためにある。そんな感じです。

 

 

そのスリップなのですが、斜め前にいたさらりまんが持っていた書籍にはスリップが挟まっていました(より觀察と憶測をしたところによると、スリップをしおりとして用いているっぽい感じでした)。

 

先に書いた通り、書店で本を購入した場合スリップは会計時に回収されます。

しかし、いんたねっとを用いた通信販売ではスリップが挟まったまま配送されることが多いです。

これは通信販売が書籍の販売状況?などをデータで管理しているからでしょう。

 

スリップをしおりとして用いていた。

その一端から、上記のような想像を巡らすことができます。

 

 

ちなみにその書籍はハードカバーっぽかったのですが、ハードカバーの書籍にはスピンという紐しおりが標準で組み込まれています。

そのスピンを用いていなかったところから『ハードカバーには紐しおりがついていることを知らない』という可能性があります。

そのため「読書の習慣がない方である」と推測したのですが、単純に『紐しおりを出すのが面倒』という理由でなのかもしれません。知りません。

 

 

みっつ

ぱっ、と見、で憶測されたこと。

三つ目は「いい氣になりたいんだろうな、威張ったりしたいんだろうな」ということです。

 

一つ目で『読書の習慣がない人?』と推察しました。

その理由は〈書籍にブックカバーが別途でついていなかった〉からですが、正直、ブックカバーをつけなかったのも半分意図的だろうな、と思います。

 

書籍の題名を見た感じ、ビジネス書と啓発本を兼ね備えた内容であろうことが伺えます。

 

これはもう完全に偏見ですが、ビジネス書や啓発本を好む方って、自分の優位性をわざわざ示したがる傾向があるじゃないですか。

 

それの一環だろうな、って。

 

「自分はこんなにすごいんだぜ」を暗に示して鼻の穴を膨らましたいからこそ、ブックカバーを "あえて" つけなかった。

読書を習慣的に行なっている人はわざわざ『これ読んでるんだぜ、すごいだろ!』みたいな行動取らないですからね。

たとえ自意識こそはあったとしても。

 

國民総承認欲求時代ですからね。

 

 

このブログもある種ではそうです。

しかし、あくまでもわたしの記事に関しては『本を読んで思い至った感想』です。

「下らなくてださい弁明」と取られても致し方ないでしょうが、わたしは優位性を示したいために本を引用して記事を書いたことはありません。

 

だっせえ弁明だなぁ。

 

そして、三つ目の憶測に関しては完全に憶測であります。

さらりまん当人に直接質問したわけでもないですしね。

あくまでも、憶測。です。

 

 

ところでわたしは最近Newtonという科學系のムック本を購入し読みました。

単純に「読んでみたいな」という氣になった。という理由と、明らかに背伸びしたかったからです。

購入したのは『科学と倫理の交差点』という題名のものだったのですが、なかなか面白かったですよ。

 

・倫理とは

・道徳と倫理との違いは?

 

など、倫理自体の説明から始まり、「クローン問題」や「AI・ChatGPTの是非」など昨今の身近な問題へ読み進めるに従ってテーマが変わっていく構成が巧いなと感じましたし、わたし自身が知り得なかった価値觀(『無知のヴェール』など)や事実(ChatGPTは50個の回答ごとに500mlの水を必要とする)を目にできて非常に興味深かったです。

 

わりと本氣でNewtonにハマりそうです。

『酒と人類』や『次元とは何か』とかすごく面白そう。困る。

 

伊坂作品を読み直していたり、再読したい本や新規で購入した積ん読本もあるのに興味の幅が広がっちゃってどうしよう。脅威です。

 

ところで『チェレンコフの眠り』も読みましたが最高でした。

「箱入り娘のオス」とかの作者の "らしさ" が濃く出ていました。

わりと大事な作品に思ったので、単行本も欲しい。

 

 

結局は印象に操作される民

ある日、恐らくは平日。

乗車率は満杯に近かった時。

つまり「ラッシュ」と形容される時間帯です。

 

乗車している分母が多いので、乗っているわたしを含めた客ども共々ピリついている場合もあったりします。

 

そんな、人の多い状況で座席に座っていた者が降車をした際、空いた席に座らない人。

どうして?????と思います。

Majiでなんで??????

 

車内がぎゅうぎゅう詰めの場合は一人が座るだけでも変わってくるわけですよね。

 

 

そして、優先座席というものがありますが、それに座らない人もどうして?と思います。

 

いえ、大前提として優先座席は必要とされる方に向けたものですので座るべきではありません。

しかしほとんど乗車率が満杯状況であれば、座った方がよくない?多分全体のストレス値下がるよ?

 

 

想定されるご意見

そんなことを言うと「妊婦さんなどの必要とする方が乗ってくるかもしれないだろ!」という声も聞こえて来そうです。

 

そりゃあその可能性は確実にあるけど、ほとんど満杯車内な状況では乗降口から優先座席まで無理なく移動することはほとんど無理じゃない?

車内にいる人間、ほとんど手元のクソ携帯に意識・脳みそ支配されてて周りのことなんて見えてないし見ようともしてないぜ?

逆『天体観測』の状態だぜ?

 

そんな状況で優先座席を空けているんなら数人でも優先座席に座って、立つ場所に余裕を持たせた方がよくないか?

別に『優先座席が空いてたら、天井部分を活用できる』みたいな特典もないんでしょう?

そもそもそういったことが可能であったとしても、中吊り広告があるので実現はしない。

 

 

臆病者が臆病じゃないふりをしている、ダサいやつら。

優先座席に座らない理由って、結局『〈優先座席に座る自分〉が周りからどう見えるか』を危惧してなんじゃねえか、と感じます。

しかもわたしが納得行かないのは、 "満員に近い状況ほど座らないくせに、あまり車内が混んでない状況の時は氣にせず(考えもせず)優先座席に座っている疑いがある" というところです。

 

そんなに混んでいない状況であれば、そんな状況こそ優先座席は必要な人に向けて空けておく必要があるんじゃねえのかよ。

 

だっせえな。

 

 

このだささ、某疫病が流行ったらしい時、ご丁寧にマスクをしている割に車椅子で乗車に苦戰している方には一切手を貸さず手元の携帯電話に夢中な様、その時と同じものを感じます(実話)。

そもそも携帯電話に脳みそが侵されているから困っている人の姿なんて目に入っていないんだろうな。

 

結局『大事な人を守るために』とか殊勝なことを言っていたところで手前のことしか考えてねえんだよ、人間なんてのは。

目先のこと、己のことしか考えられない。全体のことなんて考えられない、考えようともしない、そもそも考える脳みそがないんじゃないのか、とすら思う。実際そうだとも思う。

 

 

クソほどださい。救いようがないよ。

 

 

実際のところは分からない ~「わかる」という意識自体が幻想~

人間がクソなのは疑いようがなく救いようのない事実として燦々と忌まわしく輝いていますが、読書をしていたさらりまんさんに対しての考えと、優先座席への考察は、実際のところは真実はわかりません。

まず大前提『わかる』という感情自体が幻想ですし、実際に当事者に対して質問したところで人間は真実を話さないでしょうからね。

 

言葉は嘘をついたりするし、人間は自己保身のために取り繕うし。

 

ま、結局は "あくまでも憶測" ってことです。

 

 

我ながら自分の人間嫌いは深いものがあるなと思います。

氣にせずわたしはこれからも人間へのアンチを続けます。

 

わたしが人間アンチをやめるときは『人間を滅ぼそう!』と人間自身が決めた時だろうな。

そんな理想郷くるわけがないな。

 

 

 

ありがとうございました( ¨̮ )